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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第11章「大陸巡行――帰れない勇者」

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第183話「剣が遅れてくる」

 手になじんだ重さは、安心になります。

 身体が先へ進んだ時、その安心を捨てるのではなく、どこまで一緒に連れていくかを選び直すこともできます。

 リィナの愛剣は、朝から炉の前へ横たえられていた。

 刀身を赤く熱しているわけではない。石台へ置かれた剣の周囲を、細い検査炎が往復している。熱を受けた傷だけが淡く発光し、肉眼では見えない捩れや密度差を浮かべる炉都式の査定法だった。


 刀身中央へ、髪の毛ほど細い光が三本走っている。

 刃元近くには斜めの筋。切っ先から二尺ほど戻った峰側には、ゆるい螺旋状の濁りがあった。


「折れるの?」


 リィナが尋ねる。

 炉の前へ座る彼女は、いつもの剣帯を外していた。腰の片側が軽くなっただけなのに、立ち姿まで落ち着かない。右手は何度も空の柄を探し、見つからず腿の上へ戻る。

 老査定師は検査炎を止めた。


「今日、普通に振るなら折れん。昨日までと同じ補正を続ければ、折れる前に先にお前の肩が壊れる。剣はその後だ」

「剣より私が先?」

「刀身の遅れを、手首で引き、肘で戻し、肩で止めている。剣は黙って遅れる。身体は黙って払う」


 レイルは石台の横で、観測紙へ数値を書いていた。

 リィナの愛剣は、学院入学前に作られた。現在の身長、握力、脚部噴射、【無終剣】の連続方向転換を想定していない。刀身が弱いのではなく、当時のリィナへ合わせた重心が、今の動きへ残っている。


「再現試験をする」


 老査定師が言った。


「剣を持たず、いつもの切り返しで動け」


 リィナは立ち上がり、柄のない手で構える。

 右足を踏み、斜め斬り。腰を返し、二手目へ入る。その瞬間、右手だけが本来の軌道より内側へ戻った。剣の重さを先回りして引く癖だ。


「もう一度」


 二度目も同じ。


「次は、試験棒を持て」


 渡されたのは、愛剣と同じ長さで半分ほどの重さしかない木製棒だった。

 リィナが一手目から二手目へ移る。

 身体が速すぎた。

 引き戻すはずの重さがなく、右腕が胸元を越えて内側へ入り、肩が前へ流れる。足は次の踏み込みへ出ているため、上体だけが遅れて捻れた。

 レイルは横から腕を伸ばし、倒れかけた身体を受けた。

 リィナの肩が胸へ当たり、赤栗色の髪が顎の下をくすぐる。


「止まって」

「止まった」

「手、離していい」

「重心が戻ってからだ」

「戻ってる」

「右足に六割残っている」

「分かるの?」

「腰がまだ前を向いている」

「……見すぎ」


 小さく言った声が近い。

 レイルは彼女の腰を支えている左手の位置へ気づき、すぐ肩側へ移そうとした。急に動かせば、かえって意識しているように見える。

(支えているだけだ。だが、説明を始めれば悪化する)


「もう大丈夫」


 リィナが自分から一歩離れた。頬が赤い。レイルも手を引き、観測紙へ視線を戻す。


「軽量化率が大きすぎる。半分では身体の補正が残る」

「今、最初に言うことそれ?」

「怪我はないか」

「遅い!」

「確認はした。倒れる前に受けた」

「そういう問題じゃない」


 炉の反対側でセレネが咳払いした。


「試験棒へ交換錘を付けましょう。愛剣の九割、八割五分、八割の三段階で、切り返しと停止距離を測れます」

「セレネ、顔が少し怖い」

「炉の熱です」

「眼鏡、曇ってないけど」

「測定を続けます」


 セレネは交換錘を取りに行き、ニアがレイルの耳元へ浮かぶ。


「今の抱き止め、イベント判定高め」

「転倒防止だ」

「それ言うとリィナの機嫌、さらに下がるやつ」

「では何と言えばいい」

「嬉しかった、とか?」

「転びかけたことが?」

「はい詰み。ニアちゃん撤退します」


 少女型の投影が猫型へ縮み、ロッテの工具箱へ逃げた。


 交換錘を使った試験は、午前いっぱい続いた。

 愛剣の九割では、リィナの一手目はほぼ変わらない。二手目の戻りが僅かに速くなり、右肩の落ち幅が減る。八割五分では、【無終剣・継歩(むしゅうけん・けいほ)】から【返環】への移行が滑らかになる一方、止める位置が指二本分先へ出た。八割では、切っ先が予定位置を越え、対人戦で相手を傷つけず止める精度が崩れる。

 最後に、愛剣そのものを持って同じ動きを行う。

 今度は重さへ身体が合う。だが、二手目の途中で刀身の峰が低く唸り、右肩の印が明確に下がった。

 リィナは剣を止めた。


「私、ずっとこれを普通だと思ってた」

「普通へ戻すために、身体が先回りしていた」


 レイルが答える。


「前より速くなったと思ってたのに、実際は剣を待ってたんだ」

「待ちながら勝っていた。剣が悪いわけでも、リィナの技術が偽物だったわけでもない」

「分かってる。でも、もっと早く言えばよかった」


 彼女は愛剣を両手で持ち、刃に映る自分の目を見た。


「この剣、子どもの頃からずっと一緒だった。最初は重くて、百本振ったら手が開かなくなった。旧坑道で灰狼(アッシュ・ウルフ)を斬った時は、怖くて柄を握りすぎて、指の皮が全部むけた。王核大陸では刃が欠けても、セレネの銀糸を巻いて使った。遅れてるって認めたら、もう替えなきゃいけない気がした」


 いつものリィナなら、迷いを短い言葉へ切って前へ出る。今は、剣へ触れたまま一つずつ思い出している。

 レイルは急いで結論を出さなかった。


「俺は、七環導杖(セプテム・ロッド)が折れた時に捨てられなかった。魔法を撃てなくても、歩く杖と短杖には使えると思った。修理した後も、傷の位置を残している。そこから壊れやすいと分かるからだ」

「だから、私の剣も残せるって?」

「残す方法はある。ただ、全部を同じ形へ戻すのは違う。今のリィナへ合わせて軽くし、重心を変える必要がある。刀身を薄くするだけなら切れ味は上がっても、【零間】の方向転換で折れる。芯鉄と茎を残し、外刃と峰を組み直す。過去の修理痕も、残したい場所を決められる」

「レイルは、どこを残したい?」

「俺が決めるのか」

「意見を聞いてる」


 愛剣には、レイルが覚えている傷も多い。

 旧坑道で牙猪の牙を受けた刃元。王核大陸で白環回収獣の鎌を流した峰。学院の演武でカインの一撃を受けた鍔際。傷ごとに、隣で見ていたリィナの姿がある。


「鍔際の浅い欠けは残したい」

「カイン戦の?」

「ああ。あの時、リィナは受けずに先へ入った。剣の傷は小さいが、動きが変わった場所だ」

「他は?」

「王核大陸で銀糸を巻いた跡。あれは、壊れていても帰るために使った記録になる」


 リィナは目を細めた。


「ちゃんと見てたんだ」

「見ている」

「剣だけ?」


 昨日と同じ問いが来る。

 ここで装備の話へ逃げれば、また同じところへ戻る。


「リィナも見ていた。怖くても前へ出た時、腹が減って機嫌が悪くなった時、剣を振り終えた後に俺が怪我していないか必ず振り返るところも」


 言い終えた途端、炉の音が急に大きく聞こえた。リィナは答えず、赤栗色の髪の隙間から見える耳だけが徐々に赤くなっていく。


「……急にそういうこと言うの、反則」

「聞かれたから答えた」

「いつもは余計な説明を足すのに」

「足した方がいいか」

「足さないで。今のまま残して」


 リィナは愛剣を鞘へ戻し、胸元へ抱えた。


「鍛え直す。芯も茎も残す。傷も、私が選ぶ。軽くなった後は、また最初から振り直す」

「百本から?」

「千本」

「増えたな」

「レイルも付き合って」

「剣の素振りを千本は無理だ、俺は魔導士だぞ」

「走り込みと受け身と、私の相手」

「それならやる」

「約束」

「ああ」


 老査定師が二人の会話を待ってから、愛剣を受け取った。


「今日は炉へ入れん。先に仮の軽量剣で身体を直せ。重さを八割七分から始める。止める位置が戻ったら、愛剣の外側を剥がす」

「完成までどのくらい?」

「急げば三日。急がなければ十日」

「十日で」


 リィナは迷わず答えた。


「旅の日程は?」


 レイルが尋ねる。


「調整する。武器の都合へ任務を全部合わせるわけにはいかないが、三日で壊れる剣を持って先へ行く方が遅い」

「それ、私が言おうと思った」

「先に言った」

「じゃあ、二人で決めたことにする」


 彼女は剣のない腰へ手を置き、少し寂しそうに笑った。レイルはその手へ触れかけて途中で止まり、代わりに自分の七環導杖を差し出した。


「宿まで持つか」

「どうして?」

「腰が軽すぎると落ち着かないだろ。重さは違うが、何もないよりいい」


 リィナは杖を受け取り、二度瞬いた。


「これ、レイルの一番大事な武器だよね」

「預けるだけだ」

「落としたら?」

「リィナは落とさない」

「壊したら?」

「壊した場所を一緒に直す」


 彼女は七環導杖を胸へ抱えた。


「じゃあ、宿まで借りる」


 工房を出る時、リィナの腰には剣がなかった。それでも手にはレイルの杖があり、歩幅は朝より少しだけ落ち着いていた。

 セレネは二人の後ろを歩きながら、観測紙の余白へ何かを書いた。レイルが覗こうとすると、彼女は紙を閉じる。


「何を書いた」

「装備貸与記録です」

「見せてくれ」

「私的感情を含むため、閲覧権限を制限します」

「装備記録に私的感情を入れるな」

「貴方にだけは言われたくありません」


 リィナが振り返り、楽しそうに笑った。


【今回の登場人物】


・リィナ・アルセイル

 愛剣の遅れを身体で補い続けた理由と手放したくない記憶を言葉にし、芯、茎、選んだ傷を残して十日かけて鍛え直す道を選んだ剣豪。


・レイル・アルヴァート

 剣だけでなく、怖くても前へ出て戦闘後に必ず振り返るリィナ自身を見ていたと伝え、剣のない腰へ七環導杖を預けた幼なじみ。


・セレネ・グランツ

 愛剣の九割から八割まで重さを変え、切り返しと停止位置を測定しながら、杖の貸与へ含まれた私的感情まで記録した術式設計者。


炉人族(ドワーフ)の老査定師

 剣をすぐ炉へ入れず、先に持ち主の身体へ残った補正を軽量試験棒で可視化し、八割七分から振り直すよう命じた職人。


・ニア

 転倒を受け止めた場面へ恋愛イベント判定を出し、正解を教えようとして自分から撤退した案内人格。


【今回の能力・設定メモ】


・愛剣の再鍛造方針

 買い替えず、芯鉄、茎、鍔際の傷、王核大陸での修理痕を残す。外刃と峰、重心、柄を今のリィナへ合わせて再構築する。


・軽量化試験

 軽くすれば即座に速くなるわけではない。身体へ残った重さの補正により、切っ先が予定位置を越え、停止精度が一時的に落ちる。


【次回】


 炉の音を四つの識別信号へ使い、レイルは緊急使用で終わった四件保持を、再現可能な技術へ変える訓練へ入ります。


 替えるのではなく、芯と傷を選んで残すと決めたことで、愛剣は次の重さへ進み始めました。レビュー、ブックマーク、フォローで、次に四つの終わりを分ける炉音の訓練を見届けていただければ幸いです。

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