第12話 終わらずの子 ――村へ伝えるということ――
神殿へ集められたのは、レイルを嫌うための群衆ではありません。
パン、木工、裁縫、祭礼――それぞれに完成させなければならない仕事と暮らしがあります。
レイルは初めて、自分の力を家族以外へ説明します。
翌日の午後、エルデ村の神殿には、普段の祈りの日より多くの靴が並んだ。
白い漆喰の壁と濃い木の梁で造られた小さな神殿は、村の命名式、婚姻の契環式、葬儀の送環式まで引き受ける生活の場所だ。
最寄りの町ハルツにある地方神殿ほど大きくはなく、聖都オルビスの大聖堂のような高い石柱もない。それでもエルデ村では、誕生から死までを見届けるこの建物が、暮らしの中心だった。
正面には、始まりと終わりが重なる一つの環を象った成環教会の紋章が掲げられている。
今日は長椅子へ、パン屋、鍛冶屋、木工職人、祭礼係、農家、商人が並んでいた。腕へ小麦粉をつけたままの女。炉を離れてきたため革前掛けへ煤を残す男。作業途中の糸を袖へ巻きつけた女たち。皆、仕事の途中で時間を作って来ている。誰かを糾弾するような雰囲気は今のところ、ない。
レイルは両親の間へ座り、革鞄を膝の上で抱えた。暗い灰褐色の前髪の隙間から周囲を見ては、村人と目が合うたび視線を落とす。隣ではリィナが腰へ木剣を差したまま座り、金茶色の瞳で前を睨んでいた。
「睨まないで」
「睨んでないから!」
「眉が戦う時の形になってる」
「レイルが勝手に小さくなってるから、代わりに大きく見せてるの!」
「僕の見た目を補う必要はない」
「なら背筋伸ばして。しゃんとする!」
木剣の鞘で背中を押され、レイルは姿勢を正した。
祭壇の前へ立ったアウレリオは、薄茶色の神官服の袖をまくり、黒板代わりの術式板へ三つの言葉を書いた。
【判明していること】
【推測していること】
【分からないこと】
「最初に申し上げます。この子の力について、我々はまだ正式な名称すら得ていません」
神官が鑑定時の羊皮紙を掲げる。
【固有スキル:未
【評価:判定不
【分類:終了不
【鑑定儀式:未完
途中で切れた文字を見て、長椅子のあちこちから低いざわめきが起きた。
「鑑定は三時間以上、最後の言葉へ到達しませんでした。その間、レイルの母エナが制作していた祭礼布は完成しました。次に、レイルが自作小説を捨てようとした際、父バルドの椅子が最後の接着で止まり、鑑定儀式は終了しました。さらに、その小説へ本人が再び完成の意思を持った時、椅子は完成へ向かいました」
パン屋の女主人が腕を組んだ。太い腕へついた白い粉が、袖の茶色い布へ筋を作る。
「要するにだ。話だけ聞けば、一度に止まるのは一つってことかい」
「現時点では、その可能性が高いです。ただし、確定ではありません」
「確定してないのに、原稿を持って歩かせている?」
「原稿が止まっている間、他の対象へ移らないという仮説に基づく暫定運用です」
「その仮説が外れた時、止まるのは誰の窯だい。誰の契約だい。誰の怪我の治療だい?」
声に怒りはあったが、理不尽ではなかった。
アウレリオが答える前に、バルドが立ち上がった。焦げ茶色の短髪、広い肩、太い腕。左手の親指には古い切創があり、頭を下げた拍子にその傷がよく見えた。
「息子の力で損害が出た時は、俺たちが働いて返す。祭礼布の分も、すでに話をしている最中だ」
「バルド。お前の腕が二本しかないのは皆知ってる」と鍛冶屋の男が言った。「村中の仕事が止まったら、木工だけで返せる額じゃないだろう?」
「分かっている」
「分かってるなら、家から出すなと言う者が出るのも分かるよな?」
神殿の空気が固まった。
リィナが立ちかけたため、レイルは袖をつかんだ。
「まだ」
「でも――」
「最後まで聞く」
バルドは鍛冶屋から目をそらさなかった。
「それも言われると思っていた。息子が家にいれば、外の仕事へ近づく回数は減る。だが、火事も病気も家の中で起きる。閉じ込めれば安全になるという証拠もないだろう」
「では、どうしろというんだ」
「今は、完成直前の作業場へ無断で近づかせない。息子には原稿を持ち歩かせる。毎日、続きが本当に結末へ進んでいるか確認し、異常があれば神殿へ報告する。損害が出れば隠さず、家族全員で責任を負う」
「家族だけで負いきれない時は?」
「その時は、負いきれないと認める。できもしない補償を約束して安心させる方が、後で二度裏切る事になるからな」
バルドの声は短いが、逃げ道を残していなかった。
エナも立つ。柔らかな栗色の髪を後ろでまとめ、右手の針傷を隠さず前へ出した。
「皆さんへ、息子を怖がらないでとは言いません。私も、自分の刺繍が何度結ぼうとしても完成しなかった時、息子より先に布を見てしまいました。三週間の仕事と、次の仕事へつながる信用がなくなるかもしれなかったからです」
エナはそこで一度、レイルを見た。
「それでも、この子がいなくなれば安心できるとは思いません。私たちは息子を守ります。ただし、間違いも損害も隠しません。庇うことと、なかったことにするのは違いますから」
祭礼係の女が、膝の上で手を組み直した。
「エナ。あんたが一番被害を受けたのに、よくそんなことが言えるね」
「被害を受けたからです。あの子が悪い子ではないことと、あの子の力で仕事が壊れたことは、どちらも本当です」
言葉が神殿へ静かに広がった。
アウレリオは村人たちを見渡し、術式板の「分からないこと」へ項目を書き加える。
【発動範囲】
【対象の種類】
【睡眠・気絶時の挙動】
【長期間保持した場合の反動】
【原稿が破損した場合】
「このように、不明点は多い。ゆえに、私は『安全です』とは言いません。一方で、悪魔憑きや意図的な呪いと判断する根拠もありません。レイル本人は対象を選べず、解除もできず、自分の力による被害を恐れています。この記録はハルツの地方神殿へ送り、必要なら聖都オルビスの中央記録院にも判断を求めます」
農家の老人が杖を鳴らした。
「恐れているなら、なぜ村を歩く」
レイルは自分へ向けられた問いだと分かった。
革鞄の留め具へ指を置き、立ち上がる。膝が震えた。未来の戦場では神兵軍の前へ立つ男も、今は長椅子から祭壇までの数歩が遠い。
「家の中にいても、僕の力が消えるわけじゃないからです。それに、父さんと母さんが仕事をしているのに、僕だけ何もしないで隠れていたら、賠償も生活も全部二人に任せることになります」
「六歳の子が何をして働くっていうんだい?」
「薪を運ぶ。掃除をする。使い走りをする。文字が必要なら書く。できることは少ないけど、少ないからゼロでいいとは思いません。僕にできることをするつもりです」
「......外へ出たいだけではないのか」
「はい。正直に言えば、出たいです」
レイルが正直に答えると、何人かが意外そうに顔を上げた。
「リィナと遊びたいし、本も読みたい。家の外が怖いまま一生終わるのは嫌です。でも、僕が自由に歩きたいから、皆さんへ黙って危険を押しつけていいとも思いません」
そこで言葉が詰まりかけた。
言い切れば、拒絶されるかもしれない。それでも今日は、最後の一文を残さないと決めた。
「だから、僕が近づいて困る仕事は教えてください。完成直前の場所へ入る時は許可を取ります。原稿は守ります。毎日書きます。異常が起きたら、僕から言います。わざとじゃないを、謝らなくていい理由にはしません」
リィナが満足そうに鼻を鳴らした。
パン屋の女主人が片眉を上げる。
「毎日書くって、子どもの物語だろう? 飽きたらどうする」
「その時には、飽きたことを隠しません。安全装置として続けるためだけに、意味のない文章を書いても駄目なことはわかっています」
「随分、自分へ厳しい条件だね」
「僕は、条件が緩いと逃げるので」
「自分で分かってるなら、少しはましだ」
鍛冶屋の男はまだ納得していない顔だった。
「作業場へ近づくなと言えば、本当に来ないか」
「行きません」
「リィナに誘われても?」
「行きません」
「希少な剣の鍛造を見られるとしても?」
「......見たいけど、行きません」
「今、間があったぞ」
「見たい気持ちと、行動は分けます!」
小さな笑いが起きた。緊張を消すほどではないが、人々が息をし直すくらいの笑いだった。
話し合いはそれからも続いた。
完成間近の作業場へは、赤い布を戸口へ下げる。レイルは許可なく入らない。革鞄には、危険な子どもの印ではなく「未完対象を携行中」と示す青い細紐を結ぶ。異常が起きた時は神殿の鐘を二度短く鳴らす。損害の記録はアウレリオとアルヴァート家の双方が残す。
「青い紐だけで分かるのか?」という声には、アウレリオが答えた。
「子どもの首にラベルを付けるつもりはない。知らせるべきは原稿の状態であって、レイルが危険物というレッテルではないからな。あくまで区別だ」
その線だけは、神官も譲らなかった。
集会が終わる頃、入口にいた年下の子どもが母親の裾から顔を出した。レイルの鞄を指差し、悪意のない大声で尋ねる。
「おわらずの子って、レイルのこと?」
母親が慌てて口を塞いだ。
誰かが家でそう呼んだのだろう。仕事を最後で止める子。鑑定も閉式も終わらせない子。言葉としては、よくできていた。
レイルは笑えなかったが、怒ることもできなかった。
「......これからはそう呼ばれないように頑張るよ」とだけ力なく答えた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
帰宅後、レイルは机へ向かった。
リィナは隣の椅子へ座り、赤栗色の髪を揺らしながら足をぶらつかせている。今日は何も急かさなかった。レイルが自分から羽根ペンを取るのを待っていた。
「何を書くの?」
「勇者が家の前まで来たのに、まだ入れない理由」
「怖いから?」
「待たせた少女に、どんな顔をされるか分からないから。怒られるかもしれない。もう帰ってこなくていいと言われるかもしれない」
「でも、扉の前にずっといたら、待ってる方はもっと怒るよ」
「分かってる」
「じゃあ入ればいいのに」
「分かっていても、足が動かないことはある」
リィナは原稿の余白を指でなぞった。
「なら、今日はここまでって書けば? 帰れないけど、帰るのをやめてないって」
レイルは少し考え、紙へ一文を書いた。
『勇者は、まだ帰れない。』
句点まで、今度は消えなかった。
これは物語の最後ではない。諦めの言葉でもない。今いる場所を認め、次の一歩へ進むための途中の一文だ。
「帰れない、で終わっていいの?」
「今日の頁は、ここで完成だ」
「物語は?」
「まだ終わらせない」
「終わらせたくないから?」
レイルは首を横へ振った。
「終わらせるために、続ける」
リィナは一文を読み返し、今度は笑った。
その日の終わり、勇者はまだ家へ帰れなかった。
けれど、作者はもう、物語から逃げてはいなかった。
村人は単純な迫害者ではなく、自分たちの仕事と家族を守るため現実的な条件を求めました。
レイルは「安全だ」と約束せず、不明点と責任を自分の言葉で伝えています。
次回からいよいよ、魔法と師匠の物語が始まります。




