第5話 四人の昼休みと土曜日
「三原くんって、写真撮るの好きなんだね」
火曜日の朝、鞄から教科書を出していると、机の斜め前から声をかけられた。
顔を上げると、藤崎さんとよく一緒にいる女子が立っていた。肩につくくらいの黒髪で、片手にスマホを持っている。高瀬紗季さん。同じクラスなので名前は知っているが、直接話すのは、プリントを回してもらうときくらいだった。
「写真?」
「莉緒が見せてくれた。水族館の帰りに寄ったお店。あの看板のやつ、三原くんが送ってくれたって」
言われて、土曜日に撮った出店の写真だと分かった。ケーキが写っているのは買った後の一枚で、その前に、開催時間の書かれた看板も送っている。
「撮るのは好きだけど、あれは場所を知らせたかっただけだよ」
「そっか。でも、時間も場所も分かるの、助かる。莉緒の写真、食べ物に近すぎるから」
「ちょっと、本人の前で言わないでくれる?」
藤崎さんが隣の席から顔を上げた。高瀬さんはスマホの画面をこちらへ向ける。黄色いケーキの断面が、大きく写っていた。
「これだと、レモンケーキなのは分かる」
「ちゃんとおいしそうじゃん」
「うん。どこで買ったかが分からないだけで」
藤崎さんは言い返そうと口を開き、それから俺を見た。
「三原、私の写真、分かんなかった?」
「俺は一緒にいたから」
「そうだった。この人に聞いても駄目だった」
彼女が笑い、高瀬さんも少し口元を緩めた。俺は教科書を机へ入れ、三人の間に残っていた鞄を足元へ下ろす。
彼女の友達が、俺の撮った写真を見ている。昨日、見せたよと聞いたときより、そのことが具体的に感じられた。
俺が隣の席で話す相手と、藤崎さんが友達と話すときの俺が、同じ場所にいるのだと、変なことを考える。
「レモンケーキ、今度の土日も出るの?」
高瀬さんに聞かれ、俺は首を振った。
「先週の二日間だけみたい。出店の名前は写ってるから、調べれば次の場所は分かるかもしれない」
「あ、じゃあ、そこだけ送ってもらっていい? 私、家帰る頃には忘れそう」
「紗季、私が送る。三原からもらったの、まだあるから」
藤崎さんがスマホを操作する。高瀬さんは自分の画面へ届いた写真を確認し、ありがと、と言ってから俺にも軽く頭を下げた。
「妹がレモン味好きなんだ。見つけたら買ってみる」
「結構すっぱいから、そのつもりで」
「たぶん喜ぶ。甘いだけのやつだと文句言うし」
「そこ、私と一緒だ」
藤崎さんがうなずく。高瀬さんは、じゃあ好みは信用できるね、と答え、自分の席へ戻っていった。
彼女が離れると、藤崎さんは俺の方へ椅子を少し回した。
「急にごめん。紗季、気になってたみたいで」
「いや、いいよ。俺も、あの店、また見つけたら買いたいし」
「うん。私も」
彼女はスマホを伏せ、それから小さな声で付け足した。
「朝、写真送ろうか迷ったんだよね。昨日、三原も見たやつだったから」
「ケーキ?」
「ううん。アイスの方。撮った中でもう一枚、よさそうなのあって」
「俺にも送って。見たい」
そう言うと、彼女は一度俺を見た後、伏せたばかりのスマホを持ち直した。
「じゃ、送る。まだ保存してない方ね」
届いた写真は、昨日より少し引いた位置から撮られていた。カップを持つ俺の指と、テーブルへ載せた彼女の手が入っている。二つのアイスの色の違いより、制服の袖の距離が先に目についた。
俺は写真を保存し、スマホを鞄へしまった。今日は授業の間に見返さないようにしようと、先に決めておいた。
二時間目の体育が終わると、拓海は廊下を歩きながら、靴の具合をずっと話していた。
昨日も使ったらしいが、まだ新品の感触が面白いらしい。俺が、足に合ってるならよかったなと言うと、満足そうにうなずいた。
「そういや三原、日曜、水族館行ったんだって?」
更衣室から戻る途中で急に聞かれ、俺は拓海を見た。
「何で知ってるんだ」
「さっき藤崎が、汐見の方に行ったって話してたから。二人で行ったんだろ」
「うん。チケットが余ってたから、誘ってもらった」
「へえ。いいな。俺、あそこ、ちっちゃい頃に行ったきりだ」
拓海は廊下の窓からグラウンドを見た。前髪が少し汗で額へついていて、体操服を入れた袋を持ち直している。
何か聞かれるかと思って身構えたのだが、話はそこで止まった。
「……それだけ?」
俺が聞くと、拓海が振り向いた。
「何が?」
「いや。何でもない」
「お前が先に魚の話始めるかと思ってた。いなかった? すげえでかいやつとか」
「エイはでかかったな。あと、ペンギンが速い」
「速いって、歩くの?」
「泳ぐ方。写真撮る前に通り過ぎる」
説明すると、拓海は笑った。それから、前に動画で見たペンギンもすごく速かったと話し始める。
俺たちが教室へ戻るまで、話題はほとんど水族館の中身だった。誰と行ったかを知られたことより、自分が何か言われる前提でいたことの方が、少し恥ずかしくなる。
席へ戻ると、拓海がシャツの袖を引っ張って、暑いな、とつぶやいた。
「そろそろ半袖、出さないとな」
「休日のも、もう薄いのでよさそうだな」
「お前、毎年同じ白いの着てない?」
「毎回じゃないだろ」
「でも、見覚えある。襟ついてるやつ」
俺は日曜に着た紺のシャツを思い出し、白い方もまだ使えるかと考えた。昨日、洗濯物をしまうときに見たら、袖口が少し擦れていた。
「それ、そろそろ買い替えるつもり。結構着たから」
「いいじゃん。違う色にしてみたら」
「何色?」
「それを聞かれても、俺には分からん」
「言い出した方の責任、取れよ」
拓海は笑いながら教科書を出した。俺も机の中を探り、次の授業の準備をする。
隣の席へ戻ってきた藤崎さんが、何の話、と聞いたので、服を買い替える話だと答えた。
「夏の?」
「うん。いつも着てたシャツが、ちょっと傷んできたから」
「そっか。今の時期、羽織れるのも半袖もあるもんね」
彼女はそこで時計を見て、次、移動だ、と鞄から教科書を取った。話の続きは、廊下へ出る生徒の足音に紛れた。
昼休み、藤崎さんに、一緒に食べない、と誘われた。
俺一人ではなく、前の席で弁当を出していた拓海にも向けた言葉だった。彼女の隣には高瀬さんがいて、椅子をどこから持ってくるかを話している。
「ここ、四つ寄せたらよくない?」
拓海が前後の机を指した。俺たちは通路を空けられる向きへ机を動かし、窓側へ寄せた二つと、廊下側の二つを向かい合わせた。
俺の隣には拓海が座り、正面には藤崎さん、その横に高瀬さんが来た。
いつも隣の席にいる相手が、机越しに向かい合っている。昨日のアイスの店で、同じように向かい合ったことを思い出し、俺は弁当の包みへ目を落とした。
「三原、何だその結び目」
拓海に言われて見ると、紐を引く方を間違えたらしく、弁当袋の口が一か所だけ固く締まっていた。
「昨日から、ちょっと引っかかるんだよ」
「貸してみ」
拓海が紐をつまみ、結び目を押し戻す。俺も端を持ち、少し緩んだところへ指を入れた。
「そこ、引っ張ると締まるんじゃない?」
向かいから藤崎さんが言うので、一度手を止める。高瀬さんが、袋じゃなくて結び目の下を押すといいかも、と指した。
四人で見守るほどのことでもないのに、誰も弁当を開けずに俺の手元を見ていた。
「……開いた」
口が緩むと、拓海が自分の弁当の蓋を取った。
「よし。これで昼飯にありつけるな」
「開かなかったら、四人で見てるだけになるところだった」
俺が言うと、藤崎さんが笑いながら箸を出した。
「買いに行くの手伝うよ、そのときは」
「袋の救出は諦めるんだ」
「食べないと午後眠くなるし」
「食べても眠くなるけどな」
拓海が言い、今度は高瀬さんまでうなずいた。
そんなふうに始まると、四人で食べることにも、思ったほど身構えずに済んだ。
藤崎さんは、高瀬さんが卵焼きを自分で作ってきたと聞いて、断面をのぞいている。拓海は自分の弁当に入っていた小さなソースの袋と格闘していた。
俺はようやく開いた弁当から箸を取り、昨日とは違う昼休みに加わった。
「さっき、服の話してたよね」
藤崎さんが俺を見る。
「買うときって、いつもどこ見てるの?」
「駅前の商業施設。何軒か入ってるから、適当に」
「一人で?」
「大体は。サイズが合って、洗いやすければ」
「俺も、洗えるかは見るな。家で駄目なやつ買うと、あとで困る」
拓海が横からうなずいた。高瀬さんはそれを聞いて、自分はまずポケットを見る、と言う。
「スカート、ないやつ多いんだよね。あっても小さかったり」
「分かる。あると思ったら、ただの飾りのときある」
藤崎さんも身を乗り出した。二人が服のポケットの話を始め、拓海が、使えないポケットって何のためにあるんだ、と口を挟む。
俺もそう思ったが、高瀬さんから、形をきれいにするためじゃない、と返され、なるほどと納得した。
「三原くんは、白いのが好きなの?」
高瀬さんに聞かれ、俺は首をかしげた。
「白?」
「さっき、大野くんが言ってたから。いつも着てるやつ」
「ああ。好きっていうか、合わせやすいからかな。ズボンをあんまり選ばなくていいし」
答えると、藤崎さんが、でも紺も着るよね、と言った。
「日曜、紺だったもんね。あれ、似合ってた」
箸でつまんでいた野菜を、落としそうになった。
日曜日にも同じことを言われている。それなのに、目の前にほかの人がいると、返事の出てくる速さが変わる。
「……ありがとう」
「うん。だから、白以外が嫌とかじゃないのかなって」
藤崎さんは普通の声で続けた。拓海が俺の制服の肩を見て、紺なら合わせやすそうだな、と言う。高瀬さんも、薄い青とか灰色もありそう、と話をつないだ。
俺はようやく野菜を口に入れ、飲み込んでから答えた。
「嫌じゃないよ。買うとき、着てるところがあんまり想像できないだけで」
「あ、それは分かる。ハンガーにかかってるときと、着たときで違うもんね」
藤崎さんがうなずき、俺の顔を見たまま少し考える。
「でも、似合うかどうかとは別に、着たいのがあったら、それがいいと思う」
「うん。そこは、見つかれば」
試着室で自分の姿を見ても、似合うのか、単に見慣れないだけなのか、よく分からないことがある。店員に聞くのも苦手ではないが、勧められたら断りにくくなりそうで、いつも早めに決めていた。
藤崎さんと一緒ならどうなるのだろうと思い、すぐに水族館の外で見た手帳が頭に浮かんだ。
私服を一緒に選ぶ。
ただ、ここでその話を持ち出すわけにはいかなかった。二人で見せてもらったページを、彼女の友達がいるところで話すのは違う。
俺は弁当へ目を戻し、今度、もう少しちゃんと見てみるとだけ答えた。
食事が進むと、話は映画へ変わった。
高瀬さんが、見たかった映画の上映が今週で終わると言ったのがきっかけだった。何人かで行く予定を合わせているうちに、いつの間にか一週間たっていたらしい。
「明日、学校終わってから一人で行こうかなって思ってる」
「あれ、もう終わるんだ。私、まだ予告しか見てない」
藤崎さんがスマホを出し、上映時間を一緒に確かめる。拓海は題名を聞いたことがある程度らしく、どんな話なのかと質問した。
高瀬さんが説明しているうちに、別の映画の名前が出て、話が少しずつ広がっていく。俺も見たことのある作品があったが、二人の声が重なったところで、話し始めるタイミングを逃した。
箸を置き、弁当箱を閉じかける。
「三原、今、何か言おうとした?」
藤崎さんがこちらを向いた。
「え。いや、去年やってた方は見たから」
「あ、あのシリーズ? どうだった?」
高瀬さんも顔を上げる。三人に見られると少し話しにくいが、藤崎さんが急かさずに待っていた。
「俺は好きだった。途中で出てくる商店街の場面が、結構よくて」
「あ、主人公が帰ってくるところ?」
「そう。話もだけど、背景にある店の看板とか。歩いてるときに横で人が普通に買い物してるのが、ちゃんと街っぽくて」
言いながら、筋書きを聞かれたのに関係ないことを話している気がしてきた。けれど高瀬さんは、そういう見方はしてなかった、と面白そうに聞いてくれた。
「私、あの場面、会話の方ばっかり気になってた」
「普通はそっちだと思う。俺も最初はそうだったし」
「じゃあ、もう一回見るときは看板も見る」
俺がうなずくと、藤崎さんが少し笑った。
「三原、水族館でも説明の端っこまで読んでたもんね」
「端っこに面白いのが書いてあるとき、あるから」
「で、私が変なとこ見つけて呼ぶと、ちゃんと来る」
「脚しか出てないエビは、気になっただろ」
「うん。あれは、最後に顔見られてよかった」
二人で話してから、ほかの二人に説明していないことに気づいた。俺は、岩の下から脚だけ出ていた生き物の話だと短く付け足した。
拓海が、魚だけじゃなくエビまで見張ってたのかと言い、高瀬さんは笑いながら首をかしげる。
「二人とも、結構じっくり見るんだね」
「三原が一緒だったから。私だけだったら、もういいやって先行っちゃってたかも」
藤崎さんがそう答えた。
俺も何か言おうとしたが、うまい返しは出てこなかった。代わりに、あそこは結構面白かった、とだけ答える。
高瀬さんはうなずき、見たい映画の上映時間をもう一度確認した。拓海も自分のスマホを出し、俺は弁当箱を袋へ戻す。
それぞれ別のことをしているのに、さっきの彼女の言葉だけが、しばらく耳に残っていた。
昼休みの終わり、机を元へ戻していると、拓海が俺の弁当袋を指した。
「その紐、こっち通すんじゃねえの」
見せられたところを確かめると、片側だけ、通し方が変わっていた。洗ったときに抜けて、そのまま適当に戻した覚えがある。
俺は結び目をほどき、紐を通し直した。口を開いたり閉じたりすると、今度は引っかからない。
「直った。ありがとう」
「袋ごと買い替えなくて済んだな」
「シャツより先に買うところだった」
隣で椅子を戻していた藤崎さんが、そのやり取りを聞いて笑った。
予鈴が鳴り、高瀬さんが自分の席へ戻っていく。俺も袋を鞄へ入れ、午後の教科書を出した。
藤崎さんがこちらへ顔を寄せ、ほかの席まで届かないくらいの声で言う。
「さっき、手帳のこと、言わないでくれてありがと」
俺は少しだけ驚いてから、うなずいた。
「俺から話すことじゃないし」
「うん。……そうなんだけど」
彼女はノートの角を指でそろえた。その間に、教師が廊下から入ってくる。
話はそこまでになったが、藤崎さんが何か言いかけたことだけは、気になっていた。
放課後、今日は約束がないので、俺はいつも通りに鞄を持った。
拓海は用事があるらしく、また明日な、と先に教室を出ていく。藤崎さんは高瀬さんと話していて、俺は二人へ軽く会釈してから廊下へ向かった。
靴箱の前で上履きを脱いでいると、後ろから名前を呼ばれた。
「三原、ちょっといい?」
藤崎さんだった。鞄を肩へかけ、手には一枚のプリントを持っている。
「これ、机に残ってた」
「あ、進路のやつ。ありがとう」
朝、前に配られた調査の記入例を出して、その下へ入れてしまったらしい。俺は受け取り、鞄のファイルへ挟んだ。
藤崎さんも自分の靴箱の前へ移り、ローファーを出す。待つかどうか迷っていると、彼女がこちらを見た。
「駅まで、一緒に帰ってもいい?」
「うん。高瀬さんは?」
「先生にプリント出してから帰るって。先行っていいよって言われた」
「そっか」
俺は靴を履き終え、通路の端へ寄った。藤崎さんは鞄をかけ直すと、隣へ来た。
昨日はアイスの約束があった。今日は特に寄るところもなく、ただ同じ道を歩く。それでも、校門を出たときには、もう会話が始まっていた。
「あの映画の話、さっきの続き、聞きたかったんだよね」
「看板の話?」
「うん。私、予告だと人の顔ばっか見ちゃうから。三原って、何でそういうの気づくのかなって」
俺は少し考えた。
「歩いてて気になるものと、似てるのかも。古い看板の下に、新しい店の名前が貼ってあったりすると、前は何があったんだろって思うし」
「ああ、そういうの。あるよね。閉まってるお店かと思ったら、入口が横にあるとか」
「そう。気づかずに通り過ぎるときもあるけど」
「三原と歩いたら、同じ道でも違うとこ見そう」
彼女はそう言って、道沿いの店を見た。俺もつられて顔を向けたが、今は特に面白いものを見つけられなかった。
「毎回あるわけじゃないぞ」
「分かってるよ。三原が見つけたものしか話しちゃ駄目ってこともないし」
そう言われて、俺は笑った。彼女が見つけたものについて、横で適当なことを言うだけでも、昨日も今日も十分楽しかった。
駅の方へ曲がる角で、藤崎さんが少し歩く速さを落とした。
「ねえ、服、買いに行く日って、もう決めてる?」
「まだ。今度の土曜くらいに見ようかとは思ってたけど」
「私も一緒に見ていい?」
聞き返しそうになり、俺は彼女の方を見た。
「服?」
「うん。私も夏の服見たいし。三原が一人で見たいなら、別の日にするけど」
「いや。一緒に見てもらえるなら、助かる」
返事をすると、彼女の肩が少し下がった。
「よかった。お昼のとき、言おうかと思ったんだけど、手帳の方、思い出させちゃうかなって」
「そっちで誘ってくれたんじゃないのか」
「……それも、あるよ。私がやってみたかったことだし」
彼女は隠さずに答え、それから笑った。
「でも、三原が何着たいか考えるの、普通に楽しそうだなって思ったから。紺、似合ってたし」
今度は、素直にありがとうと言えた。褒められたことに慣れたわけではない。ただ、それを受け取った方が彼女も話しやすいのだと、少し分かってきた。
「藤崎さんのも見るんだよな」
「うん。見たい。試着したら、意見聞いてもいい?」
「専門的なことは分からないけど」
「そういうのじゃなくて。三原はどう思う、って聞きたい」
彼女がこちらを見たまま言ったので、俺はうなずいた。
「それなら、言えると思う」
「じゃあ、決まり」
駅へ着くまでに、土曜日は昼を食べてから会うことと、駅前の商業施設を見ることを決めた。集合は一時、出店が並んでいた広場の時計の下。何度も通った場所なのに、待ち合わせに使うのは初めてだった。
別れ際、藤崎さんが鞄の紐を持ち直した。
「私、気になるやつ見つけると、結構止まるけど」
「いいよ。俺も、たぶん選ぶの遅いし」
「じゃあ、お互いゆっくりってことで」
彼女が笑う。俺も、うん、と返した。
土曜日までに、まだ三日、学校がある。今決めた約束を、その間、教室でも話せるのだろうと思った。
家へ帰ったら、白いシャツだけではなく、ほかの服も一度見ておこう。何を持っているか分からないまま、彼女に全部選んでもらうつもりにはなりたくなかった。
そう考えながら歩き出したところで、藤崎さんが俺を呼び止めた。
「三原」
振り向くと、彼女は少し照れた顔で、自分の制服の袖をつまんでいた。
「土曜、私、何着てくか迷うと思うけど、選ぶのは手伝わないでね」
「何で?」
「当日まで、見てない方がいいから」
それだけ言って、彼女は手を振った。
俺も手を上げたが、うまく返事をする前に、彼女がいつもの道へ向かって歩き始める。
土曜日は、服を買いに行く日だ。それなのに、買う前に着てくる服のことまで、楽しみにする理由ができてしまった。




