表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第3章「旧坑道の慎重勇者」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/194

第35話「最後の研ぎが終わらない」

安全装置として持ち歩いていた自作小説は、書き続ければよいものではありません。

物語を進める意思が薄れた時、レイルの【未完】は別の完成直前へ移ります。

 ハルツの鍛冶工房(かじこうぼう)は、朝から熱と鉄の音に満ちていた。()では赤く焼けた地金(じがね)が光り、壁際には大小の金槌(かなづち)(やっとこ)(やすり)が並んでいる。レイルとリィナへ任されたのは、裏口から炭袋(すみぶくろ)を運び、指定された棚へ工具箱を置くことだけだった。


 確認した条件は、作業台(さぎょうだい)へ近づかないこと、納品剣(のうひんけん)へ触れないこと、鍛冶師(かじし)の指示があるまで荷物を勝手に動かさないことの三つだった。レイルは三つの条件を声に出して確認した。


「一回で分かるよ」

「工房内は音が大きい。聞き落としを防ぐ必要がある」

「じゃあ三回目は私が言う。作業台へ近づかない、剣へ触らない、勝手に食べない」

「最後はリィナだけの条件じゃないか!」

「工房では食べないよ!」

『火気周辺デノ飲食ハ非推奨デスにゃ』

「ニアまでそんなこと言うのー!」


 奥で金槌を振っていた男が、短く笑った。鍛冶師ガルドは、肩幅の広い大柄な男だった。顔と腕には古い火傷(やけど)があり、炉の前へ立つ姿は岩壁のように見える。その隣で水桶を運んでいる少年が、ドルガだった。


 彼はレイルより少し年上で、太い革手袋(かわてぶくろ)をつけている。右腕には新しい火傷を覆う布が巻かれ、視線だけがこちらへ鋭く向いた。


「親父、こいつが例のあいつか」

「仕事中だ、ドルガ」

「でも」

「炭を運ぶ者と、剣を打つ者の場所は分けてある。決めた位置を守るなら仕事は仕事だ」


 ガルドはレイルへ向き、床に引いた線を指した。


「おいお前、赤線より内側へ入るなよ」

「分かりました」

「剣へ何か起きたら、隠さず言え」

「はい」


 床には、作業台を囲む赤い線が引かれていた。レイルは距離を測った。最も近い場所でも五歩以上ある。【未完】がどこまで影響するか正確には分からないが、自作小説が保持対象となっている限り、新しい完成へ移る可能性は低い。


 そう考えながら、原稿鞄(げんこうかばん)の留め具へ触れる。中には昨夜書いた十二行があるが、勇者は森の出口へ進まず、三つ目の結び目を試しているだけだった。それでも午前の仕事は問題なく進んだ。


 炭袋を棚へ積み、工具箱の数を確認し、水桶のそばへ乾いた布を運ぶ。リィナは力仕事でレイルの倍近く運び、休憩時間には持参した丸パンを四つ食べた。ニアが炉の温度を表示し、危険範囲へ近づくたび警告する。


『右側床面、火花飛散ヲ確認シマシタにゃ』

「避ける」

『水桶周辺、転倒危険デスにゃ』

「分かっている」

『使用者候補、原稿鞄ノ確認頻度ガ上昇シテイマスにゃ』

安全装置(セーフティ)の状態確認だ」

『文字情報ノ進行量ハ、昨日比デ低下シテイマスにゃ』


 レイルは返事をせず、意識を目の前の仕事へ戻した。昼を過ぎた頃、ガルドは壁に掛けていた一振りの剣を作業台へ置いた。


 装飾の少ない長剣だった。派手な宝石も紋章もない。しかし刃の線は真っ直ぐで、光を受けるたび水面のように滑らかに輝く。納品先は街道警備を担う商隊長だという。


 代金が入れば、工房は冬の鉄材と炭を買える。ドルガの新しい革手袋も用意できる。残っているのは最後の研ぎだけで、ガルドは砥石(といし)へ刃を当てた。


 一定の角度、一定の圧力(プレッシャー)で、根元から先端へ滑らせる。水と金属が擦れる音が、工房の金槌より細く響いた。一往復、二往復、三往復と同じ動作を重ねたところで、ガルドの手が止まった。


「親父?」

「むう、返り(かえり)が消えん」


 刃の先に、髪より細い金属の返りが残っていた。ガルドは砥石を変えた。水を替え、角度を僅かに調整し、もう一度研ぐ。


 返りは消えない。削れて刃は確実に薄くなっているのに、それでも最後の一筋だけが整わず、研ぎという作業が終わらない。レイルの胸の奥で、何かが動いた。


 自作小説を保持している時に感じる、終わりへ近づきながら届かない圧力。それが原稿鞄から薄れ、作業台の剣へ流れている。


「止めてください」


 震える声を聞いたガルドは、すぐ砥石から剣を離した。


「何が起きた」

「【未完】が、剣へ移った可能性があります」

「原稿に預けていたんじゃないのか」

「確かに預けています。ですが……」


 レイルは赤線を越えずに原稿鞄を開き、最後の頁を読んだ。勇者は縄と火と荷物を確認しているが、その先へはどこにも進んでいない。書き続けていたつもりだった。


 実際には、安全装置を維持するためだけに文字を増やし、物語を終わらせる意思から逃げていた。【未完】にとって、それは未完成ではなく、完成を目指さない放棄(ほうき)へ近づいていたのかもしれない。


「戻せるのか」


 ドルガが作業台の向こうから聞いた。


「対象を選んで移すことはできません。原稿を、”本当に進めれば”……戻る可能性はあります」

「可能性?」

「確実ではありません」

「じゃあ、剣はどうなる」

「今のまま研ぎ続ければ、刃だけが減り続けます」


 ガルドは剣を台へ置き、短く命じた。


「書け」

「親父!」

「他に方法がないなら、やらせる。全員、剣から離れろ」


 レイルは床へ座って膝の上へ原稿を置き、何を書けば物語が進むのかを考えた。縄の種類ではない。火の位置でもない。勇者が森から出るために、何を選ぶかを書かなければならない。


 前世(ぜんせ)では、選んだ後に間違いだと分かるのが怖かった。だから世界観を足し、道具を足し、敵を足し、主人公を同じ場所へ立たせ続けた。


 今、その逃げ方が他人の剣を壊そうとしている以上、もう同じ場所へ主人公を立たせ続けることはできない。レイルは筆を取った。


「勇者は、”準備が足りないまま森を出た”」


 書き終えたところで手が止まった。不完全な一文だった。何を見つけるかも、誰に会うかも決めていない。それでも勇者は、同じ場所から一歩進んだ。胸の圧力が変わり、作業台の剣から原稿へ何かが戻ってくる。


「移った」


 レイルが顔を上げた瞬間、剣が高く細い音を立てた。ガルドは砥石から離していた。誰も触れていない。それでも剣へ蓄積していた研ぎの結果が、一度に完成へ向かう。


 刃先(はさき)から白い線が走り、先端が指二本分ほど折れた。金属片(きんぞくへん)が作業台へ落ちる音を最後に工房は静まり返り、レイルは立ち上がれなかった。剣は残っている。折れたのは先端だけだ。打ち直すことも、短く作り替えることもできるかもしれない。


 しかし、それはもう納品する予定だった長剣ではなく、約束した期日(きじつ)にも間に合わない。ガルドは折れた先端を拾い、刃の亀裂(きれつ)を確認した。怒鳴らない。その沈黙が、バルドに叱られた時と同じように重かった。ドルガが革手袋を外すと、その目元は赤くなっていた。


「どうするんだよ、お前ッ」


 レイルは詰まった喉を無理に動かした。


「……ごめんなさい」

「それで剣が戻るのか」

「戻りません」

「冬の炭が買えるのか」

「買えません」

「親父の信用が戻るのか」

「戻りません」


 ドルガは折れた先端を握ろうとして、ガルドに手を止められた。


「ドルガ、素手で触るな」

「分かってるよオヤジ」


 少年は唇を噛み、レイルを睨んだ。


「”今日、俺が泣いたこと”を、いつまでも忘れるな」


 レイルは目を逸らさなかった。


「はい......忘れません」


 今のレイルには、それ以外の言葉を口にする資格がなかった。

原稿を持ち歩くだけでは、安全装置にはなりませんでした。

物語を進める意思から逃げた結果、納品剣の最後の研ぎへ【未完】が移り、工房は冬越しの報酬を失います。

次回、謝罪、材料費、納期、信用。それぞれ別の損害として、返済の方法を決めます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ