第11話 私が書き足したいこと
三原と本屋へ入ると、入口の近くに、さっき見た映画のポスターがあった。
同じ建物に映画館があるからなのか、下の台にも映画に関係する本が並んでいる。私は思わず足を止め、隣を歩いていた三原の袖を見た。呼ぼうとして手を伸ばしかけたけれど、先に向こうが気づいてくれた。
「あ、あったな」
「ね。探す前に見つかった」
台に並んでいたのは映画の特集がある雑誌だった。表紙の端に『放課後の遠回り』の文字がある。三原が一冊手に取るのを待って、私もその隣へ立った。
背の高い棚の間より、ここなら二人で見やすい。通路を空けた側へ寄ると、彼も雑誌を少しこちらへ傾けてくれた。
「撮影の写真もあるって。目次、この辺」
「あ、本当だ。あの店の中、載ってる」
私がページの数字を指すと、三原はその少し前から開いた。映画の最後の場面ではなく、撮影中の人たちの写真が出てくる。
カメラの外では、店主のおじさん役の人が、制服の三人より楽しそうに笑っていた。
「やっぱり、笑ってる」
三原が言うので、私はすぐ首を振った。
「今のは映画の外でしょ。私が言ってたの、最後のところだもん」
「分かってる。こっちだと、分かりやすいなと思って」
彼の声も笑っていた。私も写真を見直すと、つられて口元が緩んでしまう。
さっきまでスクリーンの中にいた人たちが、店の前で普通に並んでいる。その足元に、画面には入っていなかった機材があった。
「こんなに、周りに人いるんだね」
「二人だけで話してるところも、実際は大勢いるんだろうな」
「その中でもう一回笑ってって言われたら、もっと難しそう」
言ってから、少し声が大きくなったことに気づいた。本屋の中だった。私は口を閉じ、三原と顔を見合わせて、今度は声を出さずに笑った。
ページの下には、店の撮影に使った建物の写真があった。以前は別の店として使われていた場所を借り、レコードの棚を入れたらしい。三原は説明を読み、なるほど、と小さく言った。
「あの紙のこと、ここにはないな」
「レジの横の?」
「うん。でも、全部前からあった店ってわけじゃないんだな」
私は、そんなところまで気にしていたんだ、と彼の横顔を見た。
映画を見終わってから、三原はよく話してくれる。教室では何かを聞くと短く答えることも多いけれど、面白かったところや気になったものの話だと、少しずつ言葉が増える。
それを聞くのが楽しかった。知っていることを説明して終わりではなく、分からないところを一緒に探せる感じがする。
雑誌は映画以外の記事も多く、値段も、今日何となく買うには迷うくらいだった。三原は裏表紙を見てから、私へ顔を向けた。
「俺、今日は買わないでおく。まだ土曜の本もあるし」
「うん。私も。撮った場所、後で公式の紹介とか見てみよ」
「そうだな。ここに書いてあるの、覚えとく」
彼が題名と号数をスマホへ打ち込んでいる間、私は台の隣の棚を見た。何でも写真に撮るのではなく、こうして書くのもいいんだなと思った。
雑誌を戻した三原が、私の目線を追って棚を見る。
「何か見る?」
「あ、うん。服の雑誌、ちょっと見てもいい?」
「いいよ。俺もその辺にいる」
彼は奥にある街の本の方を指した。ずっと隣で、同じものを見ていなくてもいい。そう言ってくれたことが気楽で、私は少しだけうなずきを大きくした。
雑誌の棚には、もう夏の服が並んでいた。
表紙の人と同じブラウスが欲しくなっても、自分が着たらきっと違う。分かっているのに、組み合わせた写真を見ると、家にある服でもできないかと考えてしまう。
青いスカートの特集を見つけ、私は自分の足元と見比べた。今日のスカートは、桃色のブラウスを買う前から持っていたものだ。家で合わせた写真を三原へ送ったときは、まだ少し迷っていた。
でも、待ち合わせで似合ってると言われたので、選んでよかったと思った。
服を褒められるのは初めてではない。それでも今日は、彼が前の服も覚えていて、今日の私を見て言ってくれたのが分かったから、返事が少し遅れてしまった。
私は次のページをめくった。服の写真の間に、雑貨を作る人の短い紹介があった。小さな布の袋がいくつも並び、同じ形でも、裏地の色やひもの通し方が違っている。
写真より先に目が止まったのは、作った人が、使うときに困ったところから形を変えている、と話していた部分だった。
かわいいだけじゃなくて、使いやすくする。そんなふうに考えて作れるのは、ちょっといいなと思った。
「それ、気になるやつ?」
横から三原の声がして、私は顔を上げた。彼は薄い地図の本を一冊持ち、棚から少し離れたところに立っていた。
「うん。この袋。大きいのの中に入れられるやつなんだけど」
私は本を持ち上げ、写真が見えるようにした。
「中、仕切りが動かせるんだって。私、鞄の底に小さいの全部いっちゃうから、これ便利そう」
「手帳も入る?」
「このサイズなら入りそう。あ、でもペンは別になるかな」
写真の横の寸法を読んで答えると、三原が少しかがんで見た。
「口、こっちで閉めるんだな。袋の中で開かなそう」
「そう。見た目も好きだけど、そこがいいなって。私、こういうの見るの、結構好きなんだよね」
「服だけじゃないんだ」
「うん。服も好きだけど、雑貨も。お姉ちゃんと店行くと、私、こっちでも時間かかる」
三原は写真をもう一度見て、家で使うならひもなくてもよさそうだな、と言った。私は、持って出るならあった方がいい、と答える。
何を作りたいのか、将来それを仕事にしたいのかと聞かれたら、まだちゃんとは答えられない。でも、ただかわいいねと言われるより、使うところを考えて話してくれる方が、私はうれしかった。
「三原のは、何の本?」
「この辺の地図。昨日買ったのに載ってた店、どの通りなのか見たくて」
彼が表紙を見せてくれた。おしゃれな写真がいっぱいの本ではなく、道と駅と公園が細かく載っている。
「これ見て、歩くの?」
「スマホでも見るけど、本だと周りの道も一緒に見られるから。今日は確認だけ」
「そっか。三原、目的の店に行くだけじゃないんだね」
言うと、彼は少し考えてから、うん、と答えた。
「途中が面白いこともあるし。川に出られそうなら、そっち回ったり」
「私、駅から店までの行き方しか見てなかったかも」
「それでもいいと思うけど。時間ないときは、俺もそうするし」
彼の本を見ているうちに、一緒に歩いたことのない道が、まだたくさんあるのだと思った。水族館へ行く道も、学校から駅までの道も、今まで行ったのは、私にも目的が分かる場所ばかりだった。
三原が一人で面白いと思っている道は、どんなところなんだろう。
気になって、もう少し聞こうとしたとき、店内の時計が目に入った。三時半を過ぎている。今日は夕方までに帰るつもりで、昼からずっと一緒にいた。
「そろそろ帰ろうか。私、ちょっと見てたら、結構たっちゃった」
「うん。俺も見てたし」
私は雑誌を棚へ戻し、気になった号の名前だけスマホへ残した。買うかどうかは、家でもう少し考えればいい。
三原も地図を元へ戻す。何も買わずに店を出たけれど、入る前より話したいことが増えていた。
広場へ出ると、日陰にいたときより少し暑かった。
私は鞄を持ち直し、ブラウスの袖の辺りを軽く引いた。三原は隣でシャツの前を直し、こちらを見る。
「疲れた?」
「ううん。足は平気。映画のとき、ずっと座ってたし」
「そっか。俺、さっき立ったとき、ちょっと足固まってた」
「あ、分かる。私も階段、一段目で変だった」
彼が笑ったので、私も笑った。特別なことを話していなくても、帰り道に一緒にいるのが当たり前みたいになっている。
道の分かれる手前で、三原がスマホを取り出した。
「今日、写真、一枚も撮ってないな」
「あ、そうだね。昼も、すぐ食べちゃった」
映画館の中では撮れないし、本屋でも撮らなかった。待ち合わせで服を見せ合っていたときも、写真より本人を見ていた。
「今、撮る? 服、一緒に買ったの着てるし」
私が聞くと、三原はうなずいた。通路の端へ寄り、背景に人が入らない向きを探してから、私は自分のスマホを持ち上げる。
画面へ二人を入れようとすると、彼の肩が少しだけ遠かった。
「三原、もうちょいこっち。切れちゃう」
「この辺?」
近づいてくれた彼の袖が、私の腕のすぐ横へ来た。画面の中では青と桃色が並んでいるのに、私は実際の肩の距離の方が気になってしまう。
「うん。そこで大丈夫」
カメラを見て、と言いながら、私も画面へ向き直った。小さく笑おうとして頬に力が入り、その自分がおかしくなってきたところで、三原が口を開く。
「今の、もう一回って言わない方がいいな」
「まだ一回も撮ってないじゃん」
映画の台詞だと気づいて笑った途端、指が撮影のボタンへ触れた。
写真を開くと、私は笑いすぎて目が細くなっていた。三原はカメラより、少しだけ私の方を見ている。
「あ、三原、そっちじゃない」
「言ったら笑ったから。つい」
「もう。カメラ見てって言ったのに」
そう言いながらも、消そうとは思わなかった。画面の中の彼が、困ったような顔ではなく、一緒に笑っていたからだった。
「普通のも、一枚撮ろ」
「うん。今度は見る」
二枚目は、ちゃんと二人ともカメラを向いた。青いシャツも、ブラウスのボタンも入っている。私は両方を彼に送り、目の前で通知が届くのを見た。
「一枚目も送った」
「うん。俺も、こっち残しとく」
三原は二枚を順に開いてから、スマホをしまった。
今日着てきた服で撮りたかった。でも写真を見返すと、服より先に、そのとき何を言って笑ったかを思い出す。
水族館の失敗した自撮りも、今見たらきっとそうなのだろう。きれいに写っている方だけが、楽しかった証拠ではないらしい。
「じゃあ、また明日」
道の分かれ目で三原が言い、私もうなずいた。
「うん。今日、楽しかった。映画、こっちにしてくれてありがとう」
「俺も見たくて選んだやつだから。教えてくれて、ありがと」
彼はそう答えて、少しだけ手を上げた。私も振り返し、家の方へ歩き始める。
次は何曜日にどこへ行こう、とはまだ決めなかった。明日も学校で話せるし、行きたいところができたら誘っていいと、もう聞いてある。
だから不安というより、まだ話していないことを持ったまま帰る感じだった。
家へ帰り、手を洗ってから部屋で着替えていると、お姉ちゃんが廊下から私を呼んだ。
「莉緒、洗濯出すの、今日ので全部?」
「あ、ちょっと待って。これも入れる」
服を分けてかごへ持っていくと、お姉ちゃんは私が腕に掛けていたブラウスを見た。
「買ったの、今日着ていったんだ」
「うん。映画見てきた」
「それ、一緒に選んだ子と?」
「そう。向こうも買ったの着てきた」
お姉ちゃんは、へえ、と答えて、ブラウスの表示を見た。私が洗うものを分けている間に、先に自分の洗濯物を抱え直す。
「じゃあ、洗う前にそこのボタン、留めて。引っかかるから」
「あ、うん」
映画でどきどきしたかと聞かれるより、ずっと普通の返事だった。私は少し拍子抜けしながら、言われたとおりボタンを留める。
「お姉ちゃん、鞄の中に入れる袋って、使ってる?」
さっきの雑誌を思い出して聞くと、お姉ちゃんは首を横へ向けた。
「小さいポーチは入れてる。何入れたいの?」
「手帳と、細かいの。下にいっちゃうから」
「手帳まで入れるなら、大きいやつの方がいいんじゃない。物増やすと、今度はその袋が邪魔になるけど」
言われて、私は自分の鞄を思い浮かべた。あの写真のとおりに入れたら便利だと思っていたけれど、鞄の形が違えば、使い方も変わりそうだった。
「そっか。一回、家ので分けてみようかな」
「うん。余ってるのあったら、あとで見せる」
お姉ちゃんはそれだけ言って、洗面所へ向かった。私は自分の部屋へ戻り、今日の鞄を机へ置く。
財布、学生証、手帳。出した順に並べると、確かに小さいものが底へ集まっていた。ペンギンのペンは手帳のカバーに挟んだままで、そこだけはすぐに見つかる。
最後にスマホを取り出すと、三原からメッセージが来ていた。
『写真、ありがとう。雑誌のこと、後で分かったら送る』
私は、お返事が来る前にもう話しかけたくなっていた。鞄から物を全部出した写真を送ろうかとも思ったけれど、今度は文章だけにする。
『さっきの袋、家でも考えてた。まず持ってるので分けてみる』
少しして、彼から返事が来た。
『手帳入れるなら、出しやすい方がよさそう。今日も出してたし』
私は机の手帳へ目を向けた。
映画の後も、雨の日も、あの中に何を書いていたか、三原は知っている。けれど、からかわれたことはなかった。
彼氏としたいこと、と書いてあるページを最初に見せるときは、もっと困らせるかと思っていた。でも三原は、私が何をしたかったのかを聞いてくれて、行きたいところなら自分も行くと言ってくれた。
何度も一緒に出かけたのに、そのことを大げさな約束にしたりしなかった。
私は、手帳を一番取り出しやすいところへ置く、と返した。それから、今日の日付の欄を開いた。
映画の題名と、着ていったブラウスのことを短く書く。小さな余白へ、雑誌で見た袋の寸法も残した。
見たことを書こうとすると、三原と話したことも一緒に思い出される。レジ横の紙はまだ分からない。撮影した場所も、結局、全部は分からなかった。それでも、今日見た映画は、帰る頃には、終わった直後より好きになっていた。
ペンを止めて、私は六つの項目のページへ戻った。
空いていた四角は全部埋まっている。水族館の文字の横から順に見ると、初めに想像した一日とは違う景色がいくつも浮かんできた。
最初は、好きだった先輩と行けたらいいなと思って書いた。そのときの私にとっては、どれも、なかなか言えないお願いだった。
今はもう、先輩に誘ってもらえる場面を考えながら見ていなかった。いちごのアイスを食べたとき、向かいにいたのは三原だし、買ったブラウスを見てほしかったのも、今日待ち合わせをした彼だった。
私はページの下の、まだ何もないところへ目を移した。
三原が地図を見ていた顔を思い出す。店へ向かう途中も面白いと言っていた。知らない通りを、彼はいつもどんなふうに歩くのだろう。
見せてもらった猫のいる階段や、昨日買った本の街のことも気になる。でも、行き先を全部私が選んでしまったら、結局、私が行きたい場所へ案内してもらうだけになる。
私が知りたいのは、彼が自分で行きたいと思う場所だった。
私は小さな四角を一つ描き、その横へ書いた。
今度は、三原が行きたいところに行く。
書き終えてから、少しだけ恥ずかしくなった。六つの上にある見出しは変わらないのに、新しく書いたところには、三原の名前が入っている。
でも、彼氏ができたら誰でもいいから連れていってほしい、というお願いではなかった。映画の後、本屋で地図を見ていた三原と、また出かけたいと思ったから書いた。
ここを見せなければ誘えないわけでもない。明日、普通に聞けばいい。
そう思ってから、私は手帳を閉じ、明日の学校の用意を始めた。
月曜日の昼休み、紗季は私の話を聞きながら、弁当の包みを畳んでいた。
「結局、店主が笑ってたか泣いてたかは分からないんだ」
「うん。私たち、そこだけまだ違う。でも、どっちでも、最後よかったっていうのは同じ」
「それなら、話すの楽しそうだね」
紗季が言い、私はうなずいた。彼女は自分も見に行くか考えると言ったので、私もそれ以上、映画の中身を話すのはやめた。
隣で三原と大野くんは、本の取り寄せの話をしていた。土曜の古本屋では見つからなかった巻を、大野くんは帰宅してから別の店へ注文したらしい。
四人の机を戻した後も、三原は自分の椅子へすぐには座らなかった。大野くんに何か聞かれ、鞄から教科書を出して渡している。
私は手帳を出しかけた手を止め、その会話が終わるのを待った。
「三原、ちょっといい?」
呼ぶと、彼はこちらを向いた。私は自分の椅子へ座り直し、声を少しだけ落とす。
「今度、一緒に歩きたいんだけど」
「どの辺?」
「そこを、三原に聞きたくて。三原が行ってみたいところ、私も行ってみたい」
彼はすぐには答えず、机の端へ視線を落とした。
「昨日話した、揚げ物の店とか?」
「そこでもいいけど、私が食べたいもの探してくれなくてもいいよ。いつも写真撮ってるみたいなとこでも」
うまく言えているか心配になり、私は言葉を足した。
「一人で歩いてて、ここいいなって思うところ。私も見てみたいんだ」
三原がこちらを見た。困った顔ではなかったけれど、どこまで選んでいいのか考えているようだった。
「ずっと店に入る感じじゃなくても?」
「うん。歩くのも好きだし。休みたくなったら言う」
「そっか」
彼はそこで少し笑った。
「だったら、考えてみる。行きたい道、いくつかあるから」
私はうなずいた。今すぐ一つに決めてもらうより、彼が考えてくれる時間がある方がうれしかった。
「ありがとう。都合のいい日も、後で相談しよ」
「うん。藤崎さん、今週の土日、何かある?」
「土曜の午後なら大丈夫。日曜はまだ家で聞いてみる」
まだ何時にどこで会うかは決まっていない。けれど三原は、昼休みが終わる前に、自分から行きたい道があると言ってくれた。
私は机の中へ手帳を戻し、教科書を出した。
昨日書いた四角には、まだチェックがない。その横に何という場所の名前が加わるのか、私は本当に知らなかった。
三原がノートを開く音を聞きながら、次に教えてもらう道を楽しみに待つことにした。




