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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第5章「世界基準の平凡」

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第61話「旧水路の残響」

調査には、比較できる痕跡が必要です。

二件目の都市依頼へ向かいます。

 銀札は、ガレスの袖口から落ちなかった。


 トーマの詠唱が消えた直後、彼は光った札を握り込み、袖の奥へ隠した。レイルたちが動くより先に自主練習場の鐘が鳴り、別の学生たちが一斉に入ってくる。


「おいガレス、今、何を使った?」

「何の話だ?」

「袖の銀札のことだ、とぼけてるんじゃない」

「家の護符だ。平民の持ち物を覗き込む趣味でもあるのか? ”昨日詠みイエスタデイ・キャスター”――」


 そう吐き捨てると、ガレスは仲間と共に立ち去った。


 追えば取り押さえられたかもしれない。けれど身体検査をする権限などない。レイルは残った音響記録と魔力波形を教官へ提出した。


 しかし、ヘルマン教官の返答は慎重だった。


「消音術式の反応はある。発生源を個人へ結びつけるには弱い。自主練習場には消音用の設備も複数ある」

「袖の札が同時に光りました」

「見たのは何人だ」

「俺とセレネ。リィナはトーマを見ていた」

「札の術式を確認したか」

「できていません」

「なら、次は教官の前で再現させる。勝手に奪ってはいかんぞ。」



 報告を終えた翌朝。


 学院東側の小訓練場には、白い停止線が十本引かれていた。ロッテはリィナの靴底へ薄い測定環を装着し、両足首へ安全紐を結ぶ。


「今日は噴射しない。足裏まで魔力を通して、外へ出す直前で止める」

「進まないの?」

「進んだら失敗」

「朝練なのに?」

「昨日まで走ってたでしょ。今日は止める場所を覚える」


 レイルは安全紐の反対側を握り、地面へ打った固定杭を二度確認した。


「杭は左右二本。予備の支点も――」

「一人を止めるだけで、馬車を固定する準備をしないで」

「リィナの初速は馬車より速い場合がある」

「褒めてる?」

「比較している」

「そこは褒めてよ!」


 少し離れた場所で、リオンが金刺繍の運動着を整えていた。高級水筒、交換靴六足、汗拭き布、携帯食、専属料理人が用意した朝食箱まで並んでいる。


「大師匠! 弟子見習い志願者、準備は万全です!」

「荷物を減らせ」

「すべて必要品です」

「走る前から俺と同じことを言うな」

「師弟の証ですな!」

「弟子ではない」


 リィナが指を鳴らした。


「リオンは外周三周。無理なら二周。倒れたら終わり」

「三周とは随分と低い目標です!」

「じゃあ五周」

「ひぃっ、やっぱり三周でお願いします!」


 リオンが走り出す。

 リィナは目を閉じ、足裏へ魔力を流した。


 右足の測定環が先に淡く光る。左足へ回すと、腰の辺りで流れが細くなった。


『右足偏流、十六%。左踵ノ導出反応、遅延シテイマスにゃ』

「剣で踏み込む時、右ばかり使ってるからかな」

「右を悪者にしなくていい」


 ロッテはしゃがみ、靴底の環を指で示した。


「右は進む足。左は止まる足。今は役割を分けた方が身体に合う」

「左右同じにしないんですか?」


 セレネが測定板を見ながら尋ねる。


「最終的には両方使う。でも個体差を消すために三か月使うより、差を前提に安全な一歩を作る」

「誤差ごと運用する、ということですね」

「そう。工学では、癖も部品の一つよ」


 リィナはもう一度、両足へ魔力を流した。


 右の環が強く光った直後、左も遅れて点く。外へ風は出ない。身体も動かない。


「できたかな?」

「足裏まで届いた。今日はそこまでね」

「一歩も進んでないよ」

「一歩進む前の経路ができた」

「もう一回!」

「回数は十回、それならいい」

「二十回」

「だめ、十回」

「十五」

「十二」

「じゃあ十三で決まり!」

「交渉で一回増やすな」


 外周では、リオンが一周目の途中で歩き始めていた。


「大師匠……弟子への試練が……深い……」

「まだ半周だ」

「距離まで深い……!しかし、これが弟子への愛情というもの......」


 その朝、リィナは十三回目を許されなかった。


 代わりに十二回すべて、右と左の足裏へ魔力を通し、外へ漏らさず戻した。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 翌日、学院都市支所へ【旧水路の魔力漏出調査】が出た。


 依頼書には、下層市場の水路から夜ごとに低い唸りが聞こえ、魔力を含んだ水が逆流するとある。調査資料へ添付された簡易波形が、自主練習場で記録した消音術式の残滓に似ていた。


「このクエストをこなせば、比較用の痕跡が取れそうだな」

「依頼をいじめ調査へ使うんですか?」


 セレネは依頼票と記録紙を見比べる。


「依頼目的は水路異常の調査。痕跡比較は、その途中で得られた記録だけを使う」

「目的を混ぜていないなら構いません。私も同行します」

「お前、組合登録は?」

「学院の実地補助員として登録済みです。戦闘時の指揮権はEランクの二人へ預けます」


 リィナが腕を組む。


「セレネ、あんた戦えるの?」

「初級魔法を六術式、中級を二術式。対人訓練は未経験ですが――」

「じゃあ、私より前へ出ないでね」

「その判断に同意します。あなたも計画範囲から出ないでくださいよ?」

「現場で必要なら出るけど!」

「出る前に声をかけてください」

「間に合えばね」

「間に合わせるのが連携というものです」


 この二人、早くも噛み合わない。


「俺が後ろと退路を見る。リィナが前。セレネは中央で記録と補助。ニアは探索」

「異議ありません」

「私もそれでいい」


「珍しく早いな」

「お腹空いてるから、早く終わらせたいんだよぉ!」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 下層市場の地下水路は、人が立って歩けるぎりぎりの高さだった。背が高い者は屈む必要があるくらいの広さだ。


 リィナは真剣を抜く前に、鞘の位置を腰から少し後ろへずらした。天井が低く、大きな振りは使えない。抜刀後も剣先を前へ出しすぎず、いつでも短い突きと受け流しへ移れるよう構える。


 ニアが犬型へ変わり、濡れた石床へ鼻先を近づけた。


『魔力混入水ヲ確認。上流方向ニ濃度上昇ワン』

「水へ触るな。術式の種類が分かるまでは、毒性不明だ」

「分かってる」


 リィナは答えながら、すでに水たまりを飛び越えていた。


 レイルは右手へ【灯光(ライト)】を形成し、低い位置へ浮かべる。左手には【探熱(ヒート・サーチ)】。異なる術式を同時に維持するため、左を先に固定し、右を遅らせた。


『左右出力差、六%。混線ナシにゃ』

「前より良い」

「視線は前へ。数値へ見入らないでください」


 セレネがすぐ後ろから言う。


「見入ってない」

「今、二秒見ました」

「二秒は見入ったうちに入らないだろ」

「狭所で二秒あれば、リィナは十歩進みますよ」

「十二歩、いや十五歩くらいは進めるかな?」

「進みすぎです!」


 セレネの声が水路へ響いた。


 その声を追うように、壁の苔が動いた。


「止まれ!」


 リィナが剣を抜く。


 緑黒色の細長いものが、水路壁から一斉に剥がれた。表面へ文字のような白い筋を持つ、術苔蛭(ルーン・リーチ)。魔力を含んだ水と術式残滓を吸い、近づく生物へ飛びつく小型魔物である。


 最初の一匹を、リィナが短い斬撃で落とした。


「壁にまだいる!」

「熱反応、前方十二。右壁に七、左に五!」

「床は?」

「水の中に三つ!」


 リィナは剣を大きく振らない。右壁から飛ぶ一匹を剣の腹で下へ叩き、左から来る二匹を短い返しで斬る。前の斬撃を止めず、手首と踏み込みを次へつなぐ。


 水の中から三匹が跳ねた。


「リィナ、下!」


 レイルは左手の【探熱(ヒート・サーチ)】を閉じ、【風弾(エア・ショット)】へ切り替えた。右手の【灯光(ライト)】は維持したまま、照準だけを水面へ落とす。


 風圧が水面を斜めに打ち、蛭を壁際へ飛ばした。


「セレネ、壁を固められるか」

「【土壁(アース・ウォール)】では水路を塞ぎます。薄い【硬土(ハード・ソイル)】なら」

「右壁だけ。逃げ道を左へ残して」

「形成します」


 セレネは右手へ地質術式、左手へ光の術式環を同時に作った。二つを完成させず、右だけを選ぶ。


「【硬土(ハード・ソイル)】」


 右壁の苔ごと表面が固まり、隙間へ潜っていた蛭の動きが止まった。


「同時に作ったのに、一つしか使わないの?」


 リィナが斬りながら尋ねる。


「二つを同時結着すると干渉します。左は次の状況へ備えた形成です」

「使わないなら消すの?」

「必要がなければ」

「もったいない」

「魔力を維持し続ける方が無駄です」

「二人とも、話は後!」


 残った蛭がレイルへ飛んだ。


 レイルは【七環導杖(セプテム・ロッド)】を短杖形態へ縮め、横から払う。蛭は壁へ当たり、落ちたところをリィナの鞘が押さえた。


「今の、魔法いらなかったね」

「杖は武器でもあるからな」

「昨日は取り上げられてたけど」

「今日はあるだろ」


 戦闘は二分ほどで終わった。


 リィナは真剣へ付いた粘液を専用布で拭い、刃こぼれを確認してから鞘へ戻す。幼い頃の木剣なら泥を払うだけで済んだが、真剣は手入れを怠れば錆びる。彼女は会話をしながらも、刃の根元から切っ先まで視線を走らせていた。


「怪我はどう?」

「ない。セレネは?」

「外套へ一匹触れました。皮膚への接触なし」

「レイルは」

「なし、だ」

「じゃあ進むよー」


 水路奥には、古い円形扉があった。


 扉の周囲へ、閉じかけた環状文字が刻まれている。水はその隙間から漏れ、低い唸りを生んでいた。音を調べると、ある範囲へ入った瞬間だけ響きが弱まる。


「これは……消音術式です」


 セレネが扉へ触れず、空中へ構造を書き写す。


「学院で使われている【消音(サイレンス)】より古い。けれど、始動文字(しどうもじ)の並びが近い」

「自主練習場の波形と比べられるか」

「記録してください、ニア」

『音響・魔力波形ヲ保存シマスにゃ』


 レイルは扉の下へしゃがんだ。


 石の継ぎ目に、新しい傷がある。古い苔が削れ、金属工具を差し込んだ痕が残っていた。


「最近、誰かが開けようとしてる」

「学院の管理記録を確認する必要があります」

「開ける?」


 リィナが柄へ手を置く。


「依頼範囲は漏出原因の調査まで。扉の向こうは未確認区域だ」

「中に原因があるよ」

「可能性は高い。だからまず支所と学院へ報告する」

「ここまで来たのに?」

「開けて閉じられなくなったら、水路全体へ流れてしまうだろ」


 リィナは扉を見つめた。先へ行きたい顔をしている。それでも、剣から手を離した。


「じゃあ、印を付けて戻る。勝手に開けられないように」

「封鎖札を二枚」

「三枚です」


 セレネが訂正した。


「扉、通路入口、地上市場の点検口。誰かが一枚を剥がしても、残りで侵入が分かります」

「その案……採用」

「あなたが一枚増やされる側になるのは珍しいですね」

「必要な追加だから、なんならあと二枚くらい追加したいくらいだ」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 帰還後、報告書は学院施設課と都市支所の両方へ提出された。


 対応した施設課職員は、古い記録をめくりながら首を振る。


「その水路は、昔の排水調整設備につながっている。扉の向こうは停止済みだ」

「新しい工具痕がありました」

「定期点検の跡だろう」

「点検記録の日付は?」

「後で確認する。学生は授業へ戻りなさい」

「確認担当者と期限を記録してください」

「施設課の仕事へ学生が口を出すな!」

「依頼報告です。次に漏れた時、誰がどこまで見たか分からなければ、また最初から調べることになります」

「……三日以内に照合する。それでいいな」

「担当者名もお願いします」

「君は本当にエルシア先生の弟子だなあ。あの人も気になることがあるととことん追究するタイプだった」


 レイルは追加調査を求めたが、依頼自体は魔力漏出の確認と封鎖で達成扱いになった。術苔蛭の駆除、侵入防止、波形記録も評価される。


 支所を出たところで、セレネが二枚の記録を並べた。


「旧水路の消音波形と、自主練習場の記録。完全一致ではなかったです」

「使われている始動文字は?」

「七文字中五文字が同じです。ガレスの札を調べる理由にはなりそうですね」

「教官へ持っていこう」

「はい。ただし、旧水路の施設異常は別件として追いましょう」


 リィナが二人の紙を覗き込む。


「難しいところは分かんないけど、あの扉、嫌な感じがした」

「魔力か?」

「ううん。誰かが隠してる扉みたいだった」

「感覚だけでは報告書へ書けません」

「だからセレネが調べるんでしょ?」


 セレネは少し黙り、紙の下へ一行足した。


【前衛担当者より、管理状況への違和感申告あり】


「これで記録へ残します」

「そういう書き方になるんだ」

「削除されにくい書き方です」


 リィナは満足そうにうなずいた。


 旧水路で得たのは、消音札を調べるための比較記録だけではなかった。

 学院の地下には、誰かが最近触れた古い扉がある。


 その報告は受理された。

 読まれたかどうかは、まだ分からない。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 灯光と探熱を双掌で扱い、真剣を振るリィナの後方を守りながら、旧水路の工具痕と消音波形を記録した調査役。


・リィナ・アルセイル

 低い水路で真剣の振り幅を抑え、蛭の群れを短い斬撃と受け流しで処理して、未確認扉の前でも撤退を選んだ前衛。


・セレネ・グランツ

 二術式を形成して必要な一つだけを結着し、リィナの感覚的な違和感も削除されにくい文へ変えた実地補助員。


・ニア

 犬型で漏出源を追い、猫型へ戻って旧式消音術式の波形を保存した探索・記録支援役。


・術苔蛭

 魔力を含む水へ繁殖し、狭い水路で壁と水面の両方から飛びかかった小型魔物。


・ロッテ・ベルクマン

 リィナへ噴射より先に足裏の経路分離を教え、左右差を欠点ではなく役割として扱った試作担当。


・リオン・ゴルディス

 万全の装備で朝練へ現れ、外周一周を終える前に弟子修行の深さを身体で理解した出資者。


【今回の能力・設定メモ】


・セレネの【並列思考(へいれつしこう)】は二つの術式を形成できますが、第61話時点では同時結着できません。

・旧水路の円形扉と学院地下施設は、後半事件へ続く異常記録です。

・第61話時点のリィナは脚部噴射を行っていません。足裏まで魔力を通し、外へ漏らさず戻す基礎訓練の段階です。


【次回】


証拠が揃えば、今度は教官の前で詠唱を完成させます。

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