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第一章 二人の楽園 8話:【境界の境界、毒の残滓】

結界が左右に解け、境界の向こう側の空気が堰を切ったように流れ込んできた。

だが、その刹那――。


難民の群れから、一人の少女が飛び出した。血走った眼と歪んだ表情。片手に握りしめた粗末なナイフを、あろうことか「楽園の象徴」たる二人へと突き立てようとしたのだ。


「――女王は敵! 王も敵! 私たちが裕福に暮らせないのは、あんたたち二人の所為よ!」


少女の狂おしい叫びが響く。だが、王が指一本動かすまでもなかった。

風のような速さで門番の巨漢が割って入り、少女の細い腕を軽く捻り上げる。ナイフが空しく乾いた音を立てて石畳に転がった。


「ぎゃあぁっ!」


少女の悲鳴がテラスに響き渡る。

シンは不快そうに眉をわずかに歪めると、隣で控えるエルサを横目で見やり、氷のような声で吐き捨てた。


「……お前の千里眼も、聞いて呆れるな。こんな汚らわしい害虫を通すとは」

「陛下、誤解を。この者は選別など通しておりません。おそらく、最近境界の外で流行っている例の詩に脳を毒されたのでしょう。あのような妄想に憑りつかれた者は、もはや論理も正気も通用いたしません」


エルサは慌てる様子もなく、恭しく頭を下げてしれっとした態度で答えた。

シンの殺気が高まり、少女の首筋が凍りつく。このままでは少女の魂が消し飛ぶのも時間の問題だった。その時、アリシアがふわりと前に出た。


「女王よ、危険です!」


エルサが鋭く止めるが、アリシアは歩みを止めない。

シンは一瞬、妻を制止しようと手を伸ばしかけたが、その瞬間、アリシアと視線が交差する。彼女の瞳には、少女を殺すことへの拒絶と、何よりこの程度の狂気に屈する自分ではないという静かな自信が宿っていた。


シンは溜息を一つ吐くと、伸ばした手を下ろした。

自分が隣にいる以上、世界が滅びても彼女に指一本触れさせることはない。その確信が、シンを静観させた。


アリシアは冷ややかな石畳の上にへたり込む少女の目の前で、跪いた。その慈悲深い横顔は、シン以外の何者をも拒絶するはずの聖域を、一瞬だけ外の世界に向けて解き放っていた。


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