第191話「敗者を拾う者、使う者」
守るために力が必要でも、その力を誰が使うかは別の問題です。
善意だけで決めれば負担を隠し、契約だけで決めれば人を数字へ変えてしまうことがあります。
角笛が鳴った翌朝、牙冠王の交易都市へ2組の客が入った。
1組目は、王核大陸の荒野を歩いてきた虎獣人だった。
黄褐色の毛皮に黒い縞、2メートル近い長身。裂けた左耳と赤銅色の目は以前と変わらず、背には厚い片刃の長刀、腰には鉤縄がある。ラガン・ティグリスは門衛へ短い挨拶を返すと、広場の食卓より先に調査隊を見つけた。
2組目は、灰色の礼装をまとった人間の一団である。
中央を歩く痩身の男は40代前半。暗い栗色の髪を後ろへ撫でつけ、胸元には宝石ではなく複数都市の契約印を下げている。右手には剣ではなく細い計算杖、左手には封印された契約書の筒。
【灰環盟約】戦略交易評議員、ヴェリク・マルカート。
白環旧交易塔へ迫る武装勢力を前に、封印派に近いラガンと、利用派のヴェリクが同じ都市へ呼ばれた形だった。
「よおご両名。久しいな」
ラガンはレイルへ言った後、リィナの腰へ視線を落とした。
「ふむ。剣が違うな。腰の位置も、抜く前の肩の沈み方も前と違う」
「愛剣は炉都で再鍛造中だよ。これは借り物。軽い分、踏み込みを合わせ直してるところ」
「借り物だからと言い訳はせんのだな。むしろ、重さが変わった分だけ余計に前へ出たがっているようだ。――成長したな」
ラガンの赤銅色の目が楽しそうに細まり、リィナも柄へ手を添えた。
「そこまで分かるなら、いっそ試してみる?」
「よきかな。だが朝飯の後だ。空腹で勝っても負けても、剣のせいか腹のせいか分からん」
「それ、なんだかガズルに似てきたね」
リィナはすぐに頷いた。
ラガンはレイルの右腕も見る。
「お前その腕、壊したか」
「断裂はしていない。六件目の保持と発射順変更で経路に炎症が出た。昨日より痛みは――」
「そこまで聞いていないぞ、相変わらずだなお前は」
ラガンは呆れたように鼻を鳴らし、吊り帯の跡が残る肩を一度見ただけで視線を戻した。
「顔を見れば大体分かる。新しいことを試した。思ったより壊れた。それでも道具と仲間は持って帰った。違うか?」
「大部分は合っている。ただ、失敗したままではなく、破損理由までは――」
「そうやって説明を足せるなら、まだ元気だな。なら次は、壊す前に止まる理由も覚えろ」
ラガンの口元が少しだけ上がる。
「ふ、紙より先に身体へ書けたな」
ヴェリクは再会をひとしきり楽しんだ後、食卓の反対側へ席を取った。
ガズル、ラガン、ヴェリク、調査隊の主要メンバーが長机を囲む。昨日のような料理ではなく、硬いパン、豆の煮込み、干し肉という簡素な朝食だった。
誰も食べ終わる前には契約書を開かない。ガズルの国へ入った以上、ヴェリクもその規則へ従った。
食後、ヴェリクは自分の契約筒を机へ置く。
「先に状況を共有します。旧交易塔へ向かっているのは、【四極魔王】ガルヴァドの移動戦団です。斥候27、主戦力8、本人を含めて総数36。塔を破壊するのではなく、確保する配置です」
「目的は何だブヒ?」
ガズルが問う。
「塔が持つ旧白環中継機能の軍事転用。四方向同時射撃の照準補助、負傷兵の再配置、魔力炉の補給中継。彼の戦団にとって価値が高い」
「止めるなら、こちらが払う費用はどれだけだブー?」
「灰環側が結界技師12名、避難輸送車20台、食料3日分を供出できます。ただし条件があります」
ヴェリクは契約書を開いた。
「レイル・アルヴァートの固有律およびオムニアを、非常時の共同抑止力として登録すること。使用には本人、灰環評議会、現地共同体代表の3者同意。登録期間は2年。更新には再審議」
リィナの手が剣の柄へ動いた。
「今の説明、結局はレイルを『必要な時に使う』って契約に聞こえるんだけど。本人が人間でも、書面の上では兵器と同じ棚に置くつもりなの?」
「所有とは言っていませんし、そうするつもりもありません。私が提案しているのは、共同体が危険を負担する代わりに、要請手順と拒否手順を事前に決める契約です。本人の拒否権も明記します」
「でも戦争中に『嫌だから行かない』って言ったら、困る人は出るよね。そこで結局、拒否できない空気を作るんじゃないのこれ」
リィナの声は鋭いが、ヴェリクも目を逸らさなかった。
「だから、拒否した時の代替案と費用まで契約へ入れるのです。拒否だけして負担を他者へ投げる制度にも、負担したから本人を所有できる制度にもしたくない。綺麗ではありませんが、私は綺麗さより、誰が何を払うかを見える形にしたい」
ヴェリクの声は落ち着いている。
不利な条件も隠さず、レイルが断った場合に支援物資が減る可能性まで書面へ記載していた。
嘘がないからこそ、単純に悪意として退けにくい。
「塔を守る支援と、俺の登録を同じ契約へ入れる理由は?」
レイルが尋ねる。
「今回、3都市が輸送を負担し、2つの国境集落が避難路を開けます。白環塔を封印した後、その危険を誰が管理するか決まっていない。あなたは塔の完成権を止められる。ガズル王は王域を持つ。ラガンは封印派の監視を担う。負担した共同体が、次の危機にも発言権を持つ仕組みが必要です」
「俺が拒否した場合、避難車を引き上げる?」
「全ては引き上げません。既に危険が迫っている住民を担保にはしない。ただし技師12名のうち8名、予備魔力槽の半数は別任務へ回します。こちらにも守る地域があります」
リオンが同行していれば、金貨と命令権の話で真正面から争っただろう。今はセレネが契約書の条項を追い、フィアが数字と実際の供出物を照合している。
「利用登録を受ければ、灰環側は次の2年間、レイルの安全と外部保持媒体研究へ資源を出すのですね」
セレネが問う。
「はい。監視だけを押しつけるつもりはありません。保護費、研究費、移動費までこちらで負担する。その代わり、危機時の要請手順へ参加する権利を求めます」
「つまり、金を出した分だけ研究成果や本人の力へ口を出す」
「負担割合に応じた審議席です。使用権の独占ではありませんし、本人の拒否条件を上書きする席にもさせません。そこは契約文へ明記します」
ラガンが腕を組んだ。
「審議席を増やすほど、最後に本人の声が小さくなる。周りが全員『必要だ』と言えば、拒否権なんぞ紙の上だけの話になるぞ」
「一人の善意だけで世界の危険を決めるよりはましです。ですが、その指摘は認めます。だから本人席を一票ではなく、拒否条件そのものとして置く案も検討しています」
「選ぶ前から制度で囲むな、と言っている」
「囲わなければ自由、とは限りません。空白を置けば、白環か人間国家が先に囲う。私はその現実を無視して、何もしないことを自由とは呼べないのです」
ラガンの赤銅色の目が細くなる。
「だから、他に囲われる前に自分たちで囲う、と。言葉が違うだけでも、檻は檻だろう」
「自由は高価です。護衛も食料も研究も、誰かが払わなければ続かない。そして払えない者から先に死ぬ。私は、その不格好な現実を帳簿から消したくない」
「帳簿を見せるのは、まず腹を満たしてからだ。飢えた者へ値段を突きつければ、選択に見えても脅しになる」
「では、最初の一皿を誰が出すのか。その二皿目から誰が負担するのかまで決めるのが私の仕事です。貴公のやり方を否定したいのではなく、続ける仕組みを要求しております」
ガズルは2人を止めず、最後まで言いたいように言わせた。
レイルは契約書と広場を交互に見る。門外では灰環の避難車が既に住民を乗せ始めている。契約成立前でも、最低限の救助は動いている。
ヴェリクの思想は、命を数字へ変えて楽しむものではない。数字にしなかった命が、負担者不在のまま失われた過去から生まれている。
それでも、この契約を受ければ、非常時のたびに「断るなら代わりの死者数を示せ」と迫られる未来がある。
「俺は――今日、この契約には署名しない」
レイルは言った。
リィナがこちらを見る。ヴェリクは表情を変えない。
「理由を伺いましょう」
「塔を守るための物資と、今後2年間の使用登録が結びついている。今日の危機で判断を急がされる条件だ。拒否権が書いてあっても、選択の場が狭い」
「では、塔を失う損失は誰が担保しますか」
「今回の支援には別契約で対価を払う。人間圏の保存食、炉都の交換部品、調査隊の労務。足りない分は、後日共同体ごとに請求してくれ」
「それでは、次の危機の管理者が決まりません」
「次の契約は、今日を生き残ってから審議する。俺の登録案自体を拒絶しているわけじゃない。期限、拒否後の代替義務、研究成果の権利を分けて話したいんだ」
ヴェリクは計算杖で机を1度叩いた。
「危機と長期契約を分離する。合理的です。ただし今日の供出不足は残ります」
「不足分は、牙冠王の国と調査隊が負う」
ガズルが言った。
「足りない分は、我の倉庫から魔力槽を出すブヒ。ただし、代価は生き残ってから決めるブー。今ここで長い契約書を増やす気はない」
「王の負担だけで決めるのですか」
「我だけで決めるものかブヒ。倉庫を満たした者へ聞けブー。王冠は倉庫の中身まで一人で作ってくれん」
ガズルは広場の倉庫管理者たちを見る。3人が短く相談し、2日分なら出せると答えた。
ヴェリクは書面へ訂正線を引く。
「承知しました。今日必要なのは塔への短期支援ですから、長期登録案とは切り離します。長期案は撤回ではなく保留。次回は、誰も砲撃を受けていない場所で改めて審議してください」
「そうする。危機の最中に決めた約束を、後から永続契約へ膨らませるつもりはない」
「そこまで言ってもらえれば十分です。拒否だけで会話を閉じなかった点は、こちらも評価します」
「評価は好きにしろ。ただし契約条項へ『協力的態度』なんて入れるなよ」
「入りません。そういう曖昧な善意を担保にする契約は、私も嫌いです」
緊張が少し緩んだところで、ラガンが立ち上がった。
「話は一度ここまでだな。剣の娘、さっきの続きをやるぞ」
「今から? この流れで?」
「この流れだからだ。塔へ出れば、借り物の重さを確かめる余裕はない。議論で頭が熱い時に、足まで熱くなるかも見ておけ」
リィナは一瞬だけ呆れた顔をした後、むしろ楽しそうに立ち上がった。
広場の端へ移動し、借り物の片刃剣を抜いた。ラガンは長刀の刃を鞘へ収めたまま構える。殺し合いではなく、足と重心を見る試合だ。
レイルは止めようとしたが、リィナが先に言う。
「レイルは見学。右腕を上げない。『危なくなったら補助する』もなし。今日は私が自分で借り物の重さを覚える」
「俺も同じことを言うつもりだった」
「その『言うつもり』の中に、危険時の例外が何個入ってた?」
レイルは答える前に数えかけ、それが答えになっていると気づいた。
「……半分くらいは、例外条件の確認だった」
「ほら。じゃあ残り半分だけ採用。ちゃんと座って見てて」
リィナが笑い、ラガンへ向き直る。
開始の合図はない。
ラガンが左足を前へ出し、長刀の鞘で肩を狙う。リィナは軽い借り物の剣を上げすぎず、刃の根元で鞘を受け、右へ流した。
そのまま踏み込もうとして、切っ先が予定より先へ出る。
ラガンの鉤縄が足元へ伸びた。
リィナは止まらない。左足の噴射を使わず、右足を外側へ置き直し、前へ出た勢いを円へ変える。剣を振り切らず、柄頭でラガンの脇腹を狙った。
ラガンは長刀の鞘を縦へ立てて受ける。
鈍い音が1度。
2人の足が入れ替わった。
「前の重さを追っている」
ラガンが言う。
「分かってる!」
「分かるだけでは遅い」
鉤縄が再び地面を走る。
リィナは今度、借り物の剣を一度鞘へ戻した。抜剣位置を作り直し、鞘から半分だけ抜いて縄を払う。軽い刃を最後まで抜かず、必要な長さだけ使った。
ラガンの目がわずかに細くなる。
「借り物へ合わせたな」
「私の剣じゃなくても、今持ってるのはこれだから」
リィナは一歩入り、ラガンの胸元へ切っ先を止めた。
同時に、ラガンの鞘が彼女の首筋へ触れている。
相打ちに見えるが、ラガンの鞘は少し早かった。
「私の負け、ね」
リィナは悔しそうに息を吐き、剣を下ろす。
「次は勝つ!」
「次を選べるなら、それでいい」
ラガンは追撃しなかった。
ヴェリクがその様子を見て、静かに問う。
「貴方は、敗者へ必ず次の機会を与えるのですか。敵であっても?」
「必ずじゃない。次を選べる者へ、選択を返すだけだ。もう一度剣を取るなら止めるし、帰るなら帰らせる」
「その猶予を与えたせいで、別の誰かが死ぬ場合もあります」
「その時は俺が止める。だが、起こるかもしれない損失だけで、最初から捨てる人間を決めるな。効率は判断材料だ。処刑理由じゃない」
遠くから、再び角笛が鳴った。
今度は1度、長く。
白環旧交易塔の外周へ、ガルヴァドの先遣隊が到達した合図だった。
広場の食卓が一斉に片づけられ、避難車が門外へ動き出す。
ヴェリクは短期支援契約へ署名し、ラガンは長刀の刃を抜いた。
ガズルが立ち上がり、牙冠を深くかぶる。
「まず食卓と、そこへ帰る民を守るブヒ。塔なんぞ、その次だブー」
レイルは右腕を確かめる。
4件以上の保持は禁止。環刃短杖もない。
戦えないわけではない。ただ、前半と同じ戦い方はできないことを痛感していた。
(今持っている条件で、帰還のプランまで組む――)
調査隊は、白い環の光が強くなる国境へ向かった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
目前の危機と2年間の利用登録を分離し、拒否だけで負担を他者へ渡さず、短期支援へ別の対価を提示した魔導士。
・リィナ・アルセイル
借り物の軽い剣を前の愛剣として振る失敗から、必要な長さだけ抜いて現在の武器へ身体を合わせ、ラガンへ再戦を約束した剣豪。
・ラガン・ティグリス
敗者へ自動的な服従を求めず、次を選べる者へ追撃停止を返し、利用契約でレイルを先に囲うことへ反対した虎獣人。
・ヴェリク・マルカート
灰環の支援費用と長期的な抑止力管理を隠さず提示し、危機の外で再審議する条件を受け入れた利用派評議員。
・ガズル・ヴァルグ
不足する魔力槽を王の一存で供出せず、倉庫を満たした管理者へ問い、食卓と住民を塔より先に守ると決めた牙冠王。
・セレネ/フィア/アルド/クラリス/ユノ/カインほか調査隊
契約条項と実際の供出数を照合し、長期管理の議論を残したまま、目前の避難と塔の防衛へ役割を切り替えた同行者たち。
【今回の能力・設定メモ】
・ヴェリクの利用登録案
本人、灰環評議会、現地共同体代表の3者同意でレイルを非常時抑止力として登録する2年間の契約案。拒否権はあるが、拒否後の代替費用が強く求められる。
・ラガンの敗北観
敗北を服従や廃棄の終点にせず、追撃を止めて再戦または撤退を選ばせる。無条件の慈悲ではなく、次を選べるかを自分の目で見る。
【次回】
四本腕と4つの魔力炉を持つ魔王種は、交渉を待たず、白環中継核を稼働中の戦力として奪いに来ます。
危機の中で長期契約を急がず、それでも目の前の支援費用から逃げなかったことで、拒否は次の審議へつながりました。レビュー、ブックマーク、フォローで、敗者を拾う虎と戦力を使い切る魔王の衝突を見届けていただければ幸いです。




