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失恋したギャルの「彼氏としたかったこと」に、なぜか俺が付き合っています。  作者: ころもぐら


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第51話 今日は、撮らないで

 誕生日の翌朝、新しい筆箱を机に置くと、思ったより紺色が明るく見えた。家の照明と教室の光では少し違う。ファスナーを開けてペンを出していると、前の席から拓海が振り返った。

「お、新しい方になった」

「今日から。消しゴムの場所、まだ慣れないけど」

「見失わないやつじゃなかったのか」

「物は見えてる。手が前の場所に行く」

 俺が答えると、拓海は笑い、俺の机の上をのぞいた。触っていいか聞かれ、いいよと返す。彼は開いた口を見てから、俺が決めたなら使いやすいんだろうなと言った。

 莉緒が来た時には、もう授業の準備をしていた。彼女は挨拶のあとに筆箱へ目を留め、こちらを見て笑う。使っているところを見せるためにわざわざ出したわけではないのに、少し照れくさかった。

「いい感じ?」

「うん。さっき、手だけ迷った」

「そのうち慣れるよ」

 彼女は短く答え、自分の席へ戻った。昨日何度もありがとうと言ったからといって、今日は何も話さなくなるわけではない。使うたびに改まって礼を言わなくても、俺が嬉しいことは伝わっている気がした。


 昼休み、俺は次の休みに行きたい場所を莉緒へ見せた。自宅の街から電車で二駅ほどのところに、川沿いの古い倉庫を使った店がある。周りの道も歩けそうだったので、前から気になっていた。

「ここの壁、写真撮ってみたい。川の方も」

「この窓、かわいい。私が見たいって言ってた雑貨のお店、ここから近いかも」

 莉緒は自分のスマホを出し、見ていた店の案内を開いた。小さい雑貨店で、冬の布小物や飾りが入ったと書いてある。二つの場所を地図で見ると、歩いて十分ほどだった。

「同じ日に行けそうだな」

「うん。じゃあ、両方行きたい」

 俺も賛成し、家の予定を確かめたあと、誕生日の翌週の日曜に会うことになった。昼食は各自済ませ、十三時にいつもの時計の下。十七時までには自宅側の駅へ戻る。雨なら無理に川沿いを歩かず、その前に相談することも決めた。

 写真を撮りながら歩くという俺の希望と、雑貨店へ寄りたいという莉緒の希望が、同じ地図の上へ並んだ。どちらも行けるなら、難しい相談はいらないと思っていた。

 約束を決めた日の放課後、拓海と駅まで一緒になった。彼は近くの店へ寄る用事があり、俺はまっすぐ帰るところだった。

「今度、また二人で出かける?」

 聞かれ、俺は川沿いの店のことを話した。拓海は地図を見せてほしいと言い、駅前の広いところで一緒に画面をのぞく。

「ここ、前にお前が見せた写真のところとは違うんだな」

「違う。こっちは俺も初めて。名前だけ見て、行ってみたいと思ってた」

「楽しそう。俺なら本の方、長く見そうだけど」

 彼が言ったのは、その店で本も扱っていると案内にあったからだった。俺は建物や道の写真ばかり見ていて、本の紹介はまだあまり読んでいない。

「俺、外の写真しか見てなかった」

「そういうのあるよな。俺、食べ物の店なら、先に量見る」

「値段より?」

「値段も見る。順番が量」

 拓海が真面目に答えたので、俺は笑った。同じ案内でも、見る順番が違うらしい。家に帰ったら、本のところも見てみようと思った。

 別れ際、彼は買い物を忘れないうちに行くと言い、店の方へ向かった。俺はスマホをしまって帰路を歩く。拓海が面白そうと言ったから、莉緒も必ず楽しむという話ではない。それでも、自分が行きたい場所を友達にも話せたことが、少し嬉しかった。

 家では夕食の支度が始まっていて、弟が机の上の教科書を片付けていた。俺が手伝おうとすると、これは自分のだからいいと断られた。そのまま居間を通り過ぎかけて、母に皿を出してと呼ばれる。

 頼まれた分を運びながら、俺は日曜の外出の時刻を伝えた。母は、分かったとカレンダーを見てから、夕食は家で食べるのねと確かめた。

「うん。遅くとも五時には駅へ戻る」

「寒くなってきたから、暗くなる前に帰れるといいね」

 俺は頷いた。夏と同じ時間まで外へいても、空の明るさは違う。地図へ残していた店の名前の下に、歩くなら昼のうち、と書き足した。

 夕食後、莉緒から雑貨店の案内がもう一つ送られてきた。冬の小さい飾りが写っていて、彼女は買うかは分からないけれど実物を見たいと書いている。

『俺も見たい。写真だと大きさよく分かんないな』

『そうなの。小さいって書いてあるけど、私の机に置けるくらいなのかなって』

 彼女の部屋の机を全部知っているわけではないので、俺は寸法の載っているところがないか一緒に探した。見つからなかったため、現地で見てからだなという話になる。それ以上、買うか買わないかを急いで決めなかった。

 俺は机の引き出しに入れた誕生日の封筒を一度見た。行きたいところを教えてほしいと書いてくれた彼女へ、自分の希望を伝えた。そのあと彼女も、自分の見たい物を送ってくれた。今の俺には、どちらも予定に入っていることが嬉しかった。


 前日の夜も、天気と集合の確認はすぐに済んだ。莉緒から暖かい服で来てねと届き、俺も同じことを返す。彼女がどんな服を着てくるか少し楽しみにしながら、スマホを充電につないだ。


 日曜、時計の下へ着くと、莉緒がいつもより深くマフラーに顔を埋めていた。茶色の上着に白っぽいマフラー、足元は歩きやすそうな靴だ。俺に気づいて手を上げた顔には、いつもより少しだけ元気がなさそうに見えた。

「おはよう、じゃないな。こんにちは」

 俺が言い直すと、彼女は笑った。

「どっちでも分かるよ。寒いね」

「うん。体調、大丈夫?」

「大丈夫。ちょっと寝つくの遅くて。元気ない顔してた?」

「少し。無理してたら言って」

 莉緒は頷き、電車へ向かう俺の隣へ並んだ。座れるほど空いてはいなかったが、二駅ならすぐだ。俺たちは吊り革のある場所へ移り、車窓の建物を眺めた。

「今日は、お店見たいのは変わってないから」

「分かった。歩いて疲れたら休もう」

「うん」

 彼女がそう言ってくれたので、来たことを後悔しているのではないと受け取った。寝不足だからすべてをやめるべきだと勝手に決めなくてよかった。

 降りた駅では、案内を確かめてから川へ出た。倉庫の店へ向かう途中に、低い橋が一本ある。俺は欄干の向こうの光を見て足を止めた。

「ここ、一枚撮っていい?」

「うん。こっちよけとくね」

 莉緒は通行の邪魔にならない場所へ寄り、俺はスマホを構えた。水面が明るく、建物の影が少し暗い。二枚ほど撮ってから画面を確かめる。

「いいの撮れた?」

「まだ分かんない。こっちは暗いかも」

 俺が見せると、莉緒は隣からのぞき、こっちの方が川の色が好きと言った。自分とは違うところを見てくれるのが嬉しくて、俺もその色を確かめた。

 橋を渡り、古い壁の前へ来た。店の入口とは別の、写真を撮っても迷惑にならなそうな広い場所がある。俺は壁と窓を撮り、莉緒へ立ってもらえないかと声をかけた。

「この辺、背景よさそう。莉緒も撮りたい」

 彼女は一度足を止めた。マフラーに触り、少しだけ迷ってから首を振る。

「ごめん。今日、私の写真はやめてもらっていい?」

「……うん。分かった」

 反射的に返したものの、理由を聞きたい気持ちが残った。いつも写真を楽しむ彼女だから、俺が何かしたのかと思ってしまう。

 莉緒は俺の顔を見て、すぐに付け足した。

「景色を撮るのは、全然いいよ。私、今日は自分が写るの、あんまり気分じゃないだけ」

「寝不足のこと?」

「それもある。髪も、何か思ったようにならなくて。でも、直すためにずっと止まりたくないし。今日は普通に歩きたい」

 説明を聞いて、俺は頷いた。分かったつもりでスマホをしまったが、彼女は鞄へ入れる手元を見て眉を下げた。

「写真全部やめてってことじゃないからね」

「うん。でも、撮ってたらまた気にさせるかなって」

「そうじゃなくて、私が写る方だけ」

 言い直した彼女の声は、怒ってはいなかった。ただ、俺の受け取り方が少しずれていることは分かった。

 壁の前に立ったまま続けるのは邪魔になりそうなので、俺たちは歩き始めた。彼女はすぐ隣にいる。足を速めたり、俺から離れたりはしなかった。

「俺、莉緒が今日来るのも嫌だったのかなって、ちょっと考えた」

 黙ったままでは余計に考えそうで、俺から言った。莉緒は驚いた顔でこちらを見る。

「それは違うよ。会いたかったし、お店も見たい。写真に写りたくない日があるだけ」

「うん。今、分かった」

「全部同じにしないでほしい。笑ってないと、一緒にいるの楽しくないってわけじゃないし」

 最後の言葉は少しゆっくりだった。俺は川の方へ目をやり、何度か会った時の彼女を思い出した。疲れたら疲れたと言ってもよいと話してきたのに、顔を見ればまだ全部に意味をつけそうになる。

「ごめん。写真断られたのと、会いたくないのを、俺が勝手につなげた」

「うん。言ってくれてありがと。私も説明しないと分かんないと思った」

 莉緒はマフラーを少し下げ、口元を見せて笑った。それを見て安心しすぎるのも違うと思い、俺は笑顔ではなく今の言葉を受け取ることにした。

「景色、気になったら撮っていい?」

「うん。それは見たい。私も見つけたら言う」

「分かった。莉緒の写真は、今日は撮らない」

 約束すると、彼女は頷いた。細かく一つずつ確かめるのが面倒なのではなく、今の二人には必要なことだった。


 倉庫を使った店の中には、本と雑貨が少しずつ並んでいた。入口の表示を読んで、店内の撮影はせずに歩く。建物の外ばかり気にしていた俺も、中へ入ると梁の高さが気になった。

「思ってたより天井、高い」

「うん。飾りも上の方にある。あれ、下から見ると丸いね」

 莉緒が指したのは、紙を重ねた飾りだった。横から見ると薄いのに、下からは形が違って見える。俺たちは邪魔にならないところで一度立ち止まり、位置を変えて眺めた。

「写真だと、どこから撮るかで別物になるな」

「今日は覚えて帰ろ。帰ったら私、丸いやつって言うと思う」

「それだけだと分かんないかも」

「じゃあ、高いところの丸いやつ」

 情報が少し増えただけで、俺は笑った。莉緒も自分の言い方に笑い、次の棚へ向かう。写真を撮らなくても、彼女が楽しそうに物を見ていることはちゃんと分かった。

 奥で小さい本を一冊手に取り、見本を読んでいると、莉緒が別の棚から戻ってきた。自分が見たい物を見たあと、俺が読んでいるものへ興味を向けてくれる。その感じはいつもと同じだった。

「どんな本?」

「この辺りの店の話。知らないところ結構ある」

「じゃあ、次の候補が増える?」

「増えるかも。でも、今日は全部回れない」

「それはそう。私の店、忘れないでね」

「覚えてる」

 俺は笑って本を閉じ、元へ戻した。買うか迷ったが、今日は見本を読めて満足した。彼女も何も買わず、二人で外へ出る。

 店の横の壁に、風で動く木の影があった。莉緒が俺の袖に触れ、あそこ、と指す。

「航平、あの影好きそう」

 俺はスマホを出し、人が通り過ぎるのを待って一枚撮った。壁の模様と影が重なっている。画面を見せると、彼女は風の形が残ったみたいだと言った。

「莉緒も撮る?」

「私も、影なら撮りたい」

 彼女も自分のスマホを出した。違う角度から一枚撮り、俺の写真と並べて見せる。どちらにも彼女の姿は入っていない。それでも、その写真を撮る時間には二人ともいた。


 雑貨店へ向かう途中、莉緒が座りたいと言った。俺も足を止め、道沿いの小さい休憩場所へ寄る。ベンチは日陰で少し寒かったので、長く座らず、水を飲んだら店へ行くことにした。

「今日は、歩くのゆっくりにしてくれてありがと」

「俺も見ながら歩いてるし。急ぐところ、ないから」

「うん。でも、気づいてくれたの嬉しい」

 彼女は水筒のふたを閉め、鞄へ戻した。俺はさっき断られたことを何度も謝り直す代わりに、このあとどうしたいか聞いた。

「店見たら、今日は早めに帰る?」

「そうしよっかな。見たいの見られたら、暗くなる前に戻りたい」

「分かった。十七時まで待たなくていいしな」

 決めていたのは、遅くともその時刻までということだ。早く帰ると会うのに失敗したことになるわけではない。俺もそう思えるよう、今決めた予定を頭の中で変えた。

 雑貨店は、細い通りに面した一階にあった。入口の前で待っている人が出てくるのを待ち、二人で入る。中は暖かく、莉緒はマフラーを少し緩めた。

 冬の布小物が小さな台に並び、その奥に紙や木の飾りがある。莉緒はまず、気になっていた布の色を見比べた。俺は彼女の横で、同じ柄でも折り方で見える部分が変わるのを眺める。

「写真で見たの、これだ。思ったより柔らかい色」

「もう少し濃いと思ってた?」

「うん。でも、こっちも好き。家に置くなら、明るいところで見たいかも」

 彼女は値札を見て、すぐには手に取らなかった。どこに置くか考えているようだったが、俺が買った方がいいと言うことではない。少し離れた棚を見て待つと、莉緒の方から声をかけてくれた。

「今日は、見て帰る。置くところ、もう一回見てから」

「うん。実物、見られてよかった?」

「よかった。来たかったから、ちゃんと来られて嬉しい」

 その言葉に、俺も頷いた。彼女の今日の希望は、写真に残る笑顔を作ることではなかった。店に来て自分で見比べることができた。その時間を一緒に歩けたなら、俺も嬉しかった。

 棚の間ですれ違う時、俺は肩に掛けた鞄を体の前へ寄せた。莉緒も一歩横へよけ、奥を見たい人に道を空ける。狭い店で二人が並び続けると、意外に場所を取る。

「先に、こっち見てくるね」

 莉緒が言ったので、俺は頷いて反対側の棚へ向かった。すぐ近くにいるのに、違う物を見ている。そのあと彼女が何を見つけたか聞くのも、一緒に店へ来る楽しみなのだと思った。

 店を出る前に、莉緒が小さい木の飾りを指した。俺には鳥に見えたが、彼女には丸い家に見えたらしい。値札の説明を読むと、どちらでもなく実の形だった。

「二人とも外れた」

「俺、結構自信あったのに」

 笑いながら棚を離れ、買い物はせずに外へ出た。帰りの方向を確認し、駅までの近い道を選ぶ。


 電車では二人で座れた。莉緒は鞄を膝に置き、窓へ少し顔を向ける。うとうとしそうだったが、俺に肩を預けてよいかと尋ねる声ははっきりしていた。

「いいよ。着く前に声かける」

「ありがと。寝たらごめん」

「謝らなくていい。二駅だし」

 彼女が軽く肩を寄せ、俺は動きすぎないよう座り直した。電車の揺れに合わせて、上着越しの重みが少し変わる。スマホは出さず、車内の案内を見た。

 眠ってしまったのか、目を閉じていただけなのかは分からない。到着の案内が流れたところで名前を呼ぶと、莉緒はすぐ顔を上げた。

「もう着く?」

「次。慌てなくて大丈夫」

 彼女は俺の肩から離れ、マフラーを整えた。髪を見て変だとからかうことも、写真に撮ることもしなかった。ただ、少し元気が戻った声で話してくれるのが嬉しかった。

 自宅側の駅へ着いたのは、十七時より随分前だった。ホームから改札へ出て、莉緒が時計を見る。

「早いね。まだ明るい」

「今日は、ここまででよかったと思う」

「うん。私も」

 別れる前、彼女が俺の手を取った。手袋をつける前の指は、来た時より暖かかった。

「写真撮らないでって言っても、会うのは楽しめるんだね」

「俺が勝手に、セットにしてた」

「私も、前なら言わずに頑張って笑ったかも。でも、今日は言ってよかった」

「言ってくれてよかった。次、俺も何か嫌だったら言う」

 それは誓いの言葉というより、次に役立てたい話だった。全部同じ気分でなくても、一緒に出かける方法はある。今日も、二人で撮った影の写真はそれぞれのスマホに残っていた。

 玄関で靴を脱ぐと、足が少し軽くなった。早めに帰った分、家で落ち着く時間も残っていた。

 帰宅してから、俺はその一枚を莉緒へ送った。彼女の写真も届き、少し角度が違うだけで影の形まで違って見える。俺は二枚を保存し、今日の通りを地図の記録へ足した。

 メモには、冬は日陰が寒い、と書いた。その下へ、店を見るなら昼の方が歩きやすそう、と付け足す。誰かを写すことだけが、一緒に出かけた記録ではなかった。

 夕食のあと、弟が出かけた先の話を聞いてきた。俺は壁に映った影の写真を見せ、同じ場所でも撮る位置で変わると話した。弟は二枚を見比べてから、どっちが実物に近いか尋ねる。

「見てた時の感じなら、こっちかな。でも、時間が少しずれてるから、両方あった形だと思う」

「動く物って、撮ると止まるんだね」

「当たり前みたいだけど、そうだな」

 俺が笑うと、弟はもう一度写真を見た。画面の中に人がいなくても、今日どんな時間を過ごしたか、少し話すことはできた。

 部屋へ戻って、スマホに並んだ写真を見直す。莉緒を撮れなかった、という言葉で一日をまとめたくはなかった。彼女が木の影を見つけてくれたこと、丸い飾りの説明が下手で笑ったこと、電車の肩の重みまで、俺はちゃんと覚えていた。

 明日の鞄を用意し、新しい筆箱を入れた。写真を撮る時は相手のその日の希望を聞く。以前に笑ってくれたことが、次も同じようにしてよい許可にはならない。それを覚えるのは、彼女と出かける楽しみが減ることではなかった。

 夜、莉緒からは少し寝たら元気になったと連絡が来た。俺はよかったと返し、明日は学校で会おうと送った。画面の向こうへ、笑った顔を送ってもらわなくても、今はちゃんと伝わる気がした。

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