表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第3章「旧坑道の慎重勇者」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/181

第38話「原稿鞄が流された日」

準備は事故を減らしますが、すべての事故を消すわけではありません。

何重にも固定した原稿鞄はリィナを救う助けとなり、同時に水路の罠へ絡まる原因にもなります。

 ざあああああああああああああああ―――――――。

 前夜の雨で、エルデ村西門脇の水路は濁っていた。


 普段は子どもの膝ほどしかない流れが、今日は腰の高さ近くまで増している。上流から流れてきた枝や枯草が古い害獣罠へ絡まり、水を()き止めていた。


 このまま放置すれば、水は西門前の道へあふれ、低い畑へ流れ込む。

 レイルとリィナへ任されたのは、バルドと自警団の監督下で枝を外し、罠を撤去する補助作業だった。


「原稿鞄、防水布二重、確認。」


 レイルは留め具を引いた。


「肩紐、腰紐、落下防止紐三本。接続点は別々。一本が切れても残り二本が保持する」

「増やしすぎて、動けなくならない? 見てるだけで体が重いよ」

「前回までの水没想定を改善した」

「前回、水没してなくない?」

「起きてからでは遅い」


『固定箇所増加ニヨル、引ッ掛カリ危険モ上昇シマスにゃ』

「三本を別方向へ逃がしている」

『危険要因ノ消失ハ確認デキマセンにゃ』

「危険は消すものではない。管理するものだ」


 隣でリィナが大きな籠から丸パンを取り出した。


「おい、作業前に食べるのか?」

「水の中でお腹が空いたら、力が出ないでしょ」

『作業前摂取、二個目デスにゃ』

「これは小さいから一個半でカウントして!」

「リィナ、個数の定義を変えないでくれ」

「じゃあ、レイルの付属資料も本文に数えるけどいい?」

「それは分類が違う」

「同じだって!」


 門上で作業していたバルドが、深いため息を落とした。


「二人とも、食料と紙の分類は後にしろ。水位が上がる前に終わらせるぞ」


「はい」

「はーい!」


 レイルは胸元の小刀を確認した。


 縄が罠へ絡んだ場合、自分の身体側ではなく、罠へ近い一本だけを切るためのものだ。三本すべてを一度に切れば、今度は水へ流される。


「リィナが落ちた場合、右腕をつかむ。左腕は鉤棒を持っている可能性が高い」

「私がレイルをつかむ時は?」

「原稿鞄ではなく、身体を」

「レイルは軽いからね」

「肩だと衣服が破れる可能性がある。手首か、肘の内側が――」


 リィナが手を差し出した。


「じゃあ今、確認しておく?」

「何を」

「つかむ場所」


 レイルは数瞬迷ってから、差し出された手首へ指を添えた。

 細い手首の下で、脈が速く打っている。自分の指先まで妙に熱く感じた。


『双方ノ体温上昇ヲ確認シマシタにゃ』

「作業前の緊張だ」

「私は違うけど?」

「では個別原因の特定は後にする」

「もうばかあああああああああ!」


 木剣ではなく、鉤棒の柄がレイルの靴先へ軽く当たった。


「水路へ落とすなよ」と、バルドが言った。

「落としません!」

「どちらをだ」

「両方です!」


 答えたレイルの方が、なぜか一番顔を赤くしていた。


 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 西門では、水路の作業と並行して、新しい閂の開閉確認も行われていた。


 雨で木が膨らみ、溝へ入りにくくなっている。自警団員二人が油を塗り、バルドが鉋で表面を僅かに調整していた。


 門の下を通る水路から閂までは、数歩しか離れていない。

 レイルは水際へ腰を落とし、縄で身体を柵へつないだ。リィナは一段下へ降り、長い鉤棒で枝を押さえる。


「大きい枝から外す。小さい物を先に抜くと、水圧が一箇所へ集中する」

「分かった。これ?」

「待って。根元が罠の鉄輪へ絡んでいる」


 レイルは小刀を入れる角度を変えた。


 枝を切り、水草を剥がし、錆びた罠の留め金を探す。リィナは鉤棒で流木を押さえたまま、片手で別の枝を引き抜いた。


「重くないのか」

「平気」

『リィナノ出力、朝食量ト相関アリト推定シマスにゃ』

「ほら!」

「そこは認めるのか……」


 作業は予定より順調に進んだ。

 最後の太い枝へ手をかけた時、水の下で何かが折れた。


 鈍い音。

 泥へ埋もれていた古い杭が、水圧に耐えきれず根元から倒れる。

 罠の鉄輪が横へ回転し、鉤棒を持つリィナの足元を払った。


「リィナ!」


 彼女の身体が水路へ傾く。

 レイルは原稿鞄ではなく、リィナの腕をつかんだ。


 腰へ結んだ一本目の紐が罠へ絡む。二本目がレイルの身体を止め、三本目へ荷重が移った。複数の固定がなければ、二人とも濁流へ落ちていた。


 だが、強く引かれた紐の一つが、原稿鞄の肩留めを岩角へ押しつける。


 革が裂けた。

 レイルが振り返った時には、鞄が水へ落ちていた。


「――原稿!」


 防水布は二重だった。


 しかし、罠の金具が外側の布だけでなく、内側まで引き裂いている。濁流へ呑まれた鞄は、門下の鉄格子へ引っかかり、激しく揺れた。


 バルドと自警団員が縄を引き、二人を水際から引き上げる。

 リィナは咳き込みながらも、自分の足で立った。


「私は平気。レイル、鞄を!」


 レイルは格子へ身を乗り出した。バルドに腰を支えられながら腕を伸ばし、流れに逆らって鞄を引き上げる。


 中の原稿は完全には流されていない。

 だが、水を吸った頁は互いに貼りつき、文字が滲んでいた。


 勇者が森を出た後の場面。

 戻る場所。

 最後に言うはずだった言葉。


 頁の順番が崩れ、どの文章が結末へ続くのか、レイル自身にも分からない。

 胸の奥から、いつも感じていた弱い圧力が消えた。


「まずい。安全装置が……」


 自作小説を完成させたいという意思はある。


 それでも今のレイルは、濡れた紙のどこまでを一つの物語として扱い、何をもって完成とするのか理解できない。


 完成条件を理解できない対象は、()()()()()()()()()()()()()()

 原稿が保持枠から外れた。

 直後、頭上で木が軋んだ。


「押せ!」


 バルドたちが、西門の閂を溝へ入れようとしている。


 あと指一本。


 そこまで入れば門扉は固定され、施錠確認の鐘を鳴らせる。レイルは父の仕事を何度も見ていた。閂が閉じる条件を、はっきり理解している。


 濡れた原稿を抱えたまま、レイルは反射的に思った。


 ”門だけは、閉じてくれ”。


 その瞬間だった。

 三人が力を込めても、(かんぬき)があと指一本の位置から進まなくなった。


 木は折れない。

 溝にも異物はない。

 押す力も足りている。


 それでも、最後まで入らない。

 胸の内側へ、新しい完成圧力が流れ込んだ。


「僕の【未完】が、門へ移った」


 バルドが振り返る。


「戻せそうか?」

「原稿の完成条件が分かりません。別の完成直前へ移すことも、まだ意図して成功したことは――」


 見張り台の鐘が、激しく鳴り響いた。カンカンカンカンカンカン!


「森から牙猪(ワイルドボア)が来てるぞおおおおおおおっ!」


 西の街道へ視線が集まる。

 木々の間から、黒褐色の巨体が現れた。


 通常の牙猪より二回り以上大きい。片方の牙は途中で欠け、肩から腹へ古い傷が走っている。増水と罠の破断音に興奮したのか、頭を低くし、西門へ一直線に走っていた。


「門を閉めろ!」

「閉まらない!」


 村人が叫び、門の内側から荷車を退かし始める。

 閂は、あと指一本で止まっている。

 牙猪は土を蹴り、距離を詰める。

 リィナが濡れた髪を払い、木剣を抜いた。


「門まで、どれくらい?」

「二分もない」

「じゃあ、考えながら動いて!」


 レイルは濡れた原稿を胸へ抱え、立ち上がった。


 防水布は破れた。

 固定紐は罠へ絡んだ。


 それでも、その紐がリィナを水から引き上げた。

 準備は無意味ではない。

 ただ、準備だけでは、目の前の牙を止められない。


初期の【未完】は、レイルが完成条件を理解できる近距離の対象へ移ります。

原稿の構造を見失った直後、数歩先で完成直前だった西門の閂が、新しい保持対象となりました。

次回、レイルは初めて、触れた対象へ意図的に【未完】を移そうとします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ