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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第3章「旧坑道の慎重勇者」

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第39話「牙が届かない最後の一歩」

【未完】は時間停止スキルではありません。

牙猪は走り、筋肉を動かし、門へ届こうとし続けます。

ただ、衝突を完成させる最後の一歩だけが世界へ結着しません。

 牙猪(ワイルドボア)が侵攻してきている中、西門の内側で、避難を告げる大声が飛び交った。


「子どもを中央広場へ避難させろ!」

「荷車を道から退()けるんだ!」

「弓を持て! 屋根へ上がれええええええ!」


 高齢者と子どもが門から離され、家畜小屋の扉が閉じられる。自警団員は門上へ上がり、弓へ矢をつがえた。


 だが、巨大牙猪の正面から矢を射たところで、そのブ厚い頭骨と脂肪へ阻まれる可能性が高い。傷つけるだけなら、さらに興奮させてしまう。


 そして――門を閉める閂は、あと指一本の位置から動かない。

 レイルは濡れた原稿をエナへ預け、門の構造と迫る牙猪を見比べた。


 今、【未完(ノットコンプリート)】が奪っているのは、閂が溝へ完全に入る最後の一工程(ワンプロセス)

 別の対象へ移れば、閂へ完成権が返る。


 しかし、何へ移すか。それが問題だ。


 牙猪の命そのものは理解できない。走るという行為全体も広すぎる。いつ始まり、何をもって終わるのかが曖昧だ。


 それでも、目の前で完成へ向かう一つだけは分かる。

 牙が門へ衝突する、そのための最後の踏み込み。


「父さん」


 レイルは門脇の小扉を指した。


「僕を、牙猪へ触れられる位置まで出してください」

「駄目だ」


 バルドは即答した。


「門を閉じるには、別の完成直前へ【未完】を移す必要があります」

「他の物では駄目なのか?」

「近くで、完成条件を理解できて、今まさに完成直前のものが必要です」

「成功したことはあるのか」

「いえ......ありません」

「なら駄目だ」

「何もしなければ、牙猪が門へ届いてしまいます!」


 バルドの拳が固く握られる。


「門前で倒せたとしても、今の閂は閉じません。次の魔物が来ても、夜になっても、村を守れない」

「だから子ども(レイル)を出すのか」

「僕にしか移せない可能性があります」

「可能性でお前を死なすわけにはいかん」


 低い声だった。


 父親として止めたい。

 自警団員として村を守らなければならない。


 その両方が、バルドの顔へ出ていた。

 リィナが二人の間へ入る。


「私が先に向きをずらします」

「木剣で止められる相手じゃない」とバルドが言う。

「止めないよ。レイルが触れる場所を作るだけ」


 レイルは牙猪までの距離を見た。


「腰へ命綱を二本。一本は父さん、一本は門内の柱へ固定。リィナは正面に立たず、欠けた牙側から鼻先をずらす。僕は接触後、すぐ引き戻してもらう」


「三本目はないの?」


 リィナが尋ねた。


「二本だけでいい」

「あれ、珍しいね」

「三本目が絡む事故は、さっき起きたからな」


 状況が状況でなければ、リィナは笑ったかもしれない。

 今は一度だけしっかりと頷いた。

 そこへ、村の屋根を飛び越えて風が来た。


 風は避難する人々を一人も転ばせず、土煙だけを左右へ押し分ける。大きな外套を翻し、エルシアが西門前へ降り立った。


「状況を三行で言いな、バカ弟子」


「原稿の安全装置が外れ、門の最後の閂へ【未完】が移りました。

牙猪の衝突へ移せば門は閉じる可能性があります。

接触指定は一度も成功していません」


「ほう、三行に収めたのは成長だね。内容は最悪じゃがな」


 エルシアは門へ手を触れ、閂へ流れ込む未完圧力を読む。


「風で牙猪を止めることはできませんか?」とレイルが尋ねた。

「止めるだけならできる。だが、お前の【未完】が門を抱えたままだ。牙猪を吹き飛ばしても、門は閉じない。しかも強引な外力で完成条件が崩れた時、お前の力が次に何へ移るか分からない」


 エルシアの琥珀色の瞳が細くなる。


「試す価値はある。じゃが、安全とはとても言えんのう」


 通常なら「バカ弟子」と呼ぶ彼女が、ここで一度だけ名を呼んだ。


「レイル。触れた瞬間に失敗すれば、()()()

「触れなければ、門の内側にいる人が危険です」

「英雄みたいなかっこつけた言い方をするんじゃない。お前が選ぶのは、間違いのない成功だけにおし」


「はい」


「バルド。命綱は二本。私が風で足場を支える。リィナは接触位置だけを作れ。レイルは移ったと感じた瞬間、粘らず戻れ」


 バルドはしばらく息子を見つめた後、自分の手で縄を結んだ。


「一度触れたら、すぐ引く」

「はい」

「失敗したら、二度目へ行かない」

「はい」

「帰ってこい」


 最後の言葉だけは、自警団員ではなく父親の声だった。


「ちゃんと、帰ります」


 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 小扉が開く。


 土を蹴る音が、腹の内側まで響いた。


 牙猪はすでに、西門から数十歩の距離まで迫っている。目は血走り、口元から泡を飛ばしていた。正面から受ければ、人間の身体など木片と変わらない。


 リィナが走る。

 彼女は木剣を両手で握り、欠けた牙側へ回り込む。


 牙を受けない。

 力比べもしない。


 牙猪が次に踏み込む場所へ木剣の先を差し入れ、土を跳ね上げる。

 目へ泥を浴びた牙猪の頭が、ほんの僅かに傾いた。


「今だよ!」


 バルドと自警団員が縄を緩める。


 レイルは門外へ踏み出した。恐怖で足が止まりかける。


 接触位置を、もう半歩変えた方がよい。

 牙の角度。

 縄の張力。

 地面の石。

 リィナの退路。


 確認すべきことはいくらでもある。

 だが、牙猪は待ってくれない。

 レイルは、次の一歩を踏み込んだ。


 伸ばした右手が、欠けた牙へ触れる。


 それはすごく冷たかった。


 次の瞬間、牙の根元から伝わる振動と、巨体すべてを前へ運ぶ力が腕へ流れ込んだ。

 レイルは牙猪そのものを止めようとしなかった。

 理解するのは、一つだけ。


 この牙が門へ届くための、最後の一歩。


「門へ届く、その一歩だけを――終わらせない!」


 右目へ、閉じ切らない輪が浮かぶ。

 胸の中にあった閂の圧力が消え、代わりに牙猪の踏み込みが流れ込んだ。


 門上で轟音が鳴る。

 閂が最後まで溝へ入り、西門が閉じた。


「引けええええええい!」


 バルドたちが縄を引く。

 レイルの身体が土の上を滑り、小扉の内側へ戻される。リィナも転がるように門内へ飛び込んだ。


 小扉が閉じる。

 直後、牙猪が西門へ到達した。

 誰もが衝突音を覚悟した。


 だが、音は来なかった。

 牙の先端は、門板から指一本分の位置にある。

 牙猪の時間が止まったのではない。


 前脚は地面を蹴る。

 後脚の筋肉は収縮する。

 鼻息が門板を濡らす。

 蹄が土を抉る。

 巨体は前へ進もうとし続けている。


 それでも、牙が門へ触れる最後の距離だけが埋まらない。


「止まった……?」


 自警団員の一人が呟く。


「違う!」


 レイルは右腕を押さえた。


「走り続けています。衝突だけが完成していないんです!」


 牙猪が踏み込むたび、その力が胸へ流れ込む。


 一度。

 二度。

 三度。


 完成しようとした力は消えずに蓄積する。門前の土が深く抉れ、牙猪の蹄から血が滲み始めた。


 レイルの右腕も震えた。

 自分の筋肉ではない。

 牙猪の焦り、怒り、前へ進みたいという圧力が、骨の内側を押してくる。


「レイル!」


 リィナが肩を支える。


「門は閉じた。もう原稿へ戻していいの?」


「駄目だ」


 今【未完】を別の対象へ移せば、牙猪へ奪われていた最後の一歩が完成する。

 門へ向いたまま、蓄積した突進が一気に返る。


「先に、牙猪の向きを変える必要がある」

「どれくらい?」

「門が正面から外れるまで」

 ニアが赤い術式表示を展開した。


『完成圧力、継続上昇中デスにゃ』

『使用者候補ノ魔力経路、負荷増大デスにゃ』

『長時間保持、中止ヲ推奨シマスにゃ』

「中止方法がないんだよ!」

『安全条件、未成立デスにゃ』


 正しい警告だった。それでも、今解除すれば門は壊れてしまうだろう。

 エルシアは門板へ手を触れ、外の振動を確かめた。


「吹き飛ばすのは駄目だ。完成条件が崩れて、どこへ力が返るかが読めんぞ」

「では、どうします?」

「全員で、少しずつ道を変えるのさ」


 リィナが木剣を握り直した。


「次の道は、私が作る」


 レイルは痛みに耐えながら頷いた。

 門を閉じただけでは、まだ終わっていない。

レイルは第二段階の入口として、接触した「門へ届く最後の一歩」へ意図的に【未完】を移しました。

牙猪は停止しておらず、踏み込む力と焦燥は蓄積し続けています。

次回、方向を変えた後に短編へ【未完】を移し、突進を森への空振りとして完成させます。

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