第三章 禁断の外出 19話:【空を割く喪失】
王の圧倒的な暴力の前に、難民も、天使族の斥候たちも、ただ凍りつくしかなかった。広場全体が、王の殺気によって支配され、呼吸すら許されない静寂に包まれる。
――その一瞬の隙だった。
空の高みから、まるで光の矢のごとき鋭い軌跡を描き、一体の天使族が滑空してきた。それは先ほど粉砕された使徒とは別の、隠密に特化した暗殺の個体だった。
「……ッ!」
エルサが察知して魔法を展開するよりも速い。天使の放った鋭利な翼刃は、防御障壁を紙のように切り裂き、エルサの胸を深く貫いた。
血を吐き出し、エルサがその場に崩れ落ちる。その勢いのまま、天使は女王アリシアの細い身体をさらりと抱え上げ、一気に天へと舞い上がった。
「アリスッ!!」
シンの咆哮が大地を揺らした。しかし、天使はすでに追いつけない高度まで急上昇していた。
「くそっ……エルサ!」
レヴォルテがエルサの元へ駆け寄る。泥に塗れ、倒れ伏すエルサの胸元を見る。幸いにも心臓という致命的な部位はかろうじて外れている。だが、深い傷口からは止めどなく赤い血が溢れ出し、エルサの意識は急速に途絶えようとしていた。
レヴォルテはエルサを抱え、空を見上げた。そこにあるのは、破滅的な光景だ。
王の怒りは、もはや理性を保つ限界を超えていた。最愛の妻であり、この荒廃した世界で唯一の温もりであるアリシアを奪われたのだ。
シンが空を見上げた。その瞳から人間味のある色は完全に消失し、ただ純粋な「殺意」だけが渦巻いている。
空を覆う雲が、王の激情に呼応するように赤黒く染まり、雷鳴が狂ったように轟き始めた。
「……返せ」
シンの低い声は、大地を震わせ、境界の結界そのものを根底から崩壊させる。
王は天へと跳ぶ。もはや加減などない。愛する妻を奪ったこの空そのものを、彼は今から引き裂こうとしていた。




