第42話「荷車一台、退路三本」
ギルド仮登録後、最初の仕事は短距離の荷車護衛です。
荷物、御者、橋、魔物。
守る対象が増えた時、二人が何を優先するのかが試されます。
依頼当日の朝、オルムは荷車の前で腕を組み、積み上げられた荷物を無言で見つめていた。
本来運ぶ予定だったのは、塩、布、農具の替え刃、薬瓶を収めた木箱である。ところが荷台の後半分には、レイルが持ち込んだ予備車輪四つ、車軸油二瓶、太さの違う縄三束、折り畳み式の橋板、雨具、火消し布、解毒薬、乾燥豆、携帯鍋が積まれていた。
「小僧さんや」
「はい。」
「この荷車は、何を運ぶ依頼かな?」
「生活物資です」
「わしには、お前の不安を運ぶ荷車に見えるのじゃが」
オルムが予備車輪の一つを持ち上げ、荷台から地面へ落とした。続いて二つ目、三つ目も外し、残った一つだけを車体の側面へ固定する。
「車輪が四つ壊れる前に、荷車の方が潰れる」
「前輪と後輪で大きさが違います」
「合う物を一つずつにしろ」
「二つ同時に壊れた場合は」
「その予備を積んだ重さで、今から二つ壊れるぞ」
成人監督者として同行する組合員が笑い、リィナは乾燥豆の袋を開いた。中身を見た瞬間、期待していた顔が露骨に曇る。
「これ、全部豆?」
「保存性が高い。水で戻せば食べられる」
「干し肉は?」
「高価だから緊急時用に少量だけ」
「緊急事態になったら、最初に干し肉を守る」
「食料の優先順位がおかしい」
オルムは橋板と鍋も降ろしたが、火消し布と二種類の縄は残した。確認そのものを笑っているのではない。荷車の重さ、道の勾配、車輪の軋みを見ながら、必要な備えだけを選び直している。
「荷車は壊れる前提でいい。だが、人間まで予備にするな」
「人間の予備は用意していません」
「だから、荷物を守って人を置いてくるなと言ってる」
レイルは計画帳の最上段へ、その言葉を書いた。
街道へ出ると、春先の空気は冷たかったが、雨の気配はなかった。先頭を監督役の冒険者が歩き、オルムが御者台、荷車の右後方をリィナ、左後方をレイルが担当する。街道の幅、森までの距離、車輪の沈み方を確かめながら進み、三十分ごとに荷締めを確認した。
「三十分では緩まん」
「一度緩んだ後では遅いです」
「なら耳を使え。縄が擦れる音と、荷が動く音は違う」
オルムは振り返らず、荷車の軋みへ耳を傾けた。レイルも真似るが、車輪、馬具、荷箱、鳥の声が重なって聞こえる。何度も視線を落とすうちに、リィナが荷台の反対側から顔を覗かせた。
「前も見て」
「音を確認している」
「木にぶつかったら、音の違いはすぐ分かるよ」
昼前、荷車は街道沿いの小さな宿場へ着いた。馬へ水を飲ませる間、オルムが車輪を確認し、レイルたちは宿場主人から道の状態を聞く。
「北の古道は使えますか?」
「お前らまで古道へ行くのか?」
「お前ら、ですって? 一体それはどういう――?」
詳細を尋ねると、宿場主人は、昨日まで泊まっていた二人組の話をした。灰色の外套を被った藍髪の少女と、声を出さず石板で会話する長身の剣士。少女は椅子へ沈みながら何度も面倒そうに息を吐き、勇者の伝承と帰還しなかった異邦人の話が出た途端、別人のように質問を浴びせたという。
「あの嬢ちゃん、ずっと”はぁ、だる……”って言ってたくせに、勇者の話になった途端、息継ぎもしないでしゃべり出したぞ」
「男の方は何を?」
「壊れてた柵を直していった。礼を言ったら、石板に【気にするな】とだけ書いてな。今朝には北へ出たよ」
レイルは宿帳を見せてもらったが、記されていた名前は偽名らしく、文字も宿場主人の代筆だった。西門に残っていた足跡と特徴は一致する。二人が同じ痕跡を追っている可能性は高まったものの、進行方向は今回の依頼経路から外れていた。
「追わないの?」
「だって依頼中だ。護衛対象を置いて別件を追う理由にはならないだろ」
「ちょっとは成長したね」
「以前でも置いていかないけどな」
「以前なら、追わない理由を十五個説明してて、私が殴ってるとこだよ」
休憩を終え、宿場から先へ進んだところで、レイルの耳に小さな金属音が届いた。一定間隔で鳴っていた車輪の軋みに、乾いた打音が混ざっている。
「すいません、止めてください」
オルムが即座に手綱を引いた。レイルが左後輪へ回ると、車軸を留める金具が半分ほど浮いていた。まだ外れてはいないが、このまま下り坂へ入れば車輪が傾き、荷台ごと横転する可能性がある。
「よく聞いた」
「確認しただけです。まだ事故を防いだとは――」
「止めた時点で一つ防いでる。結果まで否定するな」
金具を打ち直し、車輪を回して歪みがないことを確かめた。再出発しようとした時、馬が鼻を鳴らし、森側へ耳を伏せる。
茂みが大きく揺れ、幼体の牙猪が一頭、街道へ飛び出した。成体より小さいとはいえ、首から肩へかけての筋肉は太く、短い牙の先が荷車の布を捉えている。
「リィナ、ボアの正面へ入るな!」
「分かってるよ!」
リィナは荷車と魔物の間へ走り込まず、進路の斜め外側へ踏み込んだ。木剣の腹で鼻先を叩き、力を止めるのではなく、首の向きを橋と反対側へずらす。幼体は蹄で土を削りながら街道を横切り、草地へ突っ込んだ。
その背後で、もう一つの茂みが割れた。
二頭目がいた。
レイルの計画帳には、単独個体の突進経路しか書かれていない。二頭目は一頭目を避け、橋側から荷車の後輪へ回り込んでいる。
「右後ろ!」
リィナが振り返るより早く、レイルは左手を地面へ向けた。詠唱を省かず、息を整え、始動と形成を一つずつ言葉へ乗せる。
「土よ、沈まず、崩れず、車輪を支えろ――【硬土】」
後輪の下で柔らかかった土が締まり、荷車の傾きが止まる。続いて掌を街道へ向ける。
「風よ、低く走れ――【微風】」
地表を這う弱い風が、乾いた砂を二頭目の鼻先へ巻き上げた。威力はないが、嗅覚と視界を同時に乱された幼体が頭を振り、突進の線を外す。
リィナは一頭目を追わなかった。踵を返し、荷車へ迫る二頭目の横へ滑り込む。木剣を振り下ろさず、前脚の手前へ刃を差し入れるようにして踏み込みを乱し、身体を回転させながら森側へ押し出した。
幼体は甲高く鳴き、二頭そろって茂みの奥へ逃げていく。
「追うな!」
監督役が声を張るより先に、レイルは荷車へ戻っていた。馬の脚に傷がないか、オルムが御者台から落ちていないか、車輪の金具が再び浮いていないかを順番に確かめる。
「リィナ、怪我は」
「なし。そっちは?」
「なし。オルムさんは」
「腰は前から痛いが、今増えた痛みはない」
オルムはそう答え、森へ逃げた二頭ではなく、荷車の周囲を見回すレイルを眺めた。
「”帰る方”を先に見たな」
「まだ目的地へ着いていません」
「なら、次も乗せてやる。荷物を増やさなければな」
橋を渡り、午後には依頼先の宿場へ到着した。荷を一つずつ引き渡し、受領印をもらい、空になった荷箱を確認してから帰路へ入る。エルデ村へ戻った頃には空が赤く染まり、レイルの足は朝練と往復の疲労で重くなっていた。
それでも支所への簡易報告を終え、報酬を受け取り、装備を点検するまで依頼は終わらない。レイルは報告書へ、予定外の二頭目、橋の手前の車輪金具、宿場で得た旅人情報、退路として使えなかった川側の斜面まで記した。
「旅人の話は依頼報告に必要か?」
「直接関係はありません。別紙へ分けます」
「分ける知恵はついたか、ほっほっほ」
オルムは報酬袋とは別に、小さな包みを二人へ差し出した。中には砂糖をまぶした干し果実が入っている。
「非常食だ。持っておくのじゃ」
「ありがとうございます!」
リィナは礼を言うのと同時に一つ食べ、続けて二つ目へ手を伸ばした。
「非常食だったのでは?」
「帰還後だから食べていいの!」
「次の非常時まで残す物だぞ、それ」
「空腹は今の非常事態ってこと」
半分以上が消えたところで、オルムは声を上げて笑った。
「わしも若い頃、一度だけ王都へ行った。学院の塔は、街道の外からでも見えるくらい高かったぞ」
「王立結着学院ですか」
「ああ。お前らも、そのうち通いたくなる顔をしておるぞ」
「顔で分かるの?」
「荷車は、積まれた物で行き先が分かる。人間も似たようなもんだ」
レイルには、自分が何を積んでいるのか分からなかった。未完成の原稿、被害記録帳、オムニア、十二枚から一枚へ減らした計画。それらがどこへ向かう荷物なのかは、まだ決められていない。
ただ、今日の依頼だけは、帰還と報告まで終わった。
レイルは報告書の最下段へ、初めて自分で完了線を引いた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
初護衛で予定外の二頭目へ対応し、魔物を追うより御者、馬、車輪の無事を先に確かめた仮登録冒険者。初お披露目の基礎魔法でうまくトラブルを対処した。
・リィナ・アルセイル
幼体の牙猪を正面から受け止めず、二頭の突進方向を変えて荷車から遠ざけた前衛役。
・オルム
過剰装備を荷台から降ろしながら、荷車は壊れても人間を予備扱いするなと教えた老御者。
・ニア
荷車の過積載を出発前に警告し、干し果実の減少速度までは止められなかったナビゲータ。
・宿場主人
藍髪の少女が勇者伝承へだけ異様な熱量を見せたことと、無言の剣士が柵を直したことを証言した主人。
・監督役の冒険者
仮登録者である二人へ同行し、戦闘中は追撃を禁じて依頼範囲から外れないよう監督した組合員。
【今回の能力・設定メモ】
【硬土】
柔らかい土を一時的に固める地質系の基礎魔法。今回は荷車の車輪が沈み込むのを防ぐために使用しました。
【微風】
掌ほどの範囲へ弱い風を起こす風圧系の基礎魔法。威力ではなく、砂を運んで魔物の視界と嗅覚を乱しています。
【次回】
六つの基礎現象は、攻撃魔法になる前から人と魔物を生かすために使えます。




