第五章 人質ではない女王 25話:【深淵からの静寂】
「あの王も、この枷で繋がれた女を盾にされれば手出しはできまい」
魔王の一人が、誇らしげにアリシアの顎を指先で持ち上げた。彼らにとって、この黒髪の女王は、かつてないほどの力を振るうシンを無力化するための、ただの「便利な道具」でしかなかった。
彼らは、アリシアがただ守られるだけの存在であり、人質という立場に屈して命乞いをする者だと信じ切っていた。
決定的な見誤りだった。
アリシアは、自分に向けられる汚らわしい指先を冷めた目で見つめていた。彼女は人質として震えているのではない。自身の「女王としての実力」を隠し持ちながら、敵の陣容と、その器の小ささを冷静に見定めていたのだ。
――この程度の者たちが、彼を止めるつもりだったのか。
彼女はため息をつくように、魔王たちの勝ち誇った顔を一人ひとり値踏みした。
かつて自分が配給の列で見守った子供たちの瞳には、未来に対する僅かな光があった。しかし、今目の前にいるこの高位の者たちの瞳には、権力と慢心という、あまりに底の浅い濁りしかない。
結果は、あまりに残念なものだった。
「期待した私が馬鹿だったわ」
アリシアが静かに呟くと、魔王たちが怪訝そうな顔で眉をひそめる。
「何を言っている?」
「あなたたちは強欲で、傲慢で……そして、本当に救いようがないほどに無知だということ。シンが私を奪い返すために、どれほどの速度で境界を越えてきたか、今のあなたたちには想像もつかないでしょうね」
アリシアの言葉が終わるか終わらないかの瞬間、要塞全体が大きく揺れた。
物理的な地震ではない。要塞を取り囲む「聖域の結界」が、何者かによる圧倒的な質量で、内側から悲鳴を上げているのだ。
地平線の彼方から歩いてくるのは、人間ではない。ましてやここは天空だ。
世界そのものを私物化し、ただ「愛する者」の無事だけを目的として歩む、荒ぶる理。
魔王たちは杯を落とした。
彼らが最強の盾だと信じていた結界に、目に見えるほどの「亀裂」が走り始めていたからだ。




