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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第5章「世界基準の平凡」

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第66話「割れなかった薬瓶」

討伐数が多ければ、依頼が成功するわけではありません。

今回守るのは、敵より弱く、落とすだけで壊れる薬瓶です。

 模擬迷宮事故から三日後、学院都市支所の受付台へ、木箱が六つ並べられた。中には治療棟で不足している止血薬、骨接ぎ(ほねつぎ)用の魔力液、経路炎症を抑える冷却薬(れいきゃくやく)が詰められている。一本ごとに薄い硝子(がらす)で作られ、衝撃、急激な温度変化、強い光魔法を避けるよう注意札が結ばれていた。


 箱の外側には、見慣れない六角形の枠が取りつけられていた。薄い板を何層も組み合わせ、揺れた方向だけが潰れる構造になっている。荷車の車軸には、小さな風圧板と温度札も追加されていた。


「これは、落とした衝撃を消す道具じゃない」


 作業台へ腰かけたロッテが、固定具を一本ずつ締める。


「一枚目が潰れて、二枚目へ力を逃がす。【分圧緩衝架スプリット・クッション・フレーム】。壊れる順番を決めただけ」

「一枚目が壊れた後は」

「黄色札が出る。二枚目まで潰れたら赤。赤が出た箱は、戦闘より先に積み直す」

「予備板は」

「十二枚」

「少ない」

「一晩の輸送に十二枚で少ないと言うのは、あなたくらいなものよ」


 荷車の反対側では、リオンが金環商会の印を入れた材料箱を得意げに開いていた。


「大師匠殿! 耐寒樹脂、無色魔糸、交換車輪、予備灯、夜食、温かい飲み物まで調達済みです!」

「紋章を箱の中央へ入れなかった点は評価する、あとお前は弟子じゃないぞ」

「ロッテ殿に削られました! いや師匠ですから」

「排圧板の上へ金属紋章を載せようとしたからな」

「広告効果が!!」

「瓶が割れたら逆効果だろうが」

「大師匠まで正論を挟まないでください!」


 リィナは材料箱の端に置かれた大きな食事包みへ視線を止めた。


「ねぇ、夜食って、何人分?」

「護衛参加者八名分です」

「ええっ......八名分かあ」

「お前、なぜ残念そうなんだ」

「私を一名で数えると、途中で不足する可能性があるでしょ?」

「その問題は輸送終了後に発生させてくれ」


「それでは、依頼条件を確認しますね」


 支所職員が紙を読み上げる。


「学院北倉庫から治療棟まで、夜間輸送(やかんゆそう)。薬瓶百二十本。破損許容数(はそんきょようすう)ゼロ。到着期限は第二鐘まで。討伐報酬はありません」

ゼロだって?」


 ガレスが木箱を見た。


「一つも割るなってことか」

「はい。代替在庫がありません」

「敵が出たら倒した数は?」

「討伐数は、今回評価へ加えません。薬を守り、時間内に届けてください」


 ガレスの口元(くちもと)が少し歪んだ。以前なら、自分の火力を評価しない依頼へ露骨に不満を出しただろう。今は何も言わず、箱の角へ保護布(ほごぬの)を巻き始めた。


 今回の正式受注者はEランクのレイルとリィナ。トーマとセレネは学院実地補助員(じっちほじょいん)、ガレスは処分課題の監督対象として同行する。フィアは迷宮事故後の治療物資記録を兼ね、荷車の横へ乗ることになった。


「今回、なんか人数が多くない? 薬箱を守る依頼なのに、これだけ並ぶと、護衛する人を護衛する役まで必要になりそう」


 リィナが荷車の前で腕を組む。月明かりの下、赤栗色(あかぐりいろ)(かみ)は昼より濃く見え、金茶色(きんちゃいろ)(ひとみ)がセレネとレイルを交互に見ている。個人用真剣を腰へ差し、青銀色(せいぎんいろ)の制服の上から短い外套(がいとう)を羽織っていた。


「迷宮事故の後だから、実地行動を一人に集中させない方針です」


 セレネは淡い金髪(きんぱつ)を低く結び、夜間観測用の眼鏡をかけている。レンズの奥の青紫色(あおむらさきいろ)が、薬箱の配置を一つずつ確認した。


「あと、私はレイルの魔力経路(まりょくけいろ)を継続観測します」

「それ、依頼のため?」

「迷宮内で確認された【双路形成デュアル・フォーミング】第二段階、【異式双掌(クロス・フォーミング)】と【未完】反応の再検証です。依頼環境でのデータには価値があります」

「ふうん」


 リィナの返事が短い。


「リィナ。何ですか」

「別に。レイルと一緒にいたい理由を、すごく長く言うなって思っただけ!」

「研究上必要だから同行するだけです」

「私は六年くらい見てるから分かるけど、そういう時のセレネ、髪の周りが光るよね」


 小さな光球が一つ、淡い金髪の横へ浮かんでいた。セレネは無言で手を伸ばし、光を消した。


「光属性の制御漏れです」

「レイルを見てる時に多いよね」

「観測対象だからです」

「それ、好きってことじゃないの?」


 セレネの指が止まる。胸元の魔導演算石(まどうえんざんせき)が、ごく小さく明滅した。


「情報不足です」

「顔、赤いよ」

「夜間用眼鏡の色補正です」

「眼鏡かけてるの、セレネでしょ」


 リィナが少し意地悪そうに笑った。


「私はレイルが好きだよ。たぶんずっと前から。剣で勝ちたいし、朝は一緒に走りたいし、危ない時は私を頼ってほしい。セレネは?」


 真正面から言われ、セレネの髪の周囲へ光球が三つ増えた。


「私は……」


 彼女は一度、荷車の向こうにいるレイルを見た。レイルはトーマと箱の固定具を確認しており、こちらの会話を聞いていない。暗い灰褐色(はいかっしょく)の髪へ月光が落ち、横顔はいつもどおり真剣だった。自分が話題にされていることなど考えず、薬瓶が一本も割れない方法だけを見ている。


「レイルの思考を、もっと近くで知りたいです。危険を増やす準備と、本当に誰かを守る準備を、本人がどこで分けているのか。術式を一緒に作りたい。私が気づけない現場を教えてほしい」

「それで?」

「……他の人が先に知っていると、不快です」

「うん。それ、好きじゃん」

「暫定です」

「そこ、暫定にするんだ」


 リィナは笑ったが、目は笑っていなかった。


「私、譲らないよ」

「譲渡は求めていません」

「じゃあ、勝手に来る?」

「必要なら」

「分かった。じゃあ、ちゃんと来て。陰で計算して終わるのはなしだよ!」


 セレネは青紫の目を瞬かせた。


「あなたは、私が近づくのを止めないのですか」

「止めたって、来るものは来るでしょ。あと、レイルが誰と話すかはレイルが決める。でも、私の方がレイルを知ってるってことは負けない」


 その言い方には、幼なじみとしての自信と、少しの怖さが混じっていた。セレネは胸元の演算石へ触れる。


「では、競争条件を確認――」

「恋を試験扱いしないで」

「あなたが勝敗を提示しました」

「そういうところ、レイルと似てきたね」


 二人が同時に黙った。似ていると言われたことを、セレネは嫌がらない。


 はっくしゅん! 少し離れた位置にいたレイルがくしゃみをしていたのを見て、

 二人ともお互いの顔を見て、少しだけ微笑んだ。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


「よし、出発するぞ」


 レイルが声をかけた。リィナとセレネが並んで戻ってくる。


「二人で何を話してたんだ」

「恋愛」


 リィナが即答した。


「はあ? 今から夜間護衛だぞ」

「時間帯は関係ありません」


 セレネまで答える。


「そうじゃなくて、集中を――」

「レイルは誰かを好きなの?」


 リィナが聞いた。レイルは固まった。


「依頼開始直前に確認する必要があるのか」

「ある」

「ありません。今の質問はリィナの独断です」

「セレネも答え聞きたいでしょ」

「否定はしませんが――」


 二人に見られ、レイルは荷車の固定縄をもう一度引いた。


「好きという言葉の条件が広すぎる。家族、師匠、友人、恋愛で――」

「恋愛!」

「現時点で明確に決めた相手はいないな」


 リィナの(まゆ)が下がり、セレネの光球が一つ消えた。


「でも、リィナは特別だ」


 レイルは続けた。


「六年一緒にいて、背中を預けられる。セレネも、術式の話を三年続けてきた。二人とも、ほかの誰かと同じではない」

「それ、答えになってない!」

「比較条件が不足していませんか?」


 左右から同時に責められる。


「だから、今は決めていないと言っただろ」

「その言い方、ずるい」

「未確定を確定と答える方が不誠実です」

「セレネはどっちの味方なの?」

「回答精度についてはレイル側です」

「恋では私の競争相手なんでしょ!」

「その分類は暫定です」


 トーマが荷車の後ろで困ったように笑い、ガレスが耳を塞いだ。


「依頼、始めないのか」


 フィアだけが時刻を記録した。


【出発予定より三分遅延】

【原因:恋愛条件の確認】


「それ、公式記録(オフィシャル)へ残すのか」


 レイルが振り返る。


「遅延原因です」

「削除してくれ」

「事実なので削除しません」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 学院都市北側の夜道は、昼より静かだった。荷車の前をリィナ、後ろをガレス。左右をレイルとセレネが歩き、トーマとフィアは荷台で薬瓶の振動を確認する。


 第一の襲撃は、外壁(がいへき)沿いの細道で起きた。

 頭上から硝子の砕けるような音が降る。


「上よ!」


 リィナが叫ぶ。月を隠したのは、透明に近い翼を持つ黒い鳥の群れだった。


硝子羽烏グラスウイング・クロウ


 魔力を含む硝子や薬液を好み、翼の縁を刃のように硬化させる魔鳥である。十数羽が一斉に急降下した。


「火は使うな!」


 レイルがガレスへ叫ぶ。


「分かってる!」


 ガレスは既に杖を下げていた。レイルは左手へ【光盾(ルミナス・シールド)】を形成(けいせい)し、荷車の上へ斜めに広げる。光盾は強い物理攻撃を完全には止められない。翼の軌道を僅かに曲げ、薬箱から外すために使う。右手には【風弾】。左の光盾を維持しながら、右だけを結着(けっちゃく)する。


 風弾が群れの中央で弾け、鳥たちを左右へ割った。


「右へ六、左へ八!」


 セレネが数える。


「リィナ、左の先頭だけ落としてください。二羽目以降の軌道が変わります」

「分かった!」


 リィナは真剣を抜き、先頭の硝子羽だけを斬った。胴体を切らず、飛行姿勢を崩して地面へ落とす。返す剣で二羽目の爪を弾き、斬撃(ざんげき)の終端を次の足へつなぐ。微かな重みが来た。


 右から抜けた三羽目が、荷車の死角へ回り込む。普通に走れば、箱と鳥の間へ入るまで一歩遅い。


 リィナは右足を横へ向け、出力制限中の噴射環へ一拍だけ魔力を通した。


 風は前ではなく、真横へ弾ける。身体が荷車へ沿って半歩滑り、鳥の爪と箱の間へ剣腹が入った。


「横にも出せた!」

「喜ぶのは止まってから!」


 レイルの声に従い、リィナは左足を地面へ強く置いた。逆噴射は使わず、二歩を使って速度を消す。指定位置への停止ではない。それでも、箱へぶつからず戻れた。


「レイル、今!」

「分かった。無意識反応、短い!」


 今回は互いに言葉へした。レイルの右目へ閉じない輪が一瞬浮かび、すぐ消える。リィナは重みを押し切らず、次の一歩へ使った。ガレスは火を撃てない代わりに、薬箱へ飛びつこうとした鳥を模擬短杖で殴り落とす。


「火なら一発なのに!」

「薬も一緒に温まるだろ!」


 トーマが荷台から答えた。


「知ってるよ!」


 ガレスは二羽目を肩で受け、箱から引き離した。トーマは破れた固定布へ、布固定用の生活詠唱を重ねた。一度聞いた倉庫職員の声を正確に再現し、揺れる箱を締め直す。


「一本、傾きました」


 フィアが告げる。レイルは光盾を維持したまま荷台へ片手を伸ばせない。セレネが箱へ飛び乗り、傾いた薬瓶を指で押さえた。淡い金髪が風にほどけ、眼鏡がずれる。それでも青紫の目は瓶の液面から離れない。


「レイル、盾を二秒だけ右へ。私が固定します」

「二秒後に左から三羽来る」

「一・七秒で終えます」


 セレネは留め具(とめぐ)を結び直し、宣言どおり二秒前に手を離した。


「固定完了」

「助かった」


 レイルが言うと、髪の横へ光球が浮かぶ。


「戦闘中です。後で記録してください」

『既ニ記録中デスにゃ』

「ニアへ言っていません」


 最後の群れを追い払った時、路上には羽根が散っていたが、薬瓶は一本も割れていなかった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 治療棟へ到着したのは、期限の七分前だった。支所職員が箱を開き、百二十本を確認する。


【破損:零パーセント】

液漏れ(えきもれ):零パーセント】

【温度異常:零パーセント】


「依頼完了です、お疲れさまでした」


 ガレスは討伐数の欄を探し、最初から存在しないことに気づいた。


「俺、何羽倒した?」

「一羽も倒していません」


 フィアが答える。


「追い払った個体三。荷車への接触を防いだ個体二。薬箱へ火魔法を使用しなかった判断一件」

「最後まで記録するのか」

「依頼結果へ影響しました」


 ガレスは少しだけ顔を背けた。治療棟の職員が空になった薬瓶を、別の木箱へ入れていた。箱の側面には、古い白文字で記されている。


術式残滓回収じゅつしきざんしかいしゅう

【結着塔地下処理区画(ちかしょりくかく)


 レイルとセレネが同時に足を止めた。


「旧水路の搬送印と同じです」

「模擬迷宮の転送術式にも似ている」


 フィアが記録板を開く。


「三件目の接続を確認しました」


 旧水路。模擬迷宮。治療棟の廃棄経路。学院で終わらなかったものは、すべて地下の同じ場所へ送られていた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 恋愛質問へ条件不足で答えて二人を怒らせ、戦闘では光盾と風弾を左右で扱って薬瓶を守り切った護衛役。


・リィナ・アルセイル

 セレネへ自分の好意を明言し、脚部風圧を横へ一度だけ噴射して荷車の死角へ入り、真剣で硝子羽だけを斬った剣士。


・セレネ・グランツ

 レイルをもっと近くで知りたい感情と他者への不快感を口にし、暫定ながら恋愛感情の入口へ立った魔導科生。


・トーマ・フェルン

 聞き覚えた生活詠唱で荷箱の固定布を封じ、一本の薬瓶も落とさなかった実地補助員。


・ガレス・ベイロン

 得意な火魔法を自制し、討伐数が零でも薬を守る判断を公式記録へ残した少年。


・フィア・レコード

 恋愛による出発遅延から薬瓶の温度まで記録し、三つの施設が結着塔へ接続していると確認した記録科生。


・ニア

 左右術式とリィナへの微小な無意識反応を監視し、セレネの光属性漏出も継続記録した案内人格。


・ロッテ・ベルクマン

 薬瓶の箱へ【分圧緩衝架スプリット・クッション・フレーム】を装着し、衝撃を消すのではなく壊れる順番を決めた魔導工学科生。


・リオン・ゴルディス

 輸送用素材と交換部品と夜食を調達し、広告紋章だけは排圧の邪魔として削られた金環商会の次男。


【今回の能力・設定メモ】


・今回の依頼は、治療薬を守り、【硝子羽烏】の群れを荷車から追い払った時点で成功します。討伐数は評価項目へ含まれません。

・リィナとセレネの好意は、この回で互いに認識されます。レイル本人はまだ相手を選んでいません。

・リィナは横方向へ一度だけ脚部風圧を使いました。正式技としての命名、連続使用、空中方向転換には未到達です。


【次回】


学院は、レイルが”世界基準の標準”を十二歳の平均だと思っていたことを訂正します。

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