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失恋したギャルの「彼氏としたかったこと」に、なぜか俺が付き合っています。  作者: ころもぐら


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8/62

第8話 話していない時間も

 火曜日の朝、教室の窓は上の方まで細かい雨粒で覆われていた。

 席に着いて鞄を下ろすと、前にいる拓海が、机の横へ掛けたタオルを押さえた。廊下を通る誰かの鞄が触れて、床へ落ちそうになっている。

「結構降ってたな」

「風が横から来るんだよ。傘、前に向けると足が濡れるし」

 拓海はズボンの裾を見てから、俺の足元にも目を向けた。俺も靴下の足首辺りが冷たい。天気予報を見て長い傘にしたのは正解だったが、それだけで全部を防げるわけではなかった。

 隣の椅子を引く音がして、藤崎さんが座った。

「おはよ。二人とも、何見てるの?」

「雨の被害」

 拓海が答えると、藤崎さんも足元を確かめた。

「私も靴の先、ちょっと濡れた。今日、夕方までこんな感じだって」

 彼女は畳んだハンカチを机へ置き、鞄から教科書を出した。肩の辺りに残っていた雨のしずくを指で払い、俺の方へ顔を向ける。

「三原、傘どんなの使ってる?」

「黒いの。柄も黒」

「ああ、同じのいっぱいあるやつだ」

「自分のだと思って持つと、長さ違ったりする」

「それ、もう持ってっちゃいそうじゃん。目印つければ?」

 言われて、傘立てへ入れたときのことを思い出した。持ち手に小さな傷があるので、今日はそれで確かめたが、離れると見えない。

「藤崎さんのは?」

「薄いグレー。持つとこに、黄色いひも結んでる」

「それなら分かりそう」

「ひもが取れたら、急に分かんなくなるけどね」

 彼女は笑って、机の端へハンカチを広げた。窓からの光はいつもより白く、藤崎さんの髪も少し落ち着いた色に見えた。

 朝の連絡が始まる前、高瀬さんが彼女の席へ来た。

「莉緒、今日、帰り寄るって言ってたの、別の日でもいい?」

「うん。大丈夫。今日この雨だしね」

「妹の迎え、私になった。母が戻るの遅くなるって」

「了解。じゃあ、また明日相談しよ」

 高瀬さんはうなずき、自分の席へ戻った。約束の変更も、それくらいの短いやり取りで済むらしい。

 俺は筆箱を開き、昨日買った新しいノートを取り出した。まだ何も書いていない表紙へ、今日の日付を書きそうになって、名前に直す。

 藤崎さんが横から見て、小さく笑った。

「ノートまで今日の日記にするとこだった?」

「まだ起きてから二時間くらいだけど」

「雨だった、で一行目いけるよ」

 俺は表紙へ名前を書き終え、彼女の方を見た。

「二行目は?」

「靴下が冷たい」

「今日はそこから始めたくないな」

 彼女が声を抑えて笑ったところで、担任が教室へ入ってきた。俺たちは前を向き、ノートを教科書の下へしまった。


 昼を過ぎても雨は弱くならなかった。

 体育で外へ出る予定だったクラスが廊下を移動していき、窓の向こうの校庭には、朝より大きな水たまりができている。

 最後の授業が終わった後、俺は鞄に入れた本を取り出した。先週の月曜日に借りた一冊で、昨夜、最後まで読み終えた。返す前に、途中へ挟んだ紙を抜く。

「それ、図書室の?」

 藤崎さんが、帰り支度をしながら聞いた。

「うん。今日返してくる」

「そっか。私、プリント持ってくように言われてたんだった」

 彼女は教科書に挟んだ用紙を取り出した。授業の終わりに班の分を集めたもので、職員室へ届けるよう頼まれていたらしい。

「私もそっち行く。途中まで一緒でいい?」

「うん。図書室、一つ上だけど」

「じゃあ、階段のとこまで」

 教室を出ると、藤崎さんはプリントを胸の前で持ち直した。廊下の端へ寄って、向こうから来た生徒を通している。

 いつもなら窓から校庭の声が聞こえる場所も、今日は雨の音が近い。二人で階段の前まで行き、俺は上の段へ足を掛けた。

「じゃあ、また明日」

 言いかけると、藤崎さんが俺を呼んだ。

「三原、帰りって、急ぐ?」

「いや。特に何もないけど」

「あのさ、ちょっと、温かいもの飲んで帰らない?」

 彼女は窓の方を一度見てから、俺へ視線を戻した。

「今日、思ってたより寒くて。駅に行く前に、どっかで座りたい」

 朝から靴下の話をしていたせいではないだろうが、俺も温かい飲み物が欲しくなった。

「いいよ。俺も飲みたい」

「よかった。じゃあ、私も用事終わったら連絡するね」

「下で待つ。図書室、返すだけだから」

 藤崎さんは、ありがと、と答え、職員室のある廊下へ曲がった。

 俺は階段を上がりながら、彼女の手帳を思い出した。雨の日に寄り道して、温かいものを飲む。あの中にあった項目だ。

 でも、声を掛けられた瞬間は、そこまで考えていなかった。彼女とどこかへ入って、温かいものを飲む。それなら今の自分もしたいと、先に思っていた。

 図書室の返却場所へ本を置き、担当の先生に声を掛ける。新しい本を見ようかと棚へ目を向けたが、今日は借りずに出た。

 昇降口へ下りたところで、藤崎さんから連絡が来た。俺が着いたと返すと、すぐに階段の上から足音が聞こえる。

「お待たせ。どこ行こうか」

 彼女は靴を履き替えながら聞いた。

「駅までの道の、パン屋の横にある店は?」

「窓が大きいとこ?」

「うん。喫茶って書いてある。入ったことないけど、前にメニュー見た」

「あそこ、私も通るたびに気になってた。やってたら、そこにしよ」

 入口のひさしの下で傘を探す。俺の黒い傘は、別の黒い傘の後ろに入っていた。持ち手の傷を確かめて抜くと、隣で藤崎さんが黄色いひもを見せた。

「やっぱ目印、大事でしょ」

「今のは、分かったから」

「今のは、ね」

 傘を開いた彼女が、先に一歩、雨の中へ出た。俺も自分の傘を差し、少し間を空けて並んだ。


 学校から駅へ向かう道は、二人の傘を並べると、いつもより狭かった。

 向こうから人が来るたび、俺が後ろへ下がったり、藤崎さんが少し先へ進んだりする。並び直すと、途中になった話がまた始まった。

「さっきの本、面白かった?」

「うん。途中、何でその人が怒ったのか分かんなかったけど、最後で分かった」

「あ、そういうの好き。戻って読みたくなるやつ」

「戻った。最初は感じ悪い人だと思ったんだけど」

 俺が話すと、藤崎さんは、どんな人、と聞いた。雨音で少し聞き取りづらく、俺は一度聞き返してから答える。

 細かい結末は伏せて話すと、彼女は自分なら最後まで疑ったまま読むかもしれないと言った。

「一回怪しいと思った人、しばらく怪しいんだよね。関係ないのに、物陰に立ってるだけで気になる」

「主人公も立ってたら?」

「何か隠してるのかなって」

「全員怪しくなるな」

「そう。だから大体、途中で分かんなくなる」

 彼女が笑ったとき、道路を車が通った。水を踏む音が近づき、俺たちは少しだけ塀の方へ寄る。大きくはねはしなかったが、藤崎さんが自分の傘を見上げた。

「今、ちょっと音すごかったね」

「こっちは大丈夫。そっち、かかった?」

「ううん。平気」

 彼女が答えたのを聞き、また歩き出す。

 傘の下では、顔を見ながら話し続けるのは難しい。隣にいるのに、藤崎さんの表情が見えないこともある。代わりに、話し終えた後の笑い声が、雨の音の間から聞こえた。

 パン屋の角を曲がると、目当ての店の窓が光っていた。

 木枠の扉の横に小さなメニューがあり、コーヒーや紅茶と並んで、ミルクとココアの文字がある。藤崎さんはその前で足を止め、傘を少し後ろへ傾けた。

「開いてる。ココアあるって」

「俺、ミルクティーにしようかな」

「よし、入ろ」

 店先の傘立てへ、それぞれの傘を入れた。俺の傘の隣に、黄色いひもの傘が並ぶ。

 扉を開けると、外とは違う、乾いた温かい空気が流れてきた。コーヒーの匂いの奥に、焼いたパンに似た匂いもする。

 店の人に二人だと伝えると、窓際の席へ案内された。窓の下半分には細い模様の入ったガラスが使われていて、外から足元までは見えない。道を歩く人の傘だけが、ときどき向こうを横切った。

 俺は鞄を空いた椅子へ置き、藤崎さんも自分の鞄を反対側の椅子へ置いた。制服の袖を少し引き、彼女が両手をこする。

「あったかい。ここ、正解だったね」

「まだ何も飲んでないけど」

「入った時点で、半分くらい正解」

「残り半分はココア次第か」

 藤崎さんはメニューを開き、真剣な顔でうなずいた。

「結構、大事だよ」

 彼女のホットココアは五百円、俺のミルクティーは四百八十円だった。注文を聞かれ、それぞれ自分の飲み物を頼む。机の中央へメニューを戻すと、思ったよりも広い場所が空いた。

 水のグラスを端へ寄せ、俺は窓の外を見た。さっきまで傘をたたいていた音は遠くなり、店内では、別の席の人がカップを置く音が聞こえている。

 藤崎さんもガラスへ目を向けていた。髪を耳の後ろへ掛けた指が、そのまま頬の横で止まっている。

 教室にいるときも、彼女がずっと話しているわけではない。でも、二人でいると、俺は何か話した方がいいような気になることがある。自分が楽しいと思っていることが、相手にもそのまま伝わるとは限らない。

 今日の授業の話でもしようかと考えたところで、藤崎さんが口を開いた。

「三原、ここ、外から見たことあったんだよね」

「うん。何回か」

「窓、こんなふうになってるの、知ってた?」

 彼女はガラスの細い模様を指した。小さな四角が続いていて、外の色が一つずつ違って見える。

「いや。中から見たの初めてだし」

「私、ちょっと好きかも。普通に道なのに、色だけになると違うね」

 彼女に言われ、改めて下の方を見る。車の赤いライトが模様の中でいくつにも分かれ、通り過ぎると、また灰色へ戻った。

「写真に撮ると、どうなるんだろ」

「撮ってみる?」

 俺が聞くと、藤崎さんは周囲を見てから、店の人に声を掛けた。席から窓の写真を撮ってもよいか聞き、人が写らなければ大丈夫と返事をもらう。

 俺たちはスマホを出し、それぞれ窓へ向けた。向かい合って座っているので、同じ窓でも、入る色が違う。

「私の方、ほぼ白い」

 彼女が画面を見せる。俺の写真には、道路の向かいの赤い看板が混ざっていた。

「そっち、赤入ってていいな」

「こっちから撮る?」

「うん。ちょっとだけ」

 俺は椅子を引いて横へずれ、藤崎さんが窓へスマホを向けられるようにした。彼女が席を立ち、俺の横へ来る。

 さっきまで向かいにいた人が、急に近くにいる。制服の袖が机の端に触れ、俺は自分の手を膝へ下ろした。

「ここからだと、もっと入るね。あ、でも今、赤いの消えた」

「バスが止まったから」

「ほんとだ。ちょっと待と」

 彼女はスマホを構えたまま、小さく笑った。俺も窓を見るふりをして、その画面を一緒に見た。

 発車したバスの後ろから、赤い色が戻ってくる。藤崎さんが一枚撮り、画面を確かめた。

「撮れた。ありがとう」

 自分の席へ戻るとき、彼女は俺の椅子の背に軽く手を添えた。動かないようにしただけだろうが、俺は彼女が離れてからも、一度そこへ目を向けてしまった。

 飲み物が来ると、藤崎さんはスマホをしまい、両手を膝の上へそろえた。

「いただきます」

 ココアには白いクリームが少し載っていた。彼女はすぐにカップを持ち上げず、スプーンで端をすくう。

「熱そうだな」

「うん。私、最初、絶対やるから」

「何を?」

「飲めると思って、熱っ、てなる」

「分かってるなら、今日は待った方がいいんじゃない?」

 俺が言うと、彼女はスプーンを持ったまま、少しだけ不満そうな顔をした。

「分かってても、早く飲みたいんだって」

 その言い方が妙に子供っぽく聞こえて、俺は笑った。藤崎さんは俺を見てから、今のは笑うとこじゃない、と言い、自分でも笑ってしまった。

 俺もミルクティーへ口をつける。思ったより熱く、少しだけ飲んでカップを戻すと、藤崎さんがすぐに気づいた。

「ほら。三原もじゃん」

「思ったより熱かった」

「私、それを言ってたんだけど」

 彼女は得意そうに言い、今度は時間を掛けてココアを飲んだ。


 しばらくして、藤崎さんが鞄から手帳を出した。

 淡い黄色の表紙を開き、六つの項目があるページへ指を挟む。俺の前へ向ける前に、自分で一度、書かれた文字を見直していた。

「これ、今日ので丸つけていいかな」

「雨のやつ?」

「うん。思い出したんだけど、誘ったときは、寒いなって方が先だった」

「俺も、言われてから思い出した」

「ね。今日の帰り、何かやる予定じゃなかったもんね」

 藤崎さんはペンギンのペンを取り出し、四番の横へチェックを入れた。

 最初に見たときより、空いている四角が少ない。映画の横の小さな星だけが、まだチェックのない場所の隣に残っている。

「ココアは、どうだった?」

 俺が聞くと、彼女は顔を上げた。

「おいしい。正解だった」

「じゃあ、残り半分もよかったんだ」

「うん。でも、残り全部がココアじゃないかも」

 言ってから、藤崎さんはペンの先をしまった。

「一人だったら、たぶんそのまま帰ってた。寒いけど、家で飲めばいいし。でも今日、三原とだったら、ここ入ってみたかった」

 俺は手元のカップを見た。紅茶の上に残っていた薄い湯気が、少しずつ見えなくなっている。

「俺も。前通っても、結局、入ってなかったから」

「次、通るとき、ココアおいしかった店だって思うね」

「俺は、ミルクティー熱かった店になるかもしれない」

「それ、私のこと笑ったせいじゃん」

 彼女は楽しそうに言い、手帳を鞄へ戻した。

 窓の写真の話から、雨の日は家で何をするかという話になった。俺が、写真を整理したり本を読んだりする、と答えると、藤崎さんは眉を上げた。

「写真、ちゃんと整理してるの?」

「全部じゃないけど。店の名前分かんなくなるから、行ったとこ確かめたり」

「私、服の写真いっぱいある。お店のと、家で合わせてみたのと。後で見ようって撮るのに、次のお店でまた撮る」

「分からなくならない?」

「なる。だから、この前みたいに手帳にも書くんだけど、写真も多くて」

 藤崎さんはスマホの画面を見て、困ったように笑った。

 俺も写真の一覧を開いた。川沿いの猫や、服の店で見たシャツの間に、藤崎さんから送られたアイスの写真がある。

「それ、もう一枚の方も残してるんだ」

 俺の画面に気づき、彼女が言った。

「うん。こっち、いちごの方よく見えるから」

「そう。私の手、ちょっと入っちゃってるけど」

 カップの端に触れた指と、制服の袖が写っていた。送られたときには、それも含めて、あの日の写真だと思っていた。

「別に、いいんじゃない。店の写真じゃなくて、俺たちが食べたときのだし」

 言ってから、妙な言い方をしたかもしれないと思った。藤崎さんは画面を見たまま、すぐには何も言わなかった。

「……そっか。うん。じゃあ、消さなくていいや」

 彼女も自分のスマホを操作した。何を残したのかまでは見えなかったが、画面を伏せる前に、一度だけ笑っていた。

 俺は一覧を閉じ、スマホを鞄へしまった。

 その後、どちらからともなく会話が途切れた。藤崎さんはココアを少しずつ飲み、俺もカップの底に残った紅茶を傾ける。

 今度は、新しい話題を探さなかった。彼女が窓の方を見れば、俺もそちらを見る。模様の中を青い傘の色が通り過ぎ、それを追った目が戻ってきたところで、彼女と目が合った。

 藤崎さんが口元を緩めたので、俺も少し笑った。

「どうしたの?」

「いや。雨、まだ降ってるなと思って」

「そうだね。さっきより、ちょっと細かくなったかな」

「外で話すと、また聞き返すことになりそう」

「三原、さっき、一回全然違う返事したよ」

「いつ?」

「本の話。私、最後までその人出てくるの、って聞いたのに、面白かったって」

 言われて、俺は首を傾げた。彼女がどんなふうに聞いたのか、もう思い出せない。

「それは、ごめん。出てくる。最後まで」

「よかった。消えた人、気になったままだった」

 彼女はカップを置き、今、何時、と聞いた。俺がスマホで確かめると、店へ入ってから四十分ほど経っていた。

「そろそろ帰ろうか。夕飯、入んなくなる前に」

「そうだな。ココア、結構ありそうだし」

「うん。でも家帰ったら、またお腹すきそう」

 藤崎さんは最後のひと口を飲み、空いたカップをソーサーへ戻した。

 会計は一緒にせず、それぞれ自分の分を払った。財布をしまいながら、彼女が店の人に、おいしかったです、と伝える。俺も礼を言って、扉を押した。


 外の空気に触れると、制服の襟元が少し冷えた。

 傘立てには黒い傘が二本あり、俺が持ち手を見比べようとすると、藤崎さんが先に片方を指した。

「三原、そっち。傷ついてる方」

「よく覚えてたな」

「朝、見てたから」

 彼女は自分の傘を取り、黄色いひもの位置を確かめた。俺も言われた傘の傷を見てから、持ち上げる。

 店へ入るときは、自分の傘を間違えないようにしていただけだった。出てくるときには、彼女の方が先に見つけてくれた。それくらいのことが、カップを持っていたときよりも、手の辺りに残った。

 ひさしの端で、藤崎さんがすぐには傘を開かなかった。

「ねえ、今度も、こういうの誘っていい?」

「ココア?」

「ココアでもいいけど。何か、放課後、ちょっと座りたいなとか。そんなの」

 彼女は傘の先を地面へつけ、俺を見た。

「水族館とか映画みたいに、ちゃんと決めてなくても」

 俺は今日の帰り道を思い出した。本を返して、途中で別れて、明日また教室で会うはずだった。それが少し変わっただけで、知らなかった窓と、熱いココアを待てない藤崎さんを知った。

「いいよ。今日も、楽しかったし」

 答えてから、もう一つ付け加えた。

「俺からも言うと思う。寄りたいとこ、あったら」

 いつ言えるかまでは、まだ分からなかった。でも、そうしたいと思ったことは、今のうちに言っておきたかった。

 藤崎さんはうなずき、傘の留め具を外した。

「うん。じゃあ、聞く。急いでる日は、ちゃんと言うね」

「俺も。今日は大丈夫だった」

「今日、私も」

 彼女が傘を開き、俺も続いた。二つの傘が広がると、また相手の顔が少し見えにくくなる。

 歩き始める前に、俺は藤崎さんの方へ顔を向けた。

「さっきの写真、後で送って。白い方の窓」

「赤いのじゃなくて?」

「うん。俺のと違うから」

「分かった。三原のも、送ってね」

 並んで歩けるところまで進み、俺たちはまた、少しだけ傘を離した。離れても、声は届く。

 家へ帰って鞄を置くと、先に藤崎さんから写真が届いていた。窓の模様は淡く、その隅に、俺のミルクティーのカップが半分だけ入っている。

『カップ入っちゃってた。これでもいい?』

 俺は画像を開き、そのまま保存した。

『これがいい。俺が飲んだときのだし』

 送信してから、自分の撮った写真も選ぶ。赤い看板の色と、窓辺に置いた水のグラスが写っていた。

 返事と一緒に送ると、彼女からすぐに、小さな猫が両手でカップを持つスタンプが来た。その後に、短い文字が続く。

『じゃあ、私もこっち残しとく』

 俺は濡れた靴下を替えに立ち、途中で、玄関へ置いた傘のことを思い出した。あの傷を見れば、藤崎さんにも分かる。

 目印をつけるのは、もう少し後でもいいかと思ったが、やっぱり明日までに何か結んでおこう。今度また傘を持って出るとき、彼女にどっちが見つけやすいか聞いてみようと思った。

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