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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第5章「世界基準の平凡」

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第58話「逃げた風尾栗鼠」

学院生活でも冒険者活動は続きます。

小さいから安全とは限りません。

 学院都市支所(がくいんとしししょ)の依頼板には、エルデ村では見たこともない紙が並んでいた。


 迷宮素材の鑑定補助、魔導艇の荷下ろし、実験区画の清掃、使い魔の散歩、暴発した術式の残滓回収。討伐依頼より、学院と都市生活を支える細かな仕事の方が多い。


 生徒や先生たちに聞いたところ、学院での学費を稼ぎつつ、実技を習得できるので、単純な労働よりも依頼をこなす冒険者兼務の学生が多いのが学院都市の実情であった。もちろん社会貢献的な意義も大きい。


「ね、これなんかどうかな?」


 リィナが一枚を剥がした。


【依頼:風尾栗鼠ゲイルテイル・スクイレルの捜索・捕獲】

【推奨資格:Eランク以上】

【条件:生存捕獲/市場設備への被害抑制】

【注意:驚かせると風圧を放つ】


「食べ物を盗むって書いてある! 私の敵だね」

「そこが決め手か」

「違うよ。市場なら人が多いでしょ。早く見つけた方がいい」

「今、焼き菓子屋の被害欄を見ていたろ?」

「被害確認だよ」

「口元に砂糖がついてるから、説得力ゼロだ」


 リィナが慌てて口を拭いた。


「さっきの試食だもーん!」

「支所の中で食べるなよ、行儀が悪いぞ」

「お腹空いてたんだから仕方ないでしょ」

「朝食を六皿食べていたけどな」

「授業と訓練で使った分!いいでしょ別に」


 受付へ依頼票を持っていくと、若い女性組合職員は二人の学生証と冒険者証を見比べた。


「ハルツ支所登録のEランク、十二歳の方が二名。学院の新入生ですね」

「はい」

「都市依頼は初めてですか?」

「この都市では初めてです。捕獲対象の習性、最後に確認された場所、飼育者の命令語、風圧の最大推定値、市場の避難経路を知りたいです」

「……質問票を渡しますね」


 職員は一枚では足りないと思ったのか、最初から三枚渡してきた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 風尾栗鼠の名前はミント。学院の薬草研究生が飼育していた小型魔法獣で、実験用の乾燥果実をくわえたまま窓から逃げたらしい。体長は腕ほど。尾に風属性の魔力を溜め、跳躍と同時に後方へ放つ。


「ニア、追えそうか?」

『魔力痕跡ト匂イ情報ガ必要デスにゃ』


 飼育籠に残った毛を見せると、黒銀猫型の輪郭が崩れた。

 四肢が伸び、鼻先が前へ出る。環状の尾だけを残した黒銀色の犬型が床へ降り立った。


『【追跡補助形態(トレース・モード)】ヘ移行。対象臭ヲ記録シタワン』

「わっ。今度はニアが犬になった!」

『操作補助形態デスワン』

「鳴き方も変わってるね!」

『追跡効率向上ノ発声デスワン』

「分かったから、早く追おう!」


 リィナは犬型ニアの後ろへついた。


 レイルは市場の地図を広げ、逃走方向と風向きを確認する。風尾栗鼠は高所を好む。地上だけ追えば見失う。屋根、看板、雨樋、荷車の幌。さらに、食べ物の匂いが強い場所へ寄る可能性が高い。


「北側の菓子通りへ行こう」

『痕跡方向ト一致シマスワン』

「やっぱり食べ物だあ」

「嬉しそうに言うなって」


 昼前の市場は混雑していた。


 果物屋の屋根から悲鳴が上がり、次の瞬間、緑灰色の小さな影が飛んだ。大きな尾が膨らみ、後方へ風が爆ぜる。積み上げられた林檎が籠ごと転がり、通行人が身を伏せた。


「あ、いた!」

「リィナ、屋根へ。俺は地上を空ける」

「了解!」


 リィナは壁際の木箱を一段だけ踏み、張り出した屋根へ手をかけた。腰の真剣は抜かない。鞘が壁へ当たらない角度へ身体をひねり、屋根の縁へ飛び乗る。


 レイルは市場の中央へ走った。


「組合依頼です! 屋根の下から離れてください! 荷車は止めて、布を押さえて!」


 声を上げながら、右手へ【風弾(エア・ショット)】を形成する。左手には【水縄(アクア・バインド)】。昨日失敗した異式双掌(いしきそうしょう)の【双路形成デュアル・フォーミング】だが、同時に撃つ必要はない。左手を先に作り、輪郭だけ維持。右手は半コンマ遅らせる。


『左右出力差、九%。術式干渉、許容範囲内デスワン』

「許容かどうかは俺が決める。まだ撃たないからな」

『了解シマシタワン』


 ミントは屋根から看板へ飛んだ。


 リィナが先回りする。真剣を抜けば、驚いた魔法獣が暴れる。彼女は鞘を横へ出し、進路だけを塞いだ。


「こっちはダメ。戻ってミントちゃん」


 ミントが尾を膨らませた。


「来るよ!」


 風圧が放たれる。


 リィナは鞘を立てて顔を守り、腰を落とした。靴底が屋根瓦を滑るが、強い踏み込みで耐える。何枚かの瓦が浮き、通りへ落ちかけた。


「右上、瓦だよ!」


 レイルは【風弾(エア・ショット)】を撃った。


 瓦を壊さない弱い風で横へ押し、無人の布屋根へ落とす。その間に左手の【水縄(アクア・バインド)】が薄くなった。


『左術式、維持率六十一%ワン』

「まだ保つ」


 ミントは反対側へ跳ぶ。


 その先は焼き菓子屋だった。窓辺には蜂蜜菓子が積まれ、店主が慌てて戸を閉めようとしている。


「閉めないで!」

「商品を全部取られる!」

「閉める音で驚きます。菓子を一つ、窓の外へ置いて下がってください!」

「一つで済むのか!?」

「済ませますから!」


 店主は半信半疑で、小さな蜂蜜菓子を置いた。


 ミントの耳が動く。


 リィナが追うのをやめ、屋根の上でしゃがんだ。


「レイル。私が後ろを塞ぐ。今なら下へ誘える」

「尾が膨らんだら退け」

「分かってるって」

「屋根の端は三歩」

「見えてるから!」


 ミントが菓子へ近づく。


 レイルは【水縄(アクア・バインド)】を低い位置へ構えた。首や胴を強く縛れば怪我をさせる。狙うのは、跳躍前に地面へつく後ろ脚と尾の根元。水量を増やしすぎない。


 風尾栗鼠が菓子をくわえた。


「今!」


 リィナが鞘で後ろの道を塞ぐ。


 ミントが前へ跳ぼうとし、尾へ風を集めた。


 レイルは左手を閉じた。


 水縄が石畳を走り、後ろ脚へ絡む。身体を倒すほど強く引かず、跳躍の力だけを横へ逃がす。ミントは半回転して布籠の中へ落ちた。


 尾の風が籠を膨らませる。


 レイルは空になった右手へ【微風(ブリーズ)】を作り、逆向きから圧力を散らした。

 リィナが屋根から降り、籠へ上着をかける。


「よし捕まえた!」

『対象ノ生存ヲ確認。軽度ノ興奮状態デスワン』

「怪我は」

『確認サレマセンワン』


 周囲から拍手が起こりかけた。


 その時、果物屋の主人が転がった林檎を見て叫んだ。


「捕まえたなら、こっちも何とかしてくれ!」


 レイルは拍手へ頭を下げる前に、散らばった商品を確認した。


「リィナ、ミントを支所へ。俺は片づけながら被害記録を取る」

「一人で片づける気?」

「捕獲対象を先に返した方が安全にクエストを完了できるだろ?」

「職員を呼んで、二人で片づけてから戻ろ。ミントは私が見てる」

「依頼完了が遅れる」

「市場の人を置いて帰ったら、完了って言えないでしょ」

「……それ、俺が先に言ったか?」

「何回も言った。帰還して、報告して、後始末まで終わらせろって」

「対象を安全な籠へ返すのも後始末に含まれる」

「だから職員を呼ぶのよ。全部二人で抱えるって意味じゃなかったでしょ」


 レイルは口を閉じた。自分が繰り返してきた言葉なのに、リィナの口から返されると、抜けていた手順まで見えた。


「分かった。まず林檎から」

「菓子屋も。瓦も確認するよ」

「布屋根に二枚。破損は一枚の角」

「もう見たの?」

「落ちる方向は、呪文を形成しながらも追っていたからな」


 二人は支所職員と一緒に市場を回った。


 林檎を拾い、割れた果物を分け、浮いた瓦を戻し、蜂蜜菓子一個分を依頼経費へ記録する。風圧で倒れた看板はレイルが【硬土(ハード・ソイル)】で基礎を仮固定し、正式修理を市場組合へ依頼した。


 支所へ戻った時には、日が傾いていた。


「捕獲は昼前なのに、報告が夕方ですね......」


 受付職員があきれながら書類をめくる。


「被害確認に時間がかかりました」

「林檎三十七個、菓子一個、瓦二枚、看板一基。負傷者なし。市場の通行停止、十二分」

「瓦一枚は破損なしです」

「では、損傷確認一枚、移動一枚と訂正します」


 職員は報告書の最後へ印を押した。


「依頼達成。捕獲手当、被害抑制加算、事後処理加算を付けます」

「討伐していないのに加算があるんですか」

「条件は生存捕獲です。市場へ出た被害も、元の見積もりよりかなり少ない。冒険者ランクは倒した数だけで上がりませんから。よい仕事をしてくれました」


 リィナが得意そうにレイルを見る。


「ほら、片づけまでやって正解だった」

「俺も途中で同意した」

「最初は帰ろうとしてたじゃん」

「対象を先に安全な籠へ戻す案だった」

「そういうところおっ!」


 ぼぐっと剣の鞘でレイルの頭を小突く。

 受付職員が手で笑いをこらえながら、報酬袋を二つ差し出してくれた。


 支所を出ると、リィナはそのまま菓子通りへ向かった。


「どこへ行く」

「蜂蜜菓子。依頼中は食べてないから」

「試食を食べていた」

「依頼を受ける前」

「報酬の使い道は自由だけど、夕食前だぞ」

「夕食は別に食べるよ」


 当然のように言われ、レイルは返す言葉を失った。


 犬型ニアが二人の間を歩き、鼻先を菓子屋へ向ける。


『食料保管地点ヲ確認シタワン』

「でかした!」

『任務ハ終了済ミデスワン』

「今から私の任務をこなしなさい!」


 学院都市で最初の依頼は、小さな魔法獣一匹の捕獲クエストだった。

 そして、報告書は六枚にのぼった。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 両手呪文を実地投入し、捕獲後に市場被害を六枚の報告書へまとめて初の都市依頼を終えたEランク冒険者。


・リィナ・アルセイル

 真剣を抜かず鞘と足運びで魔法獣の退路を塞ぎ、片づけを残して帰ろうとしたレイルへ本人の教えを返した前衛。


・ニア

 犬型へ変化して匂いと魔力痕跡を追跡し、最後には菓子屋まで食料保管地点として発見した案内人格。


・風尾栗鼠ミント

 市場の林檎と蜂蜜菓子を巻き込みながら逃げ回り、傷一つなく布籠へ捕獲された小型魔法獣。


【今回の能力・設定メモ】


・レイルとリィナは学院入学時点でEランク冒険者です。実戦力だけでなく、契約、帰還、報告、被害抑制も昇格記録へ反映されます。

・ニアの犬型は追跡と探索を補助します。魔法の判断や捕獲そのものはレイルたちが行います。


【次回】


三年分の余白に、名前が付きます。

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