第三章 禁断の外出 16話:【踏み越えた境界線】
アリシアは古城の回廊を、影に身を潜めて駆け抜けた。目指すはエルサとレヴォルテが「不純物」を排除するために使う裏口のゲートだ。
普段なら王の傍らに侍る彼女が、今は自らの意志で、守護の魔法陣が刻まれた石壁を縫うように進む。
「私は、守られるだけの存在になりたくない」
誰に聞かせるでもない、決意の呟きだった。
ようやくたどり着いたその扉に手を当てる。冷たい感触。術式を解除し、扉を開け放った瞬間、湿った風とともに彼女の目に飛び込んできたのは、あまりに無残な光景だった。
難民たちが身を寄せ合って暮らす、荒れ果てた住居群。それは雨風をしのぐのが精一杯という程度の、崩れかけの掘っ立て小屋ばかりだ。
ちょうど、その中央広場では配給が行われていた。
薄汚れた鍋から立ち上る、かろうじて温かいだけの野菜スープ。アリシアは深くフードを被り、顔を隠してそっと列の最後尾へ並んだ。そして、配給担当の男が疲労でふらついている隙を突き、自然な動作で「代わります」と小声で告げた。男は誰かも確かめずに、無言で ladleを彼女に預け、その場を離れた。
アリシアはスープをすくい、乾いたパンを差し出した。
列に並ぶ難民たちの衣服はボロボロで、肌は土と垢に塗れている。彼らが差し出す粗末な木皿を受け取るたび、アリシアの胸は締め付けられた。
――ああ、なんて懐かしい痛みだろう。
彼女は、かつて自分がいたスラムでの日々を思い出していた。
明日食えるかどうかも分からない。ただ生きているだけで、罪のように蔑まれる日々。朝から晩まで、飢えと冷えに耐えるだけで精一杯だった、あの苦しく、救いのなかった時間。
いま目の前に並ぶ彼らと同じ目を、かつての自分もしていたのだ。
アリシアはフードの奥で、小さく唇を噛んだ。
配給の列に並ぶ者の表情には、生気がない。ただ、パンという名の「死なないための餌」を求める、空虚な餓鬼のような執念だけが宿っている。
その時、彼女は一人の少女に気づいた。
他の大人たちが我先にとスープを求める中で、列の最後尾で震えている少女。彼女が手にした皿は、泥で汚れてひび割れている。
アリシアは震える手でスープをすくい、最も温かいパンを一つ選び、少女の前にそっと置いた。
少女が顔を上げる。その瞳に映ったのは、深いフードを被り、慈愛の笑みを浮かべた見知らぬ「配給係」の顔だった。
アリシアは気づかれていない。自分がいま、彼らが憎んでいるはずの「魔女」だということに。
だが、その安らぎは長くは続かなかった。
彼女が差し出した温かなパンが、飢えのあまり震える少女の手に渡ったその瞬間、遠くの路地から不穏な聖歌が響き始めたのだ。
「――聖なる糧を汚す、不浄なる配給者を見つけ出せ」
天使の毒気を含んだ声が、広場に響き渡る。
配給を受けていた難民たちの瞳が、一斉にアリシアの元へと向けられた。




