第55話 近くの灯りで、十分甘い
十二月二十四日の教室は、授業が終わる少し前から落ち着かなかった。外へ出る予定を話している人も、家で食べる物を相談している人もいる。俺は鞄へ教科書を入れ、今日も同じ場所にある紺の筆箱を一番上へ置いた。
莉緒は高瀬さんと話しながら上着を着ていた。俺と目が合うと、昇降口で、と口だけで言う。頷いてから拓海を見ると、彼は買って帰る物のメモを確認していた。
「家の買い物?」
「うん。頼まれたやつ。自分の分忘れないように、一緒に書いた」
「先に自分のだけ買うなよ」
「そこまで信用失ってないと思う」
拓海が笑い、俺も笑った。高瀬さんは妹と家で作る物の話をしていて、莉緒があとでどうなったか聞かせてと言っている。今日の放課後は、みんなそれぞれ楽しみにしているものがあった。
俺たちは予定どおり昇降口で合流した。学校の用事は変わらず、二人とも家へ十七時半までに戻ると改めて伝えてある。駅前を歩いて、温かい飲み物を飲み、遅くとも十七時には別れる。それ以上を今から詰め込むつもりはなかった。
「メリークリスマス、って今言っていい?」
莉緒が靴を履き替えながら聞いた。俺は少し考え、明日も言えばいいと答える。
「じゃあ、今日も。メリークリスマス」
「メリークリスマス」
向かい合って言うと、何だか可笑しくて、二人で笑った。特別な日らしい言葉は、口にしてみれば照れるだけでなく嬉しかった。
莉緒はマフラーを少し緩め、手袋を鞄から出した。家にあった灰色のものだ。俺も上着のポケットに手を入れかけ、彼女を見る。
「手、つなぐ?」
「うん。冷たくなったら手袋つける」
片方は手袋、片方は俺の手。校門を離れ、人の流れが落ち着いたところで、彼女は自分から指を絡めた。
駅へ続く道には、店ごとに違う飾りがあった。大きな木に電飾を巻いたところもあれば、窓の端に小さい星だけ並べたところもある。まだ明るい時間なので、光よりコードの線の方が目立つ場所もあった。
「前に見た時、ここ昼だったから。暗くなるの、楽しみ」
莉緒が言い、俺も窓をのぞいた。赤い紙の飾りが内側へ重なり、明かりを通すと少し違う色になる。
「ここ、夜に見たら後ろの棚も一緒に見えそう」
「航平、後ろまで見てる」
「手前だけ見てたら、ガラスに自分が映ってた」
俺が言うと、彼女はすぐ窓に顔を向け、自分たちを見つけて笑った。俺はスマホを出しかけて止め、今日は写真に写りたい気分か尋ねた。
「今日は撮りたい。航平とも」
「うん。じゃあ、あとで場所探そう」
彼女の返事を聞いてから、スマホをしまった。前に断られた日のことを、何度も持ち出す必要はない。今日どうしたいかが分かれば、それでよかった。
少し先で、店先のメニューを見た。温かい飲み物が持ち帰れる小さい店で、以前通った時には席の場所まで見ていなかった。今日は二人で店の中を確かめ、空いていれば座ろうという話になった。
入口で尋ねると、二人用の席が一つ空いていた。俺は温かいココア、莉緒はミルクティーを頼む。飲み物はそれぞれ四百五十円で、食べ物は追加しなかった。家で夕食があるのを、二人とも楽しみにしている。
座って上着を少し緩めると、莉緒が、もう今日は十分いい日だと言った。
「まだ灯り、ちゃんと見てないけど」
「うん。でも、一緒に来て飲み物頼んだだけで、もう嬉しい」
彼女は自分の言葉に少し照れたのか、メニューの端へ目を落とした。俺も、分かると返す。
「遠くまで行かなくても、ちゃんと楽しみだった」
「今日、家に帰るの遅くしなかったのも、よかったと思ってる」
そう言う彼女の声は、名残惜しさをごまかすものではなかった。家へ帰ってからの時間も楽しみなのだと分かる。
飲み物が届き、カップから湯気が上がった。俺は少し待ってから一口飲み、思ったより甘いと笑う。莉緒は、ココアだからねと当然のことを返した。
「俺、いつもお茶か紅茶が多いから」
「今日はココアにしたかった?」
「うん。メニュー見たら」
「じゃあ、いいじゃん」
彼女が笑い、俺も頷いた。前から予定していなかった小さい希望を、その場で選べるのも嬉しかった。
席の横の壁に、店で売っている菓子の案内が貼ってあった。今日の分を無理に買うつもりはないが、莉緒は写真の形を眺め、包装がかわいいと言った。
「中身じゃなくて?」
「中身も。でも、こういうの、包んだまま見たくなる」
「開けたら壊れちゃうの、少し惜しいな」
「そう。でも、食べたいから開ける」
俺は誕生日の封筒を思い出した。今も引き出しへ入れてあるが、中のカードは何度か読んだ。包みを守りたい気持ちと、中を見たい気持ちはどちらも本当だった。
その話を全部するのは照れくさくて、カードを今も読んでいるとだけ伝えた。莉緒がカップを置き、少し目を丸くする。
「読んでるの?」
「うん。もらった日に一回だけ、ってことにはならなかった」
「そっか。嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい」
「声には出してない」
「そこは守ってくれてて、ありがとう」
彼女が笑い、俺も笑った。カードの文をここで読み上げなくても、何が嬉しいかは話せた。
莉緒は鞄の中を見て、小さな紙袋を出した。俺の方へ差し出す前に、確認するように言う。
「今日、大きいプレゼント交換するって話はしてないけど。これ、私があげたくて持ってきた。もらってくれる?」
俺は袋を見て、それから彼女を見る。何も用意していなかったことへの焦りが一瞬だけ走ったが、先に彼女の言葉を聞いた。
「ありがとう。もちろん」
「お返し、今日なくていいからね。そういうつもりじゃない」
見抜かれていたらしい。俺が少し笑うと、莉緒はつられたように笑った。
中には個包装の小さいチョコが数個入っていた。市販のもので、彼女が自分で組み合わせたらしい。手作りだと勝手に思い込まず、好きな味を選んでくれたのかと尋ねた。
「うん。私が食べて好きだったやつ。航平も好きかもしれないって」
「嬉しい。帰ってから食べる」
「食べたら、どうだったか聞きたい」
俺は頷き、袋を鞄へ入れた。相手に何かをもらったら、その場で同じ値段のものを返さなければいけないわけではない。今日は嬉しいをちゃんと受け取って、あとで感想を伝えればいい。
「俺も、何か渡したいと思った時、言う」
「うん。その時は私も喜ぶ」
彼女の返事が自然で、俺はまた少し肩の力が抜けた。
カップを持ち直し、俺は冬休みの課題の話を少しした。今のところ一日で全部終わらせるような計画にはしていない。年末の家の用事もあるので、先にできるところから進めるつもりだった。
「航平、計画書くの好き?」
「書いてる時は、できそうな気になる」
「分かる。私、きれいに書けると、もう頑張ったみたいになる」
莉緒が笑い、俺も頷いた。実際に紙を埋めるのと、課題を進めるのは別だ。試験前に一週間を書き出した時のことを話すと、彼女は毎日電話の時間も入れかけたところで吹き出した。
「私、その通りにかけてたら、何話すか考えて焦ったかも」
「俺も。今日は特にないけど約束だから、ってなるところだった」
「ない日も、声聞きたい日はあるけどね」
「うん。そういう時は、そう言って」
彼女は頷いた。話題があるから電話する日もあれば、声を聞きたいからかける日もある。ただ、二人の空いている時刻を確かめるところは、どちらでも同じだった。
俺はココアを飲み、口元に少し残った感じがしてナプキンを取った。莉緒はそれを見て、笑いをこらえている。
「ついてた?」
「ちょっと。言おうと思ったところ」
「先に気づけてよかった」
「十七歳の自力」
「そこまで年齢を背負わせなくていい」
二人で笑い、彼女もミルクティーのカップを置いた。自分が格好よく見えることばかり考えていたら、こんな話は落ち着いてできなかったかもしれない。
ふと、俺の家へ来た日のことが話題になった。弟が筆箱のお姉さんと言いかけたことを、莉緒はまだ思い出すらしい。
「名前、次会ったら覚えてくれてるかな」
「覚えてると思う。帰ったあと、藤崎さんってちゃんと言ってたし」
「よかった。私、あの呼び方も嫌じゃなかったけど」
「でも、俺は名前で覚えてほしい」
俺が答えると、莉緒は少し驚いたあと、頬を緩めた。
「何か、今の嬉しい」
「物くれた人、だけじゃないから」
「うん。航平も、うちのお父さんに、また道の話聞いてほしい人になってるかも」
そう言われると俺も嬉しかった。家の人に会う用事が、最初の挨拶を上手くできるかだけで終わらず、次に話したいことへつながっている。
「古い道、まだ歩けてないな」
「冬休み、昼に行けたらいいね。うちの用事が落ち着いた日なら」
「俺も確認してみる。急に全部今日決めなくていいけど」
「うん。今日は光を見る日」
莉緒は窓の外へ目をやった。店の前を通る人の上着が、入った時より少し暗く見える。空はまだ真っ暗ではないが、街の灯りが目につく時間になっていた。
店の中が混み始めたので、飲み終えたところで席を立つことにした。支払いをそれぞれ済ませ、外へ出ると空の色が変わり始めていた。光を見るには、ちょうどよい時間だった。
駅前広場の電飾は、昼に見た時よりはっきり浮かんでいた。木の枝の形に沿って小さい光が並び、その下を人が歩いている。どこかの有名な景色ではない。いつも待ち合わせる時計も見える場所だ。
「きれい」
莉緒が短く言い、俺も頷いた。二人で少し離れたところから眺め、歩いている人の邪魔にならない端へ寄る。
「ここ、普段は素通りするのに」
「俺も。待ってる時、時計ばっかり見てる」
「今日は木も見て」
「見てるよ」
笑いながら、俺はスマホを出した。光が白く飛ばないよう画面を触り、明るさを少し変える。撮ってから見せると、莉緒は空がまだ青いところが好きだと言った。
「真っ暗になる前の方が、こういう色残るんだね」
「うん。来るの早すぎたかなって、ちょっと思ってたけど」
「私、この色が見られて嬉しい」
俺はもう一度空を見た。帰る時刻を決めたから残った景色もある。夜遅くまでいられないことを、足りないところとして数えなくてもよかった。
莉緒も自分のスマホで木を撮った。次に二人で写りたいと言って、立つ位置を考える。背景の光を全部入れようとすると顔が小さくなるので、欲張らないことにした。
「時計もちょっと入る?」
「入るけど、どっちかの顔切れるかも」
「それはやめよう。光、半分くらいでいい」
彼女が笑い、俺の隣へ寄った。手をつなぐとスマホの角度が作りにくいので、撮る間だけ腕を緩める。画面の中へ二人の顔が入ったところで、莉緒が俺を見た。
「航平、また画面と目が違う方見てる」
「今、見た」
返事をした時にシャッターが切れた。俺が少ししゃべっている顔で、莉緒は笑っている。もう一枚撮って見比べ、二人で後の方を選んだ。
「これ、欲しい」
「今送る」
その場で互いに写真を保存した。背景の光は一部しか入っていないが、二人の顔はちゃんと写っている。俺たちが今日見た景色を全部説明する写真ではなくても、十分だった。
写真を送り終えてから、莉緒が自分のマフラーを少し直した。俺が見ているのに気づき、曲がっていたからと説明する。
「撮り直す?」
聞くと、彼女は画面を一度見て首を振った。
「これは、このままでいい。笑ってる方が好き」
「俺も」
きれいに整えた姿を残したい日もあるし、少し違っていても気に入る時もある。どちらが本当の彼女かを決める必要はなかった。俺は自分の画面で選んだ一枚をもう一度見て、二人とも笑っているのを確かめた。
スマホをしまうと、莉緒が空いた手を差し出した。俺も手を重ね、次の窓へ向かって歩き始めた。
広場の外側をゆっくり歩き、もう一つの窓の飾りを見た。近くまで寄らないと分からない小さい紙の星が、電球の手前に重なっている。莉緒はそこに気づいて、俺へ教えてくれた。
「自分の部屋でも、こんなふうにできたらかわいいかも」
「作ってみたい?」
「うん。でも、火とか電気の近くは気をつけないとね。紙だけ窓に飾るならできそう」
何でもすぐに二人で作る約束にしなくても、彼女の見ている先を聞けるだけで楽しかった。俺は、できたら見たいと伝えた。
「写真送る。失敗しても送る?」
「莉緒が見せたいなら。成功だけじゃなくてもいい」
「じゃあ、見せたくなったら」
彼女が頷き、歩きながら小さい星の形を指で描いた。俺はその指を見て、紙より先に彼女の顔を撮りたくなりかけたが、スマホは出さなかった。今は話を聞いていたかった。
駅の近くまで戻ると、別れるにはまだ少し早かった。俺たちは人の流れから外れた場所へ寄り、時計を確かめた。四時五十分を少し過ぎたところで、家へ帰るには余裕がある。
「あと五分くらい、ここにいていい?」
莉緒が言う。俺は頷き、隣へ立った。
「俺も、もう少し一緒にいたい」
「うん。でも、ちゃんと帰る」
「うん」
帰ることと名残惜しさを、どちらも口にできた。俺は彼女の手をつなぎ直し、手袋のない指先が冷えていないか確かめる。莉緒は大丈夫と答え、俺の手を少し引いた。
「今日、好きって言ってなかった」
彼女が小さな声で言ったので、俺は驚き、それから笑った。
「毎日言わなきゃいけないわけじゃないけど」
「うん。でも今、言いたかった。好きだよ」
「俺も、好き」
返事をすると、彼女が嬉しそうに笑った。駅の近くで抱きしめるには人が多く、俺たちはただ手をつないだまま立っていた。それだけで、さっき飲んだココアとは別の甘さが残る。
約束の十七時より前に手を離し、俺たちは帰路へ分かれた。二十五日に会う約束を急いで足すことはしなかった。明日はそれぞれ家の予定があり、また話せる時に連絡すればいい。
玄関で上着を脱ぐと、外にいた時より指先が冷えていたことに気づいた。手をこすり合わせ、今日もちゃんと帰ってきたのだと思った。
家へ帰ると、弟が食卓の皿を見ていた。今日は家族で夕食を食べるので、俺も手を洗って支度を手伝う。母へ、予定どおり帰れたことと、駅前の光がきれいだったことを話した。
「写真、見せて」
弟に言われ、俺は木の光だけの一枚を開いた。二人の写真まで、本人に聞かずその場で見せることはしなかった。弟は光の数を見て、これ付けるの大変そうと言う。
「見る方は簡単だけどな」
「俺、片付ける方もっと大変そうだと思った」
言われてみればそうだった。俺は笑い、飾ってある今に見に行けてよかったと答えた。
夕食のあと、部屋でチョコを一つ開けた。苦すぎず甘すぎず、食べたあとに香りが残る。莉緒へその感想を送ると、同じのが一番好きだと返ってきた。
『あとのも、食べたら教えて』
『うん。全部今夜に食べないで残しておく』
『よかった。明日も楽しみある』
俺は残りを袋へ戻し、机の引き出しの別の場所へ置いた。カードや写真と一緒に何でも同じところへ押し込まず、食べるものは食べるものの場所へ分ける。
スマホには、さっきの二人の写真が残っていた。莉緒が送ってくれた別の角度の木の写真も届き、俺は保存してから一度だけ並べて見る。
遠くへ行かなかった日にも、残したい景色は増えた。帰る時刻が決まっていても、好きだと伝える時間はあった。今日のことをそんなふうに覚えておきたかった。
写真を見ているうちに、父が部屋の前へ来て、家族の買い物へ明日つき合えるか改めて尋ねた。俺は時間を確かめ、午前なら大丈夫と答える。夕方は自分で課題を進めたいので、先に伝えた。
「分かった。荷物持ちだけ頼もうと思ってたから、午前で済ませよう」
父はそう言って居間へ戻った。俺は買い物の中身を今度はちゃんと聞き直し、重い物もあると分かって鞄を使うか考えた。
以前なら、何時でも大丈夫と言ってから自分の予定を後ろへずらしていたかもしれない。家族相手なら簡単にできることもあるが、好きな人と時間を相談するようになって、家でも少し言葉を選ぶようになった。
弟が後ろから来て、明日の買い物には自分も行くと言った。自分の見たい物があるらしく、父にもう話してあるという。
「荷物持ち、二人になった」
「俺、買う物あるから。ついで」
「さっき拓海も同じこと言ってた気がする」
俺が笑うと、弟は誰、と首をかしげた。友達だと説明すると、同じクラスの人かと聞かれる。名前を知っている相手と、自分が当然知っているつもりの相手は、家の中でも違うのだと思った。
弟は用事が済むと階下へ戻った。俺はスマホの画面を伏せ、机の上を少し片付ける。今日の菓子の袋をどこへしまったか確認し、開けた包みは捨てた。
冷蔵庫へ入れる必要のない菓子を、自分の部屋に置く。小さいことだが、もらった時の嬉しさのあとには、食べる時までちゃんと覚えていたい。彼女からのものだからと、特別な箱を新しく買う必要はなかった。
夕食の味も、光を見た時の空も、全部同じ画面には入らない。俺は写真を閉じ、明日やる課題を出した。今日一日を終えるために、今すぐ長い感想をまとめなくてもよかった。
夜、莉緒から家での夕食も楽しかったと届いた。俺も同じだと返し、明日は返事が遅くなる時間があると先に伝える。家の買い物を少し手伝う予定だった。
『分かった。私も、お姉ちゃんと出かけるかも。決まったらまた話す』
俺は楽しんできてと送り、スマホを置いた。今日の写真を毎日同じ気分で見返すかは分からない。それでも、今の俺が嬉しくて笑っていることは、自分で分かった。




