第7話 隣で見る人
買い物をした建物の出口で、藤崎さんが足を止めた。
駅へ続く通路の壁に、映画のポスターが何枚か並んでいる。すぐ横には、小さな棚にチラシも置いてあった。この通路を抜けた先に映画館があるので、ここにも案内を出しているらしい。
「これ、もう始まってるんだ」
彼女が見ていたのは、制服姿の男女が踏切の両側に立っているポスターだった。題名は『放課後の遠回り』。片方が呼びかけようとしているのか、女の子の口が少し開いている。
「知ってるやつ?」
「うん。予告、何回か見た。面白そうだなって思ってたんだよね」
俺も横から見た。題名に聞き覚えはなかったが、下の方の写真には、古い商店街らしい景色が写っている。
藤崎さんはチラシを一枚取り、裏返した。片手に服の袋を持っているので、紙が少し折れそうになる。
「袋、置けるとこあったら、そっちで見ようか」
「あ、うん。ありがと」
通路の端にあるベンチへ移り、買った服の袋を足元へ置いた。俺は通路を空けた側に腰を下ろし、彼女の手元の紙をのぞく。
隣同士になれば、自然と同じものが見える。藤崎さんはチラシを少し中央へ寄せてくれた。
「同じ学校の子たちが、卒業前に、閉まる予定のお店の映像を撮るんだって」
「商店街のやつか」
「うん。その間に、いろいろあるらしい。予告だと恋愛っぽいところが多かったけど」
説明を読みながら、俺は写真へ視線を移した。古い店の前で、制服の袖をまくった男子がカメラを構えている。その横に、ポスターと同じ女の子がいた。
「三原、こういうの見る?」
藤崎さんが聞いた。
「たまに。自分で選ぶと、違うのが多いけど」
「どんなの?」
「冒険するやつとか。あと、笑えるの。さっきのポスターだと、隣にあったアニメも気になる」
「郵便屋さんの?」
「そう。『星の郵便局』」
宇宙服のような格好をした小さな配達員が、封筒を抱えて惑星を飛び越えている絵だった。予告を一度だけ見たことがある。
「あれも、かわいいよね。私、動いてるのはまだ見てない」
「配達先、間違えたところから始まるらしい」
「宇宙でそれやると、大変そう」
「隣の星まで、だいぶありそうだな」
藤崎さんは笑い、手元のチラシをもう一度見た。
「じゃあ、一緒に見るなら、そっちかなあ」
言われて、俺は彼女へ顔を向けた。
「一緒に?」
「……あ、うん。次、どっか行くなら。映画もいいかなって思って」
藤崎さんは紙の角を指で押さえた。俺も、足元にある二つの袋を見た。
買った服を着て、また会おうという話はした。でも、何をするかは決めていなかった。
「俺は行きたい。映画」
そう答えると、彼女がこちらを見た。
「ほんと? よかった。じゃあ、アニメの方、予告見とくね」
「でも、藤崎さんが気になってたのは、そっちだろ」
俺は彼女の手元を指した。藤崎さんはチラシへ目を落とす。
「うん。こっちも、見たいのは見たいけど」
「だったら、俺もあらすじ読んでみる。何となく苦手っていうほど、こういうの見てないし」
「苦手だったら言ってね。無理して見ても、二時間くらいあるから」
「分かった。とりあえず、どっちも見てから決めない?」
彼女は少し考えてから、うなずいた。
「そうしよ。私、まだ片方しか知らないしね」
俺も立ち上がり、自分の分のチラシを取ってきた。二作品の紙を重ねると、青い宇宙の絵の後ろから、赤い踏切のランプが少しだけ見える。
日程は、次の日曜日なら互いに空いていた。土曜日は藤崎さんに家の用事があるらしい。映画の次の週の上映時間は、まだ詳しく出ていなかったので、時間は後で相談することにした。
駅前で別れた後、俺は服の袋が折れないように持ち、チラシを鞄へしまった。
新しいシャツを着る日の候補が、もう一つ決まった。
日曜日は、久しぶりに一人で歩いた。
買い物の帰り道、川沿いへ少し遠回りをする。ここ数日は学校か駅前にばかりいたので、土の道を歩く感触が違っていた。
橋の下へ近づくと、前に写真を撮った猫がいた。階段の端で丸くなっていたのが、俺の方を見た途端、片目だけ開ける。
スマホを構えても逃げなかったので、少し離れた場所から一枚撮った。
写真を見ると、猫よりも階段の占める面積が多い。近づくと起こしそうなので、そのまま保存する。
そこで、藤崎さんが、何か見つけたら送って、と言っていたのを思い出した。
『前に教室で見せた猫、またいた』
写真をつけて送る。用事はなかったが、今日は文章を消さずに送れた。
橋を渡る頃、スマホが震えた。
『あの子だ。まだ眠そう』
『俺が来たときから、ほとんど動いてない』
『日曜だからね』
画面を見て笑い、俺は通路の端へ寄った。川の水面に雲が映り、その上を小さな波が横切っていく。
続けて、藤崎さんから写真が来た。
桃色のブラウスが、椅子の背へ掛けられている。その下には、青いスカートの一部が写っていた。
『私も、今度着るやつ考えてた』
買う前は当日まで見ないでと言っていたのに、買った後は送ってくれるらしい。俺は画面をもう一度見て、返事を打つ。
『そのスカートと合わせるんだ』
『うん。まだ迷ってるけど。三原は?』
『白いTシャツと合わせてみた。昨日言ってたやつ』
『いいね。今度見せて』
俺も、次の日曜日に着ていこう、と返した。
送信してから、少し先まで歩く。いつもと同じ川沿いなのに、途中で会話をする相手が増えたような気がした。
猫の写真一枚を送っただけで、藤崎さんがどんな日曜日を過ごしているか、少しだけ知れた。
帰宅してから、机の上へ二枚のチラシを並べた。昨日は服をしまった後、寝る前にアニメの予告だけ見たので、今日はもう一方も見るつもりだった。
スマホへ題名を入れ、短い予告動画を開く。
閉店する店のシャッターへ、制服姿の生徒たちが絵を描いていた。別の場面では、男子がカメラを構えたまま、映っている女の子へ何かを言いかける。音楽が大きくなり、返事の部分は次の場面へ切り替わってしまった。
商店街が気になったのも本当だったが、最後には、何を言ったのかも知りたくなっていた。
画面を閉じようとしたところで、藤崎さんからメッセージが届く。
『星の郵便局、予告見た。あの荷物の積み方は落ちると思う』
配達員が自分より高く荷物を積んで飛んでいく場面のことだ。
『だよな。しかも一番大事そうなのが上にある』
『先に落ちるよね。絶対』
返事を書いている途中、弟が廊下から俺を呼んだ。借りていた充電器を返すと言うので、ドアを開けて受け取る。
「何見てんの?」
机のチラシに気づいたらしく、弟が青い方を指した。
「映画の予告。そっちも、ちょっと気になってる」
「あ、それ、俺も見たい。配達のやつでしょ」
「うん。予告、結構面白かった」
弟は題名をスマホへ入れ、部屋へ戻っていった。俺は充電器を机へ置き、チラシの端をそろえる。二つとも見たいと思ったことまで、どちらかを選ぶと消えるわけではない。
俺も、もう一方の予告を見たことを伝えた。
『商店街の方、思ったより気になる。カメラの後ろで何て言ってるんだろうな』
『そこ! 私も気になってた』
続けて届いた文字を読み、俺はもう一度、動画の最後へ戻った。
映像の中で、女の子が振り返る。相手の言葉は聞こえないが、笑う直前のような顔をしていた。
月曜日の昼休み、小テストの答案が机に残っていた。
俺のは十問中八問、藤崎さんのは七問正解だった。彼女は返された直後、例の符号の問題へ小さく丸をつけていた。
「ここはできてた」
「うん。あとは、この計算の途中だな」
「そう。解き方は分かってたのに、最後で数字違ってた。そこ、悔しい」
彼女は答えを直してから、ノートの見直す場所へ付箋を貼った。俺も間違えた問題を確かめ、答案をファイルへ挟む。
「で、映画、どっちにする?」
ノートをしまった藤崎さんが、少し声を弾ませて聞いた。
「俺は、商店街の方も結構見たくなった」
「私、アニメも面白そうだと思った。あれ、途中で変な動物出てきたよね」
「いたな。住所の看板食ってるやつ」
「配達の邪魔しかしてないじゃん」
彼女が笑ったところで、拓海が弁当を持って振り返った。
「何、その話」
「映画。予告のやつ」
俺が説明すると、拓海も、ああ、と題名を思い出したようだった。隣から高瀬さんも来て、机を寄せることになる。
四人で食べるときの位置は、前と同じになった。俺の正面に藤崎さん、隣に拓海、その向かいに高瀬さんがいる。
弁当袋は、今日は一度で開いた。拓海がそれを見て、直ってるな、と言うので、俺も問題ないと返した。
「映画、見に行くの?」
高瀬さんが聞くと、藤崎さんは、今度の日曜に、と答えた。
「二つ気になるのあって、まだ迷ってるんだ」
「郵便屋の方と?」
「『放課後の遠回り』。紗季は、そっち見たことある?」
「まだ。先週見たのとは別のやつだよね」
高瀬さんはスマホでポスターを確かめ、題名に聞き覚えはあると話した。拓海はアニメの方が気になるらしく、弟が見たがっていたと言う。
俺は、それなら俺たちは別の方に、という言葉を飲み込んだ。誰かが見たいと言ったからといって、自分が決める必要はない。二人でどちらを見るか、まだ相談している途中だった。
「莉緒は、商店街の方、どこが見たいの?」
高瀬さんに聞かれ、藤崎さんは少し考えた。
「最後、何を残すのかなって。好きな人に言うことなのか、お店の映像なのか、そこが知りたい」
「ああ。どっちも入ってるんだ」
「うん。私、告白するかどうかだけじゃなくて、その前に普通に一緒にいるところが好きなんだよね。予告でも、帰り道で何でもない話してるのとか」
俺は箸を止め、彼女の話を聞いた。
題名もポスターも、恋愛映画のものだと思っていた。でも、藤崎さんが何を見たいのかを聞くと、少し違って感じる。
彼女は俺の方へも顔を向けた。
「三原は、予告見て、どうだった?」
「カメラの後ろのやつ、気になる。何か言った後の顔だけ映して、返事見せてくれないから」
「分かる。そこで切るの、ずるいよね」
「あと、お店の中。奥の方まで映ってたのが、ちょっとよかった」
そう言うと、高瀬さんが笑った。
「やっぱり背景も見るんだね」
「いや、人の方も見てるよ」
「うん。今、ちゃんと両方の話してた」
藤崎さんもうなずき、予告の中で気になった場面をもう一つ話した。
俺が見た場面と同じだったが、彼女が気にしていたのは、画面の端で待っている友達の表情だった。俺はそこを覚えていない。帰ってから見直すか、映画館で確かめようと思った。
拓海は別の話題を出しかけ、そこで俺を見た。
「三原、日曜空いてないのか。じゃあ、土曜は?」
「何かある?」
「母親に頼まれてたやつ。駅の向こうの店行くから、お前が前に言ってた古本屋、近いなら寄ろうと思って」
俺は少し驚いてから、土曜日なら空いていると答えた。以前に、安く本を買える店を見つけたと話した覚えがある。拓海も探している漫画があるらしい。
「じゃあ、時間決まったら連絡する」
「うん。場所は分かるから」
「探してるの、まだ続き買ってなかったんだ」
俺が聞くと、拓海は箸を持ったまま、もったいなさそうな顔をした。
「一冊だけ、飛んでるんだよ。そこ読まないと先に進めない」
「話は分かるんじゃないのか」
「分かるかどうかじゃなくて、順番に読みたいんだって」
「それは、確かに」
俺も、続きが気になっても途中を抜かして読むことはない。あの店なら並びを確かめやすい棚だったと思い出し、行って探そう、と答えた。
拓海は、それでなかったら取り寄せる、と言い、自分の弁当へ目を戻した。
前に話しただけの店を、彼も覚えていてくれたらしい。俺の方からまた誘わなかった間にも、行ってみたいと思っていたのだろうか。
約束が一つ増え、隣にいる拓海は、そのまま弁当を食べ始めた。
藤崎さんと会う日を考えていたところへ、別の予定が入ってくる。どちらかを断る必要もなく、土日が少しずつ埋まっていくことが、今は妙に嬉しかった。
放課後、藤崎さんと昇降口へ向かう途中で、彼女のスマホが鳴った。
画面を見て、あ、と小さく声を出す。
「お姉ちゃんだ。頼まれてたの忘れてた」
「何か買うの?」
「駅前の文房具屋で、細い両面テープ。家で使ってたの、なくなったって」
「あそこなら、俺も寄る。ノート、もうすぐ終わるから」
そう言ってから、自分でも、寄る理由を無理に作ったのではないかと考えた。けれど、数学のノートが残り数ページなのは本当だった。帰ってから買い忘れたと思うより、今買っておいた方がいい。
藤崎さんも、じゃあ一緒に、と答えた。
店に入ると、彼女はテープの棚へ向かい、俺はノートを探した。大学ノートを一冊取って戻ると、藤崎さんが二つの箱を持って見比べている。
「幅が違う。細いって、どっちだろ」
「聞ける?」
「うん。写真送る」
返事を待つ間、俺たちは棚の端へ移った。隣には色の違う付箋が並んでいる。藤崎さんは自分のノートについているものと似た色を見つけて、これも少なくなってた、と一つ取った。
「二人とも、学校の買い物になったね」
「昨日は服で、今日はノートとテープか」
「昨日じゃないよ。服は一昨日」
言われて、俺は曜日を確かめた。
「あ、そうだった」
「今度は三原が分かんなくなってる」
彼女が笑う。学校が一日始まると、休日から随分離れた気がするのに、土曜日の服選びは、まだすぐそばの出来事みたいだった。
姉から返事が来ると、藤崎さんは片方の箱を戻し、もう一方を持ってレジへ向かった。俺も別に会計を済ませ、店の外で合流する。
鞄にノートをしまってから、俺は映画の話を切り出した。
「日曜、商店街の方にしない?」
藤崎さんが、ほんとに、とこちらを見た。
「俺、あれ、ちゃんと見たくなったから。予告の続きも気になるし」
「アニメは大丈夫?」
「うん。あっちも気になるけど、今回は、こっちがいい」
彼女は俺の顔を見た。それから、手に持っていた文房具の袋を鞄へ入れる。
「私が見たいって言ったから、合わせてない?」
「それで気になったのはある。藤崎さんが話してなかったら、たぶん予告も見てなかったし」
俺はそこで一度、言葉を切った。
「でも、見て面白そうだと思ったのは、俺だから」
藤崎さんは目を少し細くし、うなずいた。
「そっか。じゃあ、一緒にそっち見たい」
「うん」
「よかった。さっき、三原も同じところ気になってるって聞いて、結構嬉しかった」
俺も、昼休みの彼女の話を思い出した。
何でもない帰り道の会話が好き。そう言っていた彼女が、今も隣で歩いている。
「藤崎さんが言ってた、端っこの友達の顔、俺、見てなかったから。そこも見る」
「私、逆にお店の奥、覚えてない。映画ではそっちも見てみる」
「全部見ようとすると忙しいな」
「予告の答え合わせだけで、終わっちゃうかも」
二人で笑いながら、駅へ続く道を歩いた。
買い物の日に、互いに違う色の服を選んだときも、気まずくはならなかった。今日は、別々に見た予告から同じ映画を選んだ。どちらも、言わずに相手へ合わせていたら、分からなかったことだと思う。
信号待ちで止まったとき、藤崎さんが鞄を開け、手帳を取り出した。今度は、六つの項目のあるページではなく、日付の入った予定の欄だった。
「日曜、映画。時間は金曜に確認するんだよね」
「うん。上映の予定が出たら。予約もそのときでいいと思う」
「分かった。私、午前でも午後でも大丈夫。夕方までには帰れたら」
「俺も。昼前後のがあったら、その辺にしようか」
彼女はうなずき、小さく書き込んだ。手帳を閉じる前に、俺の方を見て言う。
「あと、終わってすぐ帰らなくても平気?」
「平気だけど、どこか寄りたい?」
「ううん。見た後、ちょっと話したいなって。気になったとこ、三原はどう思ったかな、とか」
俺は返事をする前に、彼女の手元を見た。
映画を見る時間の後に、話す時間も欲しいと言われた。それは、上映が終わった後も、一緒にいたいということだろうか。
そこまで大げさに考える話ではないのかもしれない。けれど、俺は日曜日の予定を、映画の題名だけで考えなくなっていた。
「俺も、話したい。見たところが違うかもしれないし」
答えると、藤崎さんが笑った。
「うん。じゃあ、そこも予定に入れとこ」
信号が青に変わり、彼女は手帳をしまって歩き出した。俺も隣へ並ぶ。
映画が始まれば、二時間ほど話はできない。水族館のときのように、何か見つけるたびに呼ぶこともできない。
その代わり、終わってから話せる相手がいる。藤崎さんがどんなところで笑うのか、自分が気にした場面を、彼女も覚えているのか。そういうことまで、少し楽しみになった。
家へ帰ってから、俺は買ってきたノートを机へ置いた。
その下に、二枚の映画のチラシが重なっている。俺は商店街の方を上へして、スマホの予定表を開いた。
次の日曜日の欄へ、映画の題名を書く。時刻はまだ入れず、その下へ、終わってから少し話す、と付け足した。
朝から隣の席で話していた相手と、今度は映画館でも隣に座る。そのことを思い浮かべると、チラシを見ただけのときより、日曜日が近く感じられた。
スマホが震え、藤崎さんからメッセージが届いた。
『映画館、席どのへんが好き?』
俺は座席の配置を思い出してから、返事を打つ。
『真ん中より、少し後ろ。近すぎると全体見にくいから』
『私も後ろの方がいい。じゃあ、その辺にしよう』
続けて送られてきたのは、映画館の座席表の画像だった。まだ予約画面ではなく、スクリーンの中の並びを説明する案内図らしい。
藤崎さんが丸をつけた辺りには、空いた椅子がいくつも並んでいる。俺はその中から、二つ続いた席を目で探した。
『ここら辺かな』
俺も画像へ印をつけて返すと、すぐに、そこいいね、と返事が来た。
『取れたらいいな。金曜、確認しよ』
『うん』
最後に、彼女から猫が隣の椅子をたたいているスタンプが届く。俺は画面を見たまま、少し笑った。
席はまだ予約していないけれど、その隣に誰が座るのかは、もう決まっていた。




