第32話「帰らなかった罰」
旧坑道から無事に戻った二人を待っていたのは、魔物より怖い叱責でした。
問題にされたのは戦ったことではなく、帰る場所へ何も告げずに消えたことです。
家へ戻るまで、バルドは一度も振り返らなかった。村外れからアルヴァート家までは、普段なら子どもの足でも長くない。けれど、その日の道は旧坑道の帰路より遠く感じられた。縄と灯りを持っていた自警団員たちは、二人に怪我がないことを確かめると、それぞれ中断していた仕事へ戻っていった。
謝るべき相手が家族だけではないことを、レイルはようやく実感した。家の食卓には、夕食の代わりに古い地図と砂時計が置かれていた。バルドが中央へ座り、エナがその隣にいる。エルシアは壁際の椅子へ腰を下ろしていたが、いつものように杖を回したり、茶へ菓子を浸したりはしていなかった。
リィナも帰されなかった。泥のついた木剣を両膝へ置き、レイルの隣へ座っている。バルドは、二人の顔を順番に見た。
「――で、どこへ行っていた」
「エルデ旧坑道です」
「誰に許可を取った?」
「誰にも取っていません」
「帰る時刻は、誰へ伝えた」
「伝えていません」
「自警団が何人動いたか知っているか」
「はい。二人です」
「父さんと母さんと、エルシアさんも捜す準備をしていた」
レイルは膝の上で手を握った。質問へ正確に答えることはできる。だが、答えが正確であるほど、自分の行動が何を起こしたかも明確になっていく。
「探索範囲は入口から百歩以内に限定しました。滞在時間も一刻として、予備時間を――」
「やめなさい。聞いているのは、言い訳ではない」
バルドの声は低いままだった。
「何も言わずに消えた理由を聞いているんだ」
「先に危険度を確認して、安全だと判断できてから報告すれば、不必要な心配をかけずに済むと考えました」
「帰らなかった時はどうするつもりだった?」
「……捜索が必要になります」
「どこを捜す」
「行き先が分からないため、範囲を絞れません」
「何人の仕事が止まる」
「分かりません」
「怪我人が出る可能性は?」
「あります」
答えるたび、レイルの準備表から意図的に外されていたものが、目の前へ戻ってきた。レイルは魔物の種類を想定した。毒も、落盤も、灯りの故障も考えた。しかし自分を捜す人間が山へ入り、その人々まで危険へさらされることは考えていなかった。
いや、考えなかったのではない。行き先を告げれば止められると分かっていたから、考える範囲から外したのだ。エナが、泥で黒くなったレイルの袖を見つめた。
「あなたが帰らない間、私は何をしていたと思う?」
「待っていてくれたと思います」
「あなたの服を一枚ずつ確認して、どれを着て出たのか調べていたの。水筒がないことも、原稿鞄がないことも確認したわ。それから、森へ行ったのか、川へ行ったのか、街道へ出たのか考え続けた」
母の指は、食卓の端に置かれた布を強く握っていた。かつてレイルの【未完】で祭礼布を完成させられなくなった時も、その手は傷ついていた。
「心配をかけないためだった、とは言わせないわ。あなたは、心配するための材料すら渡さなかったのだから」
「……はい」
「約束を守ったように見せるため、別のことをしてはいけません。あなたは止められるのが嫌で、報告を後へ回したのよ」
「はい。ごめんなさい」
リィナが木剣の柄を握った。
「おばさん、私も悪いです。止めようと思って追いかけたけど、途中から一緒に入りました」
「リィナは、最初に止めようと――」
「レイル」
彼女が短く名前を呼び、レイルの説明をそこで止めた。
「私の謝る分を取らないで。入るって決めたのは私だから」
レイルは口を閉じた。”責任を引き受けること”と”他人の責任まで奪うこと”は違う。バルドはリィナへ向き直った。
「アルセイル家には父さんから伝えておく。だが、リィナも自分でちゃんと話しなさい」
「はい。おじさんごめんなさい」
「二人とも、魔物と戦ったことを叱っているんじゃない。怖い場所へ行ったことだけでもないぞ」
大きな手が、食卓に置かれた古い地図を押さえた。
「何も言わずに消えたことを叱っている」
「……はい」
「怖いなら帰ってこい。逃げたなら、戻って謝れ。だが、どこへ行ったかも分からなければ、”帰る場所を守る”こともできん」
バルドは地図から手を離し、レイルとリィナの顔を正面から見た。怒鳴らない代わりに、二人が聞き逃せないよう一つずつ言葉を置いていく。
「お前たちは、まだ子どもだ」
「「……はい」」
「自分で考えるなと言っているんじゃない。考えたうえで、危ないかもしれないこと、失敗した時に自分たちだけでは責任を取れないことは、きちんと大人へ持ってこい。父さんでも母さんでも、エルシアさんでも、リィナの父さんと母さんでもいい」
「止められると思っても、ですか」
「止めるべきなら止める。それが大人の責任だ。話を聞いたうえで進められる方法があるなら、一緒に考える。頼ることを、逃げることと同じにするな」
「……分かりました」
「だが、子どもだから何をしても許されるわけじゃない。”駄目なことは駄目だ”。約束を破れば叱る。人に迷惑をかけたら謝る。壊したものや止めた仕事があるなら、できる形で返す。大人なら当然だ」
「はい」
「子供のお前たちだけでは責任を取りきれない。だから父さんたちも一緒に頭を下げる。だが、自分たちのしたことまで大人へ渡すな。そこは、お前たちが覚えなければならない」
「はい」
「大人を頼れ。勝手に消えるな。そして、駄目だと言われたことは、隠れてやるんじゃなく、なぜ駄目なのかを聞け。それでも駄目なら、今は我慢しろ。これが今回、父さんから言いたいことだ」
レイルは昨夜の自分を思い出した。玄関を静かに閉め、家族を起こさずに出た時、自分は前世より進んだつもりだった。準備だけで終わらず、行動できたと思った。
実際には止められる可能性から逃げただけで、”行動したこと”を”正しいこと”へすり替えていたのだ。そこまで認めた時、エルシアが椅子から立ち上がった。
「ふぅ、とりあえず左腕を出しな、バカ弟子」
レイルが差し出すと、エルシアは【万式魔導環】へ指を触れた。七つの環に走っていた淡い光が消え、黒銀の猫型だったニアも輪郭を薄くする。
『監督権限ニヨリ、貸与ヲ一時停止シマスにゃ』
「期間は?」
「今から聞くところがそこかい」
「返却条件が不明では、改善計画を――」
「まあ一か月さね。旧坑道への立入禁止。魔法訓練と剣の稽古は、家か私の小屋から見える場所だけ。勝手に森へ入ったら、次は三か月にしちまうからね」
「探索技術が低下する可能性が――」
「落ちたら、また積み直せばいいだけさ」
ニアの姿が完全に消えた。腕輪そのものはエルシアの手へ戻り、レイルの左手首には軽い感触だけが残る。バルドは話を罰と後始末へ移した。
「明日から、今日動いた人の仕事を手伝いなさい。畑の柵直し、薪運び、道具の手入れ。リィナもアルセイル家と相談して決める」
「分かりました」
「それから、全員へ自分の口で謝る。紙は使うな」
「謝罪内容を整理するための下書きは?」
「作るなとは言わん。だが、読むな。覚えなさい。ちゃんと相手の顔を見て話すこと」
レイルは頷き、次に自分が処理すべき物へ考えを進めた。
「旧坑道の地図は破棄します」
「それは駄目だね」
その提案を、エルシアが即座に止めた。
「失敗した記録まで捨てたら、次も同じ場所で転ぶ。地図は残しな。ただし、魔物の位置より大きく書くことがある」
「何をですか」
「今回、お前が起こしたことだよ」
その夜、レイルは机へ地図を広げた。入口、分岐、粘体の痕跡、洞窟鼠の糞、灰羽蝙蝠の群れ。細かく書いた記号の下へ、赤い筆で新しい一文を加える。
【無断進入による捜索発生】
文字は魔物を示す印より大きくしたが、それでも足りない気がして、さらに続ける。
【自警団二名、家族三名の仕事と時間を消費】
【帰還予定共有なし】
【探索結果:失敗】
最後の一行を書いた時、背後で扉が開き、エナが温かい布を持って立っていた。
「お風呂へ入りなさい。泥が乾いてしまうわ」
「記録を終えてから――」
「今日、終わらせるべきなのはそれではありません」
母の声は優しかったが、逃げ道はなかった。レイルは筆を置いた。記録を途中で止めることへ抵抗はあったが、今やるべきことを増やして本来の行動を先送りするのは、もう準備とは呼べない。
「分かりました」
「明日は一緒に謝りに行きましょう。でも、話すのはあなたよ」
「はい」
地図の赤い文字はまだ乾ききっていなかったが、レイルはそれを机へ残し、母と一緒に部屋を出た。
色々な思いが頭をめぐり、その日はあまりよく眠れなかった――。
叱られた理由は、危険へ挑んだからではなく、帰る場所へ判断材料を残さなかったからでした。
地図には初めて、魔物ではなく自分が起こした危険が記録されます。
次回、一か月の禁止期間を終えた二人へ、管理された探索の条件が示されます。




