第55話「師匠の杖と、私の剣」
レイルとリィナが村を出る朝が来ました。
しかし、残念なことに荷物は減りませんでした。
王立結着学院から届いた入学許可証には、出発日まできちんと記されていた。
それを見たレイルは、三日前から玄関を使えなくしていた。
「ねぇ。これ、全部持っていく気なの?」
「これでもだいぶ減らした。第三予備箱と冬季用の乾燥食料は置いていく」
「はぁ? 第三予備箱って何?」
「第一と第二の予備箱を失った場合に開ける箱だ」
「いやそこ聞いてるんじゃないって。そこまで失ったら、学院生活より先に何が起きたか心配なやつでしょ!」
「だから最低限だけ残してる」
「春に入学するのに、どうして冬を越す量を準備してるのアンタ」
「学院都市で食料流通が止まる可能性はある。街道封鎖、災害、迷宮氾濫、商業組合の争議――」
「いやいやいやいや! その前に、この家の玄関が荷物で封鎖されてるっての!」
リィナが指さした先には、革鞄、木箱、薬箱、予備外套、寝具、縄束、折り畳み鍋、乾燥肉、記録紙の束が積まれていた。荷造り計画書は三冊から五冊へ増え、さらに「持っていかない物の一覧」が一冊追加されている。
黒銀色の猫型投影が箱の頂上へ座り、環状の尾を左右に振った。
『玄関ノ通行可能幅、十八センチデスにゃ』
「横向きなら通れるだろ」
『使用者ノ肩幅、三十九センチデスにゃ』
「荷物を一つずつ外へ出せばいいだけだ」
「その荷物を出すために、まず外へ出なきゃいけないんだけど??」
リィナは腰へ差した鞘を片手で持ち上げた。幼い頃から使っていた木剣は、もうない。学院の武技科で使う刃なし模擬剣と、街道や依頼で使うであろう真剣。それぞれを収めた剣袋が、壁際へ立てかけてあった。
今朝から腰にあるのは、赤茶の革を巻いた新しい鞘だった。成長した腕と脚に合わせて長さを取り直し、重心も調整された一振りである。鍔は小さく、柄頭にはエルデ村の印をかたどった銀具が埋め込まれていた。
「それ、抜かない方がいい」
「分かってるよ。家の中だし、真剣だし」
「あと、俺の荷物へ当てると薬瓶が割れる」
「心配する順番がおかしい!」
リィナが鞘ごと剣を振った。
レイルは箱と壁のわずかな隙間へ足を滑らせ、切っ先が通る前に上体を引いた。二撃目は腰を落として避け、三撃目は木箱へ手をついて身体を浮かせる。十二歳になったリィナの振りは、木剣を振り回していた頃より速く、重い。それでも毎朝追い回されてきたレイルには、肩が動く前の癖が見えていた。
「ほら、当たってない」
「自慢しないで!」
「避けられるように鍛えたのはリィナだろ?」
「私のせいみたいに言わないでくれない?!」
鞘の動きがが止まった。
レイルが安心して身体を戻した瞬間、リィナの左拳が額へ落ちた。ゴツっ!
「あ、痛ててて......」
「剣は避けるくせに、こっちは全然避けられないよね」
「剣を納めたから安全になったと思った」
「私が怒ってるのに?」
「……次からは拳も警戒する」
「そこは謝るとこでしょ!」
奥から、エナのくすくす、という笑い声が漏れた。バルドは積み上がった箱を一つずつ持ち上げ、中身を確認している。彼が残したのは、予備の予備と、予備が壊れた場合だけ使う道具だった。
「父さん。それは必要だ」
「釘が百二十本も要るのか?」
「寮の家具が壊れた場合――」
「学院の家具を直すのは、お前の仕事じゃないだろ」
「壊したのが俺なら――?」
それを聞き、バルドの手が止まった。
以前なら、レイルは壊す前から怖がり、道具へ触れなかった。今は、壊す可能性を数えながら、それでも使うつもりでいる。
「......なら二十本持っていけ」
「四十本」
「二十五本」
「もう一声。三十本。それ以下だと、大型棚の補強ができない」
「仕方ないな。二十八本だ」
「分かった、それで折り合う」
リィナが呆れた顔で二人を見比べた。
「いやいやいやいや!そこ、値切るところなのおお?」
「交渉で荷物が九十二本減ったな」
『大幅削減ヲ確認シマシタにゃ』
「ニアまで褒めないで! レイルの病気が悪化する!!」
その後も、持ち運ぶ携帯食の量でもめ、服を何着持っていくかで荒れ、なんだかんだ昼前、荷物の山はどうにか荷車一台へ収まった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
準備が整ったころ、エルシアは村外れの作業小屋で待っていた。大きな外套の裾を椅子の脚へ巻き込み、立ち上がろうとして一度座り直す。見た目だけなら二十代後半の小柄な美少女だが、立つ時の掛け声は今日も年齢相応だった。
「はあ、よっこいしょ。来たかい、引っ越し商人さんよ」
「先生。学院生活に必要な物を準備してただけですよ」
「学院を一から建てる気なら足りないし、必要なものなら多すぎる。バカ弟子だねやっぱ」
「建てません」
「なら半分捨ててから向かいな」
机の上には、細長い黒布が置かれていた。
エルシアがその布をほどくと、灰銀色の長杖が現れた。杖頭には閉じ切らない七つの環が重なり、中央に黒い接続具がある。柄には細い溝が七本走り、握りの下には衝撃を逃がす金具が仕込まれていた。
レイルの左手首で【万式魔導環】が震えた。
『接続規格ヲ確認。旧所有者登録ト一致シマスにゃ』
「すごいですね。これ......師匠の杖ですか?」
「ああ、これもオムニアと同じでね。 あたしの昔の試作品だよ。今の私には短いし、癖も強いんだ。お前に使わせておいたほうが、倉庫で埃を食わせとくよりゃましだろ」
エルシアは杖を持ち上げ、レイルの胸へ押しつけた。
「杖の名は――【七環導杖】。オムニアを杖頭へつなげられる。七本の魔力経路を分けてあるから、属性を切り替える時に前の魔力が残りにくい。限界を超えたら、内側から壊れる前に横へ逃がす構造さ」
「破断箇所は?」
「そこから聞くのかい、あんたらしいが――」
「壊れ方が分からない道具は使えません」
「杖頭の三番環、握り下の排圧金具、最後に芯材。順番を変えたら、私が設計者として恥をかく」
「交換部品はありますか?」
「試作品といったろう。 面倒ごとは学院の工房へ頼みな。私の名前を出せば、たぶん代金が三割増しになるよ」
「え、先生、嫌われているんですか」
「腹立つが、ね。 尊敬が七割、恨みが三割。混ぜると値上げになる、不思議なもんさ」
「いずれにせよ、お前みたいなひよっこにはちょうどいい杖だ。大事に使うんだよ」
レイルはエルシアから杖を両手で受け取った。最初に感じたのはとにかく軽い。普段使う短杖より長いのに、振った時の遅れがほとんどない。そのままオムニアを接続すると、七環が薄い光を帯びた。
早速、杖へ魔力を流そうとして、指が止まる。
「......杖、壊すかもしれません」
「だろうね」
「師匠が使っていた物ですよね」
「だから何だい」
「戻せない壊れ方をしたら――」
ぽこん。
エルシアの杖が、レイルの頭へ軽く落ちた。彼女は自分の杖をまだ一本持っているらしい。
「強い杖を持たせた途端、道具の心配か。お前は昔から順番が多いね」
「順番は大事でしょう?」
「なら最初に自分を置きな。杖が折れたら持って帰りゃいいだけだ。お前が折れたら、誰が報告書を書くんだい」
「杖の損傷記録なら、ニアが残せます」
「傷は直せる。折れた芯も交換できる。けれど、お前が帰らなければ、どこで、どう壊れたか私には分からないだろ」
「報告だけ送る方法も――」
「自分で持って帰るのが弟子の仕事だ。私に墓前授業をさせるんじゃないよ」
『本文作成ハ使用者ノ役割デスにゃ』
「ほら、猫にも断られてるじゃないか」
『猫デハアリマセンにゃ』
エルシアは笑い、今度は杖を使わず、レイルの前髪を指で押し上げて、母が子に言うかのような優しいまなざしで語り掛けた。
「学院には私より面倒な教師も、私より強い学生もいる。肩書きを見て黙る必要はない。けれど、村で通じたやり方が外でも正しいと思い込んじゃいけないよ」
「分かっています」
「はぁ。分かっている顔じゃないね。今、学院の事故率を計算していたろ?」
「推薦状に魔法事故研究棟と書いてありました」
「そういうところだぞ、バカ弟子」
エルシアの話し方も、呼び方もほぼ、いつもどおりだった。
だからこそ、杖を受け取って、別れが本当になった気がしていた。
リィナが剣袋を背負い直す。エルシアは彼女の腰の真剣へ目を向け、鞘の位置を二指分だけ直した。
「歩く時に膝へ当たる。学院へ着く前に痣だらけになるよ、年頃の娘が――」
「昨日は平気だったよ」
「昨日より荷物が多い。剣士が自分の身体と剣の距離を雑にするんじゃない」
「……はい」
「真剣を抜くのは、抜いた後に何を斬るか決めてからだ。腹が減ったからって食堂の肉は斬るでないよ」
「もう。斬らないよ!」
「食べ放題なら?」
「じゅるり。――それでも斬らない!」
エルシアと別れの挨拶を交わしているさなか、バルドとエナも見送りに来た。エナはレイルの学院外套の襟へ、閉じない輪を模した小さな刺繍を縫い付けていた。
今度こそ最後の一針は、きちんと結ばれている。
「レイル、無事でもそうでなくても、必ず手紙を書いてね。下書きだけ作って、送るのを忘れちゃダメよ」
「母さん、週に一度は出すよ」
「だーめ。三日に一度」
「学院の課題量が不明だから約束は――」
「レイルちゃん」
母の声は柔らかかったが、逃げ道はなかったので、レイルは観念した。
「三日に一度、短くても出しますね」
「うん。待ってるわ」
バルドは息子の肩へ手を置いた。昔は掌に隠れた肩が、今は少しだけ広くなっている。
「壊したら戻れ。困ったら書け。――そしてお前にとって、ここが帰る場所だ。忘れるな」
「分かったよ父さん」
「あと、釘は二十八本にしとけよ」
「えっ、数えたの?」
「お前の父親だからな」
そして、ゆっくりと荷車が動き出した。村の出口を出て、村の家々が少しずつ遠ざかる。レイルは何度も振り返り、そのたびにリィナから前を向けと言われた。それでも最後の曲がり角だけは、二人とも黙って後ろを見た。
エルシアは杖を掲げていた。
「レイル」
いつもの呼び方ではなかった。
荷車の車輪が石を踏み、続く言葉を一度だけ遠ざけた。
「”生きて帰りな”。反省は、その後でいくらでもさせる」
レイルは【七環導杖】を握り直した。
「はい、師匠! いままで、ありがとうございました!!」
レイルとリィナは向かう。学びの学院へ――。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
学院へ持ち込む荷物を増やし続けた末、師匠の旧杖と両親の約束を背負って村を出た十二歳の少年。
・リィナ・アルセイル
成長した体格に合わせた真剣を携え、剣は避けるレイルへ拳だけをきっちり当てた幼なじみ。
・エルシア・ヴァント
旧作【七環導杖】を弟子へ託し、最後だけ「レイル」と呼んで生還を命じた師匠。
・ニア
荷物の過積載と玄関の通行不能を正確に報告しながら、猫ではないという主張も忘れなかった案内人格。
・バルド・アルヴァート
必要な釘の本数まで息子と交渉し、帰る場所を準備から外すなと送り出した父。
・エナ・アルヴァート
完成した刺繍を学院外套へ縫い、短くても手紙を完成させる約束を息子から受け取った母。
【今回の能力・設定メモ】
・【七環導杖】は、オムニア接続と属性経路分離に対応したエルシア製の試作杖です。
・リィナは学院期から、依頼では真剣、対人訓練では刃なし模擬剣を使い分けます。
【次回】
世界基準で測れば、レイルの魔力量は平凡でした。




