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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第4章「昨日唱えた魔法」

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第51話「閉じない祈り」

 送環式は、死者を生き返らせる儀式ではありません。

 残された者が、終わった人生を終わったものとして受け入れ、別れの言葉を結ぶための儀礼です。

 この世界での葬式に当たるものです。

 レイルがほぼ眠れずに過ごした送環式の朝、空は薄い雲に覆われていた。


 礼拝堂(れいはいどう)の鐘はまだ鳴らず、参列者(さんれつしゃ)たちは声を抑えて席へ着いている。中央にはオルムが使っていた革手袋と方位板、荷車の小さな木製模型が置かれ、その周囲を白い布と七本の細い蝋燭(ろうそく)が囲んでいた。


 レイルは祭壇から十五歩離れた後方に立ち、床へ引いた隔離線(かくりせん)の外へ出ないよう両足の位置を確かめた。


 もう、()()()()()()()


 昨夜から新しい短編を書こうとしたが、焦りから作った物語を本当に完成させたいと思えるはずがなかった。【未完】は文字数だけを増やした原稿を安全装置とは認めない。

 別の物品を完成直前へ止める案も出たが、送環式までの短い時間で、長期保持に耐えられる対象は用意できなかった。


 ニアが腕輪の上へ投影され、絶えず警告を更新している。


『保持枠、空白デスにゃ』

『完成直前行為カラ十五歩以上ノ離隔ヲ維持シテクダサイにゃ』

『精神負荷上昇時、即時退場ヲ推奨シマスにゃ』

「分かっている」


 レイルの右側にはリィナが立ち、左側にはエルシアがいた。エルシアは祭壇だけでなく、レイルの呼吸と視線を見ている。


「胸が苦しくなったら、私が言う前に外へ出な。頼まれたから最後まで立たなきゃ、なんて考えるんじゃないよ」

「はい」

「返事だけは素直だね。オルムの家族に呼ばれたことを、無理を続ける許可に使うな。お前が倒れたら、今日の見送りへ別の恐怖を増やす」

「分かっています。警告が出る前でも、自分で危険だと思ったら退場します」

「よし。怖いと言えるうちは、まだ判断できる」


 リィナがレイルの袖を軽く引いた。

「私にも言って。黙って一人で出ていかないでよ。追いかけるからね」

「それでは退場の意味が」

「一人にしないって意味はあるでしょ」

「……分かった」


 参列者(さんれつしゃ)が揃うと、アウレリオが祭壇前へ進んだ。


 送環式では、故人の人生を都合よく美談へ塗り替えない。正しかったことも、間違えたことも、残した仕事も、言えなかった言葉も、そのまま世界へ結ばれた事実として確かめていく。


 家族が一人ずつ、オルムとの記憶を語った。


 息子は、子どもの頃に荷車へ無断で乗り、川へ落ちかけたことを話した。娘は、父が謝る代わりに壊れた椅子を直し、それで済ませようとしたことへ今でも腹が立つと言った。


 ミナは泣きながら、祖父からもらった干し果実を弟へ分けず、一人で食べたことを謝った。


「ごめんなさい。次は、半分あげるって言おうと思ってたのに……」


 謝っても、”次”は来ない。

 その事実を受け入れるために、少女は最後まで言葉を続けようとしている。


 レイルは革鞄の中にある完成済みの短編を思い出した。ミナが書いた”ただいま”。帰るはずだった少年。自分で決められなかった最後。


 胸の奥へ冷たい不安が広がった。この別れまで壊したらどうする。ミナから祖父へ伝える最後の言葉まで、自分が奪ってしまったら。


 オルムの人生を見送る儀礼まで、自分の近くでは終わらなくなったら。


『使用者ノ心拍数、上昇中デスにゃ』

『退場ヲ推奨シマスにゃ』


 レイルは一歩下がろうとした。


 しかし、その瞬間にアウレリオが最後の祈祷(きとう)へ入った。


「道を歩き終えた者よ。あなたの足跡は消えず、残された者の記憶はあなたを縛らず、我らは別れを受け入れ――」


 最後の一節が結ばれる直前、礼拝堂(れいはいどう)の空気が歪んだ。


 祭壇の七本目の蝋燭が、火を灯したまま明るさだけを失う。


 香炉(こうろ)から上がった白煙は円を描き、あと指一本分で閉じるところから先へ進まない。鐘を鳴らすために引かれた縄は下りたのに、最後の一音だけが礼拝堂(れいはいどう)へ届かなかった。


 アウレリオの口は動き、声も確かに出ている。それでも祈りの最後だけが世界へ結ばれず、レイルの右目には閉じ切らない環が浮かんだ。


『新規保持対象ヲ確認シマシタにゃ』

『対象:送環式・最終祈祷(きとう)ノ最後ノ一節』

『安全条件、未成立』


 息ができなくなった。

 祈りを奪ったと理解した直後、レイルの胸へ、自分のものではない感情が雪崩れ込んだ。


 もっと話を聞けばよかった。謝る前に死なないでほしかった。荷車を譲ると言ったのに、返事を聞いていない。嫌いだったのに、いなくならないでほしかった。疲れただろうから休んでほしいと願いながら、休んでほしくないとも思っている。見送りたいのに、見送れば本当に死んだと認めることになる――遺族(いぞく)の中で矛盾したまま残っていた言葉が、区切りなく流れ込んできた。


 遺族(いぞく)一人ひとりの悲しみ、怒り、後悔、安堵、拒絶が、祈りを完成させようとする圧力になって流れ込む。物や魔法を止めた時にはなかった、生々しい声が胸の内側を満たしていく。人間の行為へ触れた【未完】は、その行為に込められた感情まで抱え込んでいた。


 レイルは膝をついた。


「レイル!」


 リィナが肩を支える。エルシアは祭壇とレイルの間へ入り、風の境界を張ったが、すでに魂へ移った完成権を外から切り離すことはできない。


 参列者(さんれつしゃ)の間から、震える声が上がった。


「祈りが閉じない……」

「煙の環が、ずっと開いたままだ」

「また、()()()なのか」


 オルムの息子が祭壇から振り返った。怒りと悲しみが同時に浮かび、どちらを言葉へすればよいか分からない顔だった。


「父の最後まで……返してくれ」


 レイルはリィナの手を借りて立った。


 違う、事故だった、壊すつもりはなかった。どれも事実ではあるが、最初に言うべき言葉ではない。


「”僕が、祈りの最後を奪いました”」

 レイルは声が震えるのを止められなかった。それでも、言葉を短く切って逃げることだけはしなかった。

「どうすれば戻る。父を、ちゃんと送れるんだ」

「今の僕には、まだ返し方が分かりません。これまでは別の対象へ【未完】を移すことで、古い対象を完成させていました」

「じゃあ何か別の物を止めればいいだろう!」

「できます。でも、それを誰かの仕事や大事なものへ押しつければ、同じことを別の場所で起こします」

「今は父の祈りの話をしている!」

「はい。だから、逃げずに返す方法を探します。時間がかかっても、僕がここに残ります」

「時間がかかれば、俺たちはその間ずっと待つんだぞ」

「分かっています……分かっているつもりじゃなく、今、胸の中へ流れてきています」


 その答えで、オルムの息子は拳を握った。怒鳴り返す代わりに、掠れた声を絞り出す。

「なら、忘れるな。返せるまで、俺たちが待たされていることを」

「......忘れません」


 礼拝堂(れいはいどう)に、押し殺した嗚咽(おえつ)が広がった。


 現在の【未完】は、新しい完成直前対象へ移せば、古い対象へ完成権を返す。いつもなら、別の物へ移すことで祈りを解放できる可能性があった。


 エナが礼拝堂(れいはいどう)の後方から進み出た。手には、最後の一針だけを残した祭礼用の刺繍布がある。


「これを使ってください」

「母さん」

「最後の糸を結ぶ前です。私の仕事なら、作り直せます」


 アウレリオも、祭壇横の机から資格更新書(しかくこうしんしょ)を取った。署名と封蝋(ふうろう)だけを残した、神官としての公的な書類だった。


「こちらでも構いません。更新期限には余裕があります」


 バルドは何も言わず礼拝堂(れいはいどう)を出ようとした。工房へ戻り、納品前の家具を持ってくるつもりなのだと分かった。


「待って」


 レイルの声に、三人が止まる。


「母さん、その布は下げて。僕の失敗を返すために、また母さんの仕事を止めたくない」

「でも、今は祈りを戻す方が先でしょう。刺繍なら、私はもう一度縫えます」

「前にもそう言ってくれた。でも、縫い直せるから壊していいわけじゃない。神官様の資格も、父さんの納品物も同じです。僕が楽になる代わりに、誰かの最後を止めたくない」

「なら、どうする」


 バルドの声は低く、逃げ道を与えなかった。

「“誰も傷つけずに返す”と言うだけなら簡単だ。方法がないなら、方法がないところから話せ」


 レイルは唇を噛み、ようやく自分の無力を言葉へした。

「今は、方法がありません。でも、別の物へ移す前に、元の祈りへ返す道が本当にないのか調べたい。僕が勝手に“できる”と決めず、エルシアと、フィアと、神官様の記録を借ります」


 バルドの問いは厳しかった。息子を守るために、できないことをできると言わせる声ではない。

 レイルは胸へ流れ込む感情に耐えながら、開いた煙の環を見た。


「別の誰かへ押しつけずに返します」


 エルシアの表情が変わった。


「レイル」


 通常の授業や叱責で使う”バカ弟子”ではなく、名前で呼ばれたことで、レイルは顔を上げた。


「返す方法が分からないまま、返せると言うな」

「はい」

「願いと計画を混ぜるんじゃない。今のお前にできることは、保持状態を崩さず、何を奪ったかを記録することだ」

「はい」

「でも、逃げるな。ここで見つけるよ」


 送環式は中止された。


 正確には、終えることができないまま保留された。


 祭壇と香炉(こうろ)小礼拝堂(しょうれいはいどう)へ移され、外部の音や新しい祈りが混ざらないよう封鎖された。アウレリオは参列者(さんれつしゃ)へ、オルムの魂が消えたわけでも、苦しみ続けていると確認されたわけでもないと説明した。


 ただ、残された者たちの別れが完成していない。それだけでも遺族(いぞく)にとっては十分に苦しく、レイルはその事実から離れないため、小礼拝堂(れいはいどう)の扉の外へ座った。


 帰れと言われても、怒りをぶつけられても、レイルはそこから動かなかった。許しを先に求める気はなかった。ただ、自分が奪ったものを抱えたまま、何事もなかった顔で日常へ戻れなかった。


 扉の向こうで、白煙の環は指一本分だけ開き続けている。

 胸の中でも、何十もの言えなかった言葉が、終わる場所を求めて押し寄せていた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 送環式の最後の祈りを無意識に未完化し、遺族(いぞく)の感情を保持しながら、別の誰かへ責任を移す案を拒んだ少年。


・リィナ・アルセイル

 崩れたレイルの身体を支えながら、代わりに答えを決めず、彼が自分の責任を言葉へするまで隣に立った幼なじみ。


・エルシア・ヴァント

 返せると断言する弟子を名前で止め、願望と計画を分けた上で、逃げずに方法を探すと約束した師匠。


・アウレリオ

 中断された送環式を封鎖管理(ふうさかんり)し、資格更新書を代替対象として差し出しながらも、遺族(いぞく)へ事実だけを説明した神官。


・エナ・アルヴァート

 自分の祭礼刺繍を新しい保持対象へ差し出したが、息子から再び仕事を犠牲にしたくないと拒まれた母。


・バルド・アルヴァート

 息子を庇う言葉より先に、別の対象を使わずどう返すのかと問い、責任を現実の判断へ戻した父。


・オルムの遺族(いぞく)

 祈りを奪われた怒りと、終えられない別れを抱え、すぐにはレイルを許さないまま礼拝堂(れいはいどう)を後にした家族。


・ニア

 送環式の最後の一節が保持対象へ移った瞬間と、感情を伴う異常な完成圧力(かんせいあつりょく)を記録したナビゲータ。


【今回の能力・設定メモ】


【人間の行為を未完にした場合】


 物品や魔法とは異なり、行為へ込められた感情の断片が完成圧力としてレイルへ流入します。今回のレイルは、遺族(いぞく)全員の未練や怒りを同時に保持しています。


【次回】


 奪った祈りを、別の犠牲へ移さず返すための解析が始まります。成功例のない方法を選ぶ前に、レイルは自分が本当に消したいものを問われます。

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