第53話「昨日唱えた魔法」
第4章の章題回です。
地上では帰れない勇者候補と無言の剣士が旅人を救い、地下ではレイルとリィナが魔物を追い出した原因へ挑みます。二組は同じ事件を表と裏から解決しながら、まだ互いの名を知りません。
「はぁ、だる……数、多すぎ。群れ行動とか陽キャすぎて無理なんですケド?」
ハルツ北街道の斜面で、勇者候補ユノ・アステルは灰色の外套を押さえながら、森から現れた群れを睨んでいた。
旅人を囲んでいるのは、煤を混ぜたような灰色の毛並みを持つ灰狼だった。通常なら人の多い街道へ十数体もの群れが出ることはない。何かに追われるように森から飛び出し、獲物を狙うというより、行き場を失って興奮している。
「カイン、右三匹お願い。私は左を街道から外す。倒しすぎないでね。こいつら、人を狙って来たっていうより、下から追い出されてパニクってるみたいだし」
喉の傷で声を出せない長身の剣士、カイン・ヴェルドは短く頷いた。
彼は旅人の馬車と狼の間へ入り、剣を抜く。刃を振るうたび一体ずつ致命傷を避けて脚と肩を打ち、群れの向きを森側へ変えていく。
ユノは【異邦残響羅針盤】を開き、街道の下から上がってくる乱れを読む。針は狼ではなく、地面の奥を指していた。
「ほら、やっぱ地下。まじウザ……表に押し出して、自分は隠れてる系の罠じゃん」
ユノは馬車の御者へ赤い誘導灯を渡し、負傷者を北側の宿場へ向かわせた。逃げる狼の進路へは白い粉を撒き、街道へ戻らないよう匂いを切る。
カインが最後の一体を森へ追い返すと、黒石板へ文字を書いた。
【地下へ行くか】
「行きたい。めちゃくちゃ行きたい。でも王都の記録庫、閲覧期限が今日までなんだよ。期限切れたら申請書をまた三枚書いて、推薦印もらって、窓口で二時間待ち。あの役所イベント二周目は、さすがに勇者でも心折れる、いやもう折れてる......」
【救助報告】
「もちろん残す。地下異常あり、狼は原因じゃなくて追い出された側。負傷者は宿場へ搬送済み。ここまで書けば、まともな組合員なら調べるでしょ」
カインは石板へ、無言で一行加えた。
【まともでなければ】
「その時は戻ってくる。はぁ、だる……最初から私たちが行った方が早い気もするけど、期限も世界も一個ずつしか守れないんだよね」
ユノは報告札へ短い記録を刻み、街道脇の組合伝達柱へ差し込んだ。
「裏側は、暗くて慎重で友達少なそうな誰かに任せる」
カインは何も書かなかった。
「何。その顔。私のことじゃないし」
二人は地上の安全を確認し、王都方面へ歩き出した。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ頃、街道の地下に広がる小迷宮では、レイルが短杖の先へ固定した術式環を確認していた。
Eランク昇格試験の前夜、エルシアの監督下で、レイルは【風弾】を通常どおり詠唱している。
始動を終え、圧縮した空気を形成し、短杖へ取り付けた小型の導出筒へ固定した。あとは術式を現象として確定し、筒の先から射出する【結着】だけが残っている。
送環式後、新しい長期安全装置が完成するまで、レイルはエルシアが作った訓練用の結び目を一件保持していた。風弾へ対象を移すと、箱の中の結び目は最後まで締まり、安全に完成した。
代わりに、風弾の最後の一工程がレイルの魂へ移る。
『保持対象、風弾ヘ移行シマシタにゃ』
『固定媒体:短杖導出筒』
『命中、威力、成功ハ保持サレテイマセンにゃ』
「分かっている。保持したのは結着だけだ」
「短杖が折れたら、昨日の魔法はどうなるの?」
リィナが導出筒を覗き込む。
「媒体条件が崩れて失敗する。導出筒が詰まっても同じ。結着だけ返しても、出口がなければ術式は暴発するか霧散するだろうな」
「私が敵を筒の前へ連れてきても、当たるとは限らない?」
「限らない。最後に向きを決めるのは、今日の僕だ。外せば昨日から準備した分ごと壁に当たる」
「じゃあ、絶対当ててね」
「簡単に言うな。射線、反射、リィナとの距離までその場で――」
「難しい説明で逃げない。私はあんたが撃てる場所を作るから、レイルは当てる。それでいいでしょ」
「……分かった」
「昨日から準備して外したら、今日ずっと笑うけどねー!」
「緊張を増やすな」
「当たったら、今日ずっと褒める」
「それも緊張が増える」
「ああもう、面倒くさい!」
エルシアは二人の会話を聞きながら、保持時間の上限を記録した。
「現状は”保持一件”だけ。試験開始から終了まで。途中で眠気、視界の白濁、感情流入があれば即解除」
「はい」
「成功しても、この一回で習得扱いにはしないよ」
「はい」
「バカ弟子の返事が素直だと気味が悪いね」
「送環式で、分からないまま続ける危険を知りました」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
翌朝、レイルとリィナはハルツ支所の試験官、成人監督者、王立結着学院の調査官とともに小迷宮へ入った。
試験内容は、地上へ魔物が流出した原因の調査、内部地図の更新、危険個体への対処、負傷者を想定した帰還判断である。討伐数だけではなく、記録、契約遵守、被害抑制までを評価するEランク試験だった。
入口付近の壁には新しい爪痕が残り、灰狼の毛が岩の隙間へ挟まっている。狼たちは地下へ棲みついていたのではない。奥から何かに追われ、地上へ逃げたらしい。
「地上の避難報告が届いている」
試験官が伝達札を確認した。
「藍髪の少女と無言の剣士が群れを街道から排除した。地下異常の可能性あり、とある」
「前に西門と宿場と坑道で聞いた二人かもしれない」
「追うの?」
「追わないよ。今は地下の原因が先だ」
レイルは報告札の結び方と文字の癖を手帳へ写したが、二人の名は記されていなかった。
迷宮へ入ると、壁の誘導術式が途中で切れていた。本来は魔物を深層へ戻し、人間用通路へ近づけないための古い光線だが、幾つもの箇所で線が食い破られ、誤った方向へ明滅している。
「魔物が術式を食べてる?」
「鉱石じゃなく、流れる魔力を餌にする種類がいる」
レイルは【探熱】を使い、壁の裏を這う細い熱源を拾った。人の腕ほどの虫型が、石の中へ穴を掘りながら誘導線の魔力を吸っている。
術喰穿孔虫。
甲殻の腹側へ術式文字に似た光が走り、食べた魔力の属性によって動き方を変える迷宮虫だった。
「一体じゃない。壁の裏で動いてる」
「何体?」
「熱源は七。探熱が届かない奥もあるから、十以上を想定しよう」
「いつもの“見えてない四匹目”ってやつ?」
「今回は七匹目まで見えてる」
「見えてる方が嫌なんだけど! しかも十って増やしたよね!?」
「見えていない範囲をゼロにはできない」
「分かった! もう聞かない! 前は私が見る!」
先頭の術喰穿孔虫が壁から飛び出した。
リィナは斬り下ろしを甲殻へ当て、その反動を横の踏み込みへつなぐ。二体目の突進を突きで逸らし、三体目の脚を剣の腹で跳ね上げた。
レイルは【灯光】を床近くへ置き、虫たちを一か所へ誘導する。群れが光へ寄ったところで【土壁】を左右へ立て、通路を一本に絞った。
「奥へ押す!」
「誘導術式の壊れていない区画へ入れないで。魔力を食べて強くなる」
「じゃあ中央!」
リィナが前へ出た瞬間、天井の穴から一体が落ちた。
レイルは朝練で繰り返した横足運びで射線を外し、短杖を身体へ近づけて顎を受ける。衝撃を正面で止めず、杖を滑らせて床へ転がった。
甲殻の角が肩を掠めたが、頭部への直撃は避けた。
「レイル!」
「立てる。前を見て!」
成人監督者が背後から現れた虫を止めようとし、腕へ浅い裂傷を負った。レイルは無理に生命魔法を重ねず、【止血】で血流を一時的に抑え、包帯で固定する。
「腕、動かせますか。指の感覚は?」
「剣は持てる」
「今ここで握れても、次の衝撃で傷が開きます。後方へ下がってください。止血は応急処置です」
「子どもに下がれと言われるとはな――」
「年齢より、出血量を見てください」
「……分かった。後ろは任せろ」
レイルは、前にミレアから言われた言葉を、そのまま返した。
奥へ進むほど、壁の誘導線は大きく食い荒らされていた。最深部の小広間では、複数の術喰穿孔虫が一体へ集まり、食べた術式魔力を渡している。
中央にいた成体は、人の背丈ほどの外殻を持ち、背へ幾つもの光る文字列を浮かべていた。壊れた誘導術式を取り込みすぎた結果、自身が偽の誘導信号を放ち、狼や小型魔物を地上側へ押し出している。
「原因はあれだ」
「倒せば戻る?」
「誘導術式の修復も必要。でも、まず信号を止めるのが先決だ」
成体が腹部を震わせた。
壁の術式線が一斉に明滅し、周囲の小型個体が別々の方向から突進する。
リィナは斬り下ろしから踏み込み、突きから回避へつなぎ、四体の進路を一つずつ崩した。しかし成体の外殻は厚く、通常の斬撃では継ぎ目まで届かない。
「外殻を開く。三手で右へ押す。四手目は使わず戻って!」
「三手じゃ足りない。四手使うよ!」
「尾が死角へ回る。最後は必ず戻って!」
「戻る場所は自分で作る! レイルは私の右を空けて!」
「分かった。三秒だけ持たせる!」
「三秒あれば十分!」
リィナは一体目の顎を受け流し、その身体へ足を掛けて成体の側面へ移る。斬り下ろしを外殻へ当て、反動で踏み込み、突きを脚の継ぎ目へ入れた。成体が身体を捻る動きへ合わせて回避し、最後の切り返しで背中の術式文字を一列だけ削る。
四手。
外殻が僅かに開いたが、成体の尾がリィナの死角から迫った。
通常詠唱を始める時間はない。
レイルは短杖の導出筒を岩壁へ向けた。成体へ直接当てれば、リィナを巻き込む可能性がある。狙うのは、戦闘前に確認していた白い鉱脈の壁面だ。
昨日から保持していた風弾の完成権へ、出口を開く。
「【未完】――解除」
短杖の術式環が閉じた。
「【風弾】、完成」
圧縮空気が導出筒から放たれ、白い鉱脈へ着弾した。
命中は保存されていない。レイルが今、短杖を向けた場所へ飛んだだけである。
壁から剥がれた薄い石片と反射した風圧が、成体の尾を横へ押した。リィナの頭上を通るはずだった一撃が床へ逸れ、外殻の開いた側面が完全に露出する。
「道、もらった!」
リィナは止まらない。
回避の足を次の踏み込みへ変え、剣の柄で開いた外殻を押し上げ、刃引き剣の腹を柔らかな内側へ打ち込んだ。成体が地面へ崩れると、周囲の偽誘導信号が消え、小型個体の動きも鈍った。
レイルは勝利を確認するより先に、負傷者、退路、壁の術式を見た。
「成体は気絶。小型七体、三体逃走、四体停止。誘導線は未修復。帰還前に仮封鎖が必要」
「まず肩を見せて」
「浅い」
「私が決める」
リィナに肩の傷を確認され、試験官と学院調査官が周囲の安全を確かめる。レイルは【硬土】で食い破られた穴を仮封鎖し、ニアが誘導線の断絶箇所を記録した。
学院調査官は、戦闘中からレイルの短杖を見つめていた。
「今の魔法は、いつ詠唱した?」
「昨日、迷宮入口で唱えました」
「うむ……昨日だと?」
「はい。始動と形成を昨夜終え、【未完】で結着だけを保持しました。今、その完成権を返しました」
「待て。お前は戦闘中に詠唱していないだろう? 無詠唱魔術ではないのか?」
「だから無詠唱に見えます。でも、その場で術式を組んだわけではありません。昨日唱えた魔法を、今日完成させただけです」
「“だけ”で済ませるな。時間をまたいだ魔法など、学院の教本にもないぞ」
「僕の【未完】は通常魔法の教本には載っていません。固有律ですから」
調査官は成体よりも不可解なものを見る顔になった。
「昨日の魔法が、今日まで残るのか――」
「魔法を残したのではありません。始動と形成を済ませ、結着だけを【未完】で保持しました。媒体と導出条件が崩れていれば失敗していました」
「それを十一歳が、昇格試験の実戦で使ったというのか」
「一回だけです。事前に媒体、保持時間、解除条件を決め、エルシア監督下で許可を受けています。再現性は未確認なので、正式習得とは記録しないでください」
試験官は額を押さえ、隣の調査官と顔を見合わせた。
「訂正だけは細かいのに、やっていることの規模がおかしいぞお前は」
「保持数は一件だけですよ、小規模では?」
「そういう意味じゃない!」
リィナが堪えきれず吹き出した。
「レイル、褒められてるよ。たぶん」
「褒め方が不明瞭だ。どこに褒められる要素があるのか問いただしたい」
地上へ戻ると、街道の灰狼はすでに森へ追い返され、旅人の負傷者も宿場へ運ばれていた。組合へ提出された二枚の報告書が、同じ事件番号へ綴じられる。
一枚には、藍髪の少女と無言の剣士による地上救助。
もう一枚には、レイルとリィナによる地下原因の処理。
互いの名前も顔も知らないまま、二組は同じ事件の表と裏を終わらせた。
昇格判定は、レイルとリィナの双方をEランクと認定した。
レイルは実戦総合評価Dランク相当。リィナはDランク上位相当。二人一組なら、条件付きでCランク依頼の補助参加を許可できる。ただし年齢、対人経験、レイルの事故歴を考慮し、冒険者資格としてのDランク昇格は保留された。
オムニアの七環が淡く回り、ニアが表示を読み上げた。
『仮契約期間ノ評価条件ヲ満タシマシタにゃ』
エルシアは腕を組み、浮かれかけたレイルへ先に釘を刺した。
「勘違いするなバカ弟子。強くなったから渡すんじゃないよ――」
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
朝練の足運びと受け身で突進を避け、前日に形成した風弾の完成権だけを返して、初の疑似無詠唱を実戦成功させた少年。
・リィナ・アルセイル
四手の連続動作で術喰穿孔虫の外殻を開き、レイルが壁へ作った反射射線を信じて決着へ踏み込んだ剣士。
・ユノ・アステル
現代的な愚痴をこぼしながら旅人を避難させ、地上へ押し出された灰狼を原因と決めつけず地下異常を報告した勇者候補。
・カイン・ヴェルド
旅人と灰狼の間へ立ち、致命傷を避けながら群れを森へ追い返し、地上側の安全を確保した無言の剣士。
・エルシア・ヴァント
疑似無詠唱を一件、短時間、監督下へ限定し、成功後も正式習得とは認めず弟子の浮つきを止めた師匠。
・ニア
風弾の固定媒体と保持条件を監視し、命中や成功までは保存されていないと繰り返し警告したナビゲータ。
・ハルツ支所の試験官
帰還、報告、被害抑制を含めて二人をEランクへ認定し、奇妙な魔法の説明へ頭を抱えた組合職員。
・王立結着学院の調査官
戦闘中の風弾を無詠唱と誤認し、「昨日唱えた」と訂正されて理解を止めた学院側の観察者。
【今回の能力・設定メモ】
【未完式疑似無詠唱】
事前に通常詠唱で始動と形成を終え、最後の結着だけを【未完】で保持します。魔法、命中、成功を保存する技ではなく、媒体や射線が崩れれば失敗します。現時点では一件だけの実験的成功です。
【表と裏のニアミス】
地上の人命救助はユノとカイン、地下の根本原因処理はレイルとリィナが担当しました。両者の報告書は同じ事件として綴じられましたが、本人たちはまだ対面していません。
【次回】
昇格しただけでは依頼は終わりません。後始末と報告を終えた後、エルシアは人生最大の未完成品を正式に弟子へ渡します。




