第72話「四年前の続き」
最後まで進む力は、障害を消してくれる力ではありません。
倒れても進もうとする身体を前に、レイルは止めるより先に、踏み込み軸をずらします。
石床を蹴ったアルドの第一歩は、四年前より速かった。
踏み込んだ右足が石床を砕き、細身剣が正面から伸びる。刺突の軌道はレイルの胸。致命部位を狙うことは禁止されているため、剣先は寸前で横へ流れるはずだった。
だが、寸前まで届くことに変わりはない。
レイルは左へ半歩ずれ、短杖で剣の腹を押した。金属音。押し切れない。アルドの腕は軌道を変えられても、振り始めた刺突を最後まで伸ばそうとする。
「っ――!!」
肩を引き、杖へかかる力を逃がす。剣先が制服の胸元を裂き、薄い布片が飛んだ。
「開始した攻撃は終える。受け流すだけでは止まらないぞ」
「止めるつもりなど、ない!」
レイルは後ろへ跳んだ。
「届かない場所へ終わらせる」
アルドは剣を引くより先に、次の前進を始めた。右足。左足。身体が崩れても、踏み込みだけは前へつながる。固有律【完遂】は、痛みを消さない。疲労も、重さも、障害も残る。それでも本人が明確に開始した単純な行為を、途中で諦めさせず、最後まで行う固有スキルだ。
突撃を始めれば、転んでも地面をかいて前へ進もうとする。
剣撃を始めれば、武器を弾かれても肩と腰が軌道を完遂しようとする。
命中も勝利も保証しない。ただ、始めた者へ最後まで実行する責任と圧力を返し続ける。
『固有律【完遂】ノ継続ヲ確認』
『対象行為:正面突撃』
『使用者、退避推奨デス、ニャ』
「分かってる」
レイルの返事へ、観客席からリィナの声が飛んだ。
「それ、分かってる人の下がり方じゃない! 右が狭いよ!」
背後の境界線まで、あと七歩。左は十分に空いている。右側には、前の試合で割れた石床の修復箇所があり、わずかな段差があった。
アルドは真ん中を来る。レイルは杖先を下げた。
「昨夜の一件を返す」
胸の奥へ残していた完成圧力を解放する。
「【硬土】――完成」
アルドの足元、幅三歩分だけ石床の下が硬化した。
固めたのはアルドの足ではなく、進行線の左側だけだった。右側は元の柔らかさのまま残す。アルドの左足が硬い地面を強く返し、右足はわずかに沈む。
左右で反発がずれた。
「何っ、足止めか!」
アルドが剣を振る。
「違う。お前の進む方向を半歩変えただけだ」
突撃は止まらない。だが、軸がレイルの左肩から外れた。
レイルは剣の内側へ入り、短杖でアルドの手首を押す。通常なら、ここで剣筋が切れる。アルドの腕は押されながらも最後まで振り抜こうとし、肘、肩、腰が遅れて追いついてきた。
「まだ来るのか」
「始めた剣だ!終わらせるまで!!」
短杖が弾かれる。レイルは腰を落とし、リィナとの朝練で何百回も繰り返した受け身へ移った。肩から転がり、剣の下を抜ける。制服の背が石床をこすり、熱が走った。
立ち上がるより先に、アルドの踵が迫る。
アルドは蹴ろうとしているのではなく、崩れた突撃を次の一歩で終えようとしていた。
レイルは杖を横へ置き、足裏を滑らせた。杖が石床へ引っかかり、身体だけが一歩外へ逃げる。アルドの靴底が、さっきまでレイルの頭があった場所を踏み抜いた。
「逃げ道を道具にするか。杖まで地面へ置いて、転がる距離を稼いだな」
「使えるものを使っただけだ。杖を持ったまま頭を踏まれるよりいいだろ?」
「そうやって、正面から受ける前に別の答えを作る。やっぱり四年前と変わらない」
「四年前は杖を持ってなかったがな」
「そういう装備の話ではない! お前はいつも、俺が進む線の外へ答えを置く!」
「正面に残って倒れることだけが答えじゃない。立ち直れる場所を作って、次に返す方がいい」
「なら、次は返す前に追いつく。お前が作った安全な場所まで、俺の一歩で潰す!」
「それなら、また別の場所を作るだけだ」
アルドが振り向いた。
観客席から笑いが起こる。本人は怒っている。レイルは本当に杖の有無を答えたつもりだったため、何がおかしいのか分からなかった。
「これ、笑うところだったか」
「今はそんなの考えなくていいから前見て!前!!」
リィナに怒鳴られ、レイルは顔を戻した。
アルドの次の剣が迫ってくる。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
防護壁の内側で、セレネは二つの観測環を回していた。
一つはアルドの踏み込み角。もう一つは【硬土】解除後の地盤差。淡い青紫色の瞳が、数値と二人の動きを交互に追う。
「硬化範囲は左へ二・一度偏っています。次の踏み込みで、アルドの右膝へ負荷が集まります」
「それ、レイルに言って」
「言えばアルドにも聞こえます」
「じゃあ私が叫ぶ」
「いや、同じですって」
「見えてるのに黙ってるの?」
「観測者が答えを渡し続ければ、本人の査定にならないでしょう? 危険域へ入った時は止めます」
「……分かってる。でも、見てるだけって嫌いだなぁ」
「私も好きではありませんが......」
セレネは一度だけ、拳を握った。
「だから、止める時刻だけは、間違えません」
フィアの記録板へ数字が並ぶ。
「レイル、境界線まで五歩。アルド、右脚負荷一二パーセント増加。両者、続行可能です」
「数字だけ聞くと、まだ余裕があるみたいに感じるね」
「訂正します。余裕があるとは記録していません。続行不能条件へ達していないだけです」
「その言い方、レイルが好きそう」
「本人の好みは評価項目にありません」
「そこは入れなくていいからね」
リィナがむっとして前を向いた。
演武場では、レイルが三度目の刺突を杖で外していた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【硬土】を完成させた時点で、レイルの保持枠は空いている。
保持枠が空いても、次に選べる対象は限られる。
アルドの剣を対象にしても、腕が振り続ければ柄ごと押し込まれる。
鎧の留め具を未完化しても、突撃そのものは止まらない。
靴底を対象にしても、裸足で踏み込むだけだ。
レイルは下がりながら、アルドの動きを分けて考えた。
開始。
右足の荷重。
腰の前進。
左足の追従。
剣を上げる。
振る。
命中地点へ届く。
次の一歩へ移る。
連続した突撃に見えても、それぞれの型には一つ一つの終わりがある。
「......考えているな」
アルドが言った。
「戦いながら考えるのは普通だ。アルドだって、俺の杖と足の位置を見て構えを変えた」
「俺は進むために見る。お前は止まる理由を増やすために見る。まったく別物だ」
「止まる理由だけじゃない。倒れた時に戻れる場所、魔法が外れた時の次手、誰かを巻き込まない射線も見てる」
「全部条件がそろうまで待つつもりか」
「そろわなくても行く。その代わり、足りない条件は忘れない」
「それを考えすぎると言っている! お前は踏み出す前に退路を作るのだ」
「ああ。退路があるから踏み出せる。戻れる場所があるなら、失敗しても次へ行けるだろ?」
「なら、その退路まで進む! 戻る暇ごと奪えば、お前は今ここで答えるしかない!」
アルドが剣を低く構えた。
それまでの連続攻撃をやめ、白い境界線からレイルまでを一息で抜く直線へ身体を合わせる。右足が後ろへ引かれ、腰が沈む。
レイルの背後には、残り三歩の空間しかない。
ここで【風弾】を作っても間に合わない。通常形成には詠唱と二工程が必要だ。杖の風圧経路は制限中。直撃させればアルドを傷つけ、軸をずらす程度では【完遂】が残りの身体を前へ運ぶ。
止めるべきものは、剣でも鎧でもなかった。
アルドの右足が地面を押す。
突撃を作る全部へ触れようとすれば、理解が足りない。筋肉も、呼吸も、視線も、剣も入る。複雑すぎる。
だから、最後の一つだけを選ぶ。
勝敗線を踏み越えるため、地面を蹴り終え、足裏が離れる瞬間。
「来い、レイル!」
アルドが走る。
レイルは逃げなかった。短杖を下げ、迫る靴へ右手を向ける。
(ここで止めるのは、突撃じゃない)
あと一歩。
「最後の踏み込みだけだ」
アルドの靴が地面を離れる直前、レイルの右目に、閉じない輪が浮かんだ。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
前夜から保持した【硬土】でアルドを固定せず、地面の左右差によって突撃軸だけを半歩ずらした術師。
・アルド・クロイツ
痛みや姿勢の崩れを消さず、それでも開始した突撃と剣撃を最後まで実行し続けた【完遂】の保持者。
・リィナ・アルセイル
観客席からレイルの逃げ幅と身体を見続け、危険を感じながらも査定へ答えを渡しすぎないよう耐えた剣士。
・セレネ・グランツ
地盤差と膝の負荷を計算し、好きではない「見守る役割」を引き受けながら停止時刻を測った術式担当。
・フィア・レコード
余裕と続行可能を混同せず、境界線までの距離と両者の負荷を記録した結着記録科生。
・ニア
アルドの【完遂】が突撃という単純行為へ作用していることを表示し、退避を推奨した猫型案内人格。
【今回の能力・設定メモ】
・【完遂】は痛み、疲労、障害を消しません。本人が明確に始めた単純行為を、最後まで実行させようとする固有律です。
・【硬土】はアルドの足を拘束せず、踏み込みの左右差を作るために使用しました。
・【硬土】を完成させたため、レイルの保持枠は空いています。
【次回】
レイルは初めて、【完遂】によって固定された他人の単純行為、その終端へ意識的に【未完】を伸ばします。
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