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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第5章「世界基準の平凡」

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第60話「詠唱を笑う声」

学院の落ちこぼれは、才能がないとは限りません。

笑い声は、詠唱より早く届きます。

 翌朝、第三工房の机には、ロッテが作った見積書と、レイルが書き足した安全条件が並んでいた。


【風圧導管 二本】

【足裏接続環 二個】

【交換式排圧板 四枚】

【逆流防止板 二枚】

【事故時切離機構 一式】


「排圧板は八枚で」

「四枚だけ」

「左右で破損率が違った場合、片側だけ交換して比較する。予備は必要だろう?」

「一号機の失敗を見てから二号分を作る。棚を埋めるのは安全設計じゃないわ」

「修理待ちで訓練が止まるのはどう思うんだ?」

「止まって点検する日も訓練のうちよ」


 ロッテは見積書から顔を上げず、レイルが足した項目へ太い線を引いた。


 リィナは作業台へ肘をつき、二人の言い争いを聞いていた。


「私は早く試したいなぁ」

「それが一番危ないのよ」


 二人の返事が重なる。


「またそこだけ揃う! もーなんで?!」


 セレネは費用欄を確認した。


「学院の基礎研究補助へ申請できます。ただし審査に二週間、人体装着許可にさらに一週間ほど必要です」

「三週間?」

「安全審査です」

「朝練、三週間も普通のまま?」

「普通の朝練が不足しているような言い方をするな」

「足から風を出せるって聞いた後だと、普通に走るのが遅く感じる」

「その感覚のまま噴射すると、壁へ着く方が早くなるぞ。審査が下りるまで、朝練で脚力や足運びを鍛えておけばいい」


 工房の扉が勢いよく開いた。


「話は聞かせていただきましたよぉ!」


 金茶色の巻き髪を揺らし、少年が両腕を広げて立っていた。


 商務術式科の制服には金糸が入り、胸元には高価そうな懐中時計。背後の学生二人は、材料箱と革袋を抱えている。


「誰?」

「リオン・ゴルディス! 大陸物流の動脈、【金環商会(きんかんしょうかい)】総帥家の次男にして、未来の魔導投資王です!」

「そこまで聞いていないんだが」

「質問される前に名乗る。商談の基本ですね」

「商談などしていない」

「今から始まるのです!」


 リオンは革袋を机へ置いた。


 重い音がした。


「試作費、失敗三回分、修理費、治療費、朝食費! すべて我が商会が負担しましょう!」

「朝食費まで?」

「高負荷訓練には栄養が必要です」

「この人、信用できるかも」

「食事で判断するな、リィナ」


 ロッテは革袋に触れなかった。


「で、条件はなんだ」

「完成品へ金環商会の紋章。可能なら金装飾。量産時の優先交渉権。そして――」


 リオンはレイルへ向き直り、深く頭を下げた。


「レイル・アルヴァート殿。私を弟子にしてください、大師匠!」

「断る!」

「ええええええええええええええっ、即答!?」

「弟子を取った経験がない。教えられる内容もない。大師匠でもない。よって”却下”だ」

「戦う前日に魔法を用意し、当日は完成だけを返す。両手の術式を分け、今度は人類の導出端数まで越えようとしている、と聞いたのです!」

「まだ理論でしかない」

「完成前から価値を見抜く者が投資家なのです!」

「失敗率だって高い」

「なお良いではないですか! 成功後に金を出す者などただの客なのです。失敗前に責任をシェアする者こそ投資家であり、私が目指す商人道なのです!」


 ロッテが、ほんの少しだけ顔を上げた。


「お前の言い方、嫌いじゃない。でも金装飾はいらない。無駄だからね」

「軽量金を使いましょう!」

「だーかーら、ぴかぴかさせる意味あるの? 金を軽くする予算で交換靴を十足作れる」

「十足あれば安全だな」

「レイルは黙ってて」


 セレネが革袋と見積書を並べる。


「出資は一号機の材料費のみ。所有権は学院工房。人体試験は使用者、設計者、監督教官の誰か一人が中止を求めた時点で停止。量産と命名は試験後に別契約です」

「金環商会の名は?」

「研究記録の出資欄へ」

「紋章は?」

「排圧を邪魔しない場所なら、小さくで許可しよう」

「大師匠ォォォォォォォォォォォッ!」


 リオンがレイルの手を取る。


「契約まで慎重! やはり私の師に相応(ふさわ)しい!」

「離せ。弟子にはしていない」

「では弟子見習い候補でどうでしょうか!」

「候補にもしていない!」

「候補審査前の志願者!」

「呼び方を増やすな、あとそれ言い換えてるだけだ」


 リィナがにやりと笑った。


「弟子になりたいなら、あんたも朝練ね」

「大師匠の修行! ぜひ!」

「おい、やめておけ」

「なぜです」

「リィナの加減は、村の魔物を基準にしているんだぞ?」

「失礼だなあ。最初は走るだけだよ」

「何周です?」

「身体を見て決める」

「おお、誠に合理的です!」

「倒れる前に止めるとは言ってないんだぞ」

「何ですとお?」


 始業鐘が鳴った。


 ロッテは見積書へ【簡易担架 一台】を書き足し、レイルたちは工房を飛び出した。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その日の一限目。

 レイルの同級生、トーマ・フェルンの詠唱は、結着句(けっちゃくく)の一音前で消えた。


「流れを束ね、我が手へ集い、土の壁と成――」


 声だけが切れてしまう。


 唇は動いている。息も吐いている。魔力も形成段階まで進んでいた。それでも最後の音が教室へ届かず、術式環は閉じる直前で崩れた。


 後ろの席から、押し殺した笑いが漏れる。


「まただこいつ」

「全部覚えてるくせに、最後だけ言えないんだよな」

「結着恐怖症ってやつかあ?」


 トーマは眼鏡を少し上げた後、顔を伏せた。薄茶色の髪が目元へ落ちる。手にした練習杖は古く、握りの革が一部剥がれていた。


 教官は記録板へ失敗を一つ追加した。


「形成までは正確だ。声量を上げろ。次の生徒」


 トーマが列の後ろへ戻る。


 レイルは自分の番を待ちながら、床へ残った魔力の揺れを見ていた。


「何を見ているんですか?」


 隣のセレネが小声で尋ねた。


「失敗した位置だ」

「結着句直前です。これまでの記録も同じ」

「音だけ消えた。魔力経路は止まっていない」

「緊張で発声が弱まった可能性はあります」

「毎回、同じ長さでか?」


 トーマの詠唱は、息継ぎの位置まで正確だった。最初の一回なら緊張で説明できる。十回以上、同じ一音だけが消えるのは不自然だ。


 レイルは教室の後方へ目を向けた。


 笑っていたのは三人。その中央に、赤茶色の髪を後ろへ撫でつけた少年がいる。ガレス・ベイロン。下級魔導貴族の次男で、熱属性の出力が高い。昨日の実技では標的を黒焦げにし、終了処理を忘れて教官から叱られていた。


 彼の右手は机の下にあった。


「見すぎです」

「あいつ、何か持ってる」

「証拠はありません」

「目で確認する」

「今、席を立てばあなたが注意されますよ?」

「トーマの次に失敗する生徒が出るかもしれない」

「教官へ伝えますから」


 セレネは小さな紙へ、観察した内容だけを書いた。


【トーマの発声消失】

【結着句直前】

【後方席の笑い】

【ガレスの右手、机下】

【媒体未確認】


「最後の一行が重要です。今あるのは疑いです。断定には証拠が要ります」

「分かってる」

「あなたは分かっていても、動く時に一行飛ばします」

「リィナみたいなことを言うなよ」

「合理的な指摘です」


 授業後、レイルはトーマを追った。

 トーマは人の少ない裏階段で、一人で同じ詠唱を繰り返していた。


「流れを束ね、我が手へ集い、土の壁と成れ――【土壁(アース・ウォール)】」


 小さな土壁が床から盛り上がる。

 今度は成功した。


 トーマは驚いて後ろを振り返り、レイルと目が合った。すぐに術式を終了し、土を床へ戻す。


「今の……見てた?」

「最後だけな」

「教室では、いつも失敗するんだ。人がいると声が出なくなるみたいで」

「今も人はいるじゃないか」

「一人なら平気なんだ。君が来たのに気づかなかったから」

「詠唱をもう一度頼めるか?」


 トーマの肩が縮む。


「評価するためじゃない。消えた音を確かめたい」

「消えた音?」

「教室では、声が小さくなったんじゃない。一定の範囲から音が抜かれていた」


 トーマは黙った。

 信じたい顔と、信じた結果が怖い顔が混ざっている。


「もし誰かがやってたとしても、言わない方がいいよ」

「なぜ」

「僕が失敗するだけなら、授業が少し遅れるだけだから」

「少しじゃない。失敗記録が残る。進級評価にも響く」

「助けてもらったせいで、もっと目をつけられた子を知ってる。寮でも授業でも、ずっと一緒にはいられないだろ。君たちが帰った後に何かされたら、今より学校が嫌になる」

「だから教官の記録へ残す。俺たちがいない時間にも、無かったことにされない形にする」

「でも、僕が言ったって証拠がなかったら、もっと笑われる」

「そうか――」


 レイルは返事を急がなかった。


 村で、自分の能力による被害を説明しても信じてもらえなかった時期がある。証拠があっても、危険な子どもという先入観だけで話が終わったこともあった。


「俺は、証拠を探す」

「やめてよ!」

「トーマが頼んでいないのは分かってる。だから、まず俺たちが見た事実だけを確認する。違ったら謝る」

「違わなかったら?」

「教官へ報告する」

「僕が告げ口したって思われる」

「お前の名前は出さない。俺が気づいたことにする。実際、俺が気づいたしな」


 トーマは唇を噛んだ。


「どうして、そこまでするの」

「同じ場所で失敗し続けるなら、本人のせいだと決める前に、止めているものを探す。俺は”完成直前で止まるもの”を、そのままにできない性分なんだ」


 言ってから、自分でも妙な理由だと思った。


 トーマは少しだけ笑った。


「君、”昨日詠みイエスタデイ・キャスター”だよね」

「その呼び方は誰が広めたんだ?」

「魔導実技科の半分くらい知ってるみたいだよ」

「訂正したい。昨日だけじゃなく、一昨日の場合もあるんだが」

「訂正したら、もっと変になると思う。おとついよみ? 言いづらいし」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その日の放課後、リィナとセレネへ事情を話した。


「誰がやったの? そんな姑息ないじめ」


 リィナは一言目から剣袋へ手を伸ばした。


「まだ断定していない」

「怪しいのはいるんでしょ?」

「ガレス。ただし、証拠を見ていない」

「じゃあ直接聞いてくる」

「待てって!」

「なんでよ? 話がはやいじゃん」

「証拠がない。否定されたら終わる」

「本人の顔を見れば分かるよ」

「分かっても記録に残せない」

「レイルは、トーマがまた失敗して笑われても平気なの?」

「平気じゃないから、次で確実に終わらせたい」


 リィナの手が止まった。


「次まで待つの?」

「次は失敗させない。その場で媒体を押さえる」

「どうやって?」

「ニアに音の消失範囲を記録させる。セレネは詠唱時刻と周囲の魔力を取ってくれ。リィナはトーマの近くにいてほしい」

「私、魔導科の授業へ入れないよ」

自主練習場じしゅれんしゅうじょうなら学科合同で使える。トーマに練習を頼む」

「嫌がったら?」

「無理には頼まない」


 セレネが記録紙へ役割を書き込む。


「ガレスへ直接触れないでください。媒体を落とした場合は、教官を呼ぶまで誰も拾わない。術式残滓を壊す恐れがあります」

「逃げたら?」

「リィナが追う、脚の速さは折り紙つきだからな」

「走るのなら任せて!」

「おい、分かってると思うが、剣は抜くなよ」

「分かってる。模擬剣も持っていかないから」

「拳は?」

「逃げ道を塞ぐだけ」

「それならいいか」


 レイルがうなずくと、リィナはじっと彼を見た。


「何」

「拳は止めないんだ」

「逃走阻止に必要なら」

「私がレイルを殴る時は、いつも必要だよね?」

「その話は今関係ない」

「関係ある。基準を確認してる」

「あとで」

「先送りした」

「今はトーマの話だ」


 リィナは不満そうだったが、ようやく剣袋から手を離した。


 翌日の自主練習場にトーマは来た。

 ガレスも、少し遅れて仲間二人と入ってきた。


「何だ。落ちこぼれの補習会かよ」


 トーマの顔が固まる。

 リィナが彼の隣へ一歩近づいた。何も言わず、逃げ道も塞がない。ただ、笑い声とトーマの間へ立つ。

 レイルはオムニアを起動した。


『音響記録ヲ開始シマスにゃ』


 トーマが杖を上げる。


「流れを束ね、我が手へ集い、土の壁と成――」


 また、最後の音が消えた。

 同時に、ガレスの袖口で小さな銀札が光った。レイルはそこまで見た。

 次は、逃がさないと確信しながら。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 毎回同じ一音だけが消える不自然さを見抜き、トーマの頼みがなくても事実確認と証拠集めを始めた新入生。


・トーマ・フェルン

 一人なら正確な土壁を完成できる一方、人前で笑われ続けたため、助けを求めることにも怯えていた少年。


・リィナ・アルセイル

 ガレスを即座に問い詰めようとしながらも、トーマの隣に立つ役目を引き受けて剣袋から手を離した武技科生。


・セレネ・グランツ

 疑いと断定の間へ未確認事項を一行残し、証拠を壊さない調査手順を組み立てた首席候補。


・ガレス・ベイロン

 トーマの失敗を笑い、詠唱が消えた瞬間に袖口の銀札を光らせた熱属性の得意な少年。


・ニア

 音響と魔力残滓を記録し、誰かを裁く判断はレイルたちと教官へ残した案内人格。


・ロッテ・ベルクマン

 金貨より先に試作品の壊れ方を確認し、金装飾を排圧の邪魔として即座に却下した魔導工学科生。


・リオン・ゴルディス

 試作費と弟子入りを同時に持ち込み、断られるたび呼称だけを増やした金環商会の次男。


【次回】


学院地下へ続く旧水路には、同じ消音術式の痕跡が残っていました。

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