第五章 何者にもなれなかった僕たちへ④
それから僕はイラークの森で起きたユシンとの出来事と、一つの仮説をみんなに話した。
「――というわけで、この事件の原因はきっと『歪み』だ。僕はその歪みを正すためにみんなに謝りに来た。僕はこれからイラークの森に行く。もし僕の仮説が正しければ境界を閉じられるはずだ」
――ニトは歪み、魔に魅せられ、共鳴した。
――勇気はずっと君の中にあった。
ユシンはそう言った。そうだよ。ずっと僕の中にあったんだ。
「私は行きますよ。もとよりそのためにニト君を待っていたのですから」
エラが嬉しそうに応える。
「だな。魔の境界を開ける鍵がニトなら締める鍵もニトってわけか」
トーカが肩をすくめて応える。
「アタシも行くぞ。友達だからな」
クラネが涼しい顔をして応える。
「ありがとう、みんな。正直もう来てくれないかと思ってた」
「なにを言ってるんですか。トーカさんもクラネさんも、怒ったり興味ないふりしても結局は心配性のお人好しなんです。その気になればユシンを探し出すのなんて簡単です。ニト君の評判なら売り飛ばすことはもっと簡単です。だけどふたりともそれをしなかった。まったく、呆れたものです。その間重大な事件が起きないようにずっと首都を見張っていた私の身にもなってもらいたいものです」
そんなことを語るエラの表情は、やっぱり嬉しそうで。思わず本音が漏れる。
「なんで……?」
「そんなの決まってるじゃないですか。私たちはニト君のパーティーメンバーですよ?」
思いも寄らない言葉に僕はすぐに反応することができなかった。そんな僕を見て、みんなは満足そうに笑っていた。
「だから安心してください。あなたの後ろには私たちがいます。どれだけ頼りなくとも、ちゃんといますよ」
「……うん。ありがとう」
胸を満たす言いようのない感情をなんとか堪えて、僕は口を開く。
「――行こう。全部、終わらせるんだ」
時計の針はもうすぐ深夜三時をまわろうとしている。
来たときのように暗い木々の中をひた走る。周囲にアンデッドの気配が膨れ上がると同時にエラが祈祷術で撃退してくれているから残った僕たちはただ進むだけで良かった。
ユシンたちはどうしているだろうか。祈祷師のユウカちゃんもついているし、なによりユシンのことだからそのあたりは僕なんかの心配なんていらないとは思うけれど、それでもなるべく早く戻らないと。
冷静に考えるともしかしたらもうあの場にはいないかもしない。僕がユシンの元を去ってからもうだいぶ経っている。
けれどユシンならきっとあの場に残っている。ユシンなら僕が戻るのを待っている。たとえ僕が逃げたかもしれなくても、ユシンは絶対に僕を信じている。
僕が勇者ユシンをそう信じているように。ユシンも僕を信じている。
広場の中央でユシンとユウカちゃんが背中合わせになっていた。剣と長杖から放たれる光が暗闇を引き裂き、アンデッドを一瞬で浄化させる。どうやら魔の境界から次々とアンデッドが湧いてきている。
「――ユシン!!」
ユシンとユウカちゃんが一斉にこっちを見る。ユウカちゃんが目を見開き、ユシンの顔がぱぁっとわかりやすく明るくなった。
「ニト!! 必ず戻ると思っていたよ! さあ、準備はできたかい?」
「うん」
僕はユシンに向けてはっきりと頷いた。
アンデッドが僕たちの存在に気がつき、四方八方から一斉に向かってくる。
「多方向からの強襲だと……!? これ、昨日通信教育で出た問題だ! 闇夜に沈む道を照らせ! ルーメン!!」
トーカが短杖を構え唱える。薄暗かった森の中に小さな明かりがいくつも浮かびアンデッドを取り囲む。通信教育まで受けてるなんて。
「すごい! アンデッドの行動範囲を制限したのか!」
「見たか! これが魔術師検定準二級の力だ!」
「ありがとうございます、トーカさん!〈神秘〉!!」
エラの長杖から光が放たれ集められたアンデッドが一掃される。
「あとはアタシに任せろ!! 全員斬り倒していいんだろ!」
猛スピードで前に出たクラネに慌てて声をかける。
「クラネ! ダメだ! 相手はアンデッドだ! 普通の剣じゃ倒せな……っ」
「うおおおおおおおおおおっ!!」
クラネがアンデッドに気合の一閃を入れる。アンデッドは斬り傷をものともせず動き続ける。だけどそれで終わりじゃなかった。
「こいつら相手ならいくら暴れたっていいんだろおおおおっ!!」
すさまじい連撃がアンデッドを襲う。通常剣技じゃ倒せないはずのアンデッドが粉々になって霧散していく。
「さあ行けニト!! アンタの背中はアタシ達が守る!!」
「……ああ!」
三人がさっと道を開ける。僕はそこに向かって飛び込み、ユシンとユウカちゃんまでも追い越して魔の境界に剣を突き立てる。剣がまばゆい光を帯びていく。
僕は勇者になれなかった。僕は世界を危険に晒した。僕にはこの境界を消滅させるだけの光魔法も扱えない。
だけどもし、僕の考えている通りだとしたら。魔の境界が歪んだ者と共鳴しているのなら。『歪み』がこの境界を開ける鍵だったとのだとしたら。
確信なんてない。
それでも。今、僕にできることを。
「魔の境界を開いたのは僕だ!!」
出せる限りの大声で叫んだ。
暗い森の中に、場違いとも思えるような僕の告白がこだまする。
「なっ……! あなたやっぱり……!」
「ユウカ」
食ってかかろうとしたユウカちゃんをユシンが一言で制止する。ユウカちゃんがギロリと強い憎しみのこもった目で僕を睨みつける。
それも仕方がないと今なら思う。僕はそれだけのことをした。魔に共鳴するほど歪んでいた。
ユシンの言葉を脳内で反芻する。
――ニト。魔を退治できるのは勇者だけだ。
――勇者とは、勇気を持つ者だ。
魔を倒すのが勇気ならば。魔の境界に干渉できるのが僕だけなのだというのなら。
僕はここで逃げたら、絶対にいけない。
僕が避けてきたこと。ずっと逃げてきたこと。
考えればそんなこといくらでもある。僕は学校からも〈勇者〉という存在からも、ありとあらゆることから逃げてきた。挙句の果てにやっと僕を受け入れてくれたパーティーメンバーからも逃げ出した。
そしてなにより、こんな風になってからもずっと僕を信じてくれていたユシンから僕は目を背け続けた。
だってそれは、あまりに眩しかったから。
まわりが暗闇にしか見えない僕には眩しすぎたから。
だから僕は上手くいかない理由をすべてユシンのせいにした。
諦めて他の道を模索することもせず、ただ過去の栄光にすがりついて言い訳を並べて前を見るのも拒否していた。
全部全部誰のせいでもないとわかっていたのに。けれどそうでもしないとあまりに惨めで、情けなくて、辛くて、どうしていいかわからなかった。
頑張っても頑張ってもどうにも届かない高い壁を前に、僕はなにか理由がほしかったんだ。それがどれだけ間違っていたとしても。
早く前を向きたかった。僕だって進みたかった。こんな人間になんてなりたくなかった。
こんなことにならずに前に進めたら、その方がずっといい。でも僕にはできなかった。それも事実。だけどそれでいい。きっと、それはそれで必要な時間だったんだ。
それを否定したら、僕はこれまでとなにも変わらない。変われない。
僕がすべきことは。
ただまっすぐに自分の弱さを受け入れ、それでも顔を上げて前を向くこと。
それはつまり、僕が僕を認めること。
剣を必死に握る。息を浅く吸って吐く。今すぐにでも踵を返して逃げ出してしまいそうな両足で強く地面を踏みしめる。
僕を弾き飛ばそうとする強い力に踏ん張って耐える。体の中心が焼けるように熱い。痛い。重い。
ちらりと後ろを見る。エラが、トーカが、クラネが、僕を見て頷いた。
今なら、言える。
「ごめんなさい!! 僕たちがやりました!! そして境界を戻せなくなりました!! 助けてください!!」
剣を握ったまま頭を下げ叫ぶ。同時に、背後でも人が動く気配を感じ、「ごめんなさい!!」と三人の声が森の中に響く。
「それと……ひどいことを言って、ごめんなさい」
ユシンに向かって、ユウカちゃんに向かって、世界に向かって、誠心誠意の謝罪を。
僕はこのとき初めて、自分の無力を、自分が神託の勇者になれなかったことを、認めた。
僕はようやく、僕を取り戻した。
無限にも感じる時の中で、僕は胸を締め付けるような苦しさとともに、少しだけホッとしていた。これまでずっと誰かのせいにして、ずっと目を逸らして、ずっと嫉妬して。そんなの苦しいに決まっている。
だって、一番僕を認めていなかったのは僕だったんだから。
「――顔を上げてよ。ニト」
ユシンの優しい声が響いた。
そして、わかり切った返事をした。
「だけどこの穴は、ぼくには閉じられない。だから、ぼくが君を助けることはできない」
そうだ。ユシンは魔の境界を閉じることができない。
「でも、もう大丈夫だよね?」
「――ああ」
顔を上げ、剣を境界に突き刺したまま振り返る。ユシンの目をまっすぐに見て頷く。
「な、なにが始まるっていうの……?」
ユウカちゃんの震える声が聞こえた。それは、畏怖に近かった。
「さあ、この物語の結末を見せてくれ」
ユシンの声に合わせて、クラネが一歩前に出る。
「アタシの名はコミュ障のクラネ」
ユウカちゃんの表情が引きつる。
「俺の名は劣等感のトーカ」
ユウカちゃんが眉根を寄せる。
「私の名は不健康のエラです」
ユウカちゃんが泣きそうに顔を歪める。
「そして僕が――なり損ないのニトだ!」
叫ぶなり、僕の体全体があたたかな熱に包まれていく。さっきまでの焼き尽くすような痛みとは明らかに違う。
「う、嘘でしょ!! こんな神託あり得ない!! いくらなんでも二つ名がひどすぎる!! 初等部の子のごっこ遊びだってもう少しまともなのを考えるわ!!」
ユウカちゃんがついに涙をこぼしながら叫んだ。
そうだ。これは神託なんかじゃない。僕たちが今の僕たちを認めるためだけの二つ名だ。ただの、勇者パーティーごっこだ。この事件は勇者パーティーごっこから始まった。
だから、もうごっこ遊びは終わりにしよう。
「まだだ、ユウカ」
体の中心が熱い。燃えるようななにかが僕の中に生まれた。剣を握り続ける手を見ると、体の表面が光に包まれていた。
僕だけじゃない。エラも、トーカも、クラネも、まるで僕に共鳴するかのようにそれぞれの体を光が包んでいく。そしてその光が僕へと流れ込んでくる。
懐かしい感覚。ああ、そうか。僕は知っている。これがなんなのかを、どうするべきなのかを知っている。
これは――〈勇気〉だ。
剣が一層強く光り輝く。ユシンは真っ直ぐに僕を見ていた。
勇者。
僕の憧れであり、理想であり、夢。それを僕も真っ直ぐに見つめ返す。ずっと直視できなかった痛みを、悲しみを、悔しさを、全部丸ごとひっくるめて僕は受け止める。
「僕は勇者になれなかった。いや、僕たちは何者にもなれなかった」
心をえぐられるような痛みを。目を逸らしたくなるような苦しさを。それでも僕たちはもう手放さない。
だってそれも含めて僕なんだから。僕が僕を見放した先に、未来はない。
「だけどまだ、終わりじゃない。『勇者ごっこ』が終わっただけだ。僕たちには続きがある」
何度転んだって。何度絶望したって。何度諦めそうになったって。立ち上がり続ける限り、僕たちの希望はまだ終わらない。たとえそれがかつて望んだ希望とは違うかたちであったとしても。
決意を込めて剣を握りしめる。
突然、体の中心にあった熱が宙空へと解き放たれた。
「なっなによこれ……!?」
動揺するユウカちゃんをよそに、ユシンはこどものように目を輝かせて笑っていた。
「ああ。そうだ。ぼくはずっとこのときを待っていた。ぼくの勇者が復活するこのときを!!」
剣の先には、光り輝く円形の石板が浮かんでいた。
ああ、そうだ。石板はどこにも無くなってなんかいなかったんだ。これはずっと僕の中にあったんだ。僕の中の歪みと一体化し、僕を蝕み続けていた。
けれどもう僕の中に巣食っていた歪みはない。
だからもう石板は僕と一体化できない。
石板は神々しい光に包まれている。そこに魔の闇はない。僕の光が、魔を飲み込んでいく。
「――僕たちの勝ちだ」
ゆっくりと剣を魔の境界から引き抜く。すると宙に浮かぶ石板は剣の光に導かれるかのように、地面にぽっかりと空いたひたすらに黒い穴へと覆い被さった。
光が闇を覆い、一層激しく輝くと――石板は穴とともに光の粒となって消え去っていった。光が収まった森の中は、なんの変哲もない土の地面が広がるだけだった。
後には静まり返った森と、僕たちだけがぽつんと取り残されていた。もうアンデッドの気配はしなかった。
「ニト」
頭上からユシンの声が聞こえた。
「神託の勇者ユシン。僕はなり損ないのニト。なんでもない、ただのニトだ」
立ち上がり、僕はユシンへと手を差し出す。
「――ただいま」
勇者Nの役は終わり、僕が僕へと還ってきた。地味でちっぽけな物語が、だけど確かに僕の物語が、またここから始まる。
僕が差し出した泥だらけの手を、ユシンは泣きながら握った。
こうして、世界に平和が戻ったのだった。




