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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第7章「地図の外の子どもたち」

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第94話「帰還ゲートは一人分」

 一つだけの正解は、迷わなくて済むぶん楽かもしれません。

 けれど、自分で選んだ間違いまで奪われるなら、それは救いとは限りません。


 村を出る朝、転移から十一日目。

 ルク水窪村(ルクみずくぼむら)で借りた寝床を出る時、レイルは三日間借りた寝床を返す前に対価として、井戸周辺の地図を清書していた。


 村人の地図札は地面の音と道の分岐を記録するが、人間圏(にんげんけん)式の距離、傾斜、危険地点の一覧は持っていない。互いの方式を重ねると、井戸から三本の退路と、雨季に塞がる谷筋が見えた。


 四腕の若者は完成した地図を受け取り、一本の指で距離欄を、別の指で危険欄を、残る二本で退出路を同時に確認した。


「細かい。多い。売れる。でも、持つ人、疲れる」


 ミュラが訳す。


「褒められているのか?」

「半分」


 村を離れる際、鱗の老女が乾燥した灰麦平焼き(はいむぎひらやき)と、薄い塩漬け葉を持たせてくれた。レイルは謝礼として人間圏の銅貨を置こうとしたが、老女は受け取らず、代わりに地図の写しを指した。


「仕事、返した。食べ物、返す。終わり」


 ミュラはそう説明した後、付け加える。


「また来たら、別。今の借り、閉じた」


 灰環圏では、恩をいつまでも残して相手を縛らない。対価を返した時点で、一度の貸し借りを閉じる。そのうえで、次に会った時は新しい関係を選び直す。


 人間圏の学院資料では、魔王種(まおうしゅ)の支配下にある者は「永続的な忠誠契約」で結ばれるとされていた。


 だが、この小さな村で最も嫌われるのは、終わりのない借りだった。


 (支配の形しか探さなかったから、”契約の出口”を記録できなかったのか)


 村の西には、古い休憩所があった。石壁は半分崩れているが、屋根と三つの出口が残っている。中央には白い環を組み合わせた装置があり、レイルたちが近づくと自動的に光った。


【異邦対象:確認】

【案内人格:規格外】

【投影形態:不統一】

【標準形態へ修正】

【不要記録:削除】


 腕輪の上でニアの少女型が乱れる。猫耳が消え、環状の尾が一本の直線へ引き伸ばされた。


『不正命令ヲ検出』


【猫型記録:削除】

【犬型記録:削除】

【少女型標準へ統一】


 ニアの輪郭が白く塗り替えられていく。


「接続を切れ!」

『遮断層、損傷。命令ガ直接侵入中』


 レイルは装置を【未完】で止めようと右手を伸ばし、寸前で引いた。命令の完成を奪えば、白環装置との接続そのものを保持し続ける可能性がある。何をもって完成かも理解できていない。


 壊れた杖を接続部へ差し込み、物理的に導線を引き抜いた。


 白い光が弾け、ニアがレイルの胸へ倒れ込む。半実体は数秒だけ残り、細い指が外套をつかんだ。


『猫型ハ省魔力、休息、潜伏用デス』


 声が震えている。


『犬型ハ追跡、探索、救助用デス』


 少女型の顔が欠け、すぐに戻る。


『少女型ハ対話、説明、接触用デス。全形態、記録上ノ必要性アリ』

「記録上だけか?」


 ニアはワンテンポ遅れて語った。


『……本人ガ必要ト判断シマス』


 レイルは接続部から抜いた白い導線を踏み折った。


「なら、勝手に一つへ決めさせるな。使う形はニアが選べ」


 (道具の形を道具に選ばせる、なんて言えば学院では笑われるかもしれない。でも、これはもう製品仕様だけの話じゃない)


 ミュラは事情を完全には理解していない。それでも白い装置へ唾を吐き、灰色の環を床へ描いた。


「白、全部同じ。灰、違っていい。出口、いる」


 その言葉の途中で、レイルの視界へ再び白い文字が現れた。


【北壁の第三石を押せ】

【帰還記録がある】


「発信者名を示せ」


 返答はない。


「目的は」


 返答はない。


「利益を受ける者、従わなかった場合、代替手段」


 白い文字が僅かに揺れる。


【苦痛を減らすための助言である】


「質問への回答になっていない」

『採点:説明不足』

「有用性は確認する。ただし、従属はしない」


 第三石を直接押さず、周囲を調べる。罠は見つからない。ミュラが棒で押すと、壁の一部が開き、小さな記録筒が出てきた。中には人間圏共通語にんげんけんきょうつうごで書かれた古い紙があった。


【王核より帰還する者へ】

(ゲート)は一人分】

【二人目を通せば、最初の者は別座標へ再移送】

【依存関係を持ち込むな】


 文字は古いが読める。レイルは紙を握りしめた。


 (帰れる可能性がある。でも、一人分。それを”帰還路(帰るための道)とは呼べない”)


 ミュラが不安そうに顔を覗き込む。


「帰る、ある?」

「一人だけなら、まだないのと同じだ」

「レイル、一人、帰る?」

「帰らない。全員を探す」


 ミュラは少し黙り、自分の胸を指した。


「ミュラも?」


 レイルはすぐに答えられなかった。ミュラにはこの大陸の村と家族がいる。人間圏へ連れて帰ることだけが正解ではない。


「ミュラが帰りたい場所はどこか。俺が勝手に決めない」


 ミュラは内容を理解するのに時間がかかった。ニアが候補を分け、言葉を補う。やがて少女は、レイルの袖ではなく手首を握った。


「一緒、探す。帰る、選ぶ」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 三日後、ユノ・アステルは再び、人間圏西端の旧勇者転送塔きゅうゆうしゃてんそうとうへ戻ってきた。


 前回は、自分が元の世界へ帰る方法を探すためだった。


 今回は違う。


 背負っている革鞄には、学院地下から採取された白い転移残響と、行方不明になった五人分の魔力記録が収められている。正式な調査許可証まで押し込まれているせいで、鞄は見た目以上に重かった。


「はぁ、だる……帰ったばっかりなのに、またここ。古代人さあ、大事な情報は一か所にまとめるっていう文明的な発想なかったの?」


 先を歩くカイン・ヴェルドが振り返り、携帯石板へ白墨を走らせた。


【前回、途中】


「分かってるよ。私が自分で『戻って読む』って言ったのも覚えてる。覚えてるから余計に腹立つの」


 塔の最深部は、三日前とほとんど変わっていなかった。

 埃の積もった石床。半ば崩れた帰還門。壁面を埋める、一人分の帰還しか認めない古い術式規格。


 ただし、一つだけ、前回にはなかったものがある。

 学院から持ち込んだ転移残響をユノが床へ置いた瞬間、沈黙していた環状文字のさらに内側で、細い白光が脈打った。


「……やっぱり。読めなかったんじゃない。前は、起動条件を満たしてなかったんだ」


 カインが灯光石(とうこうせき)を掲げる。


 壁の継ぎ目だと思われていた線が左右へ離れ、その奥から、もう一層の記録面が姿を現した。


【移送先候補――王核領域】

【現地呼称――ゼルハーン】

【到着座標――五系統へ分裂】

【単独回収――再矯正を実行】

【群体回収条件――現地受諾、または外部座標の提示】


 ユノは最後の二行を二度読んだ。


「一人ずつなら助けられる、じゃない。誰か一人だけ門へ通したら、残りをまた別の場所へ飛ばすってこと?」


 カインの白墨が、強い音を立てた。


【五人で帰す】


「うん。今度は選択肢じゃない。全員で帰す方法を探す」


 ユノは記録面の端に刻まれた、ひどく掠れた異邦文字へ目を止めた。


 古い日本語だった。


【私は一人では帰らない】

【向こうで家族ができた】

【門を閉じずに待つ】


 最後の一行は、途中で途切れていた。



【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 白環命令を能力で抱え込まず物理的に断ち、帰還門が一人分でも全員を探す方針を変えなかった少年。


・ニア

 猫、犬、少女の全形態を機能だけでなく自分に必要な姿として選び、白環の統一命令を拒んだ相棒。


・ミュラ・ノクテ

 帰る場所をレイルに決めさせず、それでも一緒に探して最後は自分で選ぶと伝えた妹分。


・ユノ・アステル

 再度勇者塔に訪れ、五人とも帰すと誓った勇者候補。


・カイン・ヴェルド

 短い石板でユノへ選択を返し、五人で帰すという条件だけは揺らがせなかった剣士。


【今回の能力・設定メモ】


・白環の帰還門は一人用規格であり、複数人が無理に通ると再分離される危険があります。

・灰環圏では形、所属、契約に退出路を残す思想が生活構造にも反映されています。


【次回】


 リィナとフィアが、食べるためにも殺しすぎない水場戦へ挑みます。


 一人用の門を全員の帰路へ作り直すため、レビュー、ブックマーク、フォローで開いた道を一緒につないでいただけると嬉しいです。

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