表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第7章「地図の外の子どもたち」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
110/194

第104話「同じ鍋のある場所へ帰る」

 帰る場所は、生まれた家だけではありません。

 遅かったと怒られ、怪我を数えられ、同じ鍋へ席を空けてもらえたなら、そこも一つの帰り道です。

 転移から三十一日目。尾根の上に、二つの人影が立っていた。


 一人は右足へ包帯を巻き、剣を杖代わりにしている。長い赤栗色の髪は旅の途中で高く結び直され、金茶色の瞳は疲労に曇りながらも、こちらを見つけた瞬間に強い光を取り戻した。外套は裂け、頬には乾いた土がついている。それでも、風の中で剣を支えに立つ姿は、学院の夜会で着飾った時とは違う、リィナにしかない真っすぐな美しさを持っていた。


 もう一人は胸元へ記録札を抱え、風に飛ばされないよう外套を押さえている。フィア・レコードは髪も服装も作業を妨げないよう整えていたが、指先には消えないインク汚れがあり、抱えた目録帳の角は何度も開いたせいで擦れている。感情を記録へ逃がす彼女が、今だけは筆記具を握っていなかった。


 赤栗色の髪が揺れた。


「……レイル?」


 リィナ・アルセイルが名を呼ぶ。


「ああ、俺だ」


 返事をしただけで、胸の奥が痛んだ。


 この一か月、無事な姿を想像しようとするたび、別の結末も一緒に浮かんだ。今、目の前にいるリィナは傷だらけで、髪も服も乱れている。それなのにレイルには、これまで見たどの姿より綺麗に見えた。


 (生きている。それだけで、こんなに違って見えるのか)


 走れば数十秒。足裏へ風を集めればもっと早い。

 けれど、レイルはミュラが示す岩を踏み、全員と一緒に尾根を登った。


 最後の数歩だけ、リィナが待てずに歩き出す。


「走るな。足を痛めてるだろ」

「レイルにだけは言われたくないよ!」


 いつもの怒鳴り声だった。

 その声を聞いた瞬間、レイルはようやく、彼女が本当に生きていると信じられた。


 リィナは目の前まで来ると、抱きつくより先にレイルの肩、腕、頭、脇腹を順番に触った。


「どこか、痛い?」

「右肩と左足。脇腹は治りかけ。魔力不足が一度」

「なんでそんなにあるの!」

「転移と、ミュラを運んだ時と、回収獣と――」

「......説明は後! 生きてる?」

「生きてるだろうが。俺はここにいる」


 リィナの指から力が抜け、額がレイルの胸へ触れた。


「遅い」

「ごめんな」

「一か月、ずっと探してた」

「うん」

「レイルなら跡を見つけると思ってた。でも、見つからなかったらって……」


 声が続かない。

 レイルは迷ってから、背中へ腕を回した。


「心配させて、ごめん」

「うん。私も、もっと早く来れなくてごめん」


 少し離れた場所で、フィア・レコードが記録札を閉じた。

 今回は書かないらしい。


 リィナが顔を上げた。その視線が、レイルのすぐ後ろで外套の端を握っているミュラへ止まる。

「……レイルさ」

「何だ?」

「で、その子は誰なのかな?」


 再会直後のセレネと、ほとんど同じ声だった。明るく聞こえるのに、返答を間違えてはいけない圧がある。

「ミュラ・ノクテ。転移先で水場を教えてくれて、仲間を探す道も案内してくれた。俺が怪我の手当てをしたこともあるけど、助けてもらった方が多い」

「ひと月で、そこまで仲良くなったんだ」

「説明のどこを聞いたら、その結論になるんだ?」

「学院から消えて、知らない大陸で女の子と一緒に旅してたんでしょ。セレネとも一緒だったし」

「不可抗力だろ!」


 セレネが静かに眼鏡を直した。

「私も再会時、ほぼ同じ質問をしました」

「やっぱり気になるよね?」

「状況証拠が多かったので」

「二人で納得するな!」


 ミュラがリィナを見上げる。

「レイル、女の人、泣かす。もてあそぶ?」

「その誤解、まだ残ってたのか!」


 リィナの金茶色の瞳が細くなった。

「また女の子の心をもてあそんでるの、レイル?」

「“また”をつけるな!またを! セレネも笑うなって!」


 セレネは口元へ手を当てていた。淡い金髪の周囲には、小さな光球が楽しそうに二つ浮かんでいる。


 張り詰めていた再会の涙が、ようやく子供らしい笑いへ変わった。レイルは納得できなかったが、リィナが笑えるなら、今だけは訂正を後へ回してもいいと思った。


 その後、リィナはレイルの杖へ巻かれた銀糸と灰色の環へ気づいた。

「これ、誰が直したの?」

「最初はセレネ。荒野で一度だけ使えるようにした。灰橋宿でノアが組み直した」


 リィナはセレネを見る。


「ありがとう。レイル、一人だったら壊れた杖へ無理に魔力を流してたと思う」

「否定できません」


 セレネが答える。


「ただ、私の修理はノアさんに“こりゃひどい”と評されました」

「言葉の選択は謝罪しました」


 ノアが割って入る。


「そういえば、ノアさん? あなたは?」


「ノア・エルグラムです。百三十歳を越えた半吸血種(ダンピール)で、アルドと旧観測塔から来ました。レイルの杖を組み直したのも私です」


「百三十歳……? 見た目じゃ全然分からないね」


「でも、杖は使えたんでしょ?」

「一度だけだけどな」


「なら、すごいよ」


 リィナの言葉は真っすぐだった。


 セレネは少し驚き、それから静かに笑った。正面から礼を言われるとは予想していなかったのだろう。青紫色の瞳から張り合う色が消え、代わりに安堵が滲む。


 レイルには、赤栗色の髪を揺らすリィナと、淡い金髪を整えるセレネが、まるで違う種類の美しさを持って並んで見えた。どちらかが誰かの代わりになるのではない。二人とも別のやり方で、自分をここまで生かしてくれた。


 (ちゃんと、二人に返していかないとな)

「はい。私も、そう思うことにします」


 ミュラがリィナを見上げる。


「リィナ、レイルの家族?」

「幼なじみ!」

「家族じゃない?」

「違わないけど、そういう意味じゃなくて!」

『ミュラちゃん、追撃も核心つよつよです!』

「ニア、その話し方どうしたの? なんか知らない間にすっごく変わったね」

『少女型アップデートです! ニアちゃん、親しみやすさと場の盛り上げを研究中!』

「レイル、変な言葉教えた?」

「俺は教えてない。たぶん……昔の言葉が混ざった」

「昔?」

「いや、何でもない――」


 リィナは疑わしそうに見たが、今は追及しなかった。


 一行は灰橋宿へ戻った。

 共同炊事場には、空けたままにしていた二席がある。


 リィナとフィアが座り、全員で同じ鍋を囲んだ。

 リィナは一杯目を食べ、二杯目へ手を伸ばす。


 宿守が仕事札を追加した。


「二杯目から、鍋洗い一回」

「食べてから洗う!」

「三杯目は二回」

「まとめて洗う!」

「四杯目は――」

「先に食べさせてええええっ!」


 レイルは久しぶりに、リィナの食欲へ普通に呆れた。


 (帰ってきた。人間圏ではない。それでも、このみんながいる席へ帰ってきた)


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 食後、フィアが全員の記録を一枚の地図へ統合した。


 レイル班の水場。

 リィナとフィアの剣痕と記録札。

 アルドとノアの観測塔。

 ミュラの地脈。

 ラガンの白環危険域。


 五人の学院生が同じ場所へ揃った瞬間、空に白い光が走った。


 再会の温かさが、冷たい刃で切られたように消える。レイルは反射的に全員の位置を数えた。今度は誰も欠けていない。だからこそ、白環は五人を一つの対象として見つけたのだ。


 (揃ったことが危険になるなら、揃ったまま逃げ切ってやる)


【矯正対象群:再確認】

【関連対象:四名】

【再統合処理:開始】


 灰橋宿の警報鐘が鳴る。


 谷の三方向から、白環回収獣が現れた。


「住民を橋の西側へ避難させるぞ!」


 アルドが声を張る。


 リィナは剣を抜き、レイルの前へ立つ。


「道は私が開く。今度は全員いるからね」


 セレネが術式を二つへ分ける。


「レイル。第一は東壁の【硬土(ハード・ソイル)】。第二は避難路の風標識。混ぜないで」


 フィアが番号を付ける。


「【未完記録・第一番】、東壁。第二番、避難路」


 ノアは閉じ切らない防壁を形成した。


「完成率九十九%。一箇所は住民の出口として開けます」


 回収獣の砲撃が東壁へ迫る。


 レイルは第一番の完成直前を保持した。


 同時に、風標識が強すぎれば避難民を谷側へ押す。第二番の終端も胸へ引き寄せる。


 二つの完成圧力が、別々の方向から魂を押した。


「第一番は壁。第二番は道」


 フィアの声。


「東壁、あと五秒。風標識はリィナが橋を渡った後」


 セレネの声。


 少女型ニアがレイルの前へ二つの環を表示する。


『右が第一。左が第二。レイル、混ざってない。大丈夫です』

「ニア、吸引二%。表示維持」

『申請受理! 上限二%、三十秒で止めます。ニアちゃんに任せて!』


 東壁へ砲撃が触れる直前、レイルは第一番を返した。


「第一番――完成」


 硬土が結着し、壁が衝撃を受け止める。


 リィナが【無終剣・継歩(むしゅうけん・けいほ)】で回収獣の脚を払い、住民の最後尾が橋を渡る。


「今!」

「第二番――完成!」


 風の標識が開いた出口へ向かって流れ、避難路だけを照らした。


 二件保持は、レイル一人の成功ではなかった。


 番号を分けたフィア。

 時刻を切ったセレネ。

 出口を残したノア。

 道を開いたリィナ。

 住民を守ったアルド。

 地脈を読んだミュラ。

 回収獣を止めたラガン。

 表示を保ったニア。


 全員が別々の仕事をしたから、二つは二つのまま完成できた。


 回収獣は灰橋宿の外へ押し戻された。

 だが、空の白い環は消えない。


【再統合座標:追跡継続】


 その敵は、五人が揃ったことそのものを見つけていたのだ。


 戦闘後、ニアの少女姿が足元から薄くなる。


『実体維持、限界です。今日のニアちゃん、かなり頑張ったと思いません?』

「頑張った。助かったぞニア」

『即答、うれし。では猫型へ戻りまーす!』


 黒銀の猫となったニアが、レイルの肩へ落ちた。


『着地補助、お願いしまーす……にゃ』

「最後だけ猫へ逃げたな」


 共同炊事場へ戻ると、冷めかけた鍋が残っていた。


 宿守は新しい火を入れ、人数を数え直す。

 今度は、空席がなかった。


 レイルは大地図の灰橋宿へ、共通語と覚えたばかりの灰環交易語で二つの言葉を書いた。


【一時帰路】

【また戻る場所】


 (俺たちは人間圏へ帰る。でも、ここを捨てて帰るわけじゃない)


 背後では、リィナが追加の鍋を頼み、セレネが仕事札の増加を注意し、ミュラが灰環交易語で値段を交渉している。ニアの笑い声に、アルドとノアの言い合いまで重なった。


 賑やかで、まとまりがなくて、誰か一人では完成しない声だった。


 人間の地図で空白だった土地に、帰る場所が一つ増えた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 リィナと再会し、二件の完成圧力を仲間の番号、時刻、道へ分けてもらって初めて安定運用した少年。


・リィナ・アルセイル

 怪我の数を確認してからレイルへ抱きつき、灰橋宿の避難路を【無終剣】で切り開いた幼なじみ。


・セレネ・グランツ

 自分の応急修理をリィナに認められ、二件保持では完成時刻を分離した術式設計役。


・フィア・レコード

 再会の瞬間だけ記録札を閉じ、戦闘では第一番と第二番を別の対象として固定した目録官。


・アルド・クロイツ

 住民避難を指揮し、方向ではなく守る対象を基準に進路を完遂した騎士。


・ノア・エルグラム

 九十九%防壁の一箇所を欠陥ではなく住民の出口へ変えた魔導士。


・ミュラ/ラガン

 灰橋宿の地脈と外縁を守り、異邦人の再会を現地の帰路へつないだ案内人たち。


・ニア

 高テンションな少女口調と正確な表示を両立し、二件保持を最後まで可視化した同行者。


【章終了・現在ステータス】


【レイル・アルヴァート】

・年齢:十三歳

・立場:王立結着学院二年次/灰橋宿仮滞在者

・【未完】:二件を仲間の条件分離つきで安定保持。三件目は未認定

・装備:【灰環仮導杖】。風圧または光の一系統のみ

・新規技術:【裂息制動】【地脈聴歩】入口


【リィナ・アルセイル】

・剣術:【無終剣・継歩】

・状態:右足負傷、回復中

・更新:焦って単独加速せず、仲間の道を待てるようになった


【セレネ・グランツ】

・役割:術式条件分離、保持時刻管理

・更新:資料のない旅でも現場の材料と仲間を信じて応急処置を行った


【アルド・クロイツ】

・役割:避難、護衛、完遂

・制限:【単独道案内禁止】


【フィア・レコード】

・役割:【未完記録】番号管理

・更新:二件保持へ正式な第一番、第二番を付与


【ノア・エルグラム】

・種族:第二世代の半吸血種(ダンピール)

・役割:【灰環仮導杖】修理、九十九%防壁

・更新:幼いレイルの仮説を正式な共同研究候補へ昇格


【ミュラ・ノクテ】

・立場:地図師見習い/現地案内人

・固有技能:【道耳(みちみみ)

・更新:守られる対象から、道、食事、言葉を教える妹分へ成長


【ニア】

・主表示:幼い少女型

・形態:少女型半実体約三分/猫型長時間/犬型探索

・口調:未成熟で明るいパリピ系。レイルの表層的な現代語彙が混線

・制限:独自魔法発動不可/判断代行不可/吸引は事前申請制


【人間圏捜索側】

・王核大陸の座標を観測

・単独救助門による再分離の危険を確認

・全員同時帰還のため、現地受諾または外部座標の確立を継続


【次回】


 第8章「帰還路は完成しない」開幕。五人を再び見つけた白環回収網と、灰橋宿を守りながら帰還座標を作る、長い旅が始まります。


 空席のなくなった鍋を囲むように、レビュー、ブックマーク、フォローが第7章を最後まで歩いた仲間の数を残してくれます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ