第42話 会いたいから、待ち合わせる
昼休みに書いた紙は、午後の授業が終わる頃には、教科書の間で少し曲がっていた。俺は端を指で伸ばし、帰りの連絡を終えた担任が教室を出る前に立ち上がる。聞くと決めたことでも、声を掛ける瞬間には、一度だけためらった。
「先生、進路のことで相談したいんですけど、時間ありますか」
担任は持っていた紙をそろえ、明日の放課後なら少し取れると答えた。俺はうなずき、二つの大学を見て迷っていることと、授業の内容をもう少し比べたいことを伝える。
「じゃあ、見学で気になった物も持っておいで。まだ決まってなくていいから」
その返事を聞き、俺はほっとした。相談へ行く前に自分で答えをまとめなければいけないような気がしていたが、そうだったら何を聞きに行くのか分からなくなる。
席へ戻ると、莉緒が鞄を肩へ掛けていた。俺の方を見て、話せた、と小さい声で聞く。
「うん。明日、放課後になった」
「よかった。私も、次の見学のこと、もう少し調べる」
彼女はそう言ってから、明日はどのくらい掛かりそうか尋ねた。俺がまだ分からないと答えると、じゃあ先に帰るね、とうなずく。俺も分かったと返したが、それから少しだけ、何かを言いそびれたような気分が残った。
今日もすぐに二人で帰るわけではなかった。莉緒は高瀬さんと用事があり、俺は借りた本を返す日を確かめに図書室へ寄る。廊下の角で別れ、彼女が振った手へ手を上げ返した。
階段を上りながら、俺は明日のことを考えた。進路相談があるから会えない、という話ではない。同じ教室にいるのだし、昼にも話せる。それでも、放課後に待ち合わせて少し歩きたい気持ちは、進路の予定と一緒に消えなかった。
図書室で返す日を確認すると、まだ余裕があった。俺は棚の前で本を探し直さず、今借りている一冊をもう少し読むことにした。分からない言葉があるたびに新しい本へ移っていたら、どれも最初の方しか読めなくなりそうだった。
窓の近くの席へ座ると、机の上に木のしおりが見えた。自分が本へ挟んでいた物を出しただけなのに、莉緒と買ったときの話を思い出す。スマホを出しかけて、俺は先にページを開いた。連絡は、帰る前に落ち着いてすればよかった。
翌日の相談では、俺は二つの案内を机へ並べた。家で書いた比較の紙も出すと、担任は先にどの辺りが面白かったかを聞いてくれる。大学の名前を挙げるより、その話をする方が答えやすかった。
「街を歩くのが好きで、写真も撮るんですけど、見学で、その後に調べたりまとめたりする話を聞いて。そっちも気になってます」
俺は展示の人数の表を見た話をし、同じ場所でも数え方を先に決めると聞いたことを説明した。担任はうなずきながら、俺が紙の右側に書いた、まだ不明、という欄へ目を向ける。
「ここが分からないから、どっちがいいか比べられないんだね」
「はい。片方で聞いただけのこともあるんで」
分かっているつもりのことを話しているうちに、授業の名前が似ているだけで同じ内容だと思っていたところも出てきた。担任はその場でどちらが俺に合うかを決めず、次に確かめる項目を一緒に分けてくれた。
学ぶ内容と、通うための条件と、受験に必要な勉強。全部を一つの欄で考えると、面白そうという気持ちまで数字に押されて見えなくなる。俺は紙へ線を一本足し、今の自分が何を知らないかを書き直した。
「今すぐ一校に決める必要はない。ただ、興味があるなら、高校の勉強も後回しにはできないからね」
言われて、俺はうなずいた。苦手な科目を全部避けた先に、都合よく行きたいところがあるとは限らない。まずはそれぞれの条件を正式な案内で確かめ、分からないところをまた持ってくることにした。
相談を終えると、紙の内容は増えていたが、全部を今日決める必要はなくなっていた。礼を言って教室へ戻り、机に置いていた鞄を取る。莉緒の席にはもう誰もいない。
スマホを開くと、彼女から帰るねという連絡が来ていた。俺は終わったと返し、鞄へ資料を入れる。ここまで来る間にも会いたいと思っていたのだから、今その言葉を足しても遅くはなかった。
『明日、放課後、少し一緒に帰りたい』
送ってから、俺は鞄のファスナーを閉めた。返事が来るまで教室で待つのではなく、下駄箱へ向かう。外へ出たところで短くスマホが鳴った。
『私も。明日は一緒に帰ろ』
その次に、今日も待てたかもしれなかった、と届いた。俺は立ち止まり、画面を読み直す。待ってほしいと言わなかった俺が、待っていてくれるかもしれないと期待していたことを、少し恥ずかしく思った。
『時間分からなかったから、言わなかった。でも、待っててほしい気持ちはあった』
正直に送ると、しばらくして彼女から、電話してもいい、と来た。歩きながらでは落ち着かないので、人の通らない端へ寄ってから、大丈夫と返す。
「おつかれ。相談、どうだった?」
電話に出た莉緒は、すぐにそのことを聞いてくれた。俺は自分で確かめたい項目が分かったと答え、それから、待つ話をしたかったんだよな、と尋ねる。
「うん。でも、相談した話も聞きたかった。両方」
彼女が言ったので、俺は少し笑った。自分が送った言葉で、彼女を責めたように聞こえていたら困ると思ったが、向こうの声はいつもと変わらない。
「私、待つって言ったら、早く終わらせなきゃって思わせそうで、先に帰るって言ったの」
「俺も、待っててって言ったら、帰りたいのに残ってもらうかなと思って」
「二人とも、相手の気持ち、先に決めてたね」
莉緒が笑い、俺もその通りだと思った。待ってほしいと希望を言うのと、必ず待つように頼むのは違う。彼女が用事があれば帰ればいいし、待ちたい日なら待ち合わせればよかった。
「次から、時間分かんなくても聞いていい?」
「うん。私も待てるか言う。ずっとは待てない日もあるから」
その返事が、何時間でも大丈夫より嬉しかった。俺は自分も同じように答えると伝え、明日は帰りの連絡の後、教室の外で会うことにした。
「今日の分、明日長く話す?」
俺が聞くと、莉緒は少し考えてから、明日は短く、と言った。
「家でやりたいことある。学校の案内、母にも見せたいから。でも、一緒に帰りたいのは本当」
「うん。じゃあ寄り道なしで」
俺は答え、彼女がありがとうと言うのを聞いた。短くても会いたいという話を、今日はちゃんと自分の方からできた。
水曜の放課後、莉緒は教室の扉のそばで待っていた。俺が鞄を持って近づくと、彼女はスマホをしまい、今日は早かったねと言う。
「今日は先生へ聞くこと、残ってないから」
「私、今ちょっと、相談が毎日ある人みたいに思ってた」
彼女が笑い、俺もそんなに毎日増えたら困ると答える。二人で下駄箱へ行き、靴を履き替えた。少し先を歩く彼女へ追いつくと、莉緒は俺の顔を一度見てから、空いている手を差し出した。
手を握って校門を出る。寄り道をしない帰り道は、いつもより短い時間で分かれ目へ着いてしまいそうだったが、歩く速さまで遅くして引き延ばすつもりはなかった。彼女は家でしたいことを話してくれている。
「お母さんには、どんなの見せるの?」
聞くと、莉緒は自分が見比べている案内のうち、気になる二校のことを話した。どちらも服や雑貨を作る授業があるが、初めての人への説明や、その後の制作の進め方に違いがありそうだと言う。
「まだ分かんないところ多いから、見てきた方の話も一緒にする。母、私がどこまで考えてるか知らないと思うし」
「聞いてくれそう?」
「うん。たぶん。でも、写真ばっかり見てないで費用も見なさいって言われそう」
莉緒は少し口を尖らせたが、すぐ自分も見ないといけないと笑った。俺も父へ話したとき、通う場所と時間は伝えたけれど、これからはそれだけでは足りなくなる。
彼女が先に全部を決めてから報告しようとしているのではなく、まだ迷っている段階で家の人へ話そうとしているのが、少し頼もしく見えた。そう言うと、莉緒は俺の手を握り直す。
「頼もしいは、言いすぎ。私、今日帰って急にやめたくなるかもしれない」
「じゃあ、話したら教えて。やめたら、それも」
「うん。やめたら、明日もう一回やろって言って」
俺は了承したが、先生みたいには言わないと付け足す。彼女もそれは嫌だと言い、二人で笑った。
話しているうちに、莉緒が鞄の紐を掛け直した。俺は手を離し、彼女が肩へ収めるのを待つ。その後、彼女がこちらへ戻した手を、また自然につないだ。
「航平、今日は何するの?」
「授業の復習。あと、大学の案内、条件のところ見る。昨日全部は終わらなかった」
「私も勉強しないとな。作ることだけ見てても、高校卒業できない」
少し大げさに言った彼女を見て、俺は笑いそうになる。莉緒も笑ったが、その後で、次の土曜は午前に一人で勉強してみたいと言った。
「一緒にやったら楽しいけど、分かんないと、すぐ聞きたくなるから。まず自分でやってみる日」
「いいと思う。俺も午前は家でやろうかな」
言うと、彼女が横を向く。俺はすぐに同じ時間にしなくてもいいと付け足した。自分も宿題を片づけたいだけだと話すと、莉緒はそういう意味で聞いたのではないと笑う。
「午後、会いたいって思った。でも、今言うと、航平、午前中に全部終わらせなきゃって思う?」
「少しは。でも、終わらなかったら言う。午後ずっとじゃなくても会えるし」
俺は答え、彼女もそれでいいとうなずいた。まだ具体的な時刻は決めず、金曜に家の予定と勉強の進み具合を見て相談することにした。
分かれ道のところで、莉緒が足を止める。俺も止まり、手を離した後も、すぐに背を向けなかった。
「今日、寄り道なくてもよかった?」
「うん。一緒に帰りたかったから」
「私も。じゃあ、今日は帰って話す」
彼女は自分の鞄を軽く持ち上げて見せた。中に入っている案内を思うと、俺も、行ってらっしゃい、と言いたくなる。帰る人にそれは変かと思ったが、口にすると莉緒は笑った。
「うん。行ってくる。私の家だけど」
彼女が手を振って歩き出す。俺も反対の道へ向かい、今日は待ち合わせができてよかったと、帰り道の途中でもう一度思った。
家では、先に弁当箱を出して洗った。袋の内側に汚れはないか確かめると、底にご飯粒が一つ落ちている。箸箱へ付いていたのかもしれない。俺はそれを取り、湿った物で軽く拭く前に、莉緒からもらった洗い方を読み返した。
夕飯の後、大学の案内を開き、昨日分けた項目を確かめる。興味のある授業を見るのは楽しいが、必要な勉強や費用のところは、読み慣れない言葉が多い。俺は分かったふりをせず、親へ聞きたいところに印をつけた。
資料を広げていると、莉緒から、話せた、と連絡が来た。俺はすぐに、どうだった、と返す。返事が来るまで、書きかけの数字をそろえた。
『ちゃんと費用も見ようって言われた。予想当たった。でも、別のとこも見たいって言えた』
『よかった。行きたいって言えたんだ』
『うん。あと、航平のことも言った』
俺はペンを置いた。最後の一行を読み直している間に、もう一通届く。
『付き合ってる人がいるって。母には、今日初めて自分から言った』
俺は自分の部屋の扉を見た。父と母へ話したときのことは覚えているが、莉緒の家で俺の名前が出るところは、うまく想像できなかった。
『何て言ってた?』
送った後で、そこを気にしすぎるのも変かと思った。けれど彼女の母がどんなふうに聞いてくれたかは、やっぱり知りたい。
『どんな人って聞かれたから、袋、ちゃんと使ってくれるって言った』
『袋の話からなんだ』
『うん。私が今、言いたかったから』
俺は思わず笑った。もっと立派に説明してもらいたかったのではなく、そんな普通のことで自分のことを話してくれたのが嬉しい。
莉緒はその後、学校で話を聞いてくれることや、二人で水族館へ行ったことも話したという。母は、今度会うことがあったら挨拶してね、と言っていたらしい。いきなり家へ来る予定を決めたわけではなく、機会があったらという話だと彼女が添えた。
『会ったら、ちゃんと挨拶したい』
俺が返すと、莉緒から、私も航平のお母さんにいつか、と届く。どちらもすぐの日付を決める必要はなかった。それでも、お互いの家の中で、自分の知らない時間にも名前が出るのだと思うと、少し落ち着かなくなった。
俺は机の上の巾着へ目を向けた。彼女が選んで縫った物を使っているだけで、彼女の母へ話すことが一つできる。そのことを、土曜に受け取ったときは考えていなかった。
木曜は、休み時間に莉緒が高瀬さんと話しているのが聞こえた。二人とも次の週の用事を確かめているようで、俺は自分のノートへ戻る。全部の会話に自分が入らなくても、彼女が笑っている声は分かった。
放課後には、拓海が俺の机へ来た。手には自分の進路の紙を持っている。
「三原、先生に話したんだよな。何持ってった?」
「見学の案内と、自分のメモ。決まってないところもそのまま」
「それでいいのか。俺、決めてから話すつもりになってた」
拓海が言うので、俺も同じだったと答える。彼は自分も時間を聞いてくると言い、教室の前の方へ歩いた。俺は鞄へノートをしまい、莉緒が席を立つのを待つ。
今日は二人とも一緒に帰れる。昨日、どのくらい待てるか聞こうと決めたばかりなので、俺は先に、拓海に少し話すかもしれないと伝えた。莉緒は高瀬さんへの返事があるからちょうどいい、と答える。
少しして拓海が戻り、明日になった、と報告した。俺はよかったと返し、彼が言いかけて口を閉じたことには気づいたが、聞き返さなかった。本人がまた話したいときに言えばよかった。
莉緒と教室を出ると、廊下の窓から冷たい風が入った。彼女が上着の前を寄せ、俺も袖口を直す。少し前まで暑いから外へ長くいられないと言っていたのに、今は温かい物が欲しくなる。
「今日もまっすぐ?」
俺が聞くと、莉緒は首をかしげてから、途中の自販機までなら寄りたいと言った。
「飲み物、買いたい。お腹すいたけど、夕飯前だし」
「じゃあ、俺も何か飲む」
決めた寄り道は短く、自販機の前では彼女が二つの缶で迷った。俺は自分の分を買い、彼女が選ぶのを横で待った。小さい迷いでも、聞かれる前にどちらかを勧めなくていい。
莉緒が温かいミルクティーを選び、缶を持つ手で俺の腕へ軽く触れた。
「待っててくれたね」
「そのくらいは待つよ」
「うん。知ってる。でも今、言いたくなった」
彼女は笑い、俺も缶の温かさを掌で確かめた。昨日から何もかも変わったわけではないが、待つという言葉を、前より気軽に口にできた。
金曜の夜、土曜の午後をどうするか、俺から連絡した。午前中は勉強するという話を忘れていなかったので、会う時刻は遅めでもいいと添える。莉緒は自分の予定を見てから、十五時に会いたいと返した。
駅前のいつもの時計の下で十五時。十七時までには別れて、それぞれ家へ帰る。何か特別な買い物をする予定はなく、少し歩いて話すことにした。
『勉強終わらなかったら?』
彼女が聞いたので、俺は少し考えた。
『残りの量見て、時間短くするか相談しよう。黙って無理して出ない』
『私もそうする。会いたいの、なくなったわけじゃないって分かっててね』
俺はその文章を読んでから、分かってる、と返した。会いたいと言うたびに、用事を全部捨てて証明しなくてもいい。言葉で教えてもらえるなら、俺もそれを覚えていたかった。
スマホを置き、机の上の問題集を開く。今日のうちにできるところを少しだけ進めようと思ったが、夜更かしして明日の午前を潰すのは違う。俺は区切りを決めて、ペンを持った。
問題集の途中で、母が洗った袋を乾かす場所を聞きに来た。初めてしっかり洗うので、俺も一緒に洗い方の連絡を見た。彼女が教えてくれたとおりに形を整え、乾きやすいところへ掛けると、紺の四角が少し違う形に見える。
「明日使うの?」
「明日は弁当じゃない。乾かなかったら、前の袋もあるし」
答えると、母はうなずいて戻った。新しい物をもらっても、前の物が急に要らなくなるわけではない。使う朝までに乾くか毎回心配するより、二つあればその日の都合で選べる。
俺は一枚だけ写真を撮り、莉緒へ、初めて洗った、と送った。返事は、干されてる、と少し変な感想だった。
『袋だから、普通なんだけど。自分で作ったのが干されてるの初めて見た』
俺は画面を見て笑い、使ったから洗った、と返す。彼女から、そうだね、それ嬉しい、と届いたので、写真を送ってよかったと思った。
部屋へ戻ると、机の問題はさっきと同じ場所で待っていた。難しいところを飛ばしていないので、開いた瞬間に少し嫌になる。それでも、一問進めたら終わりにすると決めたのは自分だった。俺は途中式の間違いを消し、空いたところへ書き直す。明日彼女へ会いに行くことと、今この一問をやることが、どちらも自分の予定に入っていた。
最後の一問を終えて閉じたとき、莉緒から、おやすみ、と届いた。俺も返事をし、明日は十五時、と確かめる。彼女から返ってきた丸い顔のスタンプを見て笑い、鞄のそばへスマホを置いた。
明日の待ち合わせは、空いていたから入れた予定ではなかった。会いたいと二人で言ったから、作った時間だった。




