第23話 見ていてほしい人
球技大会の前日の夜、私は体操服を畳みながら、机に置いた手帳を見た。木曜の予定の隣に、日曜のボウリングも書いてある。どちらも三原に会う日なのに、明日はできれば少しでも上手くいったところを見せたかった。
三原が席まで来てくれた月曜から、授業の合間や放課後に少しずつ練習した。サーブは何度かネットを越えたけれど、同じように打ったつもりで次は床へ落ちる。
できたときだけ呼べばいい、とは言えない。見に来てほしいと頼んだのは私だった。
髪を結ぶゴムをもう一つ入れ、タオルと水筒の準備も確かめる。手帳に書いた試合の時間は、男子の最初の試合と重なっていた。自分がボールを打っている間に、向こうで何が起こるかは見られない。
スマホが短く鳴った。三原から、集合はいつもの時間で合ってるよな、と連絡が来ている。学校へ行く時刻が特別に早くなったわけではないけれど、私も二度ほど紙を見直した。
『合ってる。体育館からスタート』
『俺、最初の試合そっち行けない』
『私も。次、重なってなかったら行くね』
返すと、『うん。サーブ見たい』と届いた。成功するところを見たいと決めつけず、打つところ自体を待ってくれているのが、少しだけ気楽だった。
『入ったら、ちゃんと見てたって言ってね』
『見てたら言う。よそ見してたら言わない』
変に格好をつけない返事に笑い、私は、じゃあ呼ぶ、と送った。三原から手を振る鳥が来て、それを見てから画面を閉じる。
少し前なら、気になる人へ、見に来てほしいと頼むだけでずっと迷っていたと思う。今も緊張しないわけではないが、言った後にも普通に返事をくれる相手がいる。
私はタオルを鞄の一番上へ入れた。明日の自分が取りやすい場所を考えられるくらいには、楽しみにしていた。
木曜の体育館は、いつもの授業よりずっと声が響いていた。廊下で紗季と別れ、私はバレーに出るクラスの女子と一緒にコートの端へ向かう。
向こう側では男子がボールを回していて、三原もその中にいた。練習の順番を待ちながら大野くんと話している。私に気づいたので手を上げると、三原も同じくらいの高さで返した。
「莉緒、試合前に動き確認しよ」
同じ組の子に呼ばれ、私はうなずいて輪へ戻った。ほかのクラスの声も聞こえるし、先生は机に並べた用紙を確かめている。私たちだけの場所ではなかった。
最初の試合で、私のサーブはネットの手前へ当たって落ちた。ボールが床を打った音を聞き、自分でもすぐ分かった。ごめん、と声を出して元の位置へ戻ると、隣の子が次取ろうと言ってくれた。
次に飛んできた球へ腕を出したが、今度は横へ返ってしまった。追いかけた子が床へ手をつきそうになりながらつないでくれて、私は慌てて空いていた場所へ動く。
誰かが一度間違えたら全部終わり、という競技ではない。自分が触らない方がいい球もあり、触るつもりなら声を出さなければぶつかりそうになる。練習した形だけを覚えていても、試合の中だと間に合わなかった。
短い試合が終わったとき、私たちは相手より少し点が足りなかった。皆で礼をして外へ出ると、私はタオルを取り出して首の汗を拭いた。
悔しかったけれど、三原に見られていなくてよかったとは思わなかった。次に見てくれるときには、もう少し落ち着いて動きたい。
同じ組の子が、サーブの前に一回足止めた方がいいかも、と教えてくれた。私は言われた位置を自分の足で確かめ、次の試合までの間に一度だけ打つ動きをした。
「私、急いでた?」
「ちょっと。ボール上げた後、追っかけてた」
「ああ、やってる。追いつけば打てると思ってた」
自分で言うとおかしくて、相手も笑ってくれた。目の前へ上げて、そのまま打つ。言葉だと短いのに、手と足を一緒に動かすと難しい。
男子の試合も一度区切りになり、三原たちが壁際へ戻ってきた。私がそちらへ歩くと、大野くんが手で自分をあおいでいた。
「暑い。外より暑くない?」
「走ってるからだと思う」
私が答えると、三原が水筒を閉めながら笑った。三原も前髪が少し額へついていて、制服で座っているときとは顔の見え方が違う。
「どうだった?」
「負けた。俺、パス一個、誰もいないとこへ投げた」
三原は自分から言った。大野くんが、それ取ろうとして俺まで変な方行った、と続ける。
「そこ、仲よくなくていいでしょ」
私が笑うと、三原も笑った。自分の失敗も話せるなら、こっちも隠さなくてよかった。
「私、サーブ入らなかった。次はボール追いかけないようにする」
「追いかけるの?」
「上げたのが遠く行くから。腕より先に足が出てるらしい」
三原はなるほどと自分の手を上げかけたが、途中で下ろした。
「俺、分かった顔してたけど、教えられないわ」
「うん。教わったから大丈夫。次、空いてたら見てて」
「行く。そっちの方が先だな」
試合順を指で確かめてもらうと、私たちの二試合目の間、男子の方は待つ時間になっていた。三原は大野くんと一緒にこちらへ来られると言う。
話しているところへ紗季が来た。卓球も一試合目が終わり、自分は動きすぎて球の横を通っていたらしい。四人とも、やる前より少し汗をかいて、自分の失敗に似たところを探して笑っていた。
私は三原を見た。彼が少しでも頑張るところを見たいと思ったのは、勝ったら格好いいからだけではなかった。いない方へ投げてしまった話を聞いても、次は見に行きたかった。
二試合目の前、壁際を見ると、三原が大野くんの隣に立っていた。通り道を空けた位置で、私に気づくと軽くうなずく。紗季も少し後から来て、二人の横へ並んだ。
見つけただけで緊張がなくなればよかったが、そうはならなかった。むしろ三原の方を見た後で、手のひらの汗が気になる。私は体操服の脇で軽く拭い、目の前へ向き直した。
試合が始まってからは、相手の球を見るので精いっぱいだった。腕に当たった球が真上へ上がり、隣の子が返してくれる。今のよかった、と言われて初めて、自分の立っていた場所を確かめた。
順番が回ってきたとき、私は線の後ろで一度止まった。あちらの声へ振り返らず、ボールを持つ手を自分の前へ戻す。近くへ上げ、慌てずに腕を振った。
ボールは高く飛ばなかった。それでもネットの上を越え、向こうのコートへ落ちる前に相手の腕へ当たった。試合が続き、私はぼんやり眺めそうになってから、自分の場所へ走って戻る。
返ってきた球を味方が上げ、別の子が相手側へ返した。私のサーブで直接点になったわけではないが、続いた。それだけで、さっきとは全然違った。
次に区切れたとき、壁際から紗季の声が聞こえた。その少し低い方に三原の声もあった気がして顔を向けると、彼がこちらへ親指を立てていた。
私も返そうとして、次の動きに遅れそうになる。慌てて前へ向き直したら、同じ組の子が、後でやればいいじゃん、と笑った。
「そうだった。今、試合だった」
声に出してしまい、相手まで笑う。私はもう一度手のひらを拭き、ボールがある方を向いた。
二試合目は、最後にこちらの返した球が相手コートの端へ落ちて勝った。皆で声を上げ、手のひらを軽く合わせる。最初より動けた子も、最後まで打つのが難しかった子もいて、私だけが急に何でもできたわけではなかった。
コートから出たときには、一度目より息が弾んでいた。タオルを取って顔を上げると、三原がそこにいた。
「見てた」
彼はほかの言葉より先に言った。
「サーブ、越えた」
「うん。私も、分かった」
「俺、今ちょっと、何言ってんだってなった」
自分で笑うので、私も笑ってしまった。入ったら見てたと言ってと頼んだことを、覚えていたのだ。
「でも、嬉しい。言ってくれて」
私が答えると、三原は目を合わせ、よかった、と返した。たくさん褒める言葉より、自分がそこにいたと教えてくれた方が、今の私には嬉しかった。
次の男子の試合は、私も紗季と一緒に見ることができた。コートへ入る前、三原は大野くんからボールを受けていた。私は手を上げ、今度はこっちが見てる、と口の形で伝えた。
伝わったか分からなかったが、彼が一度うなずいた。試合の始まりに紛れてしまう前に、私は普通の声で、三原、頑張って、と呼ぶ。
紗季は何もからかわず、一緒に拍手をした。
三原はずっと出ていたわけではなかった。交代して端で待ち、呼ばれてからコートへ戻る。ボールを持っていないときの走り方も、私はうまく説明できない。それでも、誰かが三原へ返すと、つい自分の手に力が入った。
前に相手が立ち、三原の足が止まった。右へ行きかけてやめ、横にいた大野くんへ返す。大野くんは一歩動いて、その先の子へ渡した。最後に上がったボールが輪に入り、味方の声が重なる。
得点したのは三原ではなかった。けれど彼のところから続いて、入ったのは分かった。
「今の、つながったよね」
私が紗季を見ると、紗季も、うん、と答えた。私はもう一度コートを見て、三原、と呼んだ。
こちらを向いたときに、さっき彼がしてくれたのと同じように親指を立てる。三原は一瞬笑い、すぐに前へ走っていった。
試合は接戦だったが、最後は相手が少し多く点を取って終わった。勝てばもっと嬉しかったと思う。それでも、壁際へ戻ってきた三原に最初に言いたいことは決まっていた。
「さっきのパス、見てた。大野くんに渡したやつ」
「ああ、うん。あれは取ってもらえた」
「その後、入ったね」
「俺が入れたわけじゃないけどな」
「知ってる。三原、後ろにいたし」
私が答えると、彼は照れたように笑った。どこを見たか具体的に言えたのが、自分でも少し誇らしい。全部上手だったとだけ言うより、私もそこにいたと伝わる気がした。
片づけの後は、教室へ戻って弁当を食べた。大会の続きは午後にもあったが、私たちが出る試合は午前で終わっていた。別の組の応援へ行く予定を聞き、食べ終えてから皆で移動する。
教室で水筒を開けようとしたとき、私はタオルを椅子の背に掛けた。三原がそれを見て、今日、忘れるなよ、と言う。
「大野くんにも言って」
「そっちは、もう言った」
「俺、今日は言われる前に入れたから」
大野くんが自分の鞄を示し、紗季が、じゃあ次は莉緒だね、と笑った。私は食べ終えた後で忘れないよう、タオルの端を鞄の持ち手へ軽く掛け直す。
日曜の話になったのは、大野くんが三原の腕はもう疲れたかと聞いたからだった。三原が、まだボウリングの前なのに、と返し、私は自分から提案したことを紗季に話した。
「莉緒、お姉さんとたまに行くって言ってたとこ?」
「うん。最近は行ってなかったけど。久しぶりにやりたくなった」
「じゃあ、二人とも最初は思い出すところからだね」
紗季が言ったので、私は、最初だけじゃないかも、と笑った。大野くんは投げる力を残すため午後の応援で腕を振りすぎるなと言い、三原は応援まで省エネにしないと返す。
普通に話せるのがよかった。私と三原が二人で行くと話しても、教室全体へ広がる大騒ぎにはならない。いつもの四人の話の中に、日曜の予定も入っていた。
午後の応援を終えて帰るとき、昇降口で三原が私の横へ来た。
「日曜、俺、今日よりは落ち着いて投げたい」
「それ、ボウリングの方は走らないから大丈夫じゃない?」
「走んないけど、急ぐかもしれない」
「じゃあ、私が待つ。二人だから、後ろ詰まってくるわけじゃないし」
彼は、うん、と答えた。私も日曜が楽しみで、今日一回サーブが入ったことより、帰ってから何度も思い出しそうだった。
金曜は普通の授業に戻った。腕を上げると少しだるく、三原も鞄を持ち替えて笑っていた。試合のことばかり話していたら次の授業の準備が遅れるので、私は途中で自分の席へ戻る。
土曜の体験に持っていく案内と筆記具を確かめたのは、その日の夜だった。手帳には、学校への道と受付の場所を短く書いてある。お姉ちゃんに一度見せると、駅からの道、曲がる方合ってるね、と返された。
「何作るの?」
「今回は、並べて見せる方。小さい物、どこに置くか考えるんだって」
「へえ。じゃあ、服出してるとこ見せるだけとは違うね」
「あれは片づけの途中。もう終わったから」
私が言い返すと、お姉ちゃんは笑って自分の部屋へ戻った。全部を手伝ってもらうのではなく、迷った一つだけ確かめられたのがよかった。
土曜午後、案内のとおり電車で向かうと、学校の入口には参加者用の表示が出ていた。受付で名前を伝え、見学の案内と使う紙を受け取る。先生も学生の人も、私がもう進路を決めたものとしては話さなかった。
受付へ行くまでの方が、着いてからより迷っていた。周りが皆もう行く学校を決めていて、自分だけ何を聞きたいか分からなかったらどうしようと思ったからだった。
でも案内を渡してくれた学生の人が、初めて来たか聞いてくれたので、私は初めてだと答えた。興味があるものも、服と雑貨で迷っているとそのまま伝える。
「今日、どっちも置いてあるから、気になった方見てみて」
そう言って教室までの道を示された。両方と言ってはいけなかったわけではないらしく、私は案内の地図を持つ手を少し緩めた。聞く前から一つに絞ろうとすると、どちらも聞けなくなりそうだった。
教室の机には、布の小物や紙の箱が並んでいた。好きな物を作って持ち帰る回ではなく、用意された物をどう置けば分かりやすいか試すのだと説明される。
最初、私は色の近いものを端へ集めた。そろっている方がきれいだと思ったからだった。でも少し離れて見ると、小さいものが大きいものの後ろへ隠れてしまう。
学生の人に、どれを先に見てほしい、と聞かれた。私は黄色い小物を指したが、そこは机の奥だった。
「じゃあ、見えるところへ出してみる?」
言われて置き直すと、私が好きで選んだ色が前へ出た。周りの物も少しずつ動かす。全部同じ高さにそろえるより、後ろへ置くものを上げた方が見やすいらしかった。
隣の参加者は、私と違う物を真ん中に選んでいた。同じ材料でも並べる人が違えば変わる。私はその人の机を見てから自分の方へ戻り、最初に奥へ置いた小物をもう一度確かめた。
作った物があるだけでは、見てほしいところまで全部伝わるわけではなかった。どれを見てほしいか自分で決めるところから、もう始まっている。
説明の後に聞ける時間があり、私は普段どんな課題をするか尋ねた。作る日だけでなく、使う人や売り場について考える日もあると教えてもらう。まだ自分がどれを一番好きになるかは分からないが、見る前より聞きたいことは増えた。
撮ってよいと説明された展示だけ写真に残し、自分で置いた机の様子は渡された紙へ簡単に描いた。持ち帰る小物はなく、鞄へ増えたのは案内と、自分の書いた線だった。
帰りの電車で、私は三原へ短く送った。
『終わった。作るのとは違って、置くだけでもすごい迷った』
すぐに返事が来るとは思っていなかったので、先に案内の紙をしまう。次に画面を見ると、『どこで迷った?』と届いていた。
『色そろえたら、一番見せたいの後ろになった』
『それ、前に出した?』
『出した。そしたら、そっち見てもらえた』
やり取りしていると、今日先生へ聞いたときと違う嬉しさがあった。三原は評価して合格をくれる人ではない。それでも、私がどこで迷って何を変えたか、続きまで聞いてくれる。
『明日、紙見せてもいい? 写真より雑だけど』
『見たい。分かんないとこあったら聞く』
それなら、分かるように描き直す必要はなかった。分からないところを聞いてもらえるなら、今の自分が覚えているまま持っていける。
家へ戻って着替えてから、私は手帳を開いた。試合のことも、今日の体験も、日付のある欄へ少しずつ書く。その後で、チェックの並んだページへ戻った。
最初の六つと、その下へ自分で足した一つには、もう印がついている。その先の空いた行へ、私は新しい四角を書いた。
『三原とボウリングに行く』
先に約束したことを、後から自分の楽しみにして残す。彼が何も知らずに全部かなえてくれるわけではない。私が行きたいと言い、三原が一緒に行きたいと答えてくれたから、ここへ書ける。
書いた名前を見ていると、明日うまく投げられるかより、彼が隣でどんな顔をするかを考えていた。
サーブが入ったとき、私が探したのも三原だった。見ていたと言われて嬉しくなって、彼の番には同じことを返したかった。好きな人にしてほしかったことの相手は、もう昔の憧れの中にいる人ではない。
私は三原に見ていてほしいし、自分も三原を見ていたい。
口に出すにはまだ少し勇気が要るけれど、手帳へ書いた彼の名前を、別の誰かに置き換えようとは思わなかった。
明日は桃色を着る。私は手帳を閉じて鞄へ入れ、ハンガーからブラウスを出した。日付の欄に書いた待ち合わせは十三時二十分。先に来たら何を話そうか考えながら、袖の形を整えた。
下に合わせるものは、淡い灰色のワイドパンツにした。お姉ちゃんが部屋の前を通ったので、ちょっと見て、と呼び止める。私は二つをベッドへ並べ、歩きやすい格好がいいのだと伝えた。
「ボウリング?」
「うん。あと、写真撮る」
「じゃあ、それ、座ってみれば。立ってるときだけじゃ分かんないし」
お姉ちゃんは入り口から答えた。着替えて椅子へ座ると、膝のところも窮屈ではなかった。立ったときの形も鏡で見て、これにしようと決める。
お姉ちゃんに全部選んでもらったわけではないのに、一つ確かめてもらうと安心できた。ありがとうと伝えると、明日その服戻す場所も空けといて、と返された。
「片づけたばっかりだから、大丈夫」
「じゃあ、よかった。写真、きれいに撮れるといいね」
お姉ちゃんは笑って部屋の前を離れた。私は二人で撮るんだよと言い足しそうになり、もう必要ないかと思って口を閉じる。見せる機会があれば、撮れたものをそのまま見せればよかった。
靴はいつもの白いスニーカーにし、靴下も一緒に出しておく。予約した二ゲームで上手くできるかは分からないが、動きやすくしておけば、失敗したとき服のせいにしないで済む。
三原から夜に、筋肉痛はもう平気かと連絡が来た。私は腕を一度伸ばしてから、『平気。そっちは?』と返す。
『俺も大丈夫。明日、投げる方は右だよな』
『そこから確認する?』
『左で持ったら、全然違った』
家でボールもないのに持つまねをしたのだろうか。画面の向こうで何をしているか想像して笑い、私は『明日、持つとこから一緒にやろ』と送った。
すぐに鳥のスタンプが返ってきた。返す言葉を全部考えておかなくても、明日は会える。私が三原と遊びたくて決めた午後を、もう少しで一緒に過ごせるのだった。




