第56話「世界基準の平凡」
二人は学院都市へ到着します。
そして、測定器は壊れていませんでした。
学院都市ヴァルグラードは、遠くから見た時点で一つの城に見えるほどの大きな都市であった。
白灰色の外壁が都市を二重に囲み、内側には七本の塔が立っている。塔から塔へ細い橋が渡され、そのさらに上を、魔力灯を吊るした小型艇がゆっくり移動していた。街路には学生服を着た少年少女が行き交い、杖、剣、魔導書、薬箱、巨大な盾まで、持ち物は一人ごとに違っていた。
レイルは門をくぐる前に荷車を止めてもらった。
「ねぇ、何してるの?」
「まず、退路を確認しておく」
「はぁああ? 今から入るのに? どっかに敵とかいます?いないよね??」
「入ってから門が閉じる可能性がある。開閉時刻、非常門、外壁上の避難路を――」
「後ろの荷車が詰まってるっての!」
門衛に急かされ、レイルは深いため息をつき、地図へ印を一つだけ付けて歩き出した。リィナは先へ行きかけたが、三歩で戻ってきてレイルの外套をつかむ。
「もう! レイル見失うから隣!!」
「この道幅なら視認できるだろ」
「人が多いの。あと、私がそうしたい」
「……分かった」
レイルが合理的な返答を探す前に腕を引かれた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
王立結着学院は都市中央の高台にあった。正門から本棟までの階段だけで、エルデ村の端から端ほどある。途中には魔法実演用の広場、武技訓練場、学生寮、工房、治療棟が並び、案内板には矢印が二十本以上伸びていた。
「ここ、広すぎない?」
「避難経路を複数取れるのは利点だな」
「迷うって言ってるの!」
『現在位置ヲ記録シマシタにゃ』
「ニア、食堂はどこだ?」
『案内図上ニ三箇所確認シマシタにゃ』
「ええ、三つもあるの!?」
「そこに最初に反応するのか」
「朝から干し肉二枚しか食べてないんだよ、おなか減ってきたぁ」
「パンも四個食べてたじゃないか」
「小さいパンだったもん!」
入学受付は、本棟一階の大広間で行われていた。
レイルが推薦状を出した瞬間、受付係の顔が固まった。
「推薦者、エ、エ、エルシア・ヴァント……」
「師匠をご存じなんですか?」
「学院の職員なら、名前くらいは――」
受付係は推薦状を裏返し、透かしを確認し、もう一度表へ戻した。
「推薦理由が、少々……独特ですね」
「何と書いてあります?」
「本人へ読み上げるのはちょっと......」
「リィナは読んで笑っていましたけど」
「では、彼女から聞いてくださいね」
「絶対言わなそうだ」
リィナが横を向いた。肩が震えている。
受付を終えると、二人は別々の色札を渡された。レイルは黒灰色、リィナは青銀色。
「魔導実技科と武技科は、受付列がここから分かれます」
係員の説明に、リィナの指が札の端を強くつまんだ。
「え......試験だけだよね?」
「入学後も実技棟と寮棟が分かれます。共通講義、食堂、組合依頼、自由時間には会えますよ」
「自由時間って、どれくらい?」
「履修内容によりますので、なんとも......」
「朝、起こしに行ってもいいですか?」
「男女の寮棟は、安全上の観点から相互立入禁止です」
「じゃあ、レイルが寝坊したらどうするのよ?」
「目覚まし札を三枚用意してあるから平気だ」
「そういう心配じゃなくて……私が起こせない朝になるの、変な感じがするって言ってるの」
「リィナも一人で起きられるだろ」
「私の話じゃないのに!」
レイルは配られた時間割の空欄を見た。まだ授業の割り当てはない。それでも、これまで毎朝同じ場所で始まっていた一日が、学院では別々の塔から始まるらしい。
「朝練は続けられると思うが」
「本当に?」
「起床時刻を一刻早めれば、中央訓練場で合流できる」
「一刻も早く起きるの?」
「リィナが続けたいなら、だけどな」
「……続けたいけど、毎日は嫌。授業中に寝たら怒られるし」
「じゃあ、週三回」
「四回」
「三回だ。残りは各科の訓練を優先しよう」
「三回と、休みの日に一回」
「それは四回だ」
「はい! 決まりね」
交渉が終わる前に、武技科の係員がリィナを呼んだ。
「じゃ、終わったらここで待ってて」
「測定時間が読めない。先に寮へ――」
「待ってて!」
「……分かったよ」
リィナは青銀の札を握り、武技塔へ走っていった。
レイルは一人になった。
正確には、右腕に猫型のニアが乗っているので、一人と一匹であろうか。
『心拍数ノ上昇ヲ確認シマシタにゃ』
「人が多いからだろ」
『リィナ離脱直後ニ上昇シマシタにゃ』
「うるさい。測定へ行く」
『話題回避ヲ記録シマシタにゃ』
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
魔力測定室には、白い石板が三台並んでいた。学院の測定器は人間だけを基準にせず、長命種、獣人、魔族、精霊適合者まで含めた統合基準を使うという。
レイルの前に測定を受けた少年は、【総魔力量:標準域下位】と表示され、肩を落としていた。次の少女は【標準域上位】で、付き添いの家族から拍手を受ける。
「レイル・アルヴァート。右手を中央環へ」
測定教官は痩せた中年男だった。机の上には、エルシアの推薦状が開かれている。
「先に聞く。推薦状の”測定器へ予備を用意せよ”とは何だ」
「師匠が書いたんですか?」
「理由はわかるか?」
「分かりません。俺は測定器を壊したことはありますが、最近は壊していませんし」
「安心材料が一つもないが、まぁいい」
レイルが石板へ手を置くと、内部の環が回り始めた。
【総魔力量:標準域】
【瞬間出力:標準域上位】
【制御精度:測定――】
表示が止まった。
教官が眉を寄せる。
「手を離すな」
「離していません」
「魔力を流しすぎるな」
「指定量です」
『流入量、指示範囲内デスにゃ』
「魔導具が喋ったぞ」
『猫デハアリマセンにゃ』
「猫とは言っていない」
石板の文字が一度消え、再表示された。
【制御精度:測定上限】
【経路耐久:再測定要求】
【固有律分類:未】
最後の文字で、印字針が止まった。
教官は無言で二台目を引き寄せた。
「もう一度」
二台目も同じだった。
三台目も、【固有律分類:未】で止まった。
「測定器は壊れていないと思います」
「三台とも同じ壊れ方をした可能性はある」
「同じ製造系列ですか」
「一台目は学院製、二台目は王立工房製、三台目は北方連邦から輸入した物だ」
「では、共通部分は測定術式か俺です」
「そうだな」
教官はしばらく考え、記録紙へ書いた。
【測定器三台:正常】
【受検者:要再検査】
「俺が故障している扱いですか?」
「少なくとも測定器よりは疑わしいんだ」
教官は【総魔力量:標準域】の欄を指で叩いた。
「魔力量は標準。出力も少し高い程度だ。推薦状の大げさな注意は、固有律事故歴によるものだろう」
「世界基準では”平凡”なんですね」
「総量だけを読めばな。ほかの欄まで平凡だと決めるのは、再検査が終わってからにしろ」
「標準という結果は変わりません」
「その標準を安心材料にするな。お前は今、都合のいい一行だけ抜き出した」
レイルは少しだけ安心した。教官の忠告は聞こえていたが、村で何度も浴びた”異常”より、標準という二文字の方が先に胸へ落ちた。
村では、何をしても異常だと言われた。学院へ来れば、自分より強い者も、魔力量の多い種族もいる。標準なら、目立たず基礎から学べるかもしれない。
教官は隣の紙へ視線を移し、顔をしかめた。
「いや待て。レイル君、年齢は十二歳?」
「はい」
「中級魔法の使用記録が四属性。初級十二術式。六基礎現象は無詠唱可能。聖級術式への境界補助経験三分……この記録は誰が書いたものだ?」
「師匠とハルツ支所です」
「標準の十二歳が聖級術式の境界へ触ったのか!?」
「いえ聖級魔法は使えません。一部分をたった三分支えただけです」
「その三分は、とんでもなく長いことなんだぞ?!」
教官の声で、測定室にいた学生たちが振り返った。ひそひそとこちらを伺いながら話している者もいる。
「話が変わった。お前の中級魔法を見せてみろ。風圧でいい」
「ここでですか?」
「実技場へ移る。測定値と実績が噛み合わんからな」
屋内実技場の標的は、厚い圧縮土で作られていた。
レイルは【七環導杖】を伸ばし、杖頭へオムニアを接続する。七環のうち風圧を示す一環が淡く光った。
「通常詠唱で【風刃】。標的の中央を狙え」
レイルは始動、形成、結着を順に組み、【風刃】を放った。薄い風が標的中央へ入り、表面を斜めに削る。
「中級としては小さい」
「後方に人がいるので貫通を避けました」
「防護壁がある」
「防護壁の耐久値を知りませんから」
「学院標準の上級防護壁だ!」
「ああ、そうなんですか? 今、知りました」
教官のこめかみに筋が浮いた。
「次。基礎魔法を無詠唱で」
レイルは左手を上げ、【灯光】を浮かべた。続いて消し、【水滴】、【硬土】、【微風】を一つずつ発動する。すべて小規模で、派手さはない。けれど始動から終了まで、魔力の揺れがほとんどなかった。
「初級は」
「四種なら威力を落として使えます」
「【火弾】」
レイルは標的を確認し、右手を向けた。
小さな【火弾】が飛び、土標的の手前で弾けた。教官は標的より、レイルの口元を見ていた。
「今、詠唱したか」
「頭の中で工程を組みました」
「本物の無詠唱か。次は、推薦状にある疑似無詠唱を」
「今は保持していません」
「準備していないのか」
「昨日の宿で準備した【風弾】ならあります」
教官の顔から表情が消えた。
「昨日、だと?」
「はい」
「標的は」
「学院の実技標的へ条件を合わせています。宿で学院案内図と材質表を確認しました」
「入学前から撃つつもりだったのか」
「実技試験がある可能性は高かったので」
レイルは右目の奥へ意識を向けた。
魂に引っかかっていた最後の一工程を返す。
「――完成」
詠唱も形成もない。
昨日作られた【風弾】が、今になって世界へ結着した。圧縮風が土標的を打ち、中央へ深い穴を穿つ。
実技場が静かになった。
「無詠唱ではありません」
レイルは念のため説明した。
「昨日、宿で唱えてきました」
教官は両手で顔を覆った。
「エルシア・ヴァント……あの魔女、いったいコイツに何を教えたんだ……」
「基礎を繰り返すようにと、ひたすら言われましたよ」
「どのくらいだ?」
「同じ術式を百回。失敗したら原因を分けて、成功後は終了処理まで十回連続です」
「普通の子どもは途中で嫌になってやめるもんだ!」
「はい、とても嫌でしたよ?」
「なら、なぜ続けた!」
「終わるまで夕食が出なかったので――」
ニアが杖頭の上へ現れ、尻尾を立てた。
『記録訂正。菓子ハ支給サレテイマシタにゃ』
「夕食ではないだろ?」
「そこを訂正するな!」
測定を終えた頃には、日が傾いていた。
レイルが大広間へ戻ると、リィナは約束した柱の前で待っていた。隣には、刃なし模擬剣の入った袋と、新しい学生証が置かれている。
「遅いよ、レイル!」
「測定器を三台使った」
「壊した?」
「全部正常だった。俺の方が要再検査になった」
「やっぱり壊れてるの、レイルの方じゃん あはは!」
「笑うところじゃないぞ」
リィナは立ち上がり、少し迷ってから学生証を差し出した。
【武技科】
【剣術認定:中級剣士・上位】
【実戦評価:再確認推奨】
「上級生と打ち合ったら、教官がもう一回やるって」
「負けたのか」
「勝った。でも、三人目で模擬剣が曲がっちゃったもん」
「リィナのほうが武器を壊してるじゃないか」
「私が壊したみたいに言わないで。向こうが受け方を間違えただけだよ」
「報告書は?」
「書いたよ。二枚」
「短い」
「十分長いし!」
二人の学生証は、色も所属塔も違っていた。
それでも、並んで寮へ向かう道は同じだった。
「ね、朝練、明後日からね」
「明日は?」
「入学式。あと食堂を全部確認しておかなくっちゃ」
「全部行くのか?」
「三つあるんでしょ?」
「一日で回る必要はないだろ」
「どこが一番おいしいか、早く知りたいよ」
「食堂調査をクエスト扱いにするなよ」
「報告書、書けばいい?」
「それは少し読んでみたい気もするが――」
高い塔の間へ、夕暮れの光が差し込んでいた。
学院で最初に突きつけられたのは、二人への評価よりも、知らない基準がいくつも存在するという事実だった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
三台の測定器を正常と証明した結果、自分自身を要再検査へ回され、世界基準の標準値だけを素直に信じた新入生。
・リィナ・アルセイル
武技科で中級剣士・上位と認定され、上級生三人との打ち合いより食堂三箇所の確認を優先した剣士。
・ニア
測定補助と師匠の菓子支給記録を正確に訂正し、実技教官の混乱を一段深くした黒銀猫型ナビゲータ。
・魔導実技教官
標準域の十二歳が中級魔法と昨日の風弾を持ち込んだため、測定器より受検者を疑う判断へ至った学院教官。
【今回の能力・設定メモ】
・学院の魔力測定は全種族統合基準です。【標準域】は十二歳の人間だけを基準にした数値ではありません。
・レイルは一件だけ、自分が事前形成した単純魔法の結着を【未完】保持できます。
【次回】
右手と左手は、同じようには動いてくれません。




