第50話 十七歳の、最初の予定
十一月十八日の朝、スマホを手に取ると、莉緒からメッセージが届いていた。夜中の零時を過ぎた瞬間ではなく、いつも学校へ行く前に連絡をくれるくらいの時間だった。
『お誕生日おめでとう。今日、会えるの楽しみにしてる』
まだ布団の暖かさが残っている手で、俺はありがとうと打った。最後に、俺も楽しみにしてると付け足す。十七歳になったからといって、起きた瞬間の体が変わるわけではない。それでも、いつもの朝に一つ言葉が増えただけで、顔が緩んだ。
土曜日に一緒に筆箱を選んでから、数日が過ぎていた。休み明けに学校の予定を確かめ、今日の放課後は二人とも大きな用事がないことが分かった。俺は家で夕食を食べるので、駅の近くで少し話してから、十七時までには別れることにしている。
母にもその時間を伝えた。帰宅してから夕食までには余裕がある。家族と食べる時間を削らず、莉緒と会う時間も取れると分かると、どちらにも遠慮しなくて済んだ。
顔を洗って居間へ行くと、弟が先に朝食を食べていた。俺を見て箸を置き、誕生日おめでとうと言う。
「ありがとう」
「今日、唐揚げでしょ」
「俺よりそっちが楽しみそうだな」
「両方」
弟が真面目な顔で答えるので、俺は笑った。母も台所からおめでとうと言い、出かける支度をしていた父が、十七か、と少しだけ感慨深そうに呟いた。
「自分では、あまり分からないけど」
俺が答えると、父は、そういうものかもしれないと笑った。今日から急に進路を決められるようになるわけでも、朝の眠気がなくなるわけでもない。ただ、家族にそう言ってもらうと、ちゃんと新しい日が始まっている気がした。
弁当を鞄へ入れる時、莉緒にもらった紺の巾着の口を締めた。今日はまた別の物を受け取る予定だ。袋の中の弁当箱と、筆箱は混ざるはずもないのに、何となく二つの色を思い浮かべる。
家を出る前に、母へ帰る時間は変わらないと伝えた。母は頷き、寒いから上着を忘れないようにと言う。十七歳最初の注意も、いつもどおりだった。
教室では、拓海が俺の顔を見るなり「おめでとう」と言った。前の席に鞄を置きながら、何歳になったかを一応確かめてくる。
「十七」
「そうだよな。急に十八って言われても困るけど」
「俺も困る」
俺が笑うと、彼は鞄から小さい袋を出した。中には個包装の飴が何個か入っている。
「昨日買ったやつ。食べられる時に」
「ありがとう。俺に合わせて買ってくれたの?」
「俺も食べたかった。だから半分」
拓海は隠さず言い、残りは自分の鞄へ戻した。その気軽さが嬉しくて、俺は受け取った袋を弁当とは別のポケットへしまう。授業中に食べるものではないので、今開けるのはやめた。
莉緒と高瀬さんが来ると、今度は二人からおめでとうが届いた。莉緒は俺の机のそばで一度立ち止まり、鞄を少し持ち上げた。
「ちゃんと持ってきた」
「俺も、受け取る準備はしてきた」
「何の準備?」
「鞄、少し空けた」
そう答えると、彼女が笑った。高瀬さんは筆箱くらいなら入るでしょと言い、俺もたしかにと頷く。
「でも、忘れ物したわけじゃないから」
「そこまで心配してないよ、三原くん」
高瀬さんが笑い、莉緒も隣で頷いた。俺は机の上に今の筆箱を出す。今日の授業では、まだこれを使うつもりだった。
朝の会が始まれば、誕生日だからと特別に何かを免除されるわけではない。提出物は出すし、分からない問題は分からないままだ。三時間目に先生から答えを聞かれて一度詰まった時には、十七歳になったばかりの頭を都合よく頼ることもできなかった。
昼休みにその話をすると、拓海が「昨日より一日分しか増えてないだろ」と笑った。莉緒は弁当のふたを閉めながら、今日分かったことも一個増えたならいいじゃんと言う。
「それ、今日間違えたところの話?」
「うん。次は分かるかもしれない」
「誕生日の励まし方が、結構現実的だな」
「大丈夫って言い切るよりいいでしょ」
彼女が笑い、俺も頷いた。ずっと立派になり続ける日にしなくてもよいのだと思うと、普通の授業まで少し気楽だった。
放課後、俺と莉緒は昇降口で合流した。教室で一緒に出てもよかったが、俺は先生へ提出する紙があり、彼女は高瀬さんと短く話す用事があった。終わった方から連絡することにしていたので、どちらも急がなかった。
「お待たせ」
「今、来たとこ。紙、出せた?」
「うん。莉緒は?」
「話せた。じゃあ行こ」
上着の前を留め、校門を出た。空はよく晴れていたが、日が低くなるのは早い。川へ遠回りするより、今日は駅の近くで落ち着ける場所へ向かうことにした。
駅前の広場の端には、風が直接当たりにくいベンチがあった。先に座っている人とは少し離れたところが空いていて、莉緒が俺を見る。
「ここでいい?」
「うん。寒くなったら移ろう」
座る前に手元の荷物を整え、俺は鞄を足元へ置いた。莉緒は膝に鞄を載せ、その中から小さい紙袋を出す。文房具店で受け取った袋とは違い、口を折って丁寧に留めてあった。
「改めて。十七歳、おめでとう」
彼女が両手で差し出した袋を、俺も両手で受け取った。中に何が入っているかは分かっている。色も形も、自分で選んだ。それでも、その言葉と一緒に手渡されると、初めて俺のところへ来たのだと思えた。
「ありがとう。開けていい?」
「うん。見てほしい」
留めてあるところを破らないよう外し、中から包みを出した。開くと、紺の筆箱が見えた。店で触った見本ではなく、俺のために買ってくれた新しいものだ。
取り出してファスナーを開く。仕切りの位置も、口の開き方も覚えていた。それなのに、自分の膝の上で見ると、店にあった時より近く感じる。
「やっぱり、この色好きだな」
俺が言うと、莉緒の肩が少し下がった。安心した時の動きだった。
「よかった」
「一緒に選べてよかった。ありがとう」
「私も。紺って言ってくれたの、嬉しかった」
彼女は緑を勧めたことを謝らなかった。俺も改めて説明し直す必要はなかった。互いに好きな色を言って、それから決まった紺だ。
「あと、これ」
莉緒が袋の中を軽く指した。底に、もう一つ小さい封筒が入っている。丸い形のふたを見て、俺は顔を上げた。
「あの通りで買ったやつ?」
「うん。買った時は決めてなかったんだけど、これ使いたくなって」
俺は封筒を手に取り、角が折れないよう持ち直した。彼女が紙の売り場で迷っていた時のことを覚えている。中身を無理に詰めないという話をして、二人で笑った。
「今、読んでいい?」
尋ねると、莉緒は少し迷ってから頷いた。
「うん。でも、声に出して読まないでね」
「それはしない」
約束してから、封筒を開いた。中の小さいカードには、彼女の字で短い文章が書かれていた。
誕生日おめでとう。これからも、航平の行きたいところを教えてね。私も、会いたい時はちゃんと言う。
最後に、好きだよ、とあった。
長い手紙ではない。読み終えるまでに時間もかからなかった。それでも、すぐに封筒へ戻す気になれず、俺はもう一度最初から読んだ。
莉緒は隣で鞄の持ち手を触っていた。俺の顔をずっとのぞきこむことはせず、でも返事を待っているのは分かった。
「嬉しい。これ、ちゃんとしまっておく」
「うん」
「俺も、会いたい時は言う。あと、莉緒が言ってくれるの、やっぱり嬉しいから」
彼女がこちらを見た。少し照れた顔で笑い、よかったと答える。
俺はカードを封筒へ戻し、筆箱の包みと一緒に袋へ入れた。持ってきた鞄の中に場所を作る。朝、冗談で空けたと言った場所へ、本当に大事な物が収まった。
しばらく話しているうちに、莉緒が指をこすり合わせた。俺が寒いかと聞くと、ちょっとだけと答える。手袋を出す前に、近くの売店で温かい飲み物を買おうという話になった。
俺は温かいお茶、莉緒はミルクティーをそれぞれ買った。蓋のついた紙カップを持って戻ると、さっきより風が弱くなっている。熱すぎるので、すぐには飲まず手で包んだ。
「これで、指復活した」
莉緒が笑い、俺もカップを少し持ち上げた。
「俺も。カード開ける時、結構慎重だった」
「破らないようにしてくれたの、見てた」
「せっかく選んだ封筒だし」
彼女は鞄から手袋を出し、膝の上へ置いた。飲み物を持っている今はつけず、歩く時に使うつもりらしい。
「私、今日渡すの、朝から楽しみだった」
「俺も受け取るの、ずっと楽しみだった」
「知ってる。土曜から何回も言ってくれたもん」
数えられていたらしい。俺が笑うと、莉緒も笑った。
「でも、何回言ってくれても嬉しいよ」
「じゃあ、また言う。ありがとう」
「うん。どういたしまして」
彼女の返事は、家で何かを手伝った時に聞くのと同じくらい自然だった。大事にしすぎて使えなくするより、明日からちゃんと使いたい。そのことも伝えると、莉緒は嬉しそうに頷いた。
少し飲み物を飲んでから、俺は十七歳になって何かしたいことがあるか、自分でも考えてみた。誰かに聞かれたわけではない。ただ、彼女が隣にいると、今の気持ちを言っておきたくなった。
「来年の春とか夏とかも、また一緒に出かけたい」
言い終えると、莉緒が一度目を丸くした。
「十七歳の目標?」
「今、考えた。先の予定、何も決まってないけど」
「うん。私も。三年になったら忙しい日も増えると思うけど、会うのやめたいわけじゃないし」
俺は頷いた。進路の紙や学校の話が増えたからといって、今すぐ会う日を全部減らさなければならないわけではない。ただ、どちらかが無理をしている時まで、同じ頻度にこだわりたくはなかった。
「忙しい時は、短く会ったり、電話にしたり、相談したい」
「うん。勝手に、もう誘わない方がいいって思うのはやめよ」
莉緒が言い、俺は自分へ言われたように背中を伸ばした。彼女も少し笑って、自分もだからと付け加える。
「私、相手が忙しいと、聞く前に引っ込めちゃう時あるし」
「俺も。だから、先に聞いてくれたら助かる」
「お互いね」
カップの熱が少し落ち着き、飲める温度になっていた。俺たちは同時に一口飲み、別々の味の感想を言った。先の話をしたからといって、その場で受験までの計画を完成させる必要はなかった。
話の途中で、広場の反対側から小さい子どもの笑い声が聞こえた。親らしい人が手をつないで歩いていて、子どもは足元の落ち葉を踏みたいらしく、少しずつ進む方向が変わる。俺たちは何となくその様子を見ていた。
「私、小さい時、それやってた」
莉緒が言った。
「葉っぱ?」
「うん。音するの探してた。濡れてると全然鳴らないのに」
「俺も。でも、やってた時のことより、弟がやってたのを待ってた方が覚えてる」
今の弟からは想像しにくいが、少し前にはそういう時期もあった。俺が先を歩くと怒り、待っていると今度は違う葉を探し始める。話してみると、莉緒は姉の側から聞いたら同じかもしれないと笑った。
「お姉ちゃん、早く来てってよく言ってた気がする」
「じゃあ、俺も待つの上手くなったかも」
「今は、待ってる間に写真撮ってそう」
「たぶん撮る。でも、今日は見てただけ」
莉緒は頷き、カップを両手で持ち直した。何でも二人の成長につながる話にしなくても、昔そんなことがあったと話して笑える。俺は知らなかった小さい頃の彼女を、今の彼女の声で少しずつ知っていた。
「航平、子どもの時の誕生日って、何もらってた?」
「ゲームとか。本もあったと思う。莉緒は?」
「服がいいって言った年があった。お姉ちゃんが持ってるのと似たやつ」
彼女は自分の袖を見てから、その時は姉と同じものが着たかったのだと話した。今も姉の服をいいなと思うことはあるが、自分で違う色を選ぶこともある。
「前は、似てれば嬉しかった。今は、こっちの形が好きって思ったりする」
「今日の手袋も、自分の家にあったの見て決めたしな」
「うん。見直すと、まだ好きなものもあった」
俺は鞄の中の古い筆箱を思い出した。新しい物を受け取ったあとでも、今日まで使っていた方のよさが消えるわけではない。そう言うと、莉緒は、古い方を悪者にしなくていいよねと頷いた。
「次の色を選んだから、前のが間違いだったってことじゃないし」
「俺、そういうの、物以外でもあると思う」
言ってから少し考え、大学の案内の話をした。最初に面白そうだと思ったところと、次に見て気になったところが違っても、最初の興味が嘘になるわけではない。
莉緒も自分の二つの学校のことを思い出したようだった。でも今は進学先を選ぶ話へ深く入らず、確かめていこうと短く返した。
「十七歳になった日に、全部分かるようにならなくてよかった」
俺が言うと、彼女が声を立てて笑った。
「それは、なった方が怖いよ。朝いきなり、何でも決められますって」
「昼に問題で詰まったから、もう無理だ」
「それも、今日の航平だから」
彼女の言い方が柔らかくて、俺は返事をする前に笑ってしまった。カップの底に残ったお茶を飲み、そろそろ冷める前に飲み切ろうと思った。
時計を確かめると、そろそろ帰り道へ出る時間だった。飲み終えた容器を捨てられる場所で片付け、俺は贈り物の袋がつぶれないよう鞄の口を直した。
莉緒は手袋を片方つけてから、もう片方を持ったまま俺を見る。俺が空いた手を差し出すと、彼女は笑って自分の手を重ねた。
「こっちは、駅までこのまま」
「寒かったら言って」
「うん」
さっきのベンチから駅へは、長い距離ではない。それでも、いつもの歩道を今日も二人で歩けるのが嬉しかった。
別れ際、俺は来週のことを尋ねた。今度は自分から、写真を撮りながら少し歩きたいと言ってみる。莉緒は家の予定を確認したいが、会いたいと答えた。
「候補、送ってもいい?」
「送って。私も見たいところある」
「じゃあ、両方見てから決めよう」
彼女が頷いた。カードに書いてあったことを、そのまま読み上げる代わりに、今日できる約束にして返せた気がした。
「お誕生日、おめでとう。気をつけて帰ってね」
「ありがとう。莉緒も」
もう一度言ってもらい、俺は手を離した。角を曲がる前に振り返ると、莉緒もこちらを見ていて、小さく手を振った。
帰り道、鞄が軽くぶつからないよう歩き方が少し慎重になった。中の筆箱は丈夫だろうし、カードも封筒に入っている。分かっていても、今日は丁寧に持って帰りたかった。
家へ着くと、台所から揚げ物の匂いがした。母にただいまと伝え、予定どおり帰れたことを確かめる。弟が居間から顔を出し、贈り物をもらったのか聞いた。
「筆箱。俺が一緒に選んだ」
「へえ。見ていい?」
「筆箱だけな」
俺は袋から筆箱を出して見せた。カードは取り出さない。弟は口が開くところに感心し、自分のは中で消しゴムを見失うと言った。
「俺も、それで選んだところある」
「じゃあ、明日から見失わない?」
「それは本人の使い方次第」
母が横で笑い、揚げ物ができる前に部屋へ置いてきなさいと言った。俺は頷き、贈り物を持って自分の机へ戻る。
古い筆箱を開き、いつも使うペンから一本ずつ移した。店で試した時とは違い、自分の手に馴染んだ道具が中へ入る。消しゴムと定規、必要な付箋を入れて閉じると、思ったとおり鞄にも収まりそうだった。
古い方をすぐに捨てることはしなかった。中をきれいにして、引き出しへしまう。新しい物を大切にするのと、今まで使ってきた物を粗末にするのは別だと思った。
カードはもう一度読み、封筒ごと机の引き出しへ入れた。手帳の中を見せてもらったわけではないし、彼女の昔の気持ちを全部知ったわけでもない。今日の俺へ書いてくれた言葉として、それだけで十分だった。
莉緒へ帰宅したことと、筆箱へ中身を移したことを送った。写真には机の上の筆箱だけを入れる。カードは写さず、使いやすいと一言添えた。
『もう入れたんだ。嬉しい!』
返事を見て笑っていると、階下から母の声がした。俺は食事に呼ばれたことを伝え、スマホを置いて部屋を出た。
夕食の席では、弟が唐揚げを取る前に大きさを見比べていた。俺が今日は俺の誕生日だぞと言うと、ちゃんと一番大きいのを残してあると返す。父がそれは本当かと笑い、母が全員同じくらいだから早く食べてと言った。
俺は揚げたての一つを取り、熱いので少し待ってから口へ運んだ。家の味で、やっぱりこれを頼んでよかったと思った。
「おいしい」
口にすると、母はよかったと答えた。莉緒とケーキを食べた日も、今日ここで家族と食べる時間も、自分が選んだ予定の中にある。どちらかのために、どちらかを嫌いにならなくてよかった。
食後は皿を下げ、父と大学の案内の続きも少し話した。誕生日だから決める日にはしない。ただ、今度先生に確かめたいことが一つあると伝えると、父は聞けたらまた教えてと言った。
夜、明日の教科書を用意していると、新しい筆箱が鞄の中にすっと収まった。俺は一度取り出してファスナーを開き、ペンがあるのを確かめて笑う。慣れるまでは、何回かこうして開けてしまいそうだった。
寝る前、莉緒から最後のメッセージが来た。
『今日、渡せてよかった。十七歳の航平とも、いっぱい話したい』
俺は画面を見たまま、少し考えた。何か立派な返事にする必要はない。今日、自分が嬉しかったことを、そのまま送ればよかった。
『俺も。次に会うところ、一緒に決めよう。今日は本当にありがとう』
送信してから、机の引き出しへ一度だけ目をやった。封筒はそこにある。全部の文章を覚えようとしなくても、読み返せるところに置いておけばいい。
おやすみと返ってきたので、俺も同じ言葉を送り、スマホを充電につないだ。十七歳の最初の日が終わる前に、来週の行きたい場所を一つ、明日彼女に送ろうと決めた。




