第3話 次の約束は、手帳の外で
昼の時間が近づくと、水族館の中は食事の場所までにぎやかになっていた。
レストランの入口には、順番を待つための紙が置かれている。名前の欄はすでに二枚目へ入っていた。俺が待ち時間の表示を見ていると、隣で藤崎さんがメニューをのぞき込んだ。
「結構待ちそうだね」
「外も見てみる? 再入場できるし」
「うん。あ、でも三原、ここで食べたいものある?」
「特には。藤崎さんは?」
「私も大丈夫。何でもいいよ」
何でもいい、と言った彼女の視線が、ガラスケースの右端で一度止まった。俺もそこを見る。小さな鉄板に載った、チーズのかかった焼きカレーだった。
「カレー?」
「え?」
「今、見てたから」
「あ、これ? うん、おいしそうだなとは思った。でも、並んでまで食べたいとかじゃないよ」
藤崎さんはメニューから一歩離れ、通路を空けた。俺も隣へ移動して、スマホを出す。
「近くの店に、オムカレーならあったと思う」
「調べてたの?」
「混んでたら外に出るかもと思って、いくつか見ただけ。十分くらい歩くけど」
保存しておいた地図を開くと、彼女が横から画面をのぞいた。木のテーブルに、黄色い卵の載った皿が置かれている写真が見える。
「これ、好きなやつ」
「じゃあ、空いてたらここにしようか」
藤崎さんがうなずく。その返事を聞いてから、俺は受付の人へ再入場の方法を聞きに行った。
手の甲に押された透明なスタンプを光へかざすと、少しだけ模様が見えた。藤崎さんも同じように手を持ち上げて、どこについているのか確かめている。
「これ、消えたら入れないのかな」
「チケットも持っておけば大丈夫じゃないか」
「手洗ったら全力で消さないようにしよ」
「全力で洗っていいと思うけど」
彼女は笑い、鞄の中にチケットがあるのを確かめてから出口を通った。
外は、朝より日差しが強くなっていた。風が吹くと涼しいものの、信号待ちで立ち止まると少し暑い。
目当ての店は、大通りを一本入ったところにあった。窓際に鉢植えが並んだ小さなカフェで、入口の黒板には、昼のメニューが手書きされている。
俺たちの前に一組だけ待っていたが、五分もしないうちに中へ入れた。
案内されたのは、窓のそばの二人用の席だった。向かい合って座ると、藤崎さんが鞄を膝の横へ置き、改めて店の中を見回した。
「いいね、ここ。落ち着く」
「席、空いててよかった」
「見つけるのうまいね」
「写真で見る限り、ここぐらいしかなかった」
彼女は、ふーん、と聞き流すようにメニューを開き、オムカレーのあるページで指を止めた。俺も別の一冊を見て、ランチの値段を確認する。ドリンクを付けても、千二百円で収まりそうだった。
「三原、何にする?」
「ハンバーグ。ソースが二種類あって迷ってる」
「私はデミグラス派」
「じゃあ、そっちにする」
「そんな簡単に決めていいの?」
「迷ってたし。人の意見があると助かる」
藤崎さんはメニューを閉じかけて、俺を見た。それから自分のページへ目を戻し、オムカレーにする、と言った。
注文を済ませると、テーブルには水の入ったグラスだけが残った。水族館では隣に並んで同じものを見ていたので、向かい合うと、彼女の顔を見る時間が増える。
俺は窓の外へ目をやり、店の前を通る人を見た。沈黙が気まずいわけではない。ただ、さっきのクラゲの前とは違って、どこへ視線を置くか迷った。
「三原って、こういうところ、一人でも入れる?」
「店の前でメニューは見るけど、普通に入るよ」
「すごいなあ。私、一人だとコンビニで済ませちゃうことある」
「藤崎さんの方が、どこでも平気そうだけど」
「そんなことないよ。友達となら平気ってだけ。一人で初めての店って、何か緊張する」
「逆だな。俺は一人の方が気楽」
言ってから、それだと今日が気楽ではないみたいに聞こえると思った。
言い直すより先に、藤崎さんがうなずく。
「そっか。じゃあ、今日はいつもと違うんだ」
「まあ、そうだな」
「私も。男子と二人で水族館って、初めてだし」
彼女はそう言い、グラスへ手を伸ばした。俺も水を飲む。似たタイミングで置いたグラスが、テーブルの上で小さく音を立てた。
「三原は?」
「俺も初めてだよ。今日みたいなのは」
「そっか」
藤崎さんはもう一度うなずいた。何となく、二人ともメニューを見直してしまう。すでに注文したものを見ても、これから食べる皿が変わるわけではない。
「……とりあえず、店にはちゃんと入れたな」
「うん。私、一人じゃないしね」
彼女が笑ったので、俺もメニューから手を離した。
料理が来るまで、学校で飼育委員の掲示が毎月凝っていることや、来週の小テストの話をした。休日の服を着ていても、共通の話題は同じ教室にある。それが分かると、さっきまでの落ち着かなさが薄れた。
藤崎さんは数学が苦手らしい。俺は得意というほどではないが、今回の範囲なら、前の単元より分かる。
「月曜、分かんなかったとこ聞いていい?」
「俺が解けたところなら」
「じゃあ最初に、解けたか聞く」
「段階が一個増えただけだな」
話しているうちに、料理が運ばれてきた。
藤崎さんはオムカレーを見ると、わ、と声を漏らした。写真で見たより卵が大きい。スプーンを持つ前に、撮ってもいいかと店の人へ確認していた。
「三原のも撮っていい?」
「どうぞ。まだ手つけてない」
「ありがと。あ、手はそのままでいいよ。人がいる感じになるから」
俺は皿の横に置いていた手を、動かしかけて戻した。彼女は角度を変えて二枚撮り、満足そうにスマホをしまう。
ひと口食べると、デミグラスソースには少し酸味があった。藤崎さんも自分の皿を食べ、すぐに俺を見た。
「おいしい」
「よかったな」
「うん。こっち来てよかった。見つけてくれてありがと」
俺はうなずき、自分の皿へ目を落とした。店を探しただけで、料理を作ったのは俺ではない。それでも、彼女がおいしそうに食べていると、調べておいてよかったと思えた。
水族館へ戻ってからは、まだ見ていなかった展示を回った。
朝より人は増えていたが、通路の流れは落ち着いていた。気になる水槽で交互に足を止め、ときどき近くのベンチで休む。
俺が説明を読んでいると、藤崎さんが手元の地図を見ていた。
「何か見たいところ、残ってる?」
「あ、違う。さっきのエビ、どこだったっけって」
岩の下から脚だけ出ていた生き物のことだった。俺は入口の辺りだと答える。彼女がまだ覚えていたのが、ちょっと嬉しかった。
帰る前に寄ることにして、奥の小さな水槽を見て回った。魚の顔が正面から見えると、藤崎さんは必ず一度、こちらを見る。
「この子、ずっと怒ってない?」
「元の顔だろ。何もしてないのに失礼だぞ」
「ごめん、そうだった。すごい真剣な顔してる」
「急に敬意を払うな」
そんな話をしているうちに、俺も正面から見た魚の顔が気になり始めた。水槽を横切るだけだった一匹が、こっちへ向き直るのを少し待つ。
次の水槽で、俺が先に藤崎さんを呼んだ。
「こっちは何も考えてなさそう」
「三原も言ってるじゃん」
彼女に笑われ、確かに、と俺も笑った。
魚の名前が分からなくても、見ていられる。知っていることを教え続けなくても、会話は続く。自分が一人で来るときとは、違うものを見ている気がした。
大水槽へ戻ると、朝に写真を撮った場所の近くに職員さんがいた。藤崎さんが俺を見て、スマホを少し持ち上げる。
「今度こそ撮ってもらっていいかな」
「うん。聞いてみよう」
人の流れを見てから声をかけると、職員さんは快く引き受けてくれた。俺が二人の鞄を足元の端へ寄せ、藤崎さんがスマホを渡す。
青い水槽を背に並んだところで、もう少し近くへ、と言われた。
俺が半歩ずれたのと、藤崎さんがこちらへ寄ったのが、ほぼ同時だった。袖が軽く触れ、二人とも一度、足を止める。
「その辺りで大丈夫です。では、こちらを見てください」
レンズの方を向くと、隣で藤崎さんが笑う気配がした。俺も口元に力を入れすぎないようにして、シャッターの音を待った。
二枚撮ってもらい、お礼を言って端へ移動する。
藤崎さんが画面を開くと、今度は二人ともちゃんと写っていた。頭上には魚の影があり、青い光がシャツとブラウスの色を少し変えている。
「あ、いいじゃん」
「今度は全員いるな」
「全員って二人だけどね」
画面を拡大した彼女が、もう一枚と見比べる。俺がどちらでもいいと言いかけたとき、藤崎さんが、三原はどっちが好き、と聞いた。
もう一度写真を見た。最初の一枚では、俺の口元が少し固い。二枚目は、そのすぐ後に力が抜けたらしく、隣の彼女と同じように笑えていた。
「二枚目かな」
「私も。じゃあ、こっち送るね」
彼女の指が画面を動く。俺は自分のスマホで受け取った写真を確認した。
一枚目の失敗作の隣に、今度は二人が並んだ写真が入る。消すつもりはなかったので、どちらもそのまま残した。
「これ、友達に見せても平気?」
藤崎さんが、スマホを下ろして聞いた。
「俺が写ってるやつ?」
「うん。今日、誰と行ったのって聞かれたら。勝手に載せたりはしないけど」
「別に、見せるくらいならいいよ」
「分かった。ありがと」
俺が一緒に来たことを、人に知られても困らないらしい。それだけのことなのに、写真の中にいる自分の立ち位置まで、少し落ち着いた気がした。
入口近くの水槽へ戻ると、岩の下にいた生き物は、さっきより前へ出ていた。長い触角の先が、ゆっくり動いている。
「いた。今度は顔見える」
藤崎さんが声を抑え、俺を手招きした。二人で水槽脇の一覧を見て、ようやく名前を確認する。
写真を一枚撮ってから、彼女は満足そうにうなずいた。
「これで帰れる」
「最初、こんなに気にするとは思わなかったな」
「ね。脚しか見えなかったせいで、ずっと気になった」
水槽から離れ、最後に売店へ寄った。ペンギンのぬいぐるみは、朝と同じ場所に並んでいる。藤崎さんは一つを持ち上げ、その顔を俺の方へ向けた。
「さっきの出勤したくない子、これに似てない?」
「そいつは、もうちょっと働きそう」
「厳しいなあ」
棚へ戻してから、彼女は文房具の方へ移った。俺はポストカードを見たが、今日撮った写真があるので買わなかった。
藤崎さんが選んだのは、小さなペンギンの絵がついたボールペンだった。試し書きの紙へ線を引き、手になじむか確かめている。
「ノートとかにも使えそう」
「数学のやつ?」
「そう。それも。解けなくても、ペンギンはいるから」
「助けてはくれないと思う」
「気持ちの問題です」
彼女はそう言って、一本をレジへ持っていった。
建物を出たのは、三時を少し回った頃だった。昼より日差しが柔らかくなり、朝に並んだ入口の前には、短い影ができている。
駅へ戻る前に、外のベンチで飲み物を飲んだ。藤崎さんは買ったばかりの袋を鞄へ入れようとして、中から薄い手帳を取り出した。
淡い黄色の表紙に、透明のカバーがかかっている。後ろの方には小さな付箋が何枚か出ていた。
彼女は手帳を膝へ置き、ペンの袋を開けた。俺を見てから、少しだけ口を開く。
「今日、水族館来たかったの、先輩を誘おうとしてたからって話したじゃん」
「うん」
「それもあるんだけど。もともと、誰かと来てみたいなって、結構前から思ってたんだよね」
藤崎さんの指が、カバーの角を撫でる。先輩という言葉を本人から聞いたのは、これが初めてだった。俺はうなずき、続きを待った。
「友達と出かけるのも好きなんだけど、好きな人と来たら、どんな感じなんだろうって。そういうの、いろいろ書いてたの」
彼女は手帳を開き、途中のページで止めた。すぐにこちらへ見せることはせず、しばらく自分で眺めている。
「いや、引かれるかも。普通に恥ずかしいやつだし」
「無理に見せなくていいよ」
「うん。……でも、今日付き合ってもらったし、何のつもりで誘ったのかくらい、ちゃんと言っとこうかなって」
そこで彼女は、手帳を少しだけこちらへ傾けた。
ページの上に、丸い字で『彼氏としたいこと』と書いてある。
俺は見出しを読んでから、藤崎さんを見た。彼女はすぐに、だから、と言い足す。
「彼氏いたことないよ。いたらいいなって思ってたときのやつ」
「うん」
「あと、三原に彼氏やってって言ってるわけでもないから。そこは、ほんとに」
「分かってる。見出しにちょっとびっくりしただけ」
分かってはいた。今日のチケットが、別の人を誘うために買われたものなのも知っている。それでも、その見出しの下へ、さっき一緒に見た水族館が書かれていると、少し落ち着かない。
藤崎さんは新しいペンの先を出し、一番上の項目へ小さなチェックをつけた。
「ここ。水族館に行く、達成」
「俺でも達成にしていいのか」
聞くと、彼女がペンを止めた。
「今日、楽しかったから。そこはいいかなって」
その答えに、俺はすぐ返事ができなかった。藤崎さんはチェックを消さず、手帳をもう少し見やすい向きに直してくれた。
続きには、違う味のアイスを交換する、私服を一緒に選ぶ、雨の日に寄り道して温かいものを飲む、と書かれていた。映画を見るという項目の横には、小さな星の印がついている。
最後の一行を読んで、俺はもう一度、上から目を通した。
『一日が終わる前に、次の約束をする』
場所や食べ物の名前とは違うその一行に、彼女がチケットをなかなか渡せなかった理由が、少し見えた気がした。
「どっか行くのって、一回だけじゃなくて、また会おうって言われたら嬉しいじゃん」
俺の視線に気づいたのか、藤崎さんが言った。
「だから、書いてた。先に帰りの日のこと考えるの、変だけど」
「変ではないと思う」
「そう?」
「俺も、今日つまんなかったかなって思ったら、次は誘いにくいし」
彼女がこちらを見た。俺は、普段から積極的に人を誘っているわけではないことを付け足すべきか迷い、やめた。今の話には、それで十分だと思った。
藤崎さんは手帳の端を押さえたまま、少し笑った。
「先輩に誘われるの、ずっと待ってたんだよね。何かの話したときに、じゃあ一緒に行こうよって言ってくれないかな、とか。自分から言えばよかっただけなのに」
「……誘うのって、結構勇気いるからな」
「うん。でも待ってても、分かんないもんね」
彼女はそこまで言うと、ペンの先をしまった。俺も、手帳の文字から視線を外す。
今日、俺を誘うときにも、同じくらい考えたのだろうか。金曜日の教室で、封筒の端が少し曲がったことを思い出した。
「チケット、誘ってくれてありがと」
言うと、藤崎さんが顔を上げた。
「俺、たぶん一人だったら、そのうち行こうって言ったまま、もう少し先になってたから」
「……そっか」
「ペンギンも、あんなに長く見なかったと思う」
「あの写真は忘れてってば」
彼女が笑った。俺もつられて笑い、ベンチから少し離れた案内図を見る。帰りの電車を一本早めれば、昨日の出店にまだ間に合いそうだった。
「レモンケーキ、どうする?」
聞くと、藤崎さんはスマホの時計を見た。
「まだやってる?」
「うん。今から戻れば四時過ぎには着く」
「じゃあ、行きたい。三原は疲れてない?」
「大丈夫。昨日一個しか買わなかったから、もう一個食べてもいいし」
「それ、私も言いたい。一個も食べてないから、二個でもいい」
「ちゃんとした理由だな」
彼女は手帳を閉じ、立ち上がった。次の行き先を決めただけなのに、俺も少し足取りが軽くなる。
帰りの電車では、二人並んで座れた。藤崎さんは今日撮った写真を見返し、時々こちらへ画面を向ける。
レモンケーキの出店に着いたのは、四時半になる少し前だった。残っている数は少なかったが、二人ぶんを買うには足りた。
彼女は自分の分を二つ買い、一つは姉に持って帰ると言った。俺も二つ買ったが、一つは弟が見つけたら食べるだろう。
昨日座ったベンチで、袋を開ける。藤崎さんは最初のひと口を食べると、目を細めた。
「あ、ほんとだ。ちゃんとすっぱい」
「あとから来るだろ」
「うん。これ好き」
彼女が袋の端を折って、食べやすい形にする。俺も同じようにしたが、砂糖の膜が少し割れ、欠片が膝へ落ちた。
「三原、ここ」
「あ、ありがとう」
払おうとして手を止め、袋の中へ落とす。藤崎さんはそれを見て笑いながら、自分も慎重にひと口かじった。
朝からずっと外にいたのに、もう帰りたいとは思わなかった。ただ、袋が軽くなっていくにつれて、今日の予定も終わりに近づいているのが分かった。
「今日、ありがとうね」
藤崎さんが、食べ終えた袋を小さく畳んだ。
「急に誘っちゃったけど、来てくれてよかった」
「俺も楽しかったよ」
言葉にすると短い。水族館で見た魚も、昼の店も、失敗した写真も、その中へ全部入れたつもりだった。
「また、どっか行けたらいいね」
彼女はそう言い、畳んだ袋を指先で押さえた。
俺も、そうだな、と返しかける。それだけだと、いつか行こうという話のまま終わる。そうやってまだ行っていない場所が、俺のスマホにはいくつもある。
手帳の最後の一行を思い出した。
「明日、放課後って何かある?」
藤崎さんの目がこちらへ向いた。
「明日? 特には。どうしたの?」
「駅の反対側に、アイスの店できたって言ってたろ。あそこ、気になってて」
「あ、私が写真見せたとこ?」
「うん。帰りに寄らない?」
彼女は、すぐには返事をしなかった。けれど今度は、不安そうに見えなかった。鞄を引き寄せ、さっきの手帳を少しだけ取り出す。
それから、表紙を見たまま戻した。
「行く。私、いちごのやつ食べたい」
「俺は抹茶かな」
「じゃあ、ひと口交換できるね」
何気なく言われて、俺は手に持っていた空の袋を見た。さっき見せてもらった二つ目の項目が、頭に浮かぶ。
藤崎さんも気づいたらしく、少しだけ早口になった。
「嫌だったら別に、交換はしなくていいけど」
「いや。いいよ」
「……うん。じゃあ、明日」
彼女が笑う。俺は袋の端をもう一度折ってから、明日、と返した。
駅前で別れるとき、藤崎さんは、数学の分かんなかったとこも聞くね、と言った。俺も課題を終わらせておくと答え、別々の道へ向かう。
少し歩いて振り返ると、彼女もこちらを見ていた。
何か忘れ物をしたのかと思い、足を止める。けれど藤崎さんは、片手を上げただけだった。俺も手を振り返す。
彼女が曲がり角の向こうへ消えてから、俺はまた歩き始めた。
スマホへ、写真が数枚届いている。ペンギンの後ろ姿、二人で食べた昼飯、水槽の前に並んだ俺たち。最後には、レモンケーキを持った俺の手が写っていた。
『今日はありがと。また明日ね』
返事を送ってから、俺は電車の窓越しに彼女が見つけた店の名前を検索した。帰り道の途中、踏切の先に、小さな焼き菓子の店があるらしい。
地図へ印をつけ、スマホをしまう。
明日は、月曜日だった。学校へ行けば、隣の席に藤崎さんがいる。
数学の課題を終わらせることと、放課後にアイスを食べることを考えながら、俺はいつもより少し早足で家へ向かった。




