第66話「割れなかった薬瓶」
討伐数が多ければ、依頼が成功するわけではありません。
今回守るのは、敵より弱く、落とすだけで壊れる薬瓶です。
模擬迷宮事故から三日後、学院都市支所の受付台へ、木箱が六つ並べられた。中には治療棟で不足している止血薬、骨接ぎ用の魔力液、経路炎症を抑える冷却薬が詰められている。一本ごとに薄い硝子で作られ、衝撃、急激な温度変化、強い光魔法を避けるよう注意札が結ばれていた。
箱の外側には、見慣れない六角形の枠が取りつけられていた。薄い板を何層も組み合わせ、揺れた方向だけが潰れる構造になっている。荷車の車軸には、小さな風圧板と温度札も追加されていた。
「これは、落とした衝撃を消す道具じゃない」
作業台へ腰かけたロッテが、固定具を一本ずつ締める。
「一枚目が潰れて、二枚目へ力を逃がす。【分圧緩衝架】。壊れる順番を決めただけ」
「一枚目が壊れた後は」
「黄色札が出る。二枚目まで潰れたら赤。赤が出た箱は、戦闘より先に積み直す」
「予備板は」
「十二枚」
「少ない」
「一晩の輸送に十二枚で少ないと言うのは、あなたくらいなものよ」
荷車の反対側では、リオンが金環商会の印を入れた材料箱を得意げに開いていた。
「大師匠殿! 耐寒樹脂、無色魔糸、交換車輪、予備灯、夜食、温かい飲み物まで調達済みです!」
「紋章を箱の中央へ入れなかった点は評価する、あとお前は弟子じゃないぞ」
「ロッテ殿に削られました! いや師匠ですから」
「排圧板の上へ金属紋章を載せようとしたからな」
「広告効果が!!」
「瓶が割れたら逆効果だろうが」
「大師匠まで正論を挟まないでください!」
リィナは材料箱の端に置かれた大きな食事包みへ視線を止めた。
「ねぇ、夜食って、何人分?」
「護衛参加者八名分です」
「ええっ......八名分かあ」
「お前、なぜ残念そうなんだ」
「私を一名で数えると、途中で不足する可能性があるでしょ?」
「その問題は輸送終了後に発生させてくれ」
「それでは、依頼条件を確認しますね」
支所職員が紙を読み上げる。
「学院北倉庫から治療棟まで、夜間輸送。薬瓶百二十本。破損許容数、零。到着期限は第二鐘まで。討伐報酬はありません」
「零だって?」
ガレスが木箱を見た。
「一つも割るなってことか」
「はい。代替在庫がありません」
「敵が出たら倒した数は?」
「討伐数は、今回評価へ加えません。薬を守り、時間内に届けてください」
ガレスの口元が少し歪んだ。以前なら、自分の火力を評価しない依頼へ露骨に不満を出しただろう。今は何も言わず、箱の角へ保護布を巻き始めた。
今回の正式受注者はEランクのレイルとリィナ。トーマとセレネは学院実地補助員、ガレスは処分課題の監督対象として同行する。フィアは迷宮事故後の治療物資記録を兼ね、荷車の横へ乗ることになった。
「今回、なんか人数が多くない? 薬箱を守る依頼なのに、これだけ並ぶと、護衛する人を護衛する役まで必要になりそう」
リィナが荷車の前で腕を組む。月明かりの下、赤栗色の髪は昼より濃く見え、金茶色の瞳がセレネとレイルを交互に見ている。個人用真剣を腰へ差し、青銀色の制服の上から短い外套を羽織っていた。
「迷宮事故の後だから、実地行動を一人に集中させない方針です」
セレネは淡い金髪を低く結び、夜間観測用の眼鏡をかけている。レンズの奥の青紫色が、薬箱の配置を一つずつ確認した。
「あと、私はレイルの魔力経路を継続観測します」
「それ、依頼のため?」
「迷宮内で確認された【双路形成】第二段階、【異式双掌】と【未完】反応の再検証です。依頼環境でのデータには価値があります」
「ふうん」
リィナの返事が短い。
「リィナ。何ですか」
「別に。レイルと一緒にいたい理由を、すごく長く言うなって思っただけ!」
「研究上必要だから同行するだけです」
「私は六年くらい見てるから分かるけど、そういう時のセレネ、髪の周りが光るよね」
小さな光球が一つ、淡い金髪の横へ浮かんでいた。セレネは無言で手を伸ばし、光を消した。
「光属性の制御漏れです」
「レイルを見てる時に多いよね」
「観測対象だからです」
「それ、好きってことじゃないの?」
セレネの指が止まる。胸元の魔導演算石が、ごく小さく明滅した。
「情報不足です」
「顔、赤いよ」
「夜間用眼鏡の色補正です」
「眼鏡かけてるの、セレネでしょ」
リィナが少し意地悪そうに笑った。
「私はレイルが好きだよ。たぶんずっと前から。剣で勝ちたいし、朝は一緒に走りたいし、危ない時は私を頼ってほしい。セレネは?」
真正面から言われ、セレネの髪の周囲へ光球が三つ増えた。
「私は……」
彼女は一度、荷車の向こうにいるレイルを見た。レイルはトーマと箱の固定具を確認しており、こちらの会話を聞いていない。暗い灰褐色の髪へ月光が落ち、横顔はいつもどおり真剣だった。自分が話題にされていることなど考えず、薬瓶が一本も割れない方法だけを見ている。
「レイルの思考を、もっと近くで知りたいです。危険を増やす準備と、本当に誰かを守る準備を、本人がどこで分けているのか。術式を一緒に作りたい。私が気づけない現場を教えてほしい」
「それで?」
「……他の人が先に知っていると、不快です」
「うん。それ、好きじゃん」
「暫定です」
「そこ、暫定にするんだ」
リィナは笑ったが、目は笑っていなかった。
「私、譲らないよ」
「譲渡は求めていません」
「じゃあ、勝手に来る?」
「必要なら」
「分かった。じゃあ、ちゃんと来て。陰で計算して終わるのはなしだよ!」
セレネは青紫の目を瞬かせた。
「あなたは、私が近づくのを止めないのですか」
「止めたって、来るものは来るでしょ。あと、レイルが誰と話すかはレイルが決める。でも、私の方がレイルを知ってるってことは負けない」
その言い方には、幼なじみとしての自信と、少しの怖さが混じっていた。セレネは胸元の演算石へ触れる。
「では、競争条件を確認――」
「恋を試験扱いしないで」
「あなたが勝敗を提示しました」
「そういうところ、レイルと似てきたね」
二人が同時に黙った。似ていると言われたことを、セレネは嫌がらない。
はっくしゅん! 少し離れた位置にいたレイルがくしゃみをしていたのを見て、
二人ともお互いの顔を見て、少しだけ微笑んだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「よし、出発するぞ」
レイルが声をかけた。リィナとセレネが並んで戻ってくる。
「二人で何を話してたんだ」
「恋愛」
リィナが即答した。
「はあ? 今から夜間護衛だぞ」
「時間帯は関係ありません」
セレネまで答える。
「そうじゃなくて、集中を――」
「レイルは誰かを好きなの?」
リィナが聞いた。レイルは固まった。
「依頼開始直前に確認する必要があるのか」
「ある」
「ありません。今の質問はリィナの独断です」
「セレネも答え聞きたいでしょ」
「否定はしませんが――」
二人に見られ、レイルは荷車の固定縄をもう一度引いた。
「好きという言葉の条件が広すぎる。家族、師匠、友人、恋愛で――」
「恋愛!」
「現時点で明確に決めた相手はいないな」
リィナの眉が下がり、セレネの光球が一つ消えた。
「でも、リィナは特別だ」
レイルは続けた。
「六年一緒にいて、背中を預けられる。セレネも、術式の話を三年続けてきた。二人とも、ほかの誰かと同じではない」
「それ、答えになってない!」
「比較条件が不足していませんか?」
左右から同時に責められる。
「だから、今は決めていないと言っただろ」
「その言い方、ずるい」
「未確定を確定と答える方が不誠実です」
「セレネはどっちの味方なの?」
「回答精度についてはレイル側です」
「恋では私の競争相手なんでしょ!」
「その分類は暫定です」
トーマが荷車の後ろで困ったように笑い、ガレスが耳を塞いだ。
「依頼、始めないのか」
フィアだけが時刻を記録した。
【出発予定より三分遅延】
【原因:恋愛条件の確認】
「それ、公式記録へ残すのか」
レイルが振り返る。
「遅延原因です」
「削除してくれ」
「事実なので削除しません」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
学院都市北側の夜道は、昼より静かだった。荷車の前をリィナ、後ろをガレス。左右をレイルとセレネが歩き、トーマとフィアは荷台で薬瓶の振動を確認する。
第一の襲撃は、外壁沿いの細道で起きた。
頭上から硝子の砕けるような音が降る。
「上よ!」
リィナが叫ぶ。月を隠したのは、透明に近い翼を持つ黒い鳥の群れだった。
【硝子羽烏】
魔力を含む硝子や薬液を好み、翼の縁を刃のように硬化させる魔鳥である。十数羽が一斉に急降下した。
「火は使うな!」
レイルがガレスへ叫ぶ。
「分かってる!」
ガレスは既に杖を下げていた。レイルは左手へ【光盾】を形成し、荷車の上へ斜めに広げる。光盾は強い物理攻撃を完全には止められない。翼の軌道を僅かに曲げ、薬箱から外すために使う。右手には【風弾】。左の光盾を維持しながら、右だけを結着する。
風弾が群れの中央で弾け、鳥たちを左右へ割った。
「右へ六、左へ八!」
セレネが数える。
「リィナ、左の先頭だけ落としてください。二羽目以降の軌道が変わります」
「分かった!」
リィナは真剣を抜き、先頭の硝子羽だけを斬った。胴体を切らず、飛行姿勢を崩して地面へ落とす。返す剣で二羽目の爪を弾き、斬撃の終端を次の足へつなぐ。微かな重みが来た。
右から抜けた三羽目が、荷車の死角へ回り込む。普通に走れば、箱と鳥の間へ入るまで一歩遅い。
リィナは右足を横へ向け、出力制限中の噴射環へ一拍だけ魔力を通した。
風は前ではなく、真横へ弾ける。身体が荷車へ沿って半歩滑り、鳥の爪と箱の間へ剣腹が入った。
「横にも出せた!」
「喜ぶのは止まってから!」
レイルの声に従い、リィナは左足を地面へ強く置いた。逆噴射は使わず、二歩を使って速度を消す。指定位置への停止ではない。それでも、箱へぶつからず戻れた。
「レイル、今!」
「分かった。無意識反応、短い!」
今回は互いに言葉へした。レイルの右目へ閉じない輪が一瞬浮かび、すぐ消える。リィナは重みを押し切らず、次の一歩へ使った。ガレスは火を撃てない代わりに、薬箱へ飛びつこうとした鳥を模擬短杖で殴り落とす。
「火なら一発なのに!」
「薬も一緒に温まるだろ!」
トーマが荷台から答えた。
「知ってるよ!」
ガレスは二羽目を肩で受け、箱から引き離した。トーマは破れた固定布へ、布固定用の生活詠唱を重ねた。一度聞いた倉庫職員の声を正確に再現し、揺れる箱を締め直す。
「一本、傾きました」
フィアが告げる。レイルは光盾を維持したまま荷台へ片手を伸ばせない。セレネが箱へ飛び乗り、傾いた薬瓶を指で押さえた。淡い金髪が風にほどけ、眼鏡がずれる。それでも青紫の目は瓶の液面から離れない。
「レイル、盾を二秒だけ右へ。私が固定します」
「二秒後に左から三羽来る」
「一・七秒で終えます」
セレネは留め具を結び直し、宣言どおり二秒前に手を離した。
「固定完了」
「助かった」
レイルが言うと、髪の横へ光球が浮かぶ。
「戦闘中です。後で記録してください」
『既ニ記録中デスにゃ』
「ニアへ言っていません」
最後の群れを追い払った時、路上には羽根が散っていたが、薬瓶は一本も割れていなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
治療棟へ到着したのは、期限の七分前だった。支所職員が箱を開き、百二十本を確認する。
【破損:零パーセント】
【液漏れ:零パーセント】
【温度異常:零パーセント】
「依頼完了です、お疲れさまでした」
ガレスは討伐数の欄を探し、最初から存在しないことに気づいた。
「俺、何羽倒した?」
「一羽も倒していません」
フィアが答える。
「追い払った個体三。荷車への接触を防いだ個体二。薬箱へ火魔法を使用しなかった判断一件」
「最後まで記録するのか」
「依頼結果へ影響しました」
ガレスは少しだけ顔を背けた。治療棟の職員が空になった薬瓶を、別の木箱へ入れていた。箱の側面には、古い白文字で記されている。
【術式残滓回収】
【結着塔地下処理区画】
レイルとセレネが同時に足を止めた。
「旧水路の搬送印と同じです」
「模擬迷宮の転送術式にも似ている」
フィアが記録板を開く。
「三件目の接続を確認しました」
旧水路。模擬迷宮。治療棟の廃棄経路。学院で終わらなかったものは、すべて地下の同じ場所へ送られていた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
恋愛質問へ条件不足で答えて二人を怒らせ、戦闘では光盾と風弾を左右で扱って薬瓶を守り切った護衛役。
・リィナ・アルセイル
セレネへ自分の好意を明言し、脚部風圧を横へ一度だけ噴射して荷車の死角へ入り、真剣で硝子羽だけを斬った剣士。
・セレネ・グランツ
レイルをもっと近くで知りたい感情と他者への不快感を口にし、暫定ながら恋愛感情の入口へ立った魔導科生。
・トーマ・フェルン
聞き覚えた生活詠唱で荷箱の固定布を封じ、一本の薬瓶も落とさなかった実地補助員。
・ガレス・ベイロン
得意な火魔法を自制し、討伐数が零でも薬を守る判断を公式記録へ残した少年。
・フィア・レコード
恋愛による出発遅延から薬瓶の温度まで記録し、三つの施設が結着塔へ接続していると確認した記録科生。
・ニア
左右術式とリィナへの微小な無意識反応を監視し、セレネの光属性漏出も継続記録した案内人格。
・ロッテ・ベルクマン
薬瓶の箱へ【分圧緩衝架】を装着し、衝撃を消すのではなく壊れる順番を決めた魔導工学科生。
・リオン・ゴルディス
輸送用素材と交換部品と夜食を調達し、広告紋章だけは排圧の邪魔として削られた金環商会の次男。
【今回の能力・設定メモ】
・今回の依頼は、治療薬を守り、【硝子羽烏】の群れを荷車から追い払った時点で成功します。討伐数は評価項目へ含まれません。
・リィナとセレネの好意は、この回で互いに認識されます。レイル本人はまだ相手を選んでいません。
・リィナは横方向へ一度だけ脚部風圧を使いました。正式技としての命名、連続使用、空中方向転換には未到達です。
【次回】
学院は、レイルが”世界基準の標準”を十二歳の平均だと思っていたことを訂正します。




