第71話「レイル十三歳、授業へ戻る」
事故が終わっても、授業は待ってくれません。
十三歳になった朝、レイルを待っていたのは祝いの言葉と、試験日程と、四年前から続く決闘でした。
決闘当日の朝、レイルは王立結着学院の北食堂で、三個の蜂蜜パンを前にしていた。
「レイルー、誕生日の分、ちゃんと残しておいたよ」
向かい側に座るリィナが、どうだ、と言わんばかりに胸を張った。赤栗色の髪は朝練の後で少し乱れ、金茶色の目には、やり遂げた者の満足感を感じさせた。
レイルは木皿を見た。そこには――小ぶりの蜂蜜パンが、三個。
「俺の十三歳の祝いに三個なのか?」
「最初は十三個あったんだけどね!」
「十個はどこへ行ったんだよ」
「朝練したら、お腹が空いたの......」
「俺も同じ朝練をしたよな?」
「レイルは昨日、夜食のパンを食べたでしょ」
「あれは一個だけじゃないか」
「私は待ってる間に食べたの。レイルが術式を三つも比べて、なかなか終わらなかったから」
「待つ必要はなかっただろ?」
「十三歳になる瞬間に一人で術式を見てる幼なじみを置いて帰れるわけないじゃん。なのにレイル、日付が変わっても気づかなかったし」
「時間は確認していた」
「じゃあ、十三歳になった最初の言葉、覚えてる?」
「......風向きが変わった」
「それ。最悪じゃん」
リィナは皿からパンを一個取ろうとして、レイルに木皿ごと引かれた。
「残した分まで食べるなよ、俺のだろ」
「味見しようとしただけ!」
「十個食べた後の味見に意味などない」
「十三個目だけ蜂蜜の量が違うかもしれないでしょ」
「違ったら店へクレーム言うのか?」
「言わない。全部食べるけど」
レイルが三個を革袋へ入れようとしたところで、隣の椅子が静かに引かれた。セレネが淡い金髪を肩の後ろへ流し、革表紙の冊子を机へ置く。胸元の魔導演算石には、朝の光が小さく反射していた。
「レイル。誕生日、おめでとうございます。私は実用性を優先したため、食品ではありません」
「食品でも、本人の口まで届かなければ祝いにならないよ」
「三個は届きましたね。予定達成率は二三・〇七パーセントです」
「誕生日に達成率を出さないでくれるか?」
「数字は、事実です」
セレネが差し出した冊子には、【|安全条件記録帳・第二版《あんぜんじょうけんきろくちょう・だいにばん》】と記されていた。ブ厚い紙。耐熱糸。角には補強金具。第一版より明らかに丈夫で、項目欄も増えている。
「ありがとう。前の帳面は、第一結着塔の時に端が焼けたから助かる」
「今回は追加欄だけではありません。後半に削除欄を設けました」
「削除する前提なのか」
「あなたは安全条件を増やし続けます。期限切れの条件、別の対策で代替された条件、危険を減らさず手順だけを増やした条件は、消さなければ管理不能になります」
「書いた条件を消すと、見落としが増える、できれば全部残しておきたい」
「でも、消去履歴は残ります」
「なら削除ではなく、無効化記録だ」
「名称の修正は認めます。運用は変えませんが」
「もう! 二人で始めないでよ。せっかくの誕生日の贈り物を、その場で共同研究に変えないで」
リィナが机を指で叩く。
その指先へ、黒銀色の小さな猫が前足を重ねた。レイルの腕輪から投影されたニアは、パンの入っていた木皿の中央へ座り、尾を環のように丸める。
『使用者ノ年齢情報ヲ更新』
『十二歳カラ十三歳ヘ移行』
『成長率、測定――』
「身長は言わなくていい」
『未測定デス、ニャ』
「今、測ろうとしただろお前」
『否定シマス。測定準備ヲ開始シタダケデス』
「同じことだろ」
リィナが笑い、セレネは新しい記録帳へ【年齢更新】を書き足した。そこへ記録板を抱えたフィアが現れ、机の端へ一枚置く。
「学院登録年齢の更新は完了しています。訂正箇所は三件でした」
「三件も?」
「学生記録、冒険者仮資格、治療棟の負傷者票です。なお、決闘申請書は提出時点の年齢を保持するようですね」
「そこは直さないんだ」
「申請時が採用されますね。後から変更しません」
「お前、誕生日の祝いに来たんじゃないのか」
「はい。祝いも目的に含まれます」
フィアは一度だけ瞬きをした。
「十三歳、おめでとうございます。今後の記録欄が一段増えました」
「それは祝われているのか? 管理されているように感じるぞ」
「私は祝っています。管理されているように感じる、をレイルの感情として記録しました」
「はは、フィアらしいよ」
リィナが言うと、フィアは小さく頷いた。
食堂の鐘が鳴った。決闘は午後でる。午前中は通常授業だが、周りの学生は今か今かとその時間を待ち望んでいる。ところどころからヒソヒソという、おそらく決闘に関するうわさ話らしき声が聞こえていた。
また、第一結着塔事件による実技禁止期間は前日で終了し、レイルは今日から座学だけでなく、正式に一年次課程へ復帰する。
「行こう。遅れたら、復帰初日に欠席記録がついちゃうよ」
「ニアは?」
『出席ヲ要求シマス』
「お前、腕輪へ戻れ」
『ワタシハ、王立結着学院ヘノ在籍情報ガ存在シマセン』
「だから出席できないだろ」
『不合理デス。授業内容ハ記録シテイマス』
「机を一席使う方が不合理だ」
『猫一匹分ノ面積デス、ニャ』
「食堂の皿一枚を占拠してた猫が言わないでよね」
リィナに額を押され、ニアは不満そうに尾を振りながら腕輪へ戻った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
一年次の結着理論教室には、修復跡が残っていた。
壁の一部は第一結着塔事件で焼け、窓枠には新しい封止札が貼られている。机も三つ交換されていた。それでも黒板には、いつもと同じ白い術式線が引かれている。
【一年次修了筆記試験まで十一日】
【校外総合実習まで十五日】
【二年次専攻希望票・本日配布】
教室へ入ったレイルは、その三行を見て足を止めた。
「決闘の後に試験があるのか」
「前から日程表に書いてありましたよ、見てないんですか?」
「事件で十日分の授業が止まった」
「試験日程も三日延長されています」
「七日、足りない」
「何を基準に足りないと判断したの?」
「全科目を最初から見直す時間」
「最初からやらなくていいよ!」
リィナの声に、近くの生徒が振り返った。セレネは席へ着きながら、既に科目別の復習表を開いている。
「レイル。結着理論と魔導安全学は復習不要です。術式言語は古式文法の変化表だけ。契約・組合法規は、全文を覚えるのではなく設問へ必要な条項を選んでください」
「条項を選ぶには全文を理解する必要があるだろ?」
「試験時間は二時間です。法典を再編する時間ではありません」
「再編はしない。矛盾箇所を整理する」
「はぁ。それを始めるから終わらないのです。まったく。今日もレイルはやっぱりレイルですね――」
教師が入室し、教室が静まった。
最初に配られたのは、二年次の専攻希望票だった。総合術式、術式設計、武装戦技、実地指揮、記録法制、魔導工学。科を越えて選択できる専攻もあれば、基礎成績と推薦が必要な専攻もある。
「希望は第三希望まで書け。全部へ印を付けた者は、未提出として返却するぞ」
教師の視線が、なぜかレイルへ向いた。
「僕、まだ何も書いていませんよ、先生」
「君は書く前に止めておく必要があるからな」
「選択肢を比較してから決めます」
「比較の結果、全部必要だと書くなよ、ぜぇぇぇぇったいに書くなよ?」
「可能性はあります」
「ハァ。もう今の時点で返却したくなってきたんだが」
教室に笑いが起きた。レイルは納得できなかったが、希望票を記録帳へ挟んだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
本日の授業の主題は、【完成と成功の差】だった。
「術式が定められた最終工程まで到達した時、その術式は完成したと記録される。では、完成した魔法は成功したと言えるか」
教師が生徒たち全員に問うた。
アルドが手を挙げた。白い制服の襟は今日も乱れがなく、淡い灰銀色の髪も整っている。決闘を数時間後に控えていても、姿勢は真っすぐだった。
「定めた行為を最後まで遂行したなら、完遂です。結果が目的へ届かなければ、成功とは記録できません」
「例を」
「標的へ剣を振り切っても、命中しなければ攻撃は失敗です。剣撃そのものは完遂しています」
「よろしい」
次に教師はレイルを見た。
「未完成の魔法は、必ず失敗といえるか?」
「完成時刻が来ていないだけなら、結果はまだ決まっていません。危険を避けるため中断したなら、その時点で目的を達成している場合もあります」
「つまり、どういうことかな?」
「完成させない判断が成功になることもあります。ただし、中断した後の残滓処理や周辺への責任を放置すれば、判断だけ正しくても全体は終わっていません」
「第一結着塔の後始末を答案へ持ち込んだな」
「事実なので」
「君の答案は毎回、欄が足りなくなる」
「はい、毎回欄が狭くて困っています」
「他の学生は収まっているぞ」
見学していたリィナが机へ顔を伏せ、肩を震わせた。
「おい、笑うなよ」
「だって、欄の方が悪いって顔してるもん、ぷぷぷぷぷ」
「必要な説明を削って誤解される方が危険だ」
「試験で紙を追加させる方が危険だよ。採点する先生の手首がやられちゃうから」
教師が咳払いをした。
「ごほん。午後の特別実技査定も同じだ。勝敗だけで評価しない。開始条件、危険管理、終了処理、当事者の受諾まで記録する。レイル・アルヴァート、アルド・クロイツ。授業の続きを演武場で示せ」
「了解しました」
「受領する」
二人の返事が重なった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
午後、中央演武場には白い境界線が引かれていた。
観客席は防護壁の外。レイルの要望どおり、終了合図は鐘と赤光の二系統。修理途中の【七環導杖】は短杖形態に固定され、焼損した風圧経路と光経路には出力制限が付いている。
ヘルマン教官が二人の間へ立った。
「最終確認だ。致命術式、骨折を狙う攻撃、観客席への射線は禁止。【未完】の保持は一件。筋肉、関節、呼吸、魔力経路など、身体そのものを直接対象にするな」
「では、身体行為も対象外ですか」
「そこは分ける。アルドの【完遂】が固定した単純行為の終端――踏み込み、または剣撃の完了に限り、一度だけ観測下での試行を認める。ただし保持は〇・五秒未満だ」
「〇・五秒を超えた場合は」
「お前が解除できても失格にする。フィア、リィナ、セレネの誰か一人でも中止を申告した時点で即時解除だ。反論は認めない」
「分かりました」
「その返事は信用度が低い。フィア」
「保持時間と身体負荷を同時記録します。中止申告を確認した場合、勝敗判定より解除を優先します」
フィアが三枚の記録板を浮かせる。
リィナは防護壁の内側、救護線のそばに立っていた。セレネは演算石へ観測環を二つ接続している。
「レイル」
リィナが呼ぶ。
「勝ってきて、とは言わない。無事に戻ってきてね」
「俺は、勝つつもりではいる」
「そこは否定しなくていいの。勝ちたいなら勝ちたいって言って。でも、勝つために自分も相手も壊さないで」
「条件には入れている」
「書き物の話じゃないよ」
セレネが反対側から声をかけた。
「保持術式の選択は、まだ伏せるのですね」
「アルドに聞こえるからな」
「確認しただけです。私は【硬土】を推しました。リィナは【風弾】。どちらを選んでも、途中で私たちの顔色を読む必要はありません」
「俺は、顔色ではなく事実と観測情報を読む」
「そう言い直すと思いました」
アルドが細身剣を抜いた。
「おい、準備は終わったか」
「終わった、と言い切れる状態ではない。一週間前から条件を削って、昨夜ようやく一件へ絞った」
「またそうやって、始める前から残った不安を数えるのか」
「俺は、不安を消したとは言ってない。残っているものを分かった上で立つために準備した」
「なら、ここから先は実行だけだ。俺は試合の途中で、お前の七つ目の案まで待たないぞ」
「七つなどない。最後に残したのは一つだけだ」
「十分だ。その一つごと正面から越えてみせる!」
白線の一端へアルドが立つ。反対側で、レイルは短杖を右手へ構えた。
「四年前、お前は俺の剣から逃げた。俺には、怖くなって背を向けたようにしか見えなかった」
「怖かったのは否定しない。でも、背を向けたまま終わるつもりはなかった。退路を数えて、戻って立てる場所を選んだ」
「言葉を変えても逃走は逃走だ」
「逃げる場所を決めていたから、最後まで立てた。あの時の俺には、それしかできなかった」
「なら今日は、その先を見せろ。退路を作るだけで終わるなら、四年前と同じだ」
「見せる。逃げ道だけじゃない。今の俺は、戻る場所まで守れるようになった」
「なら、今度はその退路ごと踏み越える。俺は、始めた一歩を止めない」
「俺も、止めた後から逃げない」
ヘルマンが片手を上げた。
「両者、結果を受け取るまでが査定だ。よし、始めろ!」
手が下りる。
アルドの足元へ、真っすぐな白い光が走った。
【固有律・完遂・起動】
「始めた。なら、最後まで行くだけだ」
アルドの大きな第一歩で、石床が鳴り響いた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
十三歳となった朝に授業へ復帰し、修了試験と専攻選択を知らされたまま、四年前から続く決闘場へ立った少年。
・リィナ・アルセイル
十三個あった誕生日用の蜂蜜パンを三個まで減らしながらも、勝敗よりレイルが壊れず戻ることを願った幼なじみ。
・セレネ・グランツ
削除欄付きの安全条件記録帳を贈り、レイルの過剰な準備を管理可能な形へ直そうとする術式設計役。
・アルド・クロイツ
完成と成功の差を授業で答え、午後には自らの【完遂】を四年前の決着へ持ち込んだ騎士科生。
・フィア・レコード
年齢、決闘条件、異常時の中止権限を別々の記録へ整理した結着記録科生。
・ヘルマン教官
決闘を勝敗だけで終わらせず、危険管理と結果受諾まで含む特別実技査定として開始した教官。
・ニア
レイルの年齢情報を更新し、学院への在籍と出席扱いを要求した猫型案内人格。
【今回の能力・設定メモ】
・第71話開始時点で、レイルは十三歳です。
・【七環導杖】は風圧経路と光経路が応急修理中で、短杖形態と出力制限の下で使用します。
・レイルの【未完】保持可能数は一件のままです。
【次回】
止まらないアルドの一歩に対し、レイルが前夜から残した一件が明かされます。
十三個のパンが三個になっても、応援は減らさず受け取りたいところです。レビュー、ブックマーク、フォローで、四年前の続きを見届けていただけるとうれしいです。




