第28話「やっぱり尾行していた幼なじみ」
一人なら荷物は減る。二人なら危険が増える。
そう計算したレイルへ、リィナは「前を見られる人も増える」と答えます。
村の家々が朝靄の向こうへ沈み始めた頃、レイルは三度目の休憩を取っていた。
自宅からの出発からまだ半刻も経っていない。革鞄の紐は両肩へ食い込み、腰に結んだ水筒が歩くたび膝へ当たる。荷物を減らしたはずなのに、縄と薬瓶と予備灯が増えた分、昨日の試算より重くなっていた。
道端の石へ鞄を下ろし、肩紐の長さを調整する。短くすれば荷物は身体へ密着するが、原稿へ圧力がかかる。長くすれば重心が後ろへ流れ、坂道で転びやすい。
『移動速度、予定値ノ五十八パーセントデスにゃ』
ニアはレイルの肩の高さを歩くように浮かび、尾へ予定時刻との差を表示していた。
「安全確認に必要な時間を加算すれば、許容範囲だ」
『予定表ニハ加算サレテイマセンにゃ』
「現地で速度を調整する」
『予定表ノ意味ヲ再検討スル必要ガアリマスにゃ』
レイルは返答せず、鞄の底から補助紐を出した。胸の前で結べば肩への負担を分散できる。結び目を二重にし、緩みがないか三度引いた時、背後の茂みから乾いた音がしたため、すぐに短杖へ手を伸ばした。
茂みの高さは腰ほど。風は村側から吹いているため、匂いでは判断できない。枝が揺れた位置から考えると、角兎より大きい可能性がある。
「出てこい。僕は武器を持っている」
「知ってる。昨日、木剣で十三回負けたもんね」
茂みから現れたのはリィナだった。「リィナ!?」
腰にはいつもの木剣。背にはレイルのものより大きな布袋があり、口元にはすでに半分になった丸パンを持っている。朝の早い時間にもかかわらず、髪はきちんと高い位置で結ばれ、剣術稽古へ向かう時と同じ格好だった。
「なぜここにいるんだ」
「尾行したから」
「質問への答えになっていない」
「勝手に行ったら怒るって言ったでしょ」
「だから、見つからないように出てきたんだが」
「余計に怒るところ!」
リィナは残りのパンを口へ入れ、噛み終えてからレイルの鞄を指差した。
「それ、持ててないよ」
「持てている。移動速度が想定より低いだけだ」
「予定どおり歩けてないじゃん」
「現地で歩けなくなるより、出発前に判明した方が安全だ」
「出発してから判明してるくせに!」
ニアの尾に【指摘一致】という表示が灯った。
「余計な表示は不要だ」
『事実ノ補助デスにゃ』
レイルは鞄を背負い直し、村へ戻る方向を示した。
「リィナは帰ってくれ。同行者が増えれば必要物資、負傷可能性、移動速度の差、救助方法を再計算しなければならない」
「じゃあ計算してよ、もう来ちゃったし」
「今からでは予定時刻に間に合わない」
「もう遅れてるじゃん」
「だから人数を増やせない」
リィナは自分の布袋を開いた。
中には丸パン、干し肉、焼いた芋、塩を振った豆、蜂蜜菓子が詰まっている。探索用の食料というより、小さな宴会を開けそうなほどの量だった。
「自分のご飯は持ってきた。水もある。包帯と火口箱も、お母さんの棚から借りた」
「借りる許可は?」
「帰ったら言う」
「それは僕と同じ問題では?」
「……そこは一緒に怒られよっか」
即座に認められると、レイルは反論しにくい。
「前は私が見る。敵が近くに来たら木剣で止める。レイルは後ろと横と地図を見て。二人なら、”一人より見えるところが増える”でしょ?」
「守る対象も一人増えるんだよ」
「私もレイルを守るから、二人増えるよ」
「人数としては二人のままだ」
「そういう話じゃないって!」
リィナは腰の木剣を抜き、朝靄の向こうにある山道へ切っ先を向けた。
「一人で行くなら止める。一緒に行くなら、帰る時も一緒。どっちにする?」
「第三の選択として、ここで中止して家へ――」
「それなら私も帰るだけ」
正しい選択肢が提示されている。”今すぐ家へ戻り、父と母とエルシアへ相談すべきだ”。それはレイルにもわかっていた。
しかし、旧坑道へ向かう決意を一度止めれば、また準備だけの日々へ戻る気がした。実戦が必要だという判断まで、間違いだったことにしてしまいそうだった。それは、前世で繰り返した過ちに近い。レイルはそれが嫌だった。
「表層だけだ」
「うん」
「入口から百歩以内。滞在は一刻。怪我が出たら即座に戻る。未知の分岐へ入らない。原稿鞄から離れない」
「うん」
「リィナは、必ず僕の指示へ従うこと」
「それは内容による」
「条件として成立しないだろ」
「レイルが固まったら、私が決める。危ない時に相談してる時間なんてないから」
レイルは少しだけ考えた。計画と判断の最終権限を自分が持たなければ、予想外の行動が増える。一方で、角兎の突進へ対応する速さはリィナの方が上だ。昨日の稽古だけでも、それは認めざるを得ない。
「戦闘中の即時判断はリィナ。撤退と全体の進行は僕が決める」
「分かった」
「勝手に奥へ進まない」
「レイルもね」
「僕は進行管理担当だ」
「自分だけ例外にしないの」
条件を付け足されることへ不満はあったが、内容は正しい。レイルは紙を一枚取り出し、その場で役割を書いた。
【リィナ】
【前方確認】
【近距離への対応】
【緊急時の即断】
【レイル】
【地図】
【後方・側方確認】
【照明・投石・退路】
【撤退判断】
最後へ【互いの無断行動禁止】と加えた。
「これでいい」
「手をつなぐ、は?」
「そんなの書いていない」
「暗いところで位置を見失わないために必要なんじゃなかったの?」
「それは坑道内の視界次第で検討する」
「顔、赤いよ」
「歩行による体温上昇だ」
「まだほとんど歩けてないじゃん」
リィナの木剣の柄が、レイルの額へ軽く当たった。
ニアが二人の間へ浮かび、役割表を読み取る。
『同行者追加ニヨル移動計画ノ再計算ヲ開始シマスにゃ』
「判断は代行しないのでは?」
『到着予測ト荷重配分ノ計算デスにゃ』
表示された結果では、現在の装備を持ったレイルは、坑道へ着く前に休憩をあと四回必要としていた。
リィナはレイルの鞄から縄と予備灯を取り、自分の布袋へ入れた。代わりに食料を渡されるのかと思ったが、一つも移さない。
「食料は共有しないのか?」
「これは私の必要分」
『推定消費量ト照合。概ネ妥当デスにゃ』
「ニアまで?」
『戦闘前ノ栄養不足ハ危険要因デスにゃ』
「ほら」
リィナは得意げに胸を張った。
荷物を分けたことで、レイルの歩行は安定した。山道へ入る頃には日が昇り、朝靄の向こうから湿った土と若葉の匂いが流れてくる。
道の途中、リィナは木剣を抜いて短い動きを確かめた。大きな振り下ろしではなく、肩の高さからの横払い、剣の平を使った受け流し、踏み込んだ後にすぐ戻る足運び。草地での稽古と違い、根や石を避けながら行うため、時折足が流れる。
「左足が外へ向いている」
「見てたの?」
「転倒の可能性がある」
「剣の方は?」
「振り切った後に右側が空いている」
「当たれば終わるよ」
「当たらなかった時に終わるのは、こちらかもしれない」
リィナは口を尖らせたが、次の横払いでは途中で力を止め、すぐに剣を身体の前へ戻した。
「これなら?」
「さっきより次へ動きやすい」
「じゃあ続ける」
褒めたつもりではなかったが、リィナの歩調は少し軽くなった。やがて山腹の木々が途切れ、崩れた岩壁の下に黒い穴が口を開けていた。古い木枠は半分が腐り、入口の上へ刻まれた鉱山名も苔に覆われている。
【エルデ旧坑道】
レイルは地図と実際の地形を見比べ、入口へ近づく前に足を止めた。
泥の上に、複数の足跡がある。
細い四本指。小さな蹄。人間の靴跡。それらに混じり、掌ほどの幅がある丸い跡が、森側へ続いていた。
「大きいね」
「古い。縁が崩れ、昨日の雨が中へ溜まっている。少なくとも今朝のものではない」
「じゃあ入る?」
レイルは入口、その上の岩、足跡、風向きを順番に確認した。引き返す理由も、進む理由もある。そして今回は、”一人ではない”。
「表層だけ確認する」
「決まり」
リィナはレイルより半歩前へ出た。
「私が前を見る。レイルは後ろと横ね」
”出発前に決めた役割”を、彼女は忘れていなかった。
同行者が増えれば危険も増えますが、見える範囲と助けられる手も増えます。
リィナは力任せに振り切らず、次へ動ける剣を意識し始めました。
次回、角兎一匹を想定したはずの装備が、引っ越し荷物へ変わります。




