第27話「魔法を使わず生き残るために」
魔法の訓練と並行して、レイルは毎朝リィナの木剣稽古に付き合わされていました。
昨夜、旧坑道の地図を見つけたことで、転ぶ、避ける、足場を見るという基礎が、初めて実戦へつながります。
七歳になった翌朝、レイルは朝の日課である【種火】を一回だけ唱え終えると、家へ戻る間もなく村外れの草地へ連れていかれた。
連れていったのは、木剣を二本抱えた幼馴染のリィナである。
彼女との剣の稽古は、今日になって突然始まったわけではない。もとより幼少の時から、木剣ごっこには付き合わされていたが、エルシアの基礎修行が本格化してからというもの、魔法の訓練を終えたレイルは、ほとんど毎朝のようにリィナの稽古へがっちりと付き合わされていた。
最初に木剣を押しつけられた時、レイルは剣士になる予定がないと断った。するとリィナは、「魔法が使えない時はどうするのよ」と言い、返事を待たずに打ち込んできた。それ以来、受ける、避ける、転ばずに下がるという地味な練習が、レイルの日課へ勝手に組み込まれてしまった。
昨日までのレイルにとって、それはリィナの鍛錬へ付き合わされている時間だった。
だが、昨夜、父の道具箱から【エルデ旧坑道】の地図を見つけてから、その意味が変わっていた。
坑道の中では、平らな石台も、安全確認用の白線も、決められた位置へ立つ蝋燭も用意されていない。足元は崩れ、天井は低く、魔物は詠唱が終わるまで待たない。短杖を落とすか、灯りが消えるか、最初の一撃で姿勢を崩せば、【種火】を何百回成功させていても役には立たない。
リィナに付き合わされてきた木剣稽古は、”旧坑道へ入るために必要な訓練”だったのだ。
もちろん、その目的を本人へ話すつもりはなかった。
朝露の残る草地で、リィナの木剣がレイルの肩口へ滑り込んだ。強く打たれたわけではない。剣先は服へ触れる寸前で止まり、代わりに足元を払うような踏み込みが続く。レイルは教えられたとおり半歩だけ後ろへ退いたが、踵が地面へ着く前に体勢を崩し、尻から草の上へ尻もちをついた。
「今ので十二回目」
「十一回だ。三回目は木剣が触れていない」
「転んだら同じでしょ」
「被撃と転倒は原因が違う。記録を分けなければ改善点を――」
木剣の先が、レイルの鼻先へ向いた。
「いいから、立って」
説明を続けても稽古は進まない。レイルは差し出された木剣へつかまらず、自分の膝へ手を置いて立ち上がった。短い柄を握り直し、右足を僅かに引く。構えだけなら稽古を始めた頃より形になっているはずだが、リィナの視線は彼の剣ではなく足元へ落ちていた。
「後ろへ逃げる時、足を交差させない。石があったら転ぶよ?」
「だから先に地面を確認している」
「私を見ないで地面ばっかり見てるから、剣が避けられないんだってば」
「相手と足場を同時に確認しなきゃいけないのか?」
「そう。あと、剣と肩と腰も」
「確認対象が多すぎる!」
「戦ってる相手は、レイルの確認が終わるまで待ってなんてくれないよ」
そういわれると、レイルは口を閉じた。それは魔法の訓練で何度も言われたことに似ている。始動、形成、結着。対象、周囲、消火手段。確認は必要だが、確認している間にも炎は揺れ、風向きは変わる。剣では、その変化がもっと速いのだ。
旧坑道へ入れば、目の前の危険へ対応しながら、足場や退路まで同時に見なければならない。そう考えると、リィナの無茶な要求にも実戦的な意味があった。
「さ、もう一度」
リィナが木剣を構える。振り上げた剣を力任せに落とすのではなく、肩の高さから短く打ち込み、レイルが受けた瞬間には次の位置へ足を置いていた。稽古を始めた頃の彼女なら、当たると確信した一撃を最後まで振り抜いていただろう。今は木剣を止め、身体を流さず、次に動ける場所へ戻っている。
エルシアから「強く振るより、次に立てる場所へ足を置け」と教えられて以来、リィナも力任せの剣から少しずつ変わっていた。
レイルは木剣を斜めに合わせた。正面から受ければ腕が負けるため、剣の表面を滑らせるように力を外へ逃がす。だが、受け流したことへ安心した瞬間、リィナの左足が前へ出た。剣の柄が胸元へ触れ、また一本を取られる。
「剣を止めても、私まで止まったとは思わないでねっ!」
「今のは剣技ではなく、柄で押しただけでは?」
「使えるなら何でもいいの!」
「正式な剣術体系として再現できる動きなのか」
「わざわざ名前がないと避けられないの?」
反論する前に、木剣がもう一度来た。レイルは受けるのを諦め、身体ごと横へ動く。剣先は袖を掠めたが、初めて転ばずに間合いの外へ出られた。
坑道で魔物の攻撃を受けた時も、反撃より先に生き残れる位置へ動かなければならない。レイルは旧坑道の狭い通路を思い浮かべ、草地の石を崩落した岩へ置き換えながら足を運んだ。
「今のは良かった」
「反撃はできていないぞ」
「避ける稽古なんだから、避ければ終わり。勝手に次の課題を足さないの」
今まで何度も言われた言葉を返され、レイルは木剣を下ろした。
石垣の上では、黒銀の猫型ホログラムとなったニアが前脚を揃えている。レイルの左手首にある【万式魔導環】から投影された姿であり、環状の尾には稽古の回数と脈拍が表示されていた。
『規定回数、終了シテイマスにゃ』
「最後の一回だけ、成功した動きを再確認したい」
『追加稽古ハ非推奨デスにゃ』
「剣の判断までできるのか?」
『脈拍、呼吸、腕部疲労ヲ照合シタ結果デスにゃ。剣技ノ選択ハ代行シマセン』
ニアの横には、空になった朝食籠が置かれていた。リィナは稽古の合間に丸パン三個と干し肉を食べ終え、最後に残った焼き芋を半分へ割ってレイルへ差し出した。
「食べる?」
「それはリィナの訓練後補給でしょ?」
「まだ家に帰ればあるから」
『摂取量ハ同年代推定ノ二・六倍デスにゃ』
「もー、今日も数えるの?」
『身体活動量トノ照合ニ必要デスにゃ』
「私は十分運動してるから大丈夫」
『自己申告ノ信頼性ヲ検証中デスにゃ』
リィナがニアの頭を撫でると、黒銀の耳が僅かに伏せられた。
『接触ニヨル演算効率ノ向上ハ確認サレマセンにゃ』
「でも逃げないよね」
『表示位置ノ固定ヲシテイルダケデスにゃ』
レイルは焼き芋を受け取りながら、草地の先へ目を向けた。畑の向こうには森があり、そのさらに奥では、崩れた山肌が朝日に白く照らされている。父の古い地図に記されていた【エルデ旧坑道】は、あの斜面の下にある。
毎朝の稽古を旧坑道の状況へ置き換えて考えるほど、自分に足りないものが見えてくる。相手の動きには追いつけず、使える魔法は【種火】だけ。短杖を失えば、その一つさえ安定しない。【未完】は保持対象を選べず、自作小説へ預けているだけだ。
何か一つ予定から外れれば、自分はすぐ動けなくなる。だからこそ、”予定どおりにならない場所”で試す必要があると、レイルは考えていた。
「まーた考え込んでる、悪い癖だよねそれ」
リィナが横から顔を覗き込み、山の方へ向いていたレイルの視線を追った。
「剣の反省です」
「嘘。......山の方を見てた」
「地形を確認していただけだ」
「――何のために?」
レイルは答えず、焼き芋を食べた。甘さが口の中へ広がる間に、返答を組み立てようとしたが、リィナは待たない。
「旧坑道?」
「う、なぜ分かった」
「昨日、窓から地図が見えたから」
机の下へ隠すところまで見られていたらしい。レイルは、地図を発見される可能性は想定していたものの、発見した相手が何も言わず翌朝まで待つ可能性を計算へ入れていなかった。
「まさか、入るつもりなの?」
「表層の状態確認だけだ。正式な探索をするわけじゃない」
「先生とおじさんたちには?」
「危険度を確認してから報告する。何もなければ、不必要な心配をかけずに済むだろ」
リィナの表情から、笑みが消えた。
「それ、帰ってから言うってこと?」
「結果が安全なら――」
「帰らなかったら、どこを探せばいいの?」
レイルは言葉を失った。魔物、落盤、毒、負傷。旧坑道で起こり得る危険は何十個も書き出していた。しかし、自分が帰らない時に、家族がどこを探すかという条件を、準備表へ一度も書いていない。
「入ること自体が危険だから、先に確認して――」
「だから、その確認を誰にも言わずにやるんでしょ?」
「止められる可能性が高い」
「止められる理由があるってことじゃないの?」
正しいからこそ、レイルは答えを作れなかった。
リィナは木剣を腰の紐へ差し、空になった籠を抱える。
「勝手に行ったら怒るからね」
「行くとは言っていない」
「言ってないね。私は、勝手に行くなって言ったの」
そう告げて、彼女は村の方へ歩き出した。レイルはその背中を見送り、自分の準備表に欠けているものを考える。同行者、行き先の共有、帰還予定時刻。必要なのは分かっている。だが、正式に年長者に相談すれば旧坑道へ入ること自体を禁じられるだろう。
いまは、【未完】を使わず生き残る力が必要なのに、その力を得るための実戦へ進めない。
前世の自分なら、そこで新しい計画を作り直し、準備だけを何か月も続けていた。
今世では、準備を終えて行動する。
その決意が、”誰にも言わずに行く理由”へすり替わっていることに、レイルはまだ気づかないふりをした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その夜、家族が寝静まった後も、レイルの机には小さな灯りが残っていた。
旧坑道の地図を広げ、入口から百歩以内だけを確認範囲として赤線で囲む。滞在時間は一刻。予備時間は半刻。縄、短杖、油灯、小刀、火口箱、応急処置布、水筒、方位板、呼子笛、携帯食。自作小説は防水布へ包み、革鞄の底へ固定する。
持ち物を書き出すほど、必要な物は増えていった。
「毒の種類が不明なら、解毒薬は最低四種……」
森で採取される一般的な毒草、洞窟鼠の咬傷、鉱石性の粉塵、未知毒。四本の小瓶を並べたところで、机の端に座るニアの尾が左右へ揺れた。
『探索許可ノ記録ガ存在シマセンにゃ』
「うるさい。これは探索ではない。入口と表層の状況確認だ」
『目的名ノ変更ニヨル危険度低下ハ確認デキマセンにゃ』
「危険度を確認するために行く」
『論理ノ循環ヲ確認シマシタにゃ』
「判断は使用者の担当だったはずだ」
『選択ハ代行シマセン。警告ヲ記録シマスにゃ』
「エルシアへ即時通知する機能は?」
『遠距離通信領域ハ未解放デスにゃ』
「なら問題ないな」
『問題ガ存在シナイ、トハ報告シテイマセンにゃ』
レイルは最後の小瓶を布へ包み、革鞄へ詰めた。荷物は七歳児が日帰りで運ぶ量を明らかに超えているが、危険が一つでも起これば、その一つが被害者にとっては百パーセントになる。
椅子から立ち上がろうとして、鞄の重さに肩を引かれた。
よろめいた足で机を支え、音が出る前に体勢を戻す。
『荷重超過ヲ確認シマシタにゃ』
「現地で不足が判明するより、出発前に分かった方が安全だろ?」
『出発不能ノ可能性ガ上昇シテイマスにゃが』
レイルは三日分あった携帯食を一日半分へ減らした。自分一人なら、それで足りる。
だが、リィナに見つかった場合を考え、蜂蜜を固めた菓子だけは元へ戻すことにした。
「予備だ」
『同行者ノ想定デスかにゃ』
「最悪を想定しただけだ」
ニアはそれ以上追及せず、環状の尾へ【警告記録:一件】と表示した。
夜明け前、レイルは両親を起こさないよう、革鞄を背負って家を出た。
玄関の扉が閉じる直前、二階の窓から小さな影が飛び降りる。
”気づかなかったのはレイルだけ”だった。
今回の課題:実戦へ進むことと、相談を省くことは同じではありません。
リィナは剣の基礎、レイルは受け流しと回避を学び始めました。
次回、隠密行動は、最初から尾行されていた幼なじみによって終わります。




