第4話 最後まで読めない鑑定 ――魂に刻まれた、途中の名前――
レイルは、自分の魂へ刻まれたものを調べるため神殿を訪れます。
固有律の鑑定は、本来なら子どもの将来を祝うための儀式です。
けれど鑑定盤へ現れた文字は、名前すら最後まで書き終えませんでした。
エルデ村の神殿は、ラウゼン王国の王都セルティアに建つ大聖堂のような、高い塔も巨大な鐘楼も持ちあわせていない。灰白色の石を積んだ平屋の建物で、正面の屋根だけが少し高く、朝露に濡れた青銅の環が軒下へ吊られている。
成環教会は、ラウゼン王国の町や村で、人の誕生、契約、死を記録する宗教組織だった。王国では多くの子どもが六歳前後になると、魂へ刻まれた固有律を神殿で鑑定してもらう。
だが、エルデ村の神殿が担う仕事は儀式だけではない。村人が生まれれば名を記し、夫婦になれば誓いを預かり、死者が出れば見送る。読み書きのできない者の手紙を書き、冬には薬草を配る生活の場でもあった。
村人が生まれれば名を記し、夫婦になれば誓いを預かり、死者が出れば見送る。成環教会の教義を伝える場所であると同時に、読み書きのできない者の手紙を書き、冬には薬草を配る生活の場でもあった。
開け放たれた扉から、乾いた香草と蜜蝋の匂いが流れている。レイルは敷居の手前で足を止め、革鞄を両腕で抱え直した。灰褐色の髪は母に水で撫でつけられていたが、後頭部の一房だけが頑固に跳ねている。そして、その淡い青灰色の瞳は建物ではなく、祭壇へ続く床の継ぎ目ばかりを追っていた。
「床板が十二枚。左右の窓が四つ。裏口は――」
「鑑定を受けるだけなのに、逃げ道を数えないでよ!」
「逃げるためじゃない。何か完成しそうな物から離れる経路を確認してる」
「それを逃げ道って言うんだけど?」
隣に立つリィナは、赤栗色の髪を耳の上で結び、金茶色の瞳を呆れたように細めていた。淡い生成りの上着は母親に着せられた外出用らしく、いつもの泥汚れがない。けれど腰には短い木剣を差し、磨かれた靴の爪先には、来る途中で蹴った小石の白い跡が残っている。
「どうしてリィナまで来たの?」
「見届けるためだし。レイルが『鑑定結果は秘密です』とか言って逃げないように」
「僕の魂に関する個人情報なんですが?」
「昨日、私の手を将来の結婚相手向きって鑑定した人が何か言ってる」
「まだ結論は出してない」
「出さなくていいし!」
木剣の柄へ伸びかけた手を、エナが柔らかく押さえた。母は淡い若草色のワンピースへ、薄い肩掛けを重ねている。柔らかな栗色の髪はいつもどおり丁寧に編まれていたが、目の下には昨夜の作業が残した影があった。
包帯を巻いた右手には、完成しない祭礼布の包みが提げられている。原因を確かめるため、神官へ見せることになっていた。
「神殿の中では静かにね」
「僕は静かだったよ」
「変なことを言わなければ、私も静かだった」
「二人とも、今からでも外で待つか?」
目を細めながら低い声で言った父・バルドは、普段の革前掛けではなく、濃茶の上着を着ていた。焦げ茶色の短髪は簡単に撫でつけられ、広い肩が神殿の扉を狭く見せている。左手親指の古い切り傷をさする癖が出ているのは、息子以上に緊張している証拠だった。
「入る」
「私も」
「なら黙って歩け」
家族と幼なじみが中へ入ると、祭壇前にいた男が振り返った。
神官アウレリオは四十歳を少し越えたほどに見えた。日に焼けた細長い顔へ、麦色の短髪と灰緑色の瞳。白い神官衣の襟と袖には、閉じた円ではなく、わずかな切れ目を残した緑の環が刺繍されている。村の畑仕事を手伝うことも多いため、祈りを捧げる手には薄い土汚れと小さな傷があった。
「来たか。昨日のうちに祭礼係から話は聞いている」
アウレリオはレイルへ微笑みかけなかった。子どもを安心させるための軽い言葉も使わず、まずエナから布包みを受け取る。
祭礼布を広げ、最後の銀糸を指先で確かめた。締まりきらない結び目は、夜を越しても輪のまま残っている。
「糸は切れていない。布も針穴も傷んでいない。結ぼうとした形も残っているのに、結果だけが出ていないのか」
「何度試しても同じでした」
「痛むだろう。今日はもう針を持たない方がいい」
アウレリオはエナの包帯へ目を落とし、それからレイルへ向き直った。
「怖いか?」
「結果が分からないことは怖いです。でも、分からないまま母さんの仕事へ近づく方が怖い」
「よく考えた答えだな」
「昨日の夜に、想定される結果を二十七個書きました」
「......六歳の子へ聞いたつもりだったが、役所の調査官が来たら任せてもよさそうだ」
「二十七個のうち、悪魔に憑かれている可能性は四番目です」
「そんなに上なのぉ!?」
リィナがレイルの肩をつかんだ。アウレリオは目を丸くした後、祭壇脇の棚から分厚い聖典を取り出す。
「先に言っておこう。教会は、見慣れない現象を何でも悪魔の仕業にするほど暇ではない」
「悪魔じゃない可能性の方が高い?」
「今のところはな。悪魔なら、母親の刺繍より先に神殿の献金箱でも狙うだろう」
「神官様、それは教義にあるの?」
「長年の経験からだよ、リィナ」
祭壇中央には、子どもの頭ほどの透明な石板が置かれていた。内部へ細い金線が幾重にも走り、見る角度によって円環の模様が浮かぶ。鑑定盤と呼ばれる教会の魔導具だ。
アウレリオは祭壇の周囲へ白い粉で円を描き、四方へ小さな蜜蝋燭を置いた。火を灯すたび、石床へ淡い光の線が伸びる。
「固有律は、神が気まぐれに与える褒美ではない。魂の癖や願い、恐れが、この世界の法則へ触れた時に形となる」
「性格診断みたいなもの?」
「性格だけで火が出たり、鉄が曲がったりしてはたまらんだろう? だが、まったく無関係でもない」
アウレリオは祭壇の前へ膝をつき、レイルにも円の中央へ立つよう促した。
「手を鑑定盤へ置け。痛みはない。見えたものを無理に理解しようとしなくていい」
「失敗した場合は?」
「普通は、適性なしと表示される」
「普通ではない失敗の場合は?」
「始める前から神官を不安にさせるな」
リィナが祭壇の外から身を乗り出す。
「レイル、手が震えてる」
「気のせいだ」
「じゃあ、つないであげようか?」
「儀式の円へ入ったら危険かもしれない」
「昨日は将来の契約まで考えたくせに」
「将来と現在の安全基準は別だ」
「やっぱり震えてるじゃん」
レイルは返事の代わりに、右手を透明な石板へ載せた。ひやりとした感触が掌から腕へ上り、胸の奥へ沈んでいく。母の刺繍から流れ込んでいた、細い糸に引かれるような圧力が強くなった。
蝋燭の炎が同時に傾く。
鑑定盤の内部で金線が回転し、最初の文字を形作り始めた。
【固有スキル:未
文字はそこで途切れた。
「......『未』?」
レイルが呟いた瞬間、二行目が浮かぶ。
【評価:判定不
【分類:終了不
【鑑定儀式:未完
どの行にも、文字を閉じる最後の記号がなかった。鑑定盤の金線は止まっていない。何度も続きを描こうと震え、光を集めては、最後の一画へ届く直前で形を崩している。
アウレリオの灰緑色の瞳から、先ほどまでの余裕が消えた。
「手を離すな。バルド、扉を閉めろ。エナ、その布を――」
神官の言葉を遮るように、布包みの中で小さな音がした。
きゅっ、と糸が締まる音だった。
エナが包みを開く。祭礼布の最後の銀糸は、三週間の仕事を閉じる小さな結び目となっていた。昨夜までどうしても届かなかった最後の一針が、誰も触れていないのに完成している。
エナは緑の瞳を見開き、包帯を巻いた指で結び目の周囲をなぞった。
「結べているわ......」
レイルの掌の下では、鑑定盤がまだ続きを書こうと軋んでいる。
母の刺繍が終わった代わりに、今度は鑑定が終わらない。
胸を引いていた見えない糸が、祭礼布から鑑定盤へつなぎ替えられたように感じた。
「神官様」
レイルは冷えた石板から手を離せないまま、唇を噛んだ。
「僕は、母さんからこれを取って――今度は、この儀式を止めたんですか?」
アウレリオはすぐに答えなかった。祭礼布の完成と、文字を閉じられない鑑定盤を交互に確かめる。
やがて彼は聖典を閉じ、祭壇へ置いた。
「......今の段階で断定はしない。だが、偶然として片づけるには、順番が正しすぎるようだ」
「じゃあ、僕の固有スキルは――」
鑑定盤の光が強く明滅した。
【固有スキル:未
最後の一文字は、何度試しても現れなかった。
母エナの祭礼刺繍が完成し、代わりに固有律鑑定が未完となりました。
この段階では、レイルもアウレリオも「一件だけ」という正式な結論には至っていません。
次回、鑑定を終えるための閉式が、三時間にわたって終わり続けます。




