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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第4章「昨日唱えた魔法」

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第54話「強いから渡すんじゃない」

 第4章最終話です。

 Eランクへの昇格も、昨日唱えた魔法の成功も、帰還と後始末を終えるまでは途中にすぎません。すべてを報告した後、エルシアはオムニアを渡す本当の理由を語ります。

 昇格試験の後、Eランク昇格の通知を受けても、レイルはすぐにハルツ支所を出なかった。


 小迷宮の誘導術式は仮封鎖(かりふうさ)しただけであり、地上へ追い出された灰狼(アッシュ・ウルフ)が森の生息域へ戻ったかも確認できていない。成人監督者の腕とレイルの肩には処置が必要で、術喰穿孔虫(ルーン・バロワー)の成体が再び目を覚ます可能性も残っていた。


「ねえ、昇格札、ちゃんと見た? ほら、”E”って書いてあるよ!」


 リィナが新しい冒険者証をレイルの目の前で振る。嬉しさを隠す気がなく、金茶色の瞳まできらきらしていた。


「氏名、所属支所、等級、発行印(はっこういん)に誤記がないかは確認した」

「そうじゃない! “やった!”とか、“リィナと一緒に上がれて嬉しい!”とかあるでしょ!」

「嬉しい。でも、迷宮封鎖、負傷者の再診断(さいしんだん)、地図更新、地上の群れの追跡、報告書(ほうこくしょ)、報酬受領、装備点検が残ってる」

「多い! 嬉しいって言った後に多すぎるって!」

「依頼はまだ完成していない。喜ぶのは全部終わってからでも遅くない」

「じゃあ、全部終わったら絶対一緒に喜ぶって約束して」

「約束する」

「……素直に言われると、なんか照れる」

「リィナが言わせたんだろ」

「う る さ い」 

 そういうとリィナはレイルの頭を木剣でこづいた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 最初に戻ったのは、小迷宮の入口だった。


 エルシアと学院調査官が壊れた誘導線を確認し、レイルはニアの地図へ食害箇所(しょくがいかしょ)を一つずつ重ねる。術喰穿孔虫(ルーン・バロワー)が通った穴は【硬土(ハード・ソイル)】だけで塞がず、内部に残った魔力を抜き、再び魔物の餌場にならないよう無属性の石粉を詰めた。


 成体は組合の拘束箱(こうそくばこ)へ収容され、討伐ではなく迷宮生態の調査対象として中央支部へ送られることになった。レイルが壊れた術式の一部を持ち帰ろうとすると、エルシアが杖で手を止める。


「未登録の術式片(じゅつしきへん)を、相談なしで鞄へ入れるでないよ」

「密封袋と遮断布(しゃだんぬの)はありますよ?」

「持ち帰る準備があること、褒めてないぞバカ弟子が」

「調査資料が――」

「学院へ行けば、嫌になるほどあるよ」


 地上では、組合の追跡員が灰狼(アッシュ・ウルフ)の足跡を確認していた。藍髪の少女と無言の剣士が追い返した群れは、街道へ戻らず、北西の森へ入っている。負傷した個体はいたが、討伐された狼はなく、旅人の負傷者も命に別状はなかった。


 レイルは地上救助の報告書を読んだ。


 文章は短い。


【狼群、地下異常により街道へ流出した可能性あり】

【狼を原因と断定しないこと】

【負傷者三名、宿場へ搬送】

【地下調査を推奨】


 最後の行だけ、筆圧が急に強くなっている。


【王都記録庫の期限により、調査継続不能。はぁ、だる】


「報告書に“はぁ、だる”って書いてある。これ、消されなかったんだ。変なの」

「重要情報と感情記録が同じ欄に混在している。様式としては不適切だけど、時間制約の理由は分かる」

「レイルと真逆だね。あんたの報告書は重要情報が多すぎて、怖かったとか嬉しかったとか、そういうのを書く場所がなくなる」

「報告書へ感情は必要ない」

「でも、今日の私は“レイルが肩を怪我して怖かった”って書きたい」

「それは戦闘記録の集中低下要因として――」

「ほら、また重要情報にした!」


 リィナは呆れながらも笑い、報告書の余白へ小さく書き足した。

【レイルが無茶をしたので、あとで叱る】


「公的記録へ私情を書かないでくれるか?」

「地上の人も書いてるからいいの!」


 リィナの言葉に、レイルは返答できなかった。


 地上で人を救った二人は、すでに王都方面へ進んでいる。西門、宿場、旧坑道、小迷宮。何度も同じ場所へ少し違う時刻に現れながら、結局一度も顔を合わせなかった。


 レイルは報告書の写しへ事件番号を書き、地下側の記録と同じ綴じ紐へまとめた。


「この二人と、いつか会うと思う?」

「同じ異常を追っているなら、どこかで道が重なる可能性はあるだろうな」

「会ったら最初に何を聞く?」

「救助結びの構造、残響羅針盤(エコーコンパス)らしい道具の探知範囲、狼を地下異常と判断した根拠、それから――」

「名前は?」

「報告書に書かれていないから、それも聞く」

「順番が最後なんだ」

「必要情報が優先だ」

「レイル、友達できなさそう」

「リィナがいる」

「……え」

「幼なじみで、共同冒険者で、友達だろ」


 リィナは一瞬だけ黙り、すぐに前を向いた。

「そうだけど。さらっと言うの、ずるいよ」

「何が?」

「もういい!」


 負傷者の再診断(さいしんだん)では、成人監督者の裂傷(れっしょう)縫合(ほうごう)を必要とせず、レイルの肩も打撲と浅い切創だけで済んでいた。リィナは自分の傷より先にレイルの肩を確認し、治療師から二人まとめて座らされる。


 装備点検では、短杖の導出筒に細い亀裂が見つかった。


 あと一度同じ威力を通せば、筒が割れていた可能性がある。疑似無詠唱が成功したのは【未完】が万能だったからではなく、媒体が辛うじて条件を保った一回だった。


『導出筒、継続使用ヲ禁止シマスにゃ』

「補修すれば」

『交換ヲ推奨シマスにゃ』

「亀裂の位置だけでも――」

『交換ヲ推奨シマスにゃ』

「ニアが二回言う時は諦めた方がいいよ」


 報告書は、地上と地下を合わせて十六頁になった。


 以前なら三十頁を越えていた内容だが、今回はレイルだけで書いていない。リィナが戦闘順序、成人監督者が負傷時刻、試験官が契約達成項目、ニアが魔力消費と術式状態を担当し、レイルは全員の記録を一つへまとめた。


「自分一人で書く量を減らしたな」


 試験官が完成した報告書をめくり、担当者ごとに筆跡が違うことを確かめた。


「情報を減らしたわけではありません。戦闘順序はリィナ、負傷時刻は監督者、契約項目は試験官、術式状態はニア。僕は照合と統合だけを担当しました」

「以前のお前なら、全員へ聞いた後に自分でも同じ記録を書いていた」

「否定できませんね」

「任せても記録が壊れないと覚えたなら、Fから上げた意味はある。Eランクは、一人で全部背負える者の証じゃない。必要な人間へ仕事を渡して、それでも依頼を終えられる者の資格だからな」


 レイルは報告書を見下ろし、少しだけ頷いた。

「次も分担します。ただし照合手順は――」

「増やしすぎるな」

「先に言われた」


 報酬を受け取り、迷宮封鎖の引き継ぎまで終えた時には、空が夕方の色へ変わっていた。


 レイルはようやく新しい冒険者証を両手で持った。


【大陸継路組合】

【所属支所:ハルツ】

【冒険者資格:Eランク】

【レイル・アルヴァート】


 隣ではリィナも、自分の証へ同じ等級が刻まれているのを見ている。


「ねえ、終わった?」

「装備を家で乾かして、記録帳へ消耗品を――」

「そうじゃなくて、“今の依頼”は?」


 レイルは、報酬受領印、迷宮封鎖の引き継ぎ署名、負傷者の診断欄を一つずつ指でなぞった。最後まで空欄はない。


「……完了した」

「本当に?」

「本当に。今は追加条件もない」

「じゃあ、喜んでいいよ。約束したでしょ、一緒にって」

 リィナは満面の笑みで証を掲げた。


「Eランクだよ! レイル、私たち一緒に上がった!」

 胸の奥へ、ようやく遅れて嬉しさが届いた。


「うん。”一緒に上がれた”」


 リィナは自分の証を高く掲げ、満面の笑みを見せた。


「Eランクだああああああああああああああああああああっ! やったああああああああああ!」


 レイルも同じように掲げようとしたが、慣れない動きで証を落としかけ、両手で慌てて受け止める。


「おっと、危ない」

「冒険者証を落としただけで、その顔しないで」

「再発行には本人確認と手数料がかかる。手間も時間も大幅ロスだからな」

「そういうところ!」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その夜、エルシアの作業小屋へ、父バルドと母のエナも呼ばれた。


 机の中央には、レイルが修行の間、数年間身につけてきた銀黒色の腕輪が置かれている。表面へ刻まれた七つの環は、どれも完全な円にならず、最後の一線だけを残して途切れていた。


 【万式魔導環(オムニア)】。


 これまでは、エルシアが所有者であり、レイルは第一階梯を借りている仮使用者にすぎなかった。壊せば返す。危険と判断されれば外される。解放範囲も、使用記録も、最終的な停止権限もエルシアが持っている。


 エルシアは右目の魔導単眼鏡を下ろし、腕輪へ所有者の魔力を通した。


【所有者:エルシア・ヴァント】

【仮使用者:レイル・アルヴァート】

譲渡認証(じょうとにんしょう):待機】


 淡い文字が空中へ浮かぶ。


「エルシア、本当に息子へ渡していいのか?」


 バルドが腕輪ではなく、エルシアの顔を見て尋ねた。息子の力を恐れているからではない。長く使われてきた道具と、その責任まで受け取れるのかを確かめる声だった。


「返せと言っても、もう中身は弟子の癖ばかり覚えてるからね。退路を三本出す、同じ確認を二回する、壊れかけた媒体を捨てたがらない」

「僕を道具の故障履歴みたいに言わないでくれませんか?先生」

「道具の故障なら部品を替えれば済む。お前の癖は本人が直すまで残るから、もっと面倒だよ」

「否定できません」

「そこで素直になるんじゃない」


 エナが小さく笑い、バルドは一度だけ深く息を吐いた。

「渡すなら、壊した時の戻り方まで教えてやってくれ」

「そのために何年も叩いてしごいてやったんだよ」


 軽口を返した後、エルシアはレイルを見た。

 作業小屋の空気が変わる。


「レイル」


 名前で呼ばれたことで、レイルは背筋を伸ばした。


「お前が、強いからこれ(オムニア)を渡すんじゃない」


 エルシアは一つずつ、言葉を区切った。


「”壊した後に戻ってきたから渡す”」

「助けた後も、壊れた場所と、怒っている人間のところへ戻った」

「送環式を止めた時も、別の誰かへ責任を押しつけず、その場に残った」

「道具より先に、自分の責任を捨てる弟子には持たせられないからね」


 レイルは腕輪を見た。


 オムニアは、持っただけで何でも使える万能杖などではない。


 理解した術式を表示し、失敗箇所を知らせ、危険を記録する【何でも学べる入口】。エルシア自身が完成させられず、長く手元へ残してきた魔導具だった。


「正式に、僕の物になるんですか。借り物ではなく、後で返せとか言われませんか?」

所有権(しょゆうけん)はお前へ移る。だからって、使いこなせるようになるわけじゃないからね。壊したら自分で直し方を探す。知らない術式を試して事故を起こしたら、所有者として頭を下げるんだよ」

「はい」

「……怖くないのかい」

「怖いです。オムニアは便利だからじゃなく、できることが増えるほど失敗も増える道具だと知っています」

「なら、もう一つ聞く。嬉しいか」

 レイルは腕輪へ映る閉じない七環を見つめた。何度も警告され、何度も助けられ、壊した場所へ戻るたび隣にあった光だった。


「嬉しいです。すごく」

「それを最初に言いな、バカ弟子が」


 リィナが隣で吹き出し、エナは口元を押さえて笑った。バルドだけは腕を組んだままだったが、太い眉の間にあった力が僅かに抜けている。


 エルシアが譲渡認証へ指を触れた。


 七つの環が腕輪から浮かび、レイルの周囲へ広がる。赤橙、青、淡緑、黄褐、白金、薄翠。六つの基礎現象を示す環が安定して回り、その外側へ初等実戦術の細い術式線が開いた。


 黒銀猫型のニアが中央へ投影され、床へ前足を揃える。


『正式使用者登録、完了シマシタにゃ』

『第一階梯、安定』

『第二階梯、完全解放』

『第三階梯、一部表示ヲ許可シマスにゃ』

『自動習得機能ハ存在シマセンにゃ』

『理解度不足ノ術式ハ発動不能デスにゃ』


「最後の説明だけ、絶対レイル向けだよね」

『過去ノ行動記録ニ基ヅク警告デスにゃ』

「消せないのか」

『絶対拒否シマスにゃ』


 ニアはレイルの肩へ飛び乗り、環状の尾を首の後ろへ回した。


『使用者ノ帰還記録、照合完了シマシタにゃ』


 いつもの機械的な声だったが、レイルにはほんの僅かに尾の光が柔らかく見えた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 正式譲渡(せいしきじょうと)の翌朝、王都から二通の封書が届いた。一通はレイルへ、もう一通はリィナへ宛てられ、封蝋には【王立結着学院おうりつけっちゃくがくいん】の紋章が刻まれている。リィナは自分の封を迷わず切り、紙を広げた。


【武技科・実地推薦枠】

【入学許可】


「受かった! レイル、見て! 武技科って書いてある! 私、学院でも剣を振れる!」


 リィナは許可証を胸へ抱き、その場で跳ねた。一方、レイルは封を切る前に、封蝋の欠け、紙の厚さ、宛名(あてな)の誤り、毒や術式反応がないことを確認している。


「早く開けてよ! 同じ日に届いたんだから、たぶん一緒に受かってるって!」

「正式書類は開封前の状態も記録する。差し替えや誤送付があった場合――」

「私のはもう開けたんだから!」

「僕の方に誤送付や差し替えがないとは限らない」

「同じ学院! 同じ村! 同じ日に出す推薦! もう十分でしょ!」

「最後の一条件が――」

「レイルが開けるまで、私が横で数える。それまでに開けなかったら殴るよ! 十、九、八――」

「急かすと封蝋が割れる――」

「三、二――」

「数え方が飛んでる!」


 レイルは、エルシアに杖で封筒を叩かれ、ようやく開封した。


【魔導実技科】

【特殊固有律監督対象】

【入学許可】


 同封された鑑定書(かんていしょ)には、見慣れない評価が並んでいた。


【総魔力量:標準域】

【瞬間出力:標準域上位】

【制御精度:測定上限】

【魔力経路耐久:再測定要求】

【固有律分類:判定不能】


「標準域か......」


 レイルは最初の項目を見て、心からほっとしたように肩の力を抜いた。


「やはり、魔力量は平均だった。これなら学院で浮かずに済むかもしれない」

「待ちな。その鑑定基準、世界中の種族と高位魔獣まで入ってるよ」

「でも“標準”と書いてありますよ?」

「長命種も魔族も精霊契約者も一緒くたにした世界基準だよ! 十一歳の人間として見な!」

「世界の中では平均です」

「世界と同級生になる気かい!」


 リィナは鑑定書(かんていしょ)を覗き込み、次の行を指さした。

「制御精度、測定上限って書いてあるよ」

「測定器の範囲が狭い可能性があるし、計測によってブレが生じる危険性も考慮すると――」

「もう測定器に謝ってくんない?!」


 推薦理由(すいせんりゆう)の欄には、学院側とエルシアの追記があった。


【特殊固有律の教育、監督、記録体制が必要】

【複数属性の基礎および初等実戦術を習得済み】

【実地経験、帰還判断、報告能力を評価】

【王立結着学院へ収容しなければ、エルシア研究室とエルデ村の安全管理費が増加し続けるため】


 リィナが途中から声を上げて笑った。


「あははははははは――収容だって!」

「教育機関への表現として適切ではないぞこれは」

「エルシアが書いたんでしょ」


「中央の役人に真面目な文だけ読ませると眠るからね」


 入学は来春の見込みだった。村を出るまで、半年も残っていなかった。


 レイルはすぐに旅程、入学用品、宿泊先、予備資金、道中の退路を整理し始めた。最初の一冊へ必要品、二冊目へ危険条件、三冊目へ代替計画を書こうとする。


 バルドが三冊を重ねて持ち上げた。


「荷物を増やす前に、持てる重さを量れ」

「紙だけなら?」

「紙以外も増えるだろ、お前は」


 エナは一冊目を開き、二冊目と重複(ちょうふく)する項目へ細い糸を挟んだ。


「出発するための準備で、出発を止めてはいけませんよレイル」


 前世のレイルは、準備を増やすことで本番を遠ざけていた。

 今世でも、その癖は消えていない。


 ただ、今回は出発しない理由を作るためではなく、出発する日を決めた上で準備している。それでも三冊すべてが必要とは限らない。


 レイルは二冊目を閉じ、三冊目も机の端へ置いた。


「一冊へまとめます」

「偉い!」リィナがほめる。

「ただし、緊急時の補助紙は別に――」

「増やしすぎたら燃やすからね?本気で」


 リィナは自分の入学許可証にゅうがくきょかしょうをレイルの隣へ並べた。


「勘違いしないでね。私は、レイルの準備が終わるまで村で待ってるんじゃないから」

「何の話?」

「出発の話。あんたが計画を三冊から十冊に増やしても、私は先に学院へ行ったりしない。でも、“待ってあげる”んでもない」


 リィナは自分の許可証をレイルの隣へ並べ、二枚の端をぴたりとそろえた。

「私も一緒に行く。朝練も、街道も、学院も。レイルが迷ったら腕を引っ張るし、私が突っ込みすぎたら止めて」

「分かってる。二人分の退路と連絡手段を――」

「そこじゃない!」

「では、何を答えれば」

「“一緒に行こう”って言えばいいの!」

 レイルは一度だけ息を止め、少し照れたように視線を逸らした。


「……”一緒に行こう、リィナ”」

「うん!」

 満足そうに笑った後、リィナは急に顔を赤くした。


「い、今のは学院へだからね! 変な意味じゃないから!」

「変な意味の候補が分からない」

「ばかああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 リィナは木剣でバシバシとレイルを叩いた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 夕方、レイルは机の引き出しから、完成してしまった安全装置用短編を取り出した。


 最後の頁には、ミナの筆跡で”ただいま”と書かれている。


 消さない。

 自分が書いたことにもしない。


 あの物語は、他人の善意と自分の管理不足(かんりぶそく)によって、自分が選ばない形で完成した。その事実ごと残しておく。


 レイルは隣へ新しい原稿を置いた。


 今度の物語には、最初から行き先があった。村を出て、学び、いつか帰る。その道を最後まで書くために、レイルは新しい頁を開いた。


 最初の一文を記した。


「少年は、今度こそ自分の足で村を出た。」


 ペン先を止めても、頁を閉じなかった。

 次の一文を書く場所は、まだ残っている。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その頃、王都へ続く街道では、灰色の外套を被った少女が遠くの城壁を見ていた。


「はぁ、だる……王都、人多すぎ。帰りたい」


 隣を歩くカインが黒石板へ書く。


【まだ着いていない】

「着く前から帰りたいの。そういう日あるじゃんか」


 ユノは外套の中から【異邦残響羅針盤(エコー・コンパス)】を出した。針は王都だけでなく、そのさらに先、学院都市の地下へ向かうように震えている。


「また二つ。まじウザ……表と裏、どっちも追えってこと?」


 彼女は溜息をつきながら、それでも歩くのをやめなかった。


 王都へ向かう者、学院へ向かう者、魔王種の影を調べる者、閉じない環を観測する者。それぞれがまだ互いの名を知らないまま、同じ世界の中心へ近づいていた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 迷宮封鎖、報告、報酬受領まで終えてEランク昇格を受け入れ、オムニアの正式使用者となり学院への出発を決めた少年。


・リィナ・アルセイル

 Eランク昇格と武技科への入学を素直に喜び、待つのではなく自分も隣で村を出ると告げた幼なじみ。


・エルシア・ヴァント

 弟子の強さではなく、壊した後も責任の場所へ戻ったことを理由に、人生最大の未完成品を正式譲渡(せいしきじょうと)した師匠。


・ニア

 レイルをオムニアの正式使用者として登録し、第二階梯を完全解放しながら、理解不足の術式は使えないと釘を刺した相棒。


・バルド・アルヴァート

 三冊へ増えた荷造り計画を持ち上げ、準備より先に息子が実際に運べる重さを確認させた父。


・エナ・アルヴァート

 準備が出発を止めてはならないと伝え、重複(ちょうふく)する計画を一冊へまとめるよう息子の背中を押した母。


・ユノ・アステル

 王都へ着く前から帰りたがりながら、二方向を示す羅針盤へ愚痴をこぼしつつ歩き続ける勇者候補。


・カイン・ヴェルド

 王都を前に気力を失うユノへ、まだ到着すらしていないという事実を石板で返した無言の剣士。


【今回の能力・設定メモ】


【オムニア正式譲渡(せいしきじょうと)


 所有権と最終認証がエルシアからレイルへ移りました。オムニアは理解していない魔法を自動習得させず、判断や【未完】の操作を代行しません。


【章終了・現在ステータス】


【レイル・アルヴァート】


年齢:

十一歳


所属・立場:

エルデ村住民/エルシア・ヴァントの直弟子/王立結着学院魔導実技科入学予定者


冒険者資格:

Eランク


実戦総合評価:

Dランク相当


魔法認定:

・熱属性:中級

・流動属性:中級

・風圧属性:中級

・地質属性:中級

・光属性:初級上位

・生命属性:初級上位

・六基礎現象:通常詠唱で安定/低出力の初歩無詠唱

・単純射出術式:【火弾】【水弾】【風弾】【石弾】を初歩無詠唱で使用可能

・中級魔法:通常詠唱のみ

・聖級術式:単独使用不能

・聖級術式補助:終了工程の一部へ三分間参加実績


主要魔法:

種火(プチ・ファイア)】【温指(ウォーム・タッチ)

水滴(アクア・ドロップ)】【清水(クリーン・ウォーター)

微風(ブリーズ)】【送風(エア・フロウ)

硬土(ハード・ソイル)】【掘削(ディグ)

灯光(ライト)】【色灯(カラー・ライト)

活性(ヴァイタル)】【鎮痛(リリーフ)

火弾(ファイア・ボルト)】【探熱(ヒート・サーチ)

水弾(アクア・ボルト)】【水縄(アクア・バインド)

風弾(エア・ショット)】【消音(サイレンス)

土壁(アース・ウォール)】【石弾(ストーン・バレット)

閃光(フラッシュ)】【光盾(ルミナス・シールド)

止血(ブラッド・シール)】【解毒(ピュリファイ)

炎槍(フレイム・ランス)】【水流刃(アクア・カッター)

風刃(ウインド・カッター)】【石槍(ストーン・ランス)


【固有律【未完】】


能力段階:

第三段階入口


危険度評価:

実務級から戦術級への移行観察中


保持可能数:

一件


現在の保持対象:

新しい安全装置用原稿の完成権。執筆開始直後のため保持安定性は継続観察中


対象選択:

接触または自身が形成条件を理解した対象へ限定的に可能


任意解除:

可能


対象範囲:

・完成直前の物品

・作業工程

・単純な人間行為を偶発的に保持した実例

・自分が形成した基礎魔法および単純な初級魔法


対象外:

・他人の魔法への意図的干渉

・治癒の完成

・契約

・複雑術式

・生命現象

・他者の身体動作


未完負荷:

人間の行為を保持した場合、感情の断片が完成圧力として流入することを確認


章内の更新:

・接触対象選択を安定

・送環式事故で人間の行為と感情流入の危険を確認

・新対象へ移さず完成権を返す【完成権返還】へ初成功

・自作の【風弾】を一件だけ保持し、疑似無詠唱として実戦使用

・成功、命中、威力は保存できないことを再確認


装備・魔導具:

万式魔導環(オムニア)】正式使用者

第一階梯安定/第二階梯完全解放/第三階梯一部表示

短杖の導出筒は亀裂により交換予定

オルムから譲られた方位磁針(ほういじしん)


魔力性能:

【総魔力量:標準域】

【瞬間出力:標準域上位】

【制御精度:測定上限】

【魔力経路耐久:再測定要求】


現在の制限:

・複数保持不能

・中級魔法の無詠唱不能

・疑似無詠唱は一件、監督下での実戦成功のみ

・対人戦経験不足

・計画を一人で抱え込み、準備を肥大化させる傾向が残る


【リィナ・アルセイル】


年齢:

十一歳


所属・立場:

エルデ村住民/王立結着学院武技科入学予定者


冒険者資格:

Eランク


実戦総合評価:

Dランク上位相当


剣術:

中級剣士・上位相当


戦技:

・基礎呼吸

・踏み込み強化

・衝撃分散

・短い斬撃と柄打ち

・狭所での体捌き

・護衛対象を背にした複数戦

・落石回避と負傷者搬送


独自流派:

【無終剣】原型/公的な流派認定なし


現在確認された連結:

・斬り下ろしから踏み込み

・踏み込みから突き

・突きから回避

・受け流しから切り返し


章内の更新:

・三手から四手の連続動作を実戦で安定

・硬殻個体へ一撃で勝とうとせず、脚、重心、外殻(がいかく)の継ぎ目を順番に崩す戦い方を習得

・レイルの魔法が作る射線と退路を信じて踏み込む連携を確立

・レイルの【未完】による意図的な剣技干渉は行っていない


現在の制限:

・長時間の連続剣技は不可

・遠距離攻撃手段が少ない

・対人戦経験不足

・技の終端へ生じる違和感の原因は未確定


【エルシア・ヴァント】


所属・立場:

レイルの師匠/大陸継路組合Aランク特任術師/王立結着学院元実技講師・術式研究員


称号・二つ名:

空廊の魔女(くうろうのまじょ)


魔法認定:

・風圧魔法:聖級

・空間魔法:聖級

・生命魔法:上級

・熱、流動、地質、光:中級

・無詠唱認定:完全


章内の更新:

・結晶音洞で【旋風陣】【空歩回廊】【静音聖域】を使用し、レイルとリィナを生還させた

・送環式事故で、レイルへ完成権返還の理論と疑似経路訓練を提示

・強さではなく責任を理由にオムニアを正式譲渡(せいしきじょうと)


現在の制限:

・生命魔法実験の後遺症あり

・聖級術式は魔力経路へ負荷が残る

・長期戦には不向き


【ニア】


種別:

万式魔導環(オムニア)】疑似人格ナビゲータ


現在形態:

黒銀猫型


使用者認証:

レイル・アルヴァートを正式使用者として登録


解放階梯:

第一階梯安定/第二階梯完全解放/第三階梯一部表示


使用可能機能:

術式構造表示、危険照合、魔力負荷記録、媒体状態警告、地図記録、未完保持条件の補助表示


独自魔法:

なし


判断代行:

不可


章内の更新:

・送環式における感情流入と完成権返還を記録

・疑似無詠唱の固定媒体、保持時間、失敗条件を照合

正式譲渡(せいしきじょうと)後も、レイルの理解不足を理由に術式発動を拒否できる補助機能を維持


現在の制限:

・魔法を自動習得させない

・使用者の判断を代行しない

・【未完】の対象選択、保持、解除を代行しない

・真の魂や自立した生命であるとは未確定


【フィア・レコード】


所属・立場:

成環教会(せいかんきょうかい)の記録補助員


章内の更新:

・送環式事故の完成条件と感情流入を記録

・レイルの目的へ、祈りの返還と失敗を消したい願いが混在していると指摘

・学院側へ提出される事故資料の基礎を作成


現在の制限:

固有能力、正式な戦闘技能、将来の役割は未開示


【ミレア】


所属・立場:

治療師見習い


章内の更新:

・完成権返還訓練中のレイルを診断

・意識維持で身体の限界を隠すことを拒否

・送環式再開時の身体監視を担当


現在の制限:

正式な魔法等級、固有能力、将来の役割は未開示


【クラリス・オルビス】


所属・立場:

成環教会(せいかんきょうかい)・完成聖女候補


章内の更新:

・レイルを悪と断定せず、処刑ではなく王立結着学院の管理と教育へ置くことを提案

・共同体の安全を本人の善意だけへ預けない立場を示した


現在の制限:

正式な能力、戦闘技能、教会内の詳細な権限は未開示


【次回】


 第5章「世界基準の平凡」。


 王立結着学院へ入学したレイルは、世界基準では標準と判定された魔力量に安心し、周囲だけが”比較対象がおかしい”と気づき始めます。

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