第41話「冒険者規則より長い安全条件」
第4章「昨日唱えた魔法」開幕です。
西門の事件から季節が進み、九歳になったレイルとリィナは、いよいよ冒険者としての入口へ立ちます。ただし、その日の始まりは冒険ではなく、幼なじみに木剣で叩き起こされるところからでした。
朝日が窓枠を越えるより早く、レイルの部屋の扉が三度叩かれた。
「レイルー起きてぇ。楽しい朝練の時間だよ」
「昨日も走っただろ」
「今日の魔物は、昨日走ったからって待ってくれないよ」
「今日は魔物と遭遇する予定はないぞ」
「予定にないことが起きるから、あんた毎回あんな分厚い計画帳を作ってるんでしょうが」
反論する言葉を探している間に、扉が開いた。短い赤栗色の髪を後ろで結び、すでに木剣を腰へ差したリィナが、寝台の上で毛布へしがみつくレイルを見下ろしている。
九歳になったリィナは、同年代の子どもより少し背が高くなっていた。手足も伸び、以前は勢いだけに見えた踏み込みへ、相手との距離を奪う鋭さが加わっている。その一方で、朝食前の空腹だけは年々ひどくなっており、走り込みの後半になると、掛け声のほとんどが食べ物の名前へ変わった。
「あと十周。終わったらパン!パン!」
「今起きたばかりだぞ」
「じゃあ、起きたらまずパンにしよっか」
「順番を入れ替えても距離は減らないだろ?」
「そんだけしゃべれるなら走れるねー」
リィナは足を窓枠の外でバタバタさせながらレイルを待っている。とうとうレイルは観念して起き上がり、枕元に並べていた水筒、布、傷薬、予備の靴紐を革鞄へ入れた。さらに雨具を畳もうとしたところで、リィナが手首をつかむ。
「晴れてるけど?」
「急変する可能性がある」
「村を三周するだけ」
「三周目で降ってくるかもしれない」
「降ったら濡れて帰ろーよ!」
二人とも、家の裏手から村外れの坂道を走り、柔軟を終えた後は、木剣と短杖を使った打ち合いへ移った。レイルが持つのは、魔法使い用の杖を想定した樫の短杖である。剣でリィナに勝つためではなく、接近された時に頭と手首を守り、倒された後に受け身を取り、味方の剣筋を邪魔せず退くための訓練だった。
リィナの木剣が右肩へ走る。レイルは短杖を斜めに立て、受け止めるのではなく力を外へ逃がしながら半歩下がった。朝露に濡れた土で踵が滑りかけたものの、腰を落として横へ転がり、そのまま膝をついて立て直す。
「今のは悪くないね」
「昨日、同じところで転んだから対策した」
「転ばなくなったんじゃなくて、転び方が上手くなってる」
「実戦では転倒しない前提にはできないからな」
「そういうところだけ、すごく前向きだよね」
次の一撃は、杖を越えて額へ落ちた。寸前で止まった木剣の風が前髪を揺らし、レイルは遅れて瞬きをする。
「視線が私の手に寄ってる。肩と腰を見て」
「木剣が一番危険だ」
「木剣を動かしてるのは私なの」
「リィナも危険ということか」
「朝から殴られたいの?」
木剣は止まっていたが、レイルは安全だとは判断しなかった。短杖を握り直し、今度は肩と足先の両方を見る。リィナが笑い、踏み込んだ。
朝練が終わる頃には、レイルの腕は痺れ、リィナの掛け声は「パン」から「焼いた肉」へ昇格していた。二人が家へ戻ると、エナが焼きたての黒パンと野菜のスープを用意しており、リィナは自分の家へ戻るより先に当然のように席へ着いた。
「リィナちゃん、おかわりもありますからね」
「おばさん、いつもありがとうございます!」
「僕の分は」
「あなたはまず水を飲んで、呼吸を整えてからです」
エナに言われ、レイルは椅子へ座る前に脈を数えた。朝練の記録欄へ時間と痛みの位置を書き込み、食事を終えると、今度は外出用の荷物を確かめる。
今日向かうのは【大陸継路組合・ハルツ支所】だった。
前世の知識へ当てはめるなら、異世界モノでいう、”いわゆる冒険者ギルド”である。酒場を兼ねた建物の壁から討伐依頼を剥がし、剣一本で一攫千金を目指す――レイルが途中まで書いた異世界小説にも、似た組織を何度も登場させていた。
もっとも、この世界の【大陸継路組合】は、物語の舞台装置よりずっと地味で、ずっと責任が重い。【継路】とは、街道、宿場、村、鉱山、迷宮を人と物資が安全に行き来できる状態へ”つなぎ続ける”という意味であり、魔物討伐だけでなく、薬草採取、荷運び、護衛、行方不明者の捜索、災害救助、街道や迷宮の地図更新、魔法事故の調査まで請け負っている。
冒険者資格は、下から【F】【E】【D】【C】【B】【A】【S】の七段階。
Fランクは監督を受けながら基礎的な仕事を学ぶ入口で、Eランクから低危険度の依頼を独力で任され始める。
Dランクになってやっと一人前、Cランク以上は地域をまたぐ難度の高い仕事、Bランクは大規模災害や高危険度迷宮へ対応できる熟練者、Aランクは国家や組合中央から特別任務を任される者。そしてSランクは、単純な最上級というより、複数国家が例外として認める特異な個人や一団へ与えられる指定だった。
ただし、これは強さを一列に並べた”レベル”ではない。剣が強くても契約を破り、依頼人を置き去りにし、報告を怠る者は昇格できない。反対に、魔物を一匹も倒さなくても、全員を生かして帰し、次の被害を防ぐ記録を残せる者は高く評価される。また、冒険者ランク、魔物の危険度、魔術師や剣士の公的等級は、それぞれ別の評価軸である。
村の手伝いや組合補助として依頼へ参加してきた二人が、その入口となる【冒険者仮登録・Fランク見習い】の試験を受ける日だった。レイルにとって資格とは、魔物を倒した数を示す勲章ではない。契約を守り、同行者を生かして帰し、何が起きたかを報告し、次の被害を減らせる者へ仕事を任せるための【信用証明】だった。
バルドは息子の荷物を持ち上げ、底へ入っていた二冊目の計画帳を抜いた。
「一冊にしろ」
「一冊目を紛失した場合の予備です」
「紛失する量を持つな」
「父さんまでリィナと同じことを言う」
「正しいからだ」
エルデ村の西門を通る際、見張り役の男がレイルを呼び止めた。昨日の修理跡を確認していた男で、門前に残された足跡の脇へ小さな木札を立てている。
「そういや夜明け前、妙な旅人が二人いたぞ。灰色の外套を被った藍髪の嬢ちゃんと、でかい剣を背負った無口な男だ」
「無口というのは、一言も話さなかったという意味ですか」
「嬢ちゃんが二人分しゃべってた。男の方は石板へ何か書いてたな。牙猪の跡を調べて、門へは入らず街道へ戻っていった。 遠目に見ただけだから正確にはなんともいえねぇけどな......」
レイルは門前へしゃがみ、乾いた泥の端に残る細い靴跡と、大きな長靴の跡を見た。昨夜のうちに記録した自分の足跡とは幅も深さも違う。旅人たちは牙猪が届かなかった指一本分の距離まで、正確に確認している。
「追うの?」
「追わない。相手の目的も危険性も分からないし、足跡を追う許可もないしね」
「気になってる顔してる」
「気になるからって、勝手に追跡したらまた怒られるしな」
レイルは見張り役から時刻と特徴を聞き、計画帳の余白へ記した。名前のない二人組について残ったのは、外套の色、足跡の大きさ、男が声を使わないという三点だけだった。
街道を歩いて昼前にハルツ支所へ着くと、石造りの建物は依頼を探す冒険者と荷物を運ぶ職員で騒がしかった。受付の奥には色分けされた依頼札が並び、壁には魔物危険度、冒険者資格、違約時の処分が別々に掲示されている。
試験官は、二人の保護者同意書とエルシアの監督許可を確認してから、厚い規則書を机へ置いた。
「まず読み取りだ。報酬、期限、目的、禁止事項を答えろ」
リィナは必要な部分を迷わず拾い、レイルは文章の曖昧な箇所へ印を付けた。指定薬草を十株採取する依頼で、根を残すのか、採取地点を報告するのか、毒草が混在した場合に依頼を中止するのかが書かれていない。
「依頼人が書いていない条件を、勝手に増やすなよ」
「増やしません。開始前に確認します」
「確認できなければ?」
「最も被害の少ない条件で実行し、判断理由を報告します」
続いて、仮登録者向けの誓約書が渡された。指定区域から出ない、成人監督者の命令へ従う、能力と装備を隠さない、帰還後に報告する。一般的な条件は一枚へ収まっていたが、レイルは下部の空欄へ細かな文字を書き始めた。
「退路は三本以上。地図を失った場合の集合場所。同行者が一名欠けた時の捜索時間。雨天時の装備重量再計算。予備食料の予備。帰還予定時刻は通常、遅延、緊急の三段階。【未完】が発動した場合は――」
「待て」
試験官が紙を引き寄せ、表と裏を見比べた。
「これは規則じゃない。お前の恐怖一覧だ」
「起こり得る危険を記載しただけです」
「規則より長くなってるから!」
リィナが横から紙を奪い、予備食料の予備へ太い線を引いた。レイルは抗議しようとしたが、後ろで見ていたエルシアが杖の先で肩を叩く。
「バカ弟子。規則は増やせば安全になるわけじゃないよ。誰が、いつ、何を決めるかが読めなくなったら、それ自体が危険だ」
「削った条件で事故が起きた場合は」
「起きた後に追加する。起きてない事故を全部一枚へ入れたら、誰も出発できなくなっちまうわさ」
「成功率を上げるためには必要です」
「”本番へ行かない成功率は百%”だ。前のお前が大好きだった数字だろう?」
胸の奥へ、前世で書きかけの原稿を閉じた感覚が蘇った。準備を続けていれば、失敗は確定しない。けれど出発しなければ、依頼は成功も失敗もしないまま、誰かが代わりに困り続ける。
レイルは紙を見直し、必須条件を三つへ絞った。
【同行者の位置確認】
【撤退判断者の指定】
【帰還後の能力異常報告】
「これなら読めますね」
「最初からそうしな」
実技試験は支所裏の訓練場で行われた。布と木枠で作られた三体の模擬魔物が、滑車によって異なる方向から動き、中央には負傷者役の人形と、依頼品を模した木箱が置かれている。
開始の鐘が鳴ると、リィナは最初の模擬魔物へ踏み込んだ。一体目の胴を木剣で叩き、反動を使って二体目の進路へ身体を滑らせる。三体目は木箱へ向かっていたが、レイルはそちらへ魔法を撃たず、負傷者役の腕に巻かれた赤布を確認した。
「右腕出血。意識あり。リィナ、木箱は捨てて左へ寄せて」
「了解だよっ!」
リィナが木箱を蹴らず、身体で模擬魔物との間へ入る。レイルは短杖で三体目の頭を受け流し、朝練どおり斜め後ろへ転がった。立ち上がる前に、負傷者役の人形を安全線へ引きずる。
「依頼品を放棄した理由は?」
「負傷者を運ぶ際の障害になるためです。回収は安全確保後です」
「敵を倒さなかった理由は?」
「倒すことが試験の完了条件ではありません」
リィナは残った二体の進路を順番に外へ向け、最後の一体を木剣の腹で押し返した。討伐判定では満点ではない。だが、人形と木箱はどちらも安全線へ戻り、二人とも指定時間内に帰還位置へ立っていた。
試験官は採点板を眺め、リィナの戦闘欄へ高い数字を、レイルの救助、報告、危険申告欄へ丸を付けた。
「二人一組なら仮登録を認める。ただし成人監督者なしで支所管轄外へ出るな。未知の階層へ入るな。【未完】に異常があれば、依頼を中断して即時報告だ」
「分かりました」
「分かった!」
オムニアの銀黒色の環が淡く光り、レイルの肩へ黒銀色の猫型ホログラムが現れた。リィナが幼い頃に描いた丸い耳と長い尾を持つ姿で、半透明の前脚を仮登録証へ重ねる。
『危険能力申告、完了シマシタにゃ』
『未申告項目、存在シマセンにゃ』
『追加申告ハ過剰デスにゃ』
「ニアまで組合側へ回ってやがる」
『事実ノ記録デスにゃ~』
仮登録証を受け取った直後、受付から一枚の依頼書が運ばれてきた。翌朝、エルデ村から隣の宿場まで生活物資を運ぶ短距離荷車の護衛である。危険度は低く、成人監督者が同行し、仮登録者の最初の仕事としては一般的だった。
依頼書は一枚だった。
その日の夕方、レイルが作った準備計画は十二枚になった。
「荷車を守る前に、計画帳を減らして」
「橋が壊れていた場合と、車輪が壊れた場合では必要な対応が違う」
「十二種類も壊れないっての!」
「十二種類しか想定していない」
「また、悪い病気がはじまったよ......」
受付脇の長椅子から、低い笑い声が聞こえた。腰の曲がった老人が、古びた帽子を持ち上げ、レイルの計画帳を横目で見ている。
「ひょっひょっひょ、退路を三本も作る暇があるなら、荷車の車輪を一つ見てくれるかい?」
老人の名は、オルムといった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
朝練で転ばない技より転び方を磨き、仮登録規則へ自分の恐怖を一冊分追加しかけた九歳の少年。
・リィナ・アルセイル
朝食を目標にレイルを走らせ、実技試験では依頼品より負傷者を優先して前線を守った幼なじみ。
・エルシア・ヴァント
準備を本番から逃げる口実へ戻しかけた弟子へ、規則を増やすより判断者を決めろと教えた師匠。
・ニア
仮登録証の危険能力申告を補助し、レイルの追加条件を過剰と判定した黒銀猫型ナビゲータ。
・バルド・アルヴァート
息子の予備計画帳を一冊抜き取り、持てない備えは備えにならないと行動で示した父親。
・エナ・アルヴァート
朝練後の二人へ食事を用意し、レイルの体調記録まで忘れず確認した母親。
・オルム
レイルたちの初護衛依頼で荷車を操る、経験豊富で口の悪い老御者。
・西門の見張り
夜明け前に門前を調べていた二人の旅人について、足跡と会話方法をレイルへ伝えた村の見張り役。
・組合試験官
レイルの恐怖一覧を規則ではないと切り、救助と報告まで含めて二人の仮登録を判定した試験官。
【今回の能力・設定メモ】
【冒険者仮登録・Fランク見習い】
成人監督者の同行、活動区域、危険時の報告などに制限が付く仮資格です。戦闘力だけでなく、契約理解、救助、撤退、報告を含めて判定されます。
【次回】
初めての荷車護衛。レイルの予備装備は、出発前から荷車を壊しかけます。




