第31話 予定になかった一枚
月曜に帰る時刻を相談したとき、莉緒は十八時半までには家へ戻りたいと言った。夕飯は家で食べるつもりらしく、俺も同じ時間に帰ることにする。火曜の十六時に会う約束は、そのままだった。
『何するか、まだ決めてないけど』
俺が送ると、彼女からは、会って決めてもいいよ、と返ってきた。
『ずっと外は暑いから、中に入れるところがいいな』
『うん。そこは俺も』
俺は駅前の商業施設を思い浮かべた。本屋や店を見るだけでも、座れる場所もある。特別な催しがなくても、二時間くらいなら過ごせそうだった。
部屋で大学の案内をまとめ、持っていく物はないと確かめる。彼女へ渡す資料も、貸したままの物もなかった。それでも、火曜が来るのを待っていた。
待ち合わせの時計の下へ着くと、莉緒も広場へ入ってくるところだった。くすんだ黄色の半袖の上着に白いTシャツ、下は濃い色のパンツ。髪を下ろしていて、顔の横を指で少し払ってから手を上げる。
「航平、こんにちは」
「こんにちは。何か、学校で会うときと違うな」
「朝じゃないからね。おはようって言いかけた」
彼女は笑い、鞄を肩へ掛け直した。俺もいつもの挨拶を聞きたくて会いに来たような気がして、思ったより緊張せずに済んだ。
互いに家で昼を食べてきて、水も持っている。今日は制服ではなく、何かを一緒に買うためでもない。広場の端へ寄り、俺は先にどこへ入りたいか聞いた。
「とりあえず、あそこの中。涼しいのが最優先」
莉緒が商業施設を指したので、俺も賛成した。入口の風が当たると、彼女が肩を下げて笑う。自動ドアから二人で少し離れ、階の案内を見る。
映画を見るには時間が短いし、今日は見たい作品を調べてもいない。本屋へ行くかと話していたところで、莉緒の目が上の階の表示へ止まった。
「ねえ、プリクラ、一緒に撮らない?」
俺は彼女を見てから、案内へ目を戻した。ゲームのある階の端に、写真のシールを作る機械の表示がある。
「俺、あれ、ほとんど分かんない」
「うん。私も最近の全部分かるわけじゃないけど、画面見たら何とかなると思う」
「それ、ずいぶん信用あるな」
俺が言うと、彼女は笑った。分からなかったら店の人へ聞けばいいと言われ、それもそうかと思う。
「今日、一緒に撮りたいなって。写真、いつも自分で腕伸ばすから」
俺はうなずいた。今までの写真はどちらかが撮るか、スマホを持って二人を入れるかだった。二人とも何も持たずに並ぶのは、少し違う。
「じゃあ、撮ろう。変な顔になったら、それも残るけど」
「自分で変な顔しなければ、大丈夫でしょ」
「それ、俺には分かんないから、聞いてる」
言い返すと、彼女が声を抑えて笑った。俺もつられて笑い、先にエスカレーターへ向かう。
ゲームの階は、下の売場より音が多かった。音楽や案内の声が重なって、いつもの声だと聞き返しそうになる。俺たちは並んで歩き、奥の写真を撮る区画へ入った。
置かれた機械の外側には、出来上がりの見本がいくつかある。莉緒は二つを見比べてから、色があまり強く変わらない方がいいと指した。
「それ、俺も。顔、いつもと違いすぎると、誰か分かんなくなりそう」
「航平のことは、分かるよ」
そう答えられて、俺は一度彼女を見た。莉緒は見本を見ていたので、言った後で特別な顔はしなかった。
料金は二人分で六百円だった。三百円ずつ出すことにして、それぞれ財布を開く。先に空いている撮影の場所へ進み、荷物を指定の棚へ置いた。
中は思っていたより明るかった。正面の画面へ顔が映り、俺はどこを見ればいいか分からず、自分とカメラの間で目を動かす。
「最初、説明ある。待って」
莉緒に言われ、俺も画面の表示を読む。背景を選んで、四回撮るらしい。俺たちは派手な模様より、二人が見やすい薄い色の背景を選んだ。
「ここ、立つとこね。たぶん、航平、もうちょっとこっち」
彼女が示した印へ寄ると、二人の顔が画面の真ん中へ入った。スマホで自撮りするときのように、どちらかが腕を上げる必要はない。
そう分かったところで、最初の撮影までの数が減り始めた。
「待って、まだ、顔」
俺が言う前に、莉緒がカメラを指した。そちらへ顔を向けている間に音が鳴り、一枚目が画面の端へ出る。
俺は真面目な顔で、彼女は口元を少し押さえて笑っていた。
「何で、笑ってるんだよ」
「航平が、待ってって言うから。機械、待ってくれないよ」
「分かった。次は、待たなくていい」
俺が答えると、彼女がまた笑った。二枚目はそれを見て俺も笑ったところで撮られ、今度は最初より肩の力が抜けていた。
画面には、二人で片手を上げる例が出た。俺は真似をしようとしたが、莉緒も同じ方を上げたので、画面の中では二つの手が遠く離れる。
「逆じゃない?」
「どっちが?」
聞き返したところで、三枚目の音が鳴った。二人とも手を途中まで上げて、お互いを見ている。
莉緒が笑い、もう見本どおりじゃなくていいと言った。俺も、自分たちで分かるのにしようと答える。
「最後、普通に、こっち見よ」
彼女がカメラを示す。俺はうなずき、彼女の横へ向き直った。
少しだけ離れていた肩の間が、莉緒が寄ったことで狭くなる。俺も同じくらい寄り、何も指示がなくても、彼女と並んだ画面を見て笑った。
最後の音が鳴った後、俺たちは四枚を見比べた。見本に合わせようとした写真が一番変で、何もしていない最後の一枚が、一番ちゃんと二人で写っている。
「私、これ好き」
莉緒が二枚目を指した。俺が彼女の方へ少し目を向けて笑っていた方だった。
「最後のじゃなくて?」
「最後のも好き。二枚目も、楽しそうでしょ」
そう言われると、自分でもそう見えた。初めての機械で何をすればいいか迷っていたが、隣で彼女が笑っていたのを見たことは、もう覚えている。
「うん。これ、俺もいい」
答えると、莉緒がうなずいた。俺たちは撮影の場所から出て、次の編集画面へ移った。
編集する場所には、文字を書くためのペンが二本あった。莉緒が片方を取るので、俺ももう片方を持つ。
画面の端にはいくつもの飾りが並んでいたが、全部使おうとすると、写真より絵の方が大きくなりそうだった。彼女も、いっぱいは足さなくていいと言う。
「今日のこと、何て書く?」
「夏休み?」
「広いね。まだ、何日もある」
莉緒が笑い、俺も考えた。見学の後でも、資料館へ行った日でもない。予定に入れたときは、会って話す、とだけ書いていた。
「じゃあ、今日、会った、で」
「事実しかない」
「事実は、間違ってないだろ」
彼女が笑ったので、俺も笑った。きれいな名前をつけなくても、俺たちには何の日か分かる。
結局、二人の名前と、小さく「なつやすみ」と入れることにした。俺が航平と書いたら、文字の高さがそろわず、平だけ少し下がった。
「俺、これ、字も残るんだな」
「そういうものだから。待って、私も書く」
莉緒が隣へ自分の名前を書く。こちらは俺より整っていたが、最後の線だけ少し長くなり、本人が消そうか迷った。
「そのままで、いいと思う」
俺が言うと、彼女は手を止めた。
「私、航平の平も、直さなくていいと思った」
「じゃあ、どっちも、そのまま」
彼女がうなずいたので、二つの名前を残した。飾りは四隅へ小さい丸を少し足すだけにするつもりだったが、莉緒が空いたところを見てペンを持ち直した。
「ここ、一個だけ描いていい?」
「うん。何を?」
「できたら当てて」
彼女は丸い形から、下へ少し長い線を引いた。中に小さい丸を二つ入れ、横から短い物を出す。俺は何かの動物だろうと思ったが、確信はなかった。
莉緒がペンを離し、俺の顔を見る。
「分かる?」
「……魚?」
「違う。足ある」
彼女が下を指したので、俺はそこで初めて、短い二本の線を足として見た。横にあるのはひれではなく、翼らしい。
「あ、ペンギン?」
「そう。それ。最初に二人で行ったし、いいかなと思ったんだけど」
俺はもう一度絵を見る。名前を聞くと、ちゃんとペンギンに見えた。少し横長で、片方の足が浮いている。
「歩いてるところ?」
「ううん。足、同じ長さに描けなかっただけ」
彼女が先に笑ったので、俺も笑った。何でもかわいく整えてしまうのかと思っていたが、絵はそういうわけではなかったらしい。
「消す? 普通の絵の方にする?」
莉緒が画面の端にある飾りを示す。そこには、最初から用意された、ちゃんとした形の動物も並んでいた。
「俺、今のがいい。歩いてるって思えば、そう見えるし」
「そう見える、なんだ」
「うん。名前分かったら、もう魚には見えない」
俺が答えると、莉緒は笑ったまま、じゃあ残す、とペンを戻した。
画面の端の残り時間を見て、俺はその絵の下へ短く「ぺんぎん」と入れる。彼女に何で書いたのと聞かれ、帰ってから弟に魚だと言われたら困ると答えた。
「弟くんに、これ見せるの?」
「見せるかは、まだ決めてない。でも、自分でも最初そう思ったから」
「それ、忘れないで。作者は私だけど、名前つけたの航平だからね」
笑ってうなずく。二人の写真の横に、二人で何の絵か確かめた動物が残った。見本みたいに整っていないのに、そちらの方が、今日撮った物だと分かる気がした。
最後に二人で確認し、印刷される形を選ぶ。シールの紙は同じ写真の組が二つ並ぶものにした。一枚を分ければ、二人とも同じ四枚を持てる。
画面を閉じた後で、莉緒が、字、ちょっと恥ずかしい、と言った。
「書く前に言えばよかったのに」
「書いたら、名前並んだなって思ったの」
俺も画面にあった二つの字を思い出した。名前を呼び合うのとは別に、同じ写真の下に並ぶと、また少し違った。
出来上がりを待つ間、彼女は鞄の中の小さいポーチを探した。紙を折らずに入れられる場所を空けているらしい。俺も財布へ入るか考え、受け取ってから確かめることにした。
やがて紙が出てきて、莉緒が端を持って取り上げた。画面より小さくなった二人の顔が、同じ順番で並んでいる。
「見て。一枚目、やっぱり、ちゃんとしすぎ」
「最後まで全部これじゃなくて、よかった」
俺が言うと、彼女も笑った。近くの作業台で店の備えつけのはさみを使い、二つの組を真ん中から分ける。莉緒が慎重に切り、俺へ一組を差し出した。
受け取ると、二人が笑っている二枚目が掌の上に来た。写真の中の彼女は、今、紙を見ながら笑っている顔と、ほとんど同じだった。
区画を出る前、俺は紙を財布の内側の平らなところへ入れた。少しだけ縁が出るが、閉じても折れない位置に収まる。莉緒は小さなポーチへ入れ、ファスナーを最後まで閉めた。
「じゃあ、航平の財布にも、私がいるんだ」
「俺もいるけど」
「うん。私の方にも、航平と私」
彼女が笑い、俺は財布をしまった。初めての物を一つ作って持ち帰るだけで、会ってからの時間が少し濃くなった気がする。
まだ帰るには早かったので、ゲームのある方を少し見て回った。俺は拓海と来たときのように棚の箱を見るのではなく、実際に遊んでいる人の画面へ目を向ける。
莉緒が止まったのは、エアホッケーの台だった。向こうの二人が終わるのを待ってから、遊び方の表示を読む。
「私、これやりたい」
「いいよ。俺も、ちょっと久しぶり」
一回二百円なので百円ずつ出し、互いに台の反対側へ回った。五点先に取れば終わるらしく、俺は手元の打つ道具を持つ。
最初の一回は、ゆっくり返せばいいと思っていたのに、台の端で跳ねたパックがすぐに手前へ戻ってきた。俺が空振りすると、そのまま自分の側へ入る。
「今、私、何もしてない」
莉緒が笑って言った。
「俺が、勝手に一点あげた」
「ありがとう。お礼は、返さないつもりです」
そう宣言した次のパックを、彼女も手前の端へ当ててしまった。真っすぐ俺へ来るかと思ったのに、跳ね返って自分の側へ入る。
俺が顔を上げると、莉緒は打つ道具を持ったまま、しばらく黙っていた。
「……今のは、返したんじゃなくて」
「うん。勝手にもらった」
二人とも笑い、次こそと構え直す。台の上の小さい物を目で追っているだけなのに、気づくと声が大きくなりそうだった。
莉緒は強く打つと、パックがまっすぐではなく横へ行く。俺はそれを返そうとして、空いているところを見すぎて手元が遅れた。
点は交互に入り、途中までどちらが先に五点へ届くか分からなかった。最後は俺が返したパックが斜めに抜け、五対三で終わる。
「あー、最後、手、そこにあったのに」
莉緒が自分の置いていた位置を見る。俺も、たまたま抜けた方を目で追い、やっと肩の力を抜いた。
「もう一回やりたいけど、今やると私、力入る」
彼女が言うので、俺は、じゃあ、また今度、と答えた。負けた方が何かを買うとか、勝った方の言うことを聞くとかは決めていない。彼女はまだ悔しそうだったが、道具を戻す頃には笑っていた。
ゲームの階を離れ、少し静かな共用の休憩場所へ移った。空いている二つの席へ並んで座ると、莉緒が、思ったより真剣だった、と言った。
「俺も。あれ、やってる間、点数しか見てないな」
「私、航平の顔、一回見たよ。すごい真面目」
「それは、お互いだろ」
「うん。私も、多分そう」
彼女が笑い、自分の水筒を出した。俺も水を飲んでひと息つく。まだ十七時を少し過ぎたところで、家へ戻るには余裕があった。
莉緒はさっきのポーチを取り出し、シールの紙を見せてくれた。俺も財布を出して、自分の方を並べる。
「見てる物、同じだな」
「同じの分けたからね。でも、どっちの方に、航平が笑ってるのがある、とかじゃなくてよかった」
そう言われて、俺も二枚目を見る。四つある写真を別々に分けていたら、彼女が気に入った一枚を俺も持ちたいと言うか、少し迷ったかもしれない。
「俺も、これがあるの、嬉しい」
「うん。私も」
紙を戻す前に、彼女は少し指を止めた。顔を上げて、俺を見る。
「今日、何するか決めてなかったけど、会ってよかった」
俺もうなずいた。予定を埋めるために来たのではないと、自分で分かっている。それでも、彼女から同じことを言われると嬉しかった。
「俺も、来てよかった。莉緒がやりたいって言わなかったら、撮ってなかったと思う」
「今度は、航平がやりたいのも聞くよ。今日はゲーム、私の負けだったし」
「それ、次の勝負の話になってない?」
莉緒が笑い、今度はちゃんと狙うと言った。何をするかという話は、また自然に増えていた。
俺は制作の体験はいつなのか、もう一度聞いた。彼女は来週の木曜の午後だと教えてくれる。十三時から十五時までで、道は前にも行ったので分かるらしい。
「持ち物、もう大丈夫?」
「布切るはさみは、家のが使えた。筆記具もあるし。あと、汚れて困らない服。針とか必要なのは、向こうで用意してくれるって」
準備が済んだ分だけ少し安心したと言いながら、彼女は、自分で縫えるかな、と付け足した。
「私、服好きなのと、作れるの、別なんだよね」
「うん。でも、最初にそれ、確かめたかったんでしょ」
「そう。行った後に、やっぱり見る方が好きってなっても、行った意味はあるし」
自分へ言うように話した後、彼女は俺を見た。俺もうなずき、終わったら話聞きたいと答える。
「きれいにできた報告じゃなくても、いい?」
「うん。今日の最初の写真だって、ちゃんとしてない方も残したし」
彼女は紙の入ったポーチを軽く押さえた。俺も自分の財布をしまい直す。上手にできた部分だけを見せるのではなくても、会ったことは嬉しかった。
十七時半を回る前に、二人で建物を出た。外はまだ明るく、入口で一度、暑いね、と同じことを言って笑う。
歩道へ出て少ししたところで、俺は右手を彼女の方へ出した。言葉を選んでいる間に、莉緒がそれを見て、左手を重ねてくれる。
「今日は、航平からだ」
「うん」
彼女が握ったので、俺も軽く握り返した。前のときより、歩き出すまでに迷わなかった。
鞄の持ち手がずれると、莉緒はつないでいない方の手で直した。俺は自分だけ先に行かず、横へ並ぶ。何も話さない時間も、隣から歩く音が聞こえていた。
「十八時半までに、ちゃんと帰れるね」
莉緒が言った。
「うん。今からなら、間に合う」
「早く帰りたいって意味じゃないからね」
少し急いで足された言葉に、俺は彼女を見た。
「分かってる。俺も、まだ一緒にいたいけど。帰るの決めたから」
莉緒はうなずき、じゃあ、ここまではゆっくりね、と答えた。遠回りをしなくても、道の分かれ目まで一緒に歩ける。
そこで手を離すとき、彼女は自分の鞄を持ち直した。俺も一度離した手を下ろし、今日撮った紙はちゃんと入っていると思い出す。
「帰ったら、もう一回見ると思う」
俺が言うと、彼女は、私も、と笑った。
「最後のも見るけど、二枚目もね」
「俺、全部見る」
「うん。私も、やっぱり全部」
莉緒が手を上げ、俺も振り返す。帰り道では、スマホを開かなくても、財布に二人の写真がある。
十八時半になる前に家へ着き、母にただいまと言った。今日は外で夕飯を食べないと伝えてあったので、台所には俺の分の箸も出ている。鞄を置く前に手を洗い、莉緒へ帰着の連絡をすると、彼女ももう家だと返してくれた。
部屋へ戻って、俺は財布から紙を出して机の上へ置いた。まじめな一枚目と、笑った二枚目、途中で手の向きを間違えた三枚目、最後の四枚目。
どれか一つだけがうまく撮れていればいいと思って入ったのに、今は、全部もらえてよかったと思っていた。




