特異能の原石、江戸に現る。
「今日の夜も卵かけご飯かなぁ……」
天寧に母はいない。父ならいるが、売れない作家として暮らしている。そんな訳で矢吹家は、金銭的余裕がなく、天寧は高校へ進学することができなかったため、中卒でも働き手があるというこの町へ引っ越してきた。
だが、引っ越してきたというのには語弊がある。この町は完全に外の世界と隔離されていて、外に対して敵対心を持っている。表立ってこの町へ入ることは不可能だ。そこで天寧は、外からこの町へ運ばれる、食料輸送の牛車の荷台に乗り込むという暴挙に出た。
天寧が外から来た人間だとバレれば、どうなるのかはわからない。また、たちまち一度入れば、町から出ることも容易ではない。それらを全て承知の上で、このような行動に出た。
まあ、なんとかなるだろう。
そう思えるだけの、楽観的な考えも、天寧は持ち合わせていたのだった。
父は、息子の独り立ちを不安に思いつつも、自らの夢を叶えるためにも止めなかった。一見非情な人間に思えるが、父は天寧を愛しているし、天寧も父を愛している。その気持ちは本物である。二人の間に蟠りはないため、離れていても平気なのだ。
そんな訳で、天寧は一人でこの町に暮らしている。 この町へ来て早々に、家賃が安く、そこそこいい設備の家を見つけ、そこそこ稼げる仕事を見つけ、今ではそこそこ満足な生活を送れている。強いていうなら、「女が働いてるのか!?」「若いのに大変だねぇ…」と、行く先々で言われることくらいだ。
(俺は男だ!なんでこんなにも間違えられるのか)
天寧は、心外だ、とでも言いたげな顔をしているが、その反応はお門違いだ。天寧は、自身の外見を理解していなかった。
天寧は、男にしては華奢な体、高い声、そして、女と間違えられるくらいには愛らしい顔を持っていた。自覚がないとは罪である。
(そんなことはいいとして…)
天寧は、現在進行形で悩ましい問題を抱えていた。 今月は、家賃の支払いと、いい加減古くなっていた衣服の新調、物価高による食材の高騰などで出費が嵩んでしまい、所持金が残りわずかとなっていたのだ。
天寧は日々、新聞配達の仕事と、八百屋の接客の仕事をして日銭を稼いでいる。そこそこは稼げるが、給料が日給制ではなく、月末に支払われることになっているため、あと数日は待たなければいけない。
「このままじゃ、路頭に迷うことにー!!」
そのとき、ドスっと背中を押される感触がした。
手に持っていた鞄がない。
(もしかしてスられた!?)
前を見ると、先程まで自分が持っていた鞄を持って走っていく男の姿が見えた。
「ちょっと!それ俺の鞄ー!!」
鞄の中には、なけなしの金銭が入った財布もあった。
(あれがないと、明日の朝食が食べられない!)
どうしようかと慌てていると、建物の陰から、スラリとした長身の青年が現れた。
口をパクパクさせて、驚きや怒りでいっぱいになっている俺を見て戸惑っている。
「えっと、どうかしたの?」
青年は、まだ状況が理解できていなかった。
「あの人が、俺の鞄を……!」
「・・・スッたってことだね?」
そこからの青年の動きは早かった。
目にも堪らぬ速さで男を追いかけ、気づいたときには男の懐に入っていた。
次の瞬間には男に手刀を喰らわせ、気絶させていた。
え、この人人間……?
あまりにも呆気ない終わりに呆然としていると、青年は男を抱えて近寄ってきた。
「はい!捕まえたよー。この男はのびちゃってるから、このまま奉行所にでも突き出そうか」
「本当にありがとうございました」
「いえいえ〜、取られたのはこれ?」
男にスられた鞄を、青年から受け取る。
「これです!」
よかった、全部揃ってる……あれ?
「さ、財布がない!」
◯●◯
「財布がない!」
「え!?」
家を出たときは確かにあった。仕事中に落としたのだろうか。
「いくら入ってたの?」
「三…文とか」
町の外だと九十円くらいになる。某おいしい棒が六本買えるくらいだ。
「三文だったら、諦めた方がいいんじゃ...…」
誰だってそう思うだろう。俺の全所持金が、三文だと知らなければ。ただ、本当の問題はそれとは別だ。
「家の鍵、財布の中に入ってて」
「えー!鍵ごと落としちゃったのー!?」
そう。家に入れないのだ。
「今日、野宿になっちゃいました……」
財布がないから寝具も買えない。
「・・・だったらうち泊まる?」
そう呟いた青年から、天使の羽の音がした。
「・・・いいんですか?」
迷惑になるのではないかとも思ったが、この際そんなこと言ってられない。
「家に入れないのは困るでしょ。まあ、着いてきなよ」
道中、青年は色々なことを話してくれた。
「俺は 永倉桔梗って言うんだ。君の名前は?」
「俺は 矢吹天寧って言います」
「あまね!いい名前だね」
ききょうはとても社交的で、道でたまたま会い、偶然家に泊まらせることになっただけの男にも、優しく接してくれた。
「字はなんて書くの?」
「天国の天に、安寧の寧です」
「なるほど、天寧か!可愛らしい字を書くんだね」
可愛らしい字だね、とはよく言われる。
「そうですね。直前まで女の子だと思ってたらしくて、穏やかな雨のように、周りを幸せに包む人になるようにと父が名付けた名前です」
幼いころから父に、お前は周りを幸せに包むことのできる、特別な人間なんだぞ、と言われて育ってきた。少々親バカな気もするが、父の浮かべる朗らかな笑みを見ると、反論する気は失せてしまったものだ。
「幸せに……」
ききょうは急に黙ってしまう。何か気に触ることを言っただろうか。天寧は沈黙に耐えきれず、ききょうに質問をする。
「ききょうさんは、桔梗の花の字ですか?」
「・・・そう、母が好きだったって、聞いたことがある」
「美しい名前ですよね、桔梗さん」
「さん付けは恥ずかしいよ、多分俺たち、同い年だし」
「そうなんですか!?俺は、十七になる年です」
「俺もだよ。天寧と同じ、十七歳」
「うわぁ……桔梗さん、大人っぽいから年上だと思ってました」
「そう思われてるんだろうなって思ってたよ。だからせめて、さん付けじゃなくてくん呼びにしてね」
「わかりました!」
「あと、敬語もいらないから」
「わかった、桔梗くん」
「よくできました。……さあ、ここが家だよ」
入り口には立派な門があり、"家"というよりは"屋敷"に近かった。
「とても立派なお屋敷だね.…..。ご両親は、旧公家……もしくは、武士の家系の方なの?」
「いや、俺の両親じゃない。師匠の家なんだよね」
「お師匠さんがいるの!?」
初耳だ。それなら、尚更俺が泊まってしまっていいのだろうか。
「そう、師匠と俺の二人暮らし。だから、気兼ねせずに泊まっていいからね」
「お師匠さんに迷惑じゃない?」
今日は桔梗に助けられてばかりだ。自分が情けなくなってくる。
心の中で反省していると、桔梗は戸を開けて迎え入れてくれた。
「大丈夫だよ。財布なくして家に帰れない人を追い出すような人じゃないから」
・・・本当に、自分のことながら情け無い。
「お風呂沸かすから、風呂場に案内するね」
桔梗は何から何まで手を焼いてくれた。
夕飯も、二人分作るのも三人分作るのも変わらないからとご馳走してくれた。
風呂に入り、人が作ったご飯を食べ、温かい部屋でまったりする。この上ない幸せだった。
夕飯後、桔梗が離れに案内してくれた。
「天寧は、この使ってない離れを使って。掃除はしてあるから」
「本当にありがとう、桔梗」
桔梗はニコッと微笑み、部屋から出て行こうとした。……が、そうそう言い忘れてたね、と天寧の方に振り返る。
「危ないから、夜は部屋から出ないでね」
「・・・空き巣でも出るの?」
「そうじゃないけど...。この屋敷は広いから、部屋に戻れなくなると困るでしょ?」
・・・なるほど。確かに今日、俺は鈍臭い一面しか見せていない。心配されるのにも頷ける。
「わかったよ」
今度こそ、桔梗は部屋を後にする。
天寧も、寝台に入り目を瞑る。
この夜、天寧の人生に関わる、大きな出来事が起こる。




