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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第3章「旧坑道の慎重勇者」

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第30話「計画どおりに逃げない」

罠も配置も正しくても、魔物が予定した方向へ動く保証はありません。

最初の実戦でレイルが学ぶのは、作戦の続きを考える前に、まず身体を動かすことでした。


 レイルたちと対峙した角兎(つのうさぎ)は逃げるのではなく、前へ飛んだ。地面を蹴った灰色の身体が、短い角をレイルの腹へ向けて一直線(いっちょくせん)に迫ってくる。


 レイルは右壁へ投げるはずだった小石を握ったまま、次の行動を探した。計画では角兎が音に驚き、左へ跳ぶ。正面から突進した場合の対応は、リィナが入口側にいることを前提としていない。条件が違う以上、作戦を組み直さなければならない。


「レイル!」


 リィナの声が、思考を切った。


 身体を横へ動かす。朝の稽古で繰り返したとおり、足を交差させず、地面から目を離さず、それでも敵の肩と腰を見る。だが、革鞄(かわかばん)の重さが動きを遅らせ、角は服の端を掠めた。完全には避けられないと判断した瞬間、リィナが間へ入った。


 木剣を大きく振りかぶらず、身体の近くから短く差し出す。剣の平が角の側面(そくめん)へ当たり、正面へ向いていた力を斜めへ滑らせた。角兎は壁へ衝突する寸前で脚を捻り、石壁(いしかべ)を蹴って向きを変える。リィナはそこで振り抜かず、剣を戻すより先に左足を引き、角兎とレイルの間へ再び立つ。朝に教わった動きを、狭い坑道(こうどう)で使える形へ変えていた。


「入口を塞いで!」


 今度はリィナが指示を出し、レイルは計画との差を考えず、入口側へ一歩動いた。角兎が逃げようとすれば、真正面には自分がいる。脅せば奥へ向かう可能性もあるため、完全に道を塞いではならない。


 小石を角兎の耳の横へ投げると、石が壁で鳴り、その視線(しせん)僅か(わずか)に逸れた。


「今だ!」


 リィナが踏み込み、角兎へ当てるためではない横払い(よこばらい)で、その左側の空間を塞いだ。木剣が壁へ触れる前に動きを止め、空いた入口方向へ(つか)を向ける。


 角兎は二人の間を抜け、(ひづめ)の音を遠ざけながら外の光へ走った。静けさが戻ってからも、リィナはすぐに木剣を下ろさなかった。入口、奥、足元を順番に見て、二匹目がいないことを確認する。レイルも短杖(たんじょう)の灯りを周囲へ向け、壁の亀裂(きれつ)や別の影を探した。


『周辺ノ移動反応、検出ナシデスにゃ』


 ニアの報告を聞いて、二人はようやく息を吐いた。


「逃げた」


 リィナはまだ下ろしていない木剣を見つめ、手首へ残る痺れを確かめた。


「作戦は失敗した」

「追い出せたよ」

「正しい次の手を考えている間に、僕は止まった。あのままなら、リィナがいなければ角の攻撃を受けていた」

「正しくなくても、”まず避ければいい”んだよ。避けた後で考えれば、次もあるから」


 リィナの答えは単純だったが、実戦(フィールド)の最中にはその単純なことができなかった。完璧な修正案を作るより先に、間違っていても生き残れる一歩を選ぶ。その一歩を作るために、彼女の剣があった。


「当初の配置も、投石(とうせき)位置も使えなかった。角兎の初動を読み違えた」

「でも、最後は入口から出たでしょ」

「それはリィナが即座に対応したからだ。僕は最初の数瞬、動けなかった」


 レイルは自分の服を確認した。腹の横に細い裂け目(さけめ)があるが、皮膚(ひふ)には届いていない。角があと指一本内側なら、怪我をしていた。


 記録紙を取り出そうとすると、リィナがその手首をつかんだ。


「先に身体」

「負傷はない」

「服が切れてる。自分で見えないところも確認する」

「ここで脱ぐ必要は――」

「背中を見るだけ!」


 レイルは革鞄を下ろした。背中と脇腹へ傷がないことをリィナが確認し、次にレイルがリィナの腕を見る。木剣で角を流した時、手首へ衝撃が伝わったはずだ。


「痛みは?」

「少し痺れたけど、もう平気」

「指を順番に動かして」

「一本、二本、三本、四本、五本。ほら」

握力(あくりょく)は?」

「レイルの腕で試す?」

「必要ない」


 真顔で断ると、リィナが笑った。緊張が解けたのだろう。笑った後、彼女は木剣を握り直し、先ほどの動きをゆっくり再現した。


「こうやって、角を止めるんじゃなくて横へ流した。最後まで振らないで、すぐ次へ戻った」

「有効だった。力で受けていれば木剣か手首が負けていた可能性が高い」

「稽古、役に立ったね」


 レイルは先ほどの動きを頭の中で追い直した。最初の横払いを最後まで振り切らず、角兎が壁を蹴った時にはもう左足を引いていた。剣を一度の攻撃として終わらせず、次に必要な位置へ身体ごとつないでいる。まだ形の決まった剣技(けんぎ)ではないが、草地で何度も繰り返した基礎が、予定外の状況で別の働きをしたのだ。


「リィナの判断が速かったからだ」

「褒めてる?」

「事実を言っている」

「じゃあ、もう一回言って」

「再現確認は必要だが、角兎を探して同じ状況を――」

「そうじゃない!」


 リィナの木剣の柄がレイルの(ひたい)へ向かいかけ、途中で止まった。実戦後に余計な打撃を加えない判断らしい。


 レイルは記録紙を広げ、起きたことを順番に書き込んだ。


初動予測(しょどうよそく):失敗】

【角兎が正面突進】

【計画修正前に身体停止】

【リィナが木剣の平で角度変更(かくどへんこう)

【投石で注意誘導(ゆうどう)

【入口方向へ撃退】

【負傷なし】


 最後に【作戦失敗】と書いたところで、リィナが横から覗き込み、その文字を指で叩いた。


「これ、違うんじゃない?」

「当初作戦は成立していない」

「目的は、角兎を追い出して、二人で帰ることだったよね」

「まだ帰っていない」

「じゃあ、帰ったら成功に直して」


 レイルは筆を止めた。”作戦の手順”と”目的”を同じものとして扱っていた。決めたとおりに進まなかったから失敗なのではない。”目的を失わず、手段を変えられたかどうか”が重要なのだ。


「【手順変更】に修正する」

「うん」

「成功かどうかは”帰還後”に確定する」

「そこはレイルらしいね」


 記録を終え、二人は入口方向へ向かった。


 しかしレイルは、先ほど角兎が飛び出してきた暗がり(くらがり)へ目を向ける。地図にない分岐の手前までしか進んでいない。角兎がどこに潜んでいたのか、他の個体がいるのか、逃走経路(とうそうけいろ)は安全か。確認しておくべき項目が残っている。


「入口から二十歩だけ追加確認する」

「帰るんじゃないの?」

「角兎が入口側に巣を持つなら、帰路(きろ)で再接触する可能性がある。安全な帰還のための確認だ」

「時間は?」


 レイルは砂時計(すなどけい)を見た。予定滞在時間にはまだ余裕がある。


「砂が半分落ちるまで。それ以上は進まない」

「怪我があったら?」

「即時撤退」

「分かった。私が前」


 リィナは、先ほど角兎がいた場所へ戻った。


 泥の上には、蹄跡が二方向へ伸びている。一つは入口へ。もう一つは壁際の狭い亀裂へ続いていた。亀裂は子どもでも通れないほど細いが、その奥から冷たい空気が流れている。


「ここから出てきたのかな」

「角兎なら通れる。別の空洞につながっている可能性がある」


 レイルが灯りを近づけると、亀裂の下に透明な粘液(ねんえき)付着(ふちゃく)していた。

 水ではない。油のように光を反射し、ゆっくりと石の表面を流れている。

 奥から、濡れた布を引きずるような音がした。


『未知ノ移動音ヲ検出シマシタにゃ』


 リィナが木剣を身体へ引き寄せる。


「あと二十歩、行く?」


 レイルは砂時計と亀裂を見比べた。


「音の発生源だけ確認する。接触は避ける」

「それ、二十歩で終わる?」

「終わらせる」


 言い切って、レイルは灯りを前へ向けた。

最初の作戦は崩れましたが、目的まで捨てる必要はありません。

リィナは「止める剣」ではなく、敵の向きと次の間合いを作る剣を使い始めました。

次回、水、音、匂いを読みながら進んだ二人は、帰還予定時刻という別の危険を見落とします。

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