第二章 宰相と門番の仕事 10話:【境界の境界線】
古城の玉座に座す王 シンにとって、世界とは女王 アリシアである彼女そのものであり、彼女以外のすべては単なる背景に過ぎない。ゆえに、この国の運営の一切は、ハイエルフの宰相エルサの双肩にかかっていた。王は武の才こそ世界最強であるが、それを振るう理由はただ一つ、愛しい妻を誰にも邪魔させないためだけにある。
その強大な軍備を一手に引き受けるのが、かつて魔族であったあの巨漢 レヴォルテだ。彼は圧倒的な武力と冷徹な戦術を以て軍を束ねる将であるが、時折、何かに惹きつけられるように自ら門番を買って出ては、境界の門の前に立つ。
今日もエルサは、そのレヴォルテを伴い、城下の検問所へと足を運んでいた。
検問所から見下ろす境界の外側は、隔絶された灰色の世界だ。王の権能によってこの地が分断されてから数千年、景色はほとんど変わっていない。ただ、そこに群がる難民の数だけが、絶望の澱のように積み重なっている。
エルサは、感情を排した瞳で難民たちを観察する。彼の手元には千里眼を駆使した選別リストがあり、今日も淡々と「境界の理」に適合する者を選り分けていた。
「……また、数が増えましたな。王の結界という名の鎖に縛られながら、それでもここを求めてくる」
エルサが呟くと、隣に立つレヴォルテが巨大な影を落としながら、静かにその門の向こうを見つめる。彼は無口だが、その視線は常に境界の外へ向けられていた。かつては死を待つだけの地獄だった場所だが、今はこの検問所を通じた配給によって、わずかな生命が維持されている。
食料、衣服、最低限の住居。それらはすべて、女王の慈悲によって与えられている。難民たちはそれが女王のできるせめてもの行いであることを知っているからこそ、飢えの最中にあっても、彼女の名を呼ぶことだけは忘れなかった。
(この平穏が、いつまで続くのか……)
エルサは、風に乗って聞こえる「偽りの聖歌」に眉をひそめる。女王の優しさは、この国の救いであると同時に、外の者たちを狂わせる甘い蜜にもなっている。宰相は手元の帳簿を閉じた。どんなに複雑な情勢であろうとも、王の愛を乱さぬよう、この「管理」という仕事だけは、完璧に遂行しなければならない。
傍らのレヴォルテは、静かにその巨大な武具を背負い直す。王の剣であり、門を守る盾である彼もまた、この平穏の裏にある不穏な毒を察知しているようだった。




