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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第5章「世界基準の平凡」

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第59話「余白は三年分」

レイルはずっと匿名だった相手と、学院で向かい合います。

リィナは筆談の存在を、もちろん前から知っています。

三人がそろえば何も起こらないはずもなく。

 王立結着学院おうりつけっちゃくがくいんの筆記試験には、解答欄より余白の方が広い問題があった。


【初級火属性術式を、木造の屋内で使用する場合の安全条件を記せ】


 レイルは答案の中央へ、まず【火弾(ファイア・ボルト)】の始動、形成、結着を書いた。その横へ消火手段、天井高、窓の位置、煙の排出方向、第三者侵入時の中止条件を足す。最後に、失敗した火球が床へ落ちた場合の退避線まで描いた。


 紙の右端まで使い切り、裏面へ続けようとしたところで、それを見た監督教官から止められた。


「解答は十行以内だ」

「そんな条件、書いていないじゃないですか。安全条件が十行に収まりません」

「代表的な条件を書きなさい」

「代表から外れた条件で事故が起きた場合は?」

「試験時間は残り二十分だ」

「別紙をください」

「与えない」


 少し離れた席で、金髪の少女が顔を上げた。


 セレネ・グランツは自分の答案をすでに書き終えている。十行の枠へ、術式の目的、媒体、消火、中止、退避を過不足なく収めていた。文字の高さまで揃い、句読点の位置にも乱れがない。


 その視線が、レイルの答案の端へ止まった。


「監督教官。受検者同士の会話は禁止ですか」

「当然だ」

「では、試験後に質問することにします」

「ああもう。試験へ集中しなさい」


 レイルも彼女を見た。

 気になったのは、その美しい淡い金髪でも、すべてを見透かすような青紫の瞳でもない。


 彼が引っかかったのは、机の上に置かれた鉛筆だった。削り方が一定で、筆圧が強く、数字の七へ短い横線を入れる。レイルが三年前から練習帳の余白で見続けてきた字と、まったく同じ癖だった。


 そして、試験終了の鐘が鳴る。

 答案が回収される前に、セレネは立ち上がった。


「あなた、その右端の注記をもう一度書いてください」

「答案へ追加するのは禁止されたんだ」

「別の紙へです」

「――何のために?」

「”筆跡確認”です」


 差し出された紙へ、レイルは言われたとおり書いた。


【煙の排出経路が確保できない場合、屋内使用を中止する】


 セレネはその一文を見て、口元をまっすぐに結んだ。


「――”余白魔導士”!」


 レイルの手も止まった。


「”完璧主義者”か!」

「その呼び方は訂正してください。私は期限内に完成させています」

「余白魔導士も正確じゃない。俺は魔導士認定を受けていなかった時期から書いていた」

「では、余白浪費者」

「うるさいな、悪化してるぞ」


 周囲の学生が何事かと振り返る。

 セレネは胸元の演算石を整え、改めて名乗った。


「私、セレネ・グランツです。エルシア先生から通信指導を受けていました」

「レイル・アルヴァート。師匠の直弟子だ」

「それは入学前から聞いていました。……でも、まさかあなたが本人だとは思いませんでした」

「俺もだ」


 セレネはレイルを頭から靴まで見た。


「想像より地味ですね、あなた」

「筆跡から外見を想像していたのか? 変な女だ」

「へ、変ですって……。あなたは、もっと神経質そうな顔を想定していました。髪も整え、持ち物も左右対称に並べているものと」

「髪を整える時間があるなら、予備の確認、退路の調査に使うからな」

「その寝癖は合理性の結果ですか?」

「毎朝直しても戻るんだ、しょうがないだろ」


 レイルもセレネの机を見る。答案は美しい。持ち物は並行。インク瓶の蓋まで机の辺へ揃っている。


「そっちは想像どおりだ」

「どういう意味ですか?」

「余白へ一文字でもはみ出すと、紙越しに怒っているのが分かった」

「あなたが使用範囲を守らないからです」

「安全条件を書いていただけだ」


「私の火球練習へ、避難所の食料備蓄量まで必要でしたか?」

「長期避難になった場合は必要だろう」

「あれは直径二十センチの火球ですよ!!」

「乾燥期の木造家屋へ延焼すれば、村単位になる」

「だから室内で使わないと最初の二行へ書きました!」

「なら、屋外条件も必要になる」


 会話が三年前の余白そのものになっていく。


「レイルゥゥ!」


 教室の入口からリィナの声が飛んだ。


 武技科の授業を終えたらしく、制服の袖をまくり、刃なし模擬剣の袋を肩へ掛けている。食堂で待ち合わせていたのに来ないため、探しに来たらしい。


「何してるの? もう昼休み半分終わってるよ」

「それがな、余白の相手が見つかった」


 リィナの足が止まった。


「この人?」

「はい。セレネ・グランツです」

「リィナ・アルセイル。レイルの幼馴染! 余白のやり取りは知ってるよ。あなたの名前を知らなかっただけ」


 リィナはセレネを見て、次にレイルを見た。


「それで、いつからだったっけ?」

「七歳の終わり頃からです」

「今、十二歳だよね」

「途中で帳面が来なかった期間を除けば、二年と十一か月です」


 セレネが即答した。


 リィナの眉が跳ね上がる。


「え、もう三年もこれやってんの?」

「正確には二年と十一か月だ」

「一か月の差とか、今気にするとこ!?」

「三年と言い切ると記録とずれる」

「私が知った時から、ずっと続いてたってことでしょ?」

「途中でやめる理由がなかった」

「その言い方、なんか腹立つなあっ!」


 リィナが模擬剣の袋を開いた。


 刃のない銀灰色の剣が引き抜かれる。教室の防護術式は起動していない。リィナは周囲を確認し、机や学生へ当たらないよう切っ先を上へ向けた。


「おい待て。ここで振ると机が壊れる」

「じゃあ廊下へ出て!」

「なぜ俺が追われる前提なんだよ」

「逃げないなら一発で済むよ!」

「模擬剣でも骨は折れるぞ」

「当てないから! でも当てる気で振るけど!」

「なら振る意味あるのか?」

「気持ち!」


 レイルは先に廊下へ出た。


 レイルの中では、人の少ない場所へ移る安全判断だった。


 そう説明する前に、背後で風が鳴った。


「危ない!」

「当てないって言ったでしょ!」


 模擬剣が右から来る。


 レイルは壁へ寄り、半歩前へ入って剣先の外へ出た。次の斬り返しは腰を落として避ける。リィナは本気で当てる軌道を使っていない。彼が避けやすい肩口、頭上、足元の少し外へ剣を通している。


 それでも速い。


 学院の訓練を始めて数日しか経っていないのに、踏み込みの初速が村にいた頃より鋭くなっていた。


「リィナ、剣が美しくて速くなった」

「褒めても止めないよ!」

「褒めるために言ったわけじゃない。前より半歩早いから、次から回避位置を――」

「そういうところだああああああっ!」


 三撃目を避け、レイルは階段の手すりを使って方向を変えた。リィナも追う。見物していた学生たちが道を空け、何人かが声を上げて笑っている。


「学院で最初に有名になる理由がこれでいいのか!」

「昨日の魔法で、もう有名だよ!」

「何て呼ばれてるんだ?」

「”昨日詠みイエスタデイ・キャスター”、だってさ!」

「そうなのか、初耳だ!」


 中庭まで逃げたところで、リィナが剣を止めた。


「あーもういい!」

「本当に?」

「剣はね」


 レイルは三歩離れたまま、しばらく待った。

 リィナは模擬剣を袋へ戻した。両手も見える。拳を作っていない。


 安全と判断し、近づく。


「昼休みが終わる。食堂へ――」


 リィナの右手が動いた。

 飛んできたのは、模擬剣の柄頭だった。こつんとレイルの額へ当たる。


「油断した……」

「剣は振らないって言ったけど、柄で叩かないとは言ってないから」

「条件の後出しじゃないか」

「三年も続けてた方に言われたくないもん!」


 強くはない。けれど、むっとした顔は本物だった。

 レイルは額を押さえ、ようやく彼女が気にしている場所へ気づいた。


「隠していたつもりはない、大体知ってたじゃないか」

「知ってる。帳面が来たら毎回、私の前で読んでたし」

「じゃあ、何が嫌なんだ?」

「三年って聞いたら、思ってたより長かったの。レイルの魔法のこと、私が知らない話をあの子がいっぱい知ってそうで……ちょっと嫌だった」


 最後だけ、声が小さくなった。


 レイルは答えを探した。


「セレネが知っているのは、術式と安全条件の議論だ。リィナが朝食前に空腹で掛け声を肉料理へ変えることも、怖い時ほど前へ出ることも、剣を振る前に左足の指で地面をつかむことも知らない」

「な、何でそこで私の変な癖を並べるの!?」

「知っている範囲を分けた」

「もっと普通に言えないの?」

「俺は、リィナの方が長く知ってる。帳面の余白より、朝の顔も、空腹で機嫌が変わる時も、剣を抜く前の息も知ってる。比べる話じゃないけど、俺が何も知らないと思われるのは困る」


 リィナの口が止まった。怒っていたはずなのに、模擬剣の袋を握る指だけが落ち着かなく動いた。


「……何年?」

「今世なら六年くらいか? 正確な初対面の日付は――」

「もういい! 今のでいいからああああ!」


 赤くなった顔を隠すように、リィナは先へ歩き出した。


 中庭の入口では、セレネが待っていた。二人の追走を最後まで見ていたらしい。


「誤解は解けましたか」

「誤解じゃない。期間を知らなかっただけ」

「では、情報不足が解消されたのですね」

「そういう言い方、レイルと似てるね、なんか」

「不本意ですわ」

「俺もだ」


 二人の返事が重なった。


 リィナの眉がまた上がる。


「息まで合ってる!!」

「三年間、文章で議論していただけです」

「”だけ”って付けると余計怪しい!!もー!!」


 食堂へ着く頃には、昼休みが残り十分になっていた。


 リィナはやけ食いのつもりなのか、いつも以上に大皿に山盛りの食事を四枚取り、セレネは決められた定食を一つ、レイルは片手で食べられるパンとスープを選んだ。ちなみに学生食堂はいろんな種族が通う都合上、バイキング形式、定食など多種多様なメニューが提供されている。


「一食あたりの量として、多くありませんか?太りますよ」


 セレネがリィナの盆を見る。


「授業で動いたから普通」

「一般的な成人女性の必要量を超えています」

「私、一般的じゃないよー」

「その点は、測定前でも同意できます」

「何か言い方が腹立つんだけどこの子!」


 リィナは怒りながらも、セレネの隣へ座った。

 三人で食べる最初の昼食は、残り時間が九分しかなかった。


 それでもリィナは、四皿すべて食べ切った。

「いつも思うけど、いったいその量どこに収納してるんだ?」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 食事を終えた三人が食堂を出ると、学院都市支所から小さな荷箱が届いていた。


 箱の表には、昨日捕まえた風尾栗鼠ゲイルテイル・スクイレルミントの飼育番号と、【至急点検】の札が結ばれている。


「依頼は終わったはずだよね?」


 リィナは箱を揺らさないよう、両手で持ち上げた。


「捕獲と市場の後始末は終わった。これは追加の故障調査らしい」


 レイルが同封の紙を読む。


【捕獲後、風圧抑制首輪の排圧板に亀裂を確認】

【逃走原因との関連を調査するため、製造元へ返却願う】

【返却先:魔導工学科・第三工房】


「昨日の風、ミントだけの力じゃなかったのかな」

「首輪が風を散らせず、一方向へ押し出していたなら、逃走距離が伸びた説明にはなる」

「推測で決めないでください」


 セレネが箱の封印を確認する。


「製造記録と破損面を見れば、外から割れたのか、内圧で裂けたのか判別できます」

「セレネも来るの?」

「筆談相手の正体を確認した直後ですよ、本人が工房で何を記録するか興味があります」

「それ、ついて来る理由になってる?」

「私にとっては十分です」


 第三工房の扉を開けた瞬間、小さな金属製の靴が頭上を横切った。


「危ない、伏せて!」


 鋭い声が飛ぶ。


 レイルはリィナの肩を押して身を低くした。セレネは演算石へ触れ、薄い【光盾(ルミナス・シールド)】を三人の頭上へ傾ける。


 金属靴は扉へ激突する直前、踵から横向きの風を噴いた。そのまま壁際の受け網へ突っ込み、網を大きく揺らして止まる。


 床へ、薄い湾曲板が一枚落ちた。


「着地は失敗。制動板は成功。半分ね」


 作業台の下から、銅赤色の短い髪が現れた。


 少女は額へ保護眼鏡を押し上げ、革の前掛けについた研磨粉を払う。灰緑色の瞳が三人の怪我、扉の傷、受け網、落下部品へ順番に動いた。


「怪我は?」

「ありません」

「盾への接触もなしです」

「壁は?」

「擦過痕だけ」

「靴は?」

「右踵の外側から、三番と思われる部品が落ちました」

「え、あなた! 見ただけで番号まで分かるの?」


 少女は初めてレイルを正面から見た。


「形と落下位置から」

「あなた、魔導工学科にいた?」

「魔導実技科です」

「なーんだ、残念」


 あからさまに肩を落とした。


「普通は、人の無事をもう少し喜ばない?」

「確認したでしょ。怪我がないなら、次は原因の調査!」

「言葉に出してよ」


 リィナが頬を膨らませる。


 少女は箱の札を読むと、作業台を片づけた。


「ロッテ・ベルクマン。魔導工学科一年。壊れない道具は作れないけど、”壊れる場所”なら選べる」

「レイル・アルヴァートだ」

「知ってる。双路形成で前髪を焦がした、歩く事故記録クン」

「噂に余計な名称が増えているが?」

「私はリィナ・アルセイルだよ!」

「セレネ・グランツです」


 ロッテは首輪を受け取り、拡大眼鏡の下へ置いた。


 亀裂の周辺には、内側から外へ押し広げられた細かな筋が走っている。三本ある排圧溝のうち、二本へ乾いた薬草粉が詰まっていた。


「内圧破損。驚いた時の風が逃げず、右側だけ噴射口になった。これじゃ、本人が止まりたくても止まれないね」

「掃除不足か?」

「それだけじゃない。詰まった時に先に外れる部品がない。首輪の本体が裂れるまで圧が溜まった。設計もまだだめ」


 ロッテは亀裂へ赤い印をつけた。


「速く進ませる仕組みは簡単。難しいのは、止めることと、失敗した圧を人へ向けず逃がすこと」

「足から風を出す訓練にも使える?」


 リィナが身を乗り出した。


「昨日の授業で見たんだ。足裏から風を出して跳んだり、着地前に止まったりするの」

「風圧適性は?」

「基礎なら使える。剣の踏み込みも得意」

「それなら先に測る。靴を脱いで」

「今ここで?」

「足裏の導出反応を見るだけ」

「レイル、向こうを見てて」

「測定に視線は関係――」

「いいから!」


 レイルが背を向ける。


「セレネはいいの?」

「同性ですから」

「そういう基準なんだ……」


 ロッテは薄い測定札をリィナの靴下越しへ当てた。


【右足導出反応:高】

【左足導出反応:基準内】

【右前方偏流:強】

【制動時逆流:未測定】


「右足で踏み込みすぎ。左右を同じに直すより、右を加速、左を制動に分けた方が早い」

「作れる?」

「資金と許可があれば、【双踵噴射環ツイン・ヒール・ノズル】を試作する。最初は跳ばない。決めた線で止まるところから」

「私、進む方が得意なんだけど」

「だから止まる方からやってくれ」


 ロッテとレイルの声が重なった。


 リィナは二人を見比べる。


「そこだけ意気投合しないでよ」

「安全条件だからな」

「膝を残したまま速くなるため」

「言い方、こわっ!」


 セレネは首輪の設計図と、リィナの測定値を一枚の記録へ分けて書いた。


「まずは首輪の修理報告。脚部噴射は別の研究申請です。依頼と私的訓練を混ぜると、事故責任が曖昧になります」

「分かった。申請書は俺が――」

「十行以内で」

「安全条件が十行に収まらない」

「また別紙を要求するつもりですか?」

「必要なら」

「三年経っても、そこは変わらないのですね」


 リィナは片方だけ靴を履き直しながら、二人を交互に見た。


「余白の話は、工房まで持ち込まないでよね」

「じゃあ、リィナの測定記録を余白へ――」

「書かなくていい!」


 第三工房へ、久しぶりに大きな声が響いた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 三年間の匿名筆談相手を筆跡から見つけ、リィナが本当に気にしていた部分へ遠回りの末に答えた余白魔導士。


・リィナ・アルセイル

 筆談の存在は知っていたものの期間の長さへ驚き、模擬剣を全て避けられた後で柄頭だけを命中させた幼なじみ。


・セレネ・グランツ

 余白浪費者の正体が想像より地味だと確認し、工房でも依頼記録と私的研究を精密に切り分けた首席候補。


・ロッテ・ベルクマン

 風尾栗鼠の首輪が止まれなかった原因を見抜き、リィナへ脚部噴射より先に制動を教えると決めた魔導工学科生。


【今回の能力・設定メモ】


・セレネとレイルは七歳頃から、互いの名前を知らないまま練習帳の余白で術式議論を続けてきました。

・リィナのコメディ上の剣撃は威嚇と回避訓練の範囲です。実際に当てる際は柄、鞘、拳などを使います。

・【双踵噴射環】はまだ設計段階です。リィナは足裏の魔力反応を測定しただけで、脚部噴射を習得していません。


【次回】


最後まで詠唱できない少年には、毎回同じ場所で声が消える理由がありました。

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