第67話 見てほしい場所が、ここにある
九月の終わり、三組の教室の壁には、いつもと違う物が並び始めていた。文化祭で展示する写真の候補だ。学校の中の好きな場所をそれぞれ撮り、短い言葉を添えて見せることになっている。
最初に案が出た時、俺は少しだけ迷った。写真を撮るのは好きだが、みんなの前で詳しい人になるつもりはない。何かを聞かれても、全部分かるわけではなかった。
それでも、自分が一枚出すならと考えると、見てみたい場所がいくつか浮かんだ。窓の光や、廊下の角、昼のあとに空く階段。いつも通るところを、写真にするために一度止まって見直す。
高瀬さんは、机に落ちた影を撮ってきた。人の顔は写っておらず、椅子の端と窓の形が少し入っている。俺が好きだと言うと、彼女は、うまく写ってるか分からないけど、自分はここがよかった、と笑った。
「うん。どこ見て撮ったか、分かる気がする」
「三原くんのは、どれ?」
聞かれて、俺は自分のスマホを出した。朝、校舎へ入る前に撮った通路の写真だ。横の建物に隠れていた光が、床へ細く落ちている。
彼女は画面を見て、いつ撮ったの、と尋ねた。朝だと答えると、こんなところ明るくなるんだねと言う。俺も前から毎日気づいていたわけではなく、撮る場所を考えてから見つけたと話した。
選ぶ時には、撮影した場所や時間、写っている物に問題がないかをクラスで確かめた。展示する分は先生にも見てもらう。知らない生徒の顔がはっきり写った写真は、そのまま使わず別の候補にした。
俺は自分の一枚を選び、短い説明を書く。題名を立派にしようとすると、写真より言葉の方が大きくなる気がして、結局、朝の通路、とした。
高瀬さんがそれを見て、分かりやすい、と頷く。俺はもう少し何か考えた方がよかったかと聞きかけたが、自分でその名前がよいと思ったのなら、今はそれで出してみたかった。
候補を見せ合った日には、同じ場所を選んだ人もいた。俺が通る階段を、別の生徒は上から撮っている。誰もいない時を待ったらしいが、窓の向こうに見える校庭の色で、いつもより明るく見えた。
「ここ、そんなふうに写るんだ」
俺が言うと、相手は、自分でも撮ってから気づいた、と笑った。狙って全部を写したわけではないらしい。俺も自分の写真を見直し、撮る時には気づかなかった床の模様へ目が向いた。
説明を一つずつ読んでいると、すぐにどこか分かる写真ばかりでもなかった。壁の一部だけを撮った物を前に、何人かで首を傾げる。撮った本人が場所を教えると、全員同じように声を上げた。
「毎日見てるのに、分かんないんだな」
俺が笑うと、高瀬さんも、近すぎると違う物に見えるね、と返す。展示の順番も、似た場所を続けるか、離しておくかで少し変わった。俺一人が選ぶのではなく、みんなで並べ替えながら決めていった。
作業の途中、俺の一枚が少し暗く見えるという話になった。自分では気に入っていたので、そのままにしたいと伝えると、隣に明るい写真を置いた時との違いも見てみようと言われた。比べてから、俺はやはり今の感じが好きだと答えた。
相手は頷き、ではそれで、と次の写真へ移った。意見を聞いたら必ず変えるのでも、変えないなら聞く意味がないのでもなく、自分で決めてよかった。
四組は教室で輪投げと簡単なゲームをすることになった。莉緒は飾りや案内を作る手伝いをしていて、拓海は道具の配置を確かめているという。
放課後、廊下へ出ると、彼女が紙を抱えて歩いてきた。俺は端が折れそうなのに気づき、持とうかと聞く。
「ありがとう。じゃあ、こっちだけ持って」
彼女が渡した分を受け取り、教室の前まで一緒に運んだ。中では机を動かしていて、拓海がこちらを見つけると、三原も働いてる、と笑う。
「こっちのクラスの手伝いは、入口まで」
俺が返すと、莉緒も笑った。俺には三組でやることがあり、彼女たちにも自分の役割がある。恋人のところだけを手伝っているわけにはいかなかった。
写真の展示をすると話すと、拓海は俺の分もあるのかと尋ねた。あると答えると、あとで見る、と返ってくる。莉緒も、自分も見に行きたいと言った。
「いつなら航平いる?」
「当番の時間、まだ最終が出てない。分かったら送る」
「うん。私も、自分の分送るね」
俺たちはそう話し、いったんそれぞれの教室へ戻った。いつでも一緒にいられる文化祭ではないが、どこへ行けば会えるか聞けるのは嬉しかった。
その夜、俺は家で勉強をする前に、当日の予定を一度見た。準備のために帰りが少し遅くなったので、予定していた量を全部そのまま押し込むのは難しい。
今日はどこまでやるかを決め直し、明日へ回す分を書いた。文化祭のことをしていたから勉強ができない、と全部一つにまとめるより、その日に残った時間を自分で使いたかった。
莉緒からも、帰ってから少し書類を見直したという連絡が来た。次の出願へ向けて必要な物を揃え、家の人とも確かめている。文化祭を楽しみにしていても、自分の進路のことを忘れているわけではなかった。
俺は、自分も今日やる分を決め直したと返す。そこで長い相談にはせず、明日も学校でねと言い合って、スマホを置いた。
文化祭の前日、教室の机は壁際へ寄せられ、中央に人が通れる道ができた。写真の下に貼る説明を並べていると、俺のものだけ少し傾いていると指摘される。
離れて見ると確かに傾いていて、俺は留め直すことにした。高瀬さんが隣の紙を押さえ、俺が端を揃える。近くで作業していた生徒も少し下がって、そこでいい、と声をかけてくれた。
自分の一枚だけをきれいに見せたいと思っていたわけではないが、並んでいると全体の見え方が変わる。隣の写真の題名も読んでいるうちに、同じ学校でも、まだ俺が見ていない場所が多いと気づいた。
暗い踊り場を気に入った人もいれば、昼の光の入る窓を選んだ人もいる。俺はその一つを指し、どの時間に撮ったか尋ねた。相手は、掃除のあと、と答え、普段からそこで靴ひもを結び直すことがあると言う。
その説明を聞くと、場所の印象が少し変わった。写真だけで全部分かったつもりにならず、本人から聞けるのが面白かった。
作業を終える頃、当番の時間も決まった。俺は二日目の日曜、午前の三十分間を担当する。莉緒は同じ日の午後に当番があり、その前なら一緒に回れそうだった。
相談して、日曜の十二時半に三組の前で会うことにした。一時十五分までの四十五分なら、彼女も自分の準備へ戻れる。昼は先にそれぞれ食べ、時間の全部を待ち合わせに使わずに済むようにした。
「三組、先に見たい」
彼女に言われ、俺は頷いた。俺も一緒に見たいと返す。自分の写真へ何を言ってくれるか少し気になったが、感想を先に決めて待つのはやめた。
土曜の一日目は、開場前の教室に独特の落ち着かなさがあった。自分たちの展示ができていても、廊下から人の声が近づくと、ちゃんと見てもらえるのかと気になる。
俺は入口の案内を確かめ、当番の生徒へ必要な物を渡した。自分の担当時間ではないが、最初だけ少し様子を見てから別の用事へ向かうつもりだった。
入ってきた人が一枚の写真の前で立ち止まると、俺もそちらを見てしまう。すぐに別の写真へ移る人もいれば、説明を最後まで読む人もいる。自分が店や展示を回る時と同じなのに、こちらに立つと気になった。
高瀬さんが俺の顔を見て、見すぎ、と笑った。
「分かるけど、ずっと顔追ってるよ」
「そんなに?」
「うん。私もさっきやったから、分かる」
俺は笑い、少し入口から離れた。全部の人に同じ時間見てもらう必要はなく、気になった物の前で止まってもらえればよかった。
昼前には四組へ寄った。拓海が入口で案内をしていて、俺を見ると、見ていけよ、と中を示す。莉緒はその時間、別の用事をしているらしく、教室にはいなかった。
俺は受付で案内を聞き、一度だけ輪投げをすることにした。簡単そうに見えたが、投げる距離に立つと、思ったより近いのか遠いのか分からなくなる。
最初の輪は手前へ落ち、二つ目は端へ当たって跳ねた。拓海が、力はある、と笑うので、俺はそれは今いちばん要らない感想だと返す。
最後の一つは少し軽く投げ、低い点のところへ入った。俺は嬉しくなったが、そのあとすぐ、最初からそうすればよかったと思って笑った。
「今ので、次に役立つだろ」
拓海が言い、俺も頷いた。彼は俺にだけ長く付き合わず、次の人へ案内する。俺は礼を言って端へ寄り、教室の飾りを少し見た。
入口から読める文字の大きさが揃っていて、混みそうな所には小さな案内がある。莉緒がどこを作ったか全部知っているわけではないが、あとで本人に聞きたいと思った。
一日目に帰宅したあと、夕食で文化祭の話をした。父が写真は見られるのかと聞いたので、自分の分だけスマホで見せる。ほかの人の作品をまとめて送ったりはしていないので、並んだ感じまでは伝わらない。
「これ、朝の学校?」
「うん。ちょっと早く来た時に」
俺が答えると、父は、通路が長く見えるな、と言った。自分が考えていた光の話とは違い、弟はさらに、ここ走ったら怒られそう、と言う。
「走るために撮ったんじゃない」
「分かってる。でも、長いから」
弟が笑い、俺も笑った。見せたら全員同じことを思うわけではない。それが写真の良し悪しを勝手に決めることとは違って、今日自分が見ていた物へ別の言葉がついた感じがした。
夕食を片付けたあと、俺は明日の当番の時間をもう一度確かめた。莉緒と待ち合わせる前に、自分でやることを終えておく。スマホへ時間を残すと、彼女からも、明日楽しみにしてる、と届いた。
俺は返事をして、予定していた分の問題集を開いた。今日歩いて疲れたところはあるので、長く続けるより、決めた分だけ見て寝ることにする。明日も彼女と楽しく歩けるくらいには、ちゃんと休みたかった。
日曜の朝、俺は少し早めに学校へ来た。展示の紙が浮いていないか確かめ、入口の掲示を見直す。高瀬さんと昨日の話をすると、彼女も別の教室で思ったより長く遊んでしまったらしい。
当番の三十分間は、入口で案内をした。写真を見ていいかと聞かれた時には、自由に回ってよいこと、混んだ時は立ち止まる場所を少し空けてほしいことを伝える。
中学生らしい二人が、同じ学校に入ったらここ通れるかなと話していた。俺はその言葉を聞き、いつも自分たちが歩く道も、まだ知らない人には違う場所なのだと思った。
自分の写真の前へ来た人が、これ朝なんだ、と説明を読んだ。俺はそこで、自分が撮ったと先に口を出さず、少し離れていた。相手は隣の写真も見てから、また一度通路の方へ目を戻した。
どこを好きだと思ったかは分からない。それでも見てくれたことが嬉しく、俺は受付の紙を揃え直した。
交代の時間になり、次の人へ何をしたか伝えた。混んだ時間や、聞かれたことを短く話し、用具を渡す。自分の役目を終えてから教室を出ると、廊下の賑やかさが急に近くなった。
昼は自分の分を買って食べ、十二時半までに三組へ戻った。彼女を待ちながら、いつもの紺の筆箱を鞄の奥へしまう。今日は教科書をたくさん持ってきていないので、いつもより軽かった。
莉緒は約束の時刻より少し前に来た。こちらへ手を振り、ちゃんと食べたよ、と先に言う。俺も食べたと返し、二人で教室へ入った。
俺は入口で、どこから見てもいいと伝えた。莉緒は頷き、手前の写真から順番に眺め始める。俺も隣で見ていたが、自分の一枚がある方向へ目が向いてしまった。
説明したくなったところで、彼女が先に別の写真を指した。
「ここ、こんな光になるんだ。毎日通ってたのに」
「うん。俺も写真で見て知った」
答えると、莉緒はその説明を読んだ。本人がいれば聞けるのにねと小さく話し、俺は掃除のあとに撮ったと教えてもらった写真だと伝える。
そのあとで、彼女は俺の一枚の前へ来た。題名と説明を読み、少し黙って見ている。俺は、朝の光が、と言いかけ、途中で止めた。
莉緒がこちらを向き、何か言いかけた、と尋ねる。俺は笑い、自分の感想を先に説明しそうになったと答えた。
「聞きたいけど、ちょっとだけ、私も見ていい?」
「うん。もちろん」
返すと、彼女はまた写真へ向き直った。俺は隣で待ち、自分でもその写真を見た。スマホの小さな画面と、壁へ並べられた形とでは、同じ一枚でも少し違う。
しばらくして、莉緒が、帰りじゃなくて、これから行くところみたい、と言った。
「朝って書いてあるからかもしれないけど。誰もいないのに、これから誰か来そう」
俺は彼女を見た。自分が撮った時に考えていた言葉とは違うが、そう言われると、写真の空いた道が別の見え方をする。
「俺、光の線が気になって撮った。でも、今、そう言われると、そっちも分かる」
「そっか。私、ここを歩くところ、考えてた」
彼女は笑い、見せてもらえてよかったと続けた。俺はありがとうと返し、自分の一枚を見てもらうのがこんなに嬉しいとは思っていなかったと話す。
彼女が先に俺の意図を当てたからではない。俺と違うことを見つけ、自分の言葉で返してくれたことが嬉しかった。
教室を出ると、俺たちはまだ行っていない展示を一つ見に行った。廊下は混んでいたので、手をつなぐより、声が届く距離で前後に歩く。莉緒が途中で振り返り、ちゃんといる、と確かめた。
「いる。今、ちょっと人通した」
「うん。置いてきたかと思った」
彼女が笑い、俺も笑った。誰かを追いかけて急ぐ必要はなく、歩けるところでまた並べばよかった。
入った教室では、簡単な謎を解いて次の説明を見る展示をしていた。俺は最初の問題で少し自信があったが、莉緒が別の場所を指す。
「こっち、まだ見てないよ」
説明の端を読むと、自分が一つ条件を落としていたと分かった。俺が早かったと言うと、彼女は、私も先に答え聞きそうになった、と笑う。二人で少し考え、次へ進めた時には、声を抑えて喜んだ。
全部を最後までやるには時間がかかりそうだったので、途中で時計を見た。莉緒が当番へ戻る前に、少し余裕を残したかった。
「ここまでにしようか」
俺が言うと、彼女は頷いた。最後までできなかったことが残念ではあったが、今日二人で楽しんだところまでなくなるわけではない。
四組の前へ戻った時には、一時十五分より少し前だった。莉緒は鞄を持ち直し、俺へありがとうと言う。
「写真、見せてくれて嬉しかった」
「来てくれて嬉しかった。俺も、昨日、四組見た」
輪投げの話をすると、彼女は拓海から聞いたと笑った。俺は、力だけ褒められた、と言い、莉緒はその場面を想像したように肩を揺らす。
どの案内を作ったのか聞くと、彼女は入口の下の方と、中の角のところを指した。俺が昨日気になった場所の一つだったので、そこを見たと伝える。
「人が立ってても見えるようにしたくて。場所、みんなで変えたんだ」
「うん。最初に行った時、分かりやすかった」
答えると、彼女はよかったと笑った。俺だけの一枚と同じように、彼女にも自分が考えて手を入れた場所がある。それを聞いてから見ると、ただの紙ではなくなった。
彼女は当番へ入り、俺は三組へ戻った。帰りにまた会えたら声をかけると話したが、終わる用事が違うので、無理に同じ時刻まで待つ約束にはしなかった。
片付けが始まる頃には、教室の中が朝と違う賑やかさになった。展示の紙を外し、用具をまとめ、机を戻す。自分の写真を受け取った時、俺は少しだけ手を止めた。
高瀬さんも自分の一枚を持ち、これ、家に持って帰っていいんだよね、と尋ねる。俺は説明を確かめ、持ち帰ってよい分だと答えた。
「しまう場所、考えてなかった」
彼女が笑い、俺も同じだと返す。飾っていた場所がなくなると少し寂しいが、写真そのものを捨てなければいけないわけではない。
自分の紙を曲げずに入れるため、俺は持ってきた薄いファイルへ挟んだ。隣で片付けていた生徒が、今度また別の場所も撮れば、と言う。俺はうんと頷き、撮りたいところができたらそうすると答えた。
全部の片付けを終えて廊下へ出ると、四組はまだ机を戻していた。莉緒は俺を見つけ、もう少しかかると口を動かす。俺は頷き、自分も先生へ返す物が残っていると伝えた。
結局、用事を終えた時刻は少しずれた。俺が先に駅へ向かい、莉緒は高瀬さんと帰ることになった。寂しくないと言えば嘘だが、さっき二人で回れた時間はちゃんとある。
俺は先に帰るね、と送ってから、今日の写真の感想を聞けて嬉しかったともう一度伝えた。少しして、私も自分の見たこと話せて嬉しかった、と返ってくる。
家へ着き、写真を机の上へ置いた。莉緒の言った、これから誰か来そう、という言葉を思い出す。朝の通路へ、今度は別の日に行ってみたいと思った。
勉強の時間まで全部写真のことに使うのではなく、今日は片付ける場所を決めるところまでにする。ファイルへ戻し、本棚の手前へ立てた。
夜、莉緒から帰宅の連絡が来たあと、俺たちは文化祭の話を少し続けた。彼女が次に見てみたい場所を挙げ、俺も自分の分を話す。最後の文化祭だったけれど、見たいことまで最後になったわけではなかった。
話の途中で、莉緒が朝の通路の写真を自分にも送ってほしいと言った。俺はもちろんと返し、自分が撮った一枚だけを送る。彼女から届いたありがとうを読み、展示が終わっても、見てもらった時間はまだ続いているようで嬉しかった。




