第五章 何者にもなれなかった僕たちへ③
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ぼくの目の前で、ニトは全速力で去っていった。
「ちょっ……逃げたわよアイツ!!」
ユウカの声が深夜の森に響き渡っていた。その声が雨上がりの木々に反響してこだまする。
ふぅ、とひとつ息を吐きユウカの方を見ると、怒りのあまり長杖を振り上げもう少しでニトめがけて浄化魔法を放つところだった。
「ニトは戻るよ。絶対に」
ぼくの声に素早く反応したユウカが魔法の放出をストップさせる。良かった。ニトが浄化されずに済んだ。さすがに浄化されるほど魔に近づいてはいないだろうけれど、相手はあのニトだ。浄化されないとも限らない。万が一があったらいけない。
今度はほっとして息を吐いたらユウカにギロリと睨まれた。
「なんでそんなに悠長なのよお兄ちゃんは……!」
「なんでって、ニトは必ず世界を守るから。それに――それまで僕たちが必ず街を守る。そうだろ?」
ぼくはおもむろに剣を構え光を宿す。それに合わせてユウカも再び長杖を構える。
雨上がりの森の広場には、いつの間にか地面を埋め尽くすほどのアンデッドが湧き出ていた。
「あああああああああああああッ!!」
走った。ただただ走った。森の中を抜け、街を突っ切り、目的地めがけて一目散に走った。
こんなことをしてなにになるんだ。こんなことで本当になにか変わるのか。こんなことで世界を救えるのか。
その疑問は最初にやるべきことが浮かんだときから目的地に着くまで解決することはなかった。実際今から僕がしようとしていることに意味なんてないのかもしれない。それでもこれが僕に残された数少ないやらなければいけないことだった。
「エラ!!」
ひとつの扉を乱暴に叩く。静まり返った建物の中に突如として暴力的な音が響き渡った。
誰もいなかった深夜のダテール学院女子寮の廊下に次々と人が飛び出してきて、悲鳴が上がった。
寮門を乗り越え入口を突き破り無遠慮にずかずかと進んだ先で、僕はいつかのようにエラの部屋の扉を叩いていた。
「捕まえて!!」
誰かの叫びとほぼ同時、扉に叩きつけた拳がふいに支えを失う。
「浄化!!」
中から鋭い光が飛んできて僕に直撃した。もんどり打って向かいの壁に叩きつけられ無様に廊下に転がる。
「ぐふっ……」
「あら、今度も浄化されないタイプのニト君でしたか?」
開いた扉の向こうには、淡桃の髪をふわりとなびかせ優雅に微笑むエラが立っていた。
「ずいぶんと遅かったですね。危なく待ちくたびれてその腐った根性を叩き直しに殴り込みにいくところでしたよ?」
「はは……」
思わず乾いた笑いが漏れた。だけどそれはエラの言葉があまりに直球に僕の心を抉ったからじゃない。
目の前に立つエラは、パジャマ姿ではなくローブ姿だった。
それだけで十分エラの意思は伝わった。だから僕はエラの言葉を甘んじて受け入れるしかなかった。
――ニト君。待っています。
エラはその言葉の通り、ずっと僕が来るのを待っていたんだ。ずっと僕が来ると信じていたんだ。
ネッツでも散々叩かれ。現実でも僕になじられ。それでも僕を信じてくれた。
だから僕がするべきことはただひとつ。
「エラ、ごめん!!」
床に座ったまま居住まいを正し、全力で両手と額を床にこすりつけた。
「自分が決めたことなのに、エラにひどいことを言った。全部の責任をエラに押し付けようとした。挙句の果てに保身のために逃げ出した。本当にごめん。もう一度、僕ができることは全部しようと思う。だから力を貸して欲しい」
少しの間沈黙が流れた。
目の前のエラも、僕も、さっきまで遠巻きに喚いていた他の学生も、誰も一言も発さなかった。
僕の視界いっぱいに床が広がっている。だから今エラがどんな表情をしているのかはわからない。けれどきっと驚いているだろうなと思った。
「ニト君。顔を上げてください」
エラの穏やかな声に、僕はゆっくりと顔を上げ、
「神秘!!」
透き通るような女神の声と、神々しい光の爆発に僕は呑まれていった。
「ぐえふっ…………」
「最上位祈祷術、神秘。消滅しなかったということは本当に人間のニト君のようですね?」
「ちょっ……え、僕まだ魔物だと思われてたの……?」
魔物ではないから消滅こそしなかったものの、人に対して放って良い力じゃない。僕が勇者クラスである程度の光耐性がなければこのままぽっくり逝ってしまってもおかしくなかった。実際服はあちこち破け体の中で内臓が踊り体表は麻痺状態でビリビリする。
「だって、ニト君が素直に謝るなんてにわかには信じられませんもの。もしかしたら魔物が化けてるかもしれないじゃないですか。ですが、」
エラはそこで一度言葉を区切った。
「これで少しは浄化されましたか?」
「――うん、ありがとう。おかげで目が覚めた」
「そうですか。それは良かったです」
エラが床に転がったままの僕に手を差し出した。僕はそれをしっかりと握り返した。
エラがにこりと微笑む。それは女神の微笑みなんかじゃなくて、友人としての信頼の笑みだった。
「トーカとクラネにも謝りたいんだ」
エラの部屋の中で、僕とエラは話していた。深夜の女子寮での騒動はあっという間に広がったけれど、エラが僕を部屋にぶち込み、寮長に平然と嘘を言ってのけたので他の寮生は口を挟まなかった。僕たちのさっきのやりとりを見てなんとなく真剣な空気を察してくれたらしい。
「それで、その……僕セカンドギルドのアカウントを消しちゃってて、ふたりと連絡が取れないんだ」
「それで私にふたりを呼び出してもらいたい、と」
僕たちは深夜のエラの部屋で向かい合って立っていた。僕が真剣な顔で話し始めると、エラも真剣な表情で聞いてくれた。
「うん。やっぱり直接謝りたいんだ。本当に短時間だけど、パーティーを組んだ仲間だ。あんな終わり方はしたくない」
「なるほど。わかりました。けれど私は二人を呼び出しません」
「えっ……」
「ああ、安心してくださいニト君。会わせない、という意味ではありませんよ。呼び出すより、直接行ったほうが早いでしょう」
「でもふたりの居場所なんて……」
「私を誰だと思ってるんですか? おふたりの居場所は――すでに特定済みですよ」
えっ。
エラが宙空を弾き、仮想ディスプレイを表示させる。
「ああ、その他の大勢のみなさんには私の別アカウントによる偽情報でたくさん踊ってもらっていますので、外部には個人情報は漏れていませんからご安心を」
そういえば、絶対に足がつかないようにしているアカウントがあるとかなんかと言っていたような。いや、そもそもアカウントがそのふたつだけだとは限らないのでは……?
「むやみにネッツに居住地が推測できるような投稿をするべきではないということですよ、ニト君?」
エラは真剣な表情を僅かに崩し、とても楽しそうに口角を上げて仮想ディスプレイを叩いていた。
エラの優れた情報収集能力(これは決してふたりのネッツリテラシーが低かったわけではなく、本当に些細な情報や写真、交友関係から特定に至ったエラが悪い……じゃなくてすごいだけだった。僕は忘れていた。一番のネッツ廃人はこの人だったということを)によって僕はすぐにトーカとクラネの居場所を手に入れた。
「さて、ニト君。こちらです。さきほど外に出るよう伝えておきましたので、そのうち出てくるでしょう。トーカさんは夜行性ですから」
エラが顔を上げる。僕もそれにならい目の前の建物を見やる。ダテール学院の寮と比べるとだいぶ小ぶりではあるが、ツタの這う赤茶色の煉瓦造りの寮は歴史を感じさせる建物だった。
僕たちが訪れたのはダテール学院の隣に位置するリナト学院の寮だった。隣とはいってもダテール学院の敷地は群を抜いて広大なのでわりと距離はあるが、首都にはいくつもの冒険者学校が集中している。まさかこんな近くにいたとは思わなかった。そもそも卒業生であるトーカが学院内の試験予備校に通い続けるためにまだ寮に住んでいるとは思ってもみなかった。
リナト学院はダテール学院にも引けを取らない歴史ある冒険者学校だ。神託の勇者も何人か排出している。この学校の中で国家魔術師試験に落ちたら結構目立つだろうな、と思うとトーカの苦労は考えるまでもなかった。
「トーカ、怒ってるかな」
「呆れてるかもしれませんよ」
「まあ……そうだよね。あのときの僕はあまりにひどかったから。トーカの性格ならもう僕に対して心を閉ざしてるかもね」
冷静に振り返ると自分のことながら恥ずかしくなる。
「でも、」
ふいにエラが小さく吹き出す。眉根を寄せて隣を見ると、エラは嬉しそうに笑っていた。
「もし許されなかったとしても、ちゃんと謝りたいのでしょう?」
「うん。なんて言われようとそれは僕がやらないといけないことだから」
「それで良いと思いますよ」
エラが満足そうに言ったとき、両開きの分厚い木製の扉がぎしりと鈍い音をたてて開いた。
「……ニト」
面倒そうに顔をしかめながら、僅かに開いた扉の隙間からトーカが姿を現した。もう一度ぎしり、と重い音がして扉が閉まる。
すでに時間は深夜の二時をまわっていた。寮の前に広がる石畳の広場にはほかに人影はない。それでもトーカは視線を動かしあたりを気にしていた。
「ごめん!! もう一度いっしょに戦ってほしい!!」
僕は再び勢いよく跪き頭を地面に擦りつけた。石畳に当たって鈍い音がした。
「なっ……お、おい、なんだよ、急に!?」
「これは古来から伝わる極東の究極謝罪奥義だ。僕の誠心誠意の謝罪表明だ。受け取ってくれ!!」
「ちょっおい、やめろやめろ、っていうか今の音大丈夫かよ……人間からしていい音じゃねぇぞ……」
至近距離の地面を見つめながら歯を食いしばっていると、呆れたようなため息降ってきた。
「まあ……その感じならもうエラにも謝ったのか?」
「ええ。ついでに浄化魔法で浄化しておきましたのでご心配なく」
頭上から小さく「浄化……?」と呟く声が聞こえた。エラは至極当然のように弾んだ声で「ええ、浄化です」と答えていた。
「ま、まあ……顔上げろよ」
僕が地べたに這いつくばったまま顔だけを上げると、トーカはふい、と顔を逸らした。
「一番なじられたエラが許すってんなら俺はいいけどよ。……俺もボコボコにして悪かったな。怪我は残ってないか?」
「うん、大丈夫」
「……そっか」
実際トーカとクラネが僕に対して加減してくれていたことは僕が一番理解している。翌日にはすっかり問題なく動けるようになっていた。
「あなたは本当に素直じゃありませんね。一番ニト君の様子を気にしてしょっちゅう私にメッセージを飛ばしてきていたくせに」
エラが嬉しそうに言うと、トーカが振り向いてエラを睨んだ。顔が真っ赤だった。
「なっ……おまっ、そういうのバラすのは卑怯だぞ!! 俺にもキャラってもんが……!」
「あ、そうだった。天才魔術師……」
「それはリアルでは言うな」
怒られた。
「とにかく! エラが許すってんなら俺から言うことはなにもない! これでこの話は終わりだ! 以上!!」
トーカは短杖を振り回しながら叫んだかと思うと、急に口をつぐんだ。
「……だからニトもいつまでも地べたに這いつくばってんじゃねぇ。まだやることがあるから来たんだろ。それに――ニトは勇者だろうが」
そう言ってトーカはパッと前を向いてさっさと寮の敷地外へと歩いていってしまった。それからすぐに目的地を知らないことを思い出して僕たちの元へと戻ってきていた。
「さて、最後はクラネさんですね」
次にエラに案内されたのはトーカの寮から三十分ほど歩いた街外れにある小さな土壁のアパートだった。
クラネにもすでに外に出るよう連絡を入れてあるという。さすがにクラネは寝てるんじゃない? と聞いたら、「クラネさんも今回の事件の拡大で動揺するあまり昼夜逆転の生活を送っています。それに彼女が私からのメッセージの返信に三分以上かかったことはありませんので心配いりません」と微笑んでいた。いよいよみんなの生活習慣が心配になってきた。
「……なあ、そういやあいつどうやって俺たちの居場所知ったんだ……? 俺確か学校名までは言ってないと思うんだよ……」
「たぶん知り合いとかから聞いたんだよ。ほら、エラは交友関係広いから」
僕は優しい嘘を吐いた。
そして僕たちが簡素なアパートの前に到着すると同時に二階の角にある部屋の扉が勢いよく開いた。それと同時になにか大きなものが頭上から降ってきた。
「うわああああああっ!」
瞬間的に「襲われる!」と身構えたがどうやらまだ死んでいない。
おそるおそる目を開けると、飛び降りてきたのはクラネだった。どうやら今日は重装備じゃないみたいだ。
地面になんなく着地したクラネが間髪入れずに僕の襟元を掴んで彼女の目線の高さまで持ち上げ、深夜に出して良いとはとても思えないような大声を出しながら叫ぶ。
「馬鹿野郎おおおおおおおおお! 心配したんだぞおおおおおおッ!!」
クラネは泣いていた。引くほど泣いていた。
「ご、ごめん……」
「連絡はないしアカウントは消すし……せっかく友達になれたと思ったのにさあああああああ! さみしいだろうがああああああああああああああああッ!」
「お、落ち着いて? とりあえず涙拭こうか?」
「勝手にいなくなんじゃねぇぞ次消えたら斬るからなあああああああああああッ!?」
「ごめんなさいもうしません!! 全部僕が悪かったです!! だからもうやめて! 本当に消えちゃう!! 首はだめ! 首は!!」
僕の口からきゅう、と普段聞かないような音が漏れたところでクラネがハッと我に返り僕を地面へと下ろしてくれた。相変わらず話のわかる狂人で良かった。
「……で、なんの用だ?」
一度目を閉じ息を整えたクラネが温度の下がった瞳でひたと僕を見据える。
「え、えっと……これまでのこと、色々と謝りたくて……」
「それなら用は済んだな。ごめんなさいはもう聞いた」
「え、あ、そうなんだけど……もう少しちゃんと謝罪を……」
「必要ない」
「えっ」
背の高いクラネが鋭い瞳で僕を見下ろす。
「そんなことだけのためにこんな深夜にぞろぞろとみんなして呼び出したのか? 違うだろ? さあ、これからどうする。なにか行動を起こすんだろ。さっさと話を移せ」
クラネが僕に背を向けトーカとエラを見やる。僕は唖然としてその背中にもごもごと言葉を発するすしかなかった。
「え、あ、その……」
「だってアタシたちは友達、だろ?」
振り返り、フッとクラネが微笑んだ。その返しは前にクラネに見せてもらった『友達の作り方』の本に書いてあった例文と同じだった。




