第五章 何者にもなれなかった僕たちへ②
気がついたときには学校の医療棟の中だった。
それから付き添っていた担任からぼくが倒れてすぐに教師が駆けつけたこと、試験が途中終了されたこと、残りの魔物は教師がすべて討伐したので心配しなくて良いことを聞かされた。
そして試験は途中終了になったところまでで結果を出すことになったという。こういう場合、たいてい試験は無効になるのにどうしてだろうと少しだけ疑問を抱いたことを覚えている。
だけどその謎はすぐに解けた。
本来の実力以上の魔力を使ったことによる一時的な魔力枯渇状態だったぼくはすぐに退院の許可がおり、また普段通りに学校に行き始めた。
「ユシン!! すごいじゃん!!」
ぼくを待っていたのはクラスメイト……だけではなく学校中の学生だった。もみくちゃにされ褒め称えられるうちに、そうか、自分たちはそんなにすごいアンデッドを倒していたのか、と思い至った。
けれど誇らしい気持ちは次の言葉によって一瞬で吹き飛んだ。
「ニトを守ってひとりで魔王直下のアンデッドを倒したんだろ!? 本当にすごいよ! 本物の勇者だ!!」
「…………え?」
「ニト、ボロボロだったもんなぁ。ユシンが駆けつけなかったらどうなっていたことか」
「あいつ結果出したくて結界から出たアンデッドを勝手に追っていったんだろ? さっさと教師に通報すればよかったのにひとりで手柄立てようとするからだよ」
「ちょっと待って……どういうこと……?」
違う。違う違う違う。
あまりに事実とかけ離れている。駆けつけたのはニトだ。ぼくを守ったのはニトだ。勇者はニトだ。
「ち、違う!! ニトだ! ニトがあのアンデッドを……!」
「なに言ってるんだよ、そんなに謙遜するなって。試験結果を見れば一目瞭然だろ!」
正面ホールに大々的に張り出された試験結果の張り紙。その一番上にあったのはぼくの名前だった。すぐにもうひとつの名前を探す。上からたどっていって、最後にそれを見つけた。
ニトの名前は、一番下にあった。
「……どうして……」
ぼくの点数は圧倒的だった。ニトの点数も圧倒的だった。ゼロ点だった。
それを見てハッとした。評価点数は魔物にトドメを刺した時点で入る。魔物につけられた首輪から自動的に点数に換算される。その過程がどうであれ、そんなことは関係ない。
だから、あのアンデッドの点数はすべてぼくに入ったんだ。ニトは結界が破れていることに気づいてぼくを追ったせいでまともに点数が稼げなかったんだ。
「アンデッド戦で覚醒したんだって? 極限状態になると稀に急激に能力が上昇することがあるって聞いてはいたけど、まさか身近に覚醒者が出るなんてな!」
「次の神託の勇者はユシンかもね!」
「ニトを気にかけるなんて、やっぱり覚醒者ともなると人格も違うんだなぁ」
「……ごめん、ぼくちょっと行かないと!!」
ぼくを取り囲む輪をすり抜けて、すぐに職員室に駆け込む。担任に事情を説明するが、取り合ってもらえなかった。
ぼくにはまったく自覚がなかったが、ぼくはあのアンデッド戦で覚醒していたらしい。それもそうだ。元の実力なら魔王直下のアンデッドなんて倒せるわけがない。ニトはぼくと合流した時点でぼくの覚醒に気がついていたのかもしれない。
そしてその記録と記念のためにこの試験は無効にならなかった。
覚醒したのは確かにぼくだった。トドメを刺したのは確かにぼくだった。だけどそれはすべてニトがぼくにくれたものだ。
それに。
「――ニト! どういうことだよ!!」
講義をすっぽかして校舎の裏でひとり剣を振っていたニトに詰め寄り襟元に掴みかかる。
「あー、もしかして見た? 結果。ごめん、一緒にトップを取ろうって言ったのにね」
そう言ってへらへらと笑った。その姿が、どうしても許せなかった。
「どうしてだよ!! なんでちゃんと自分の手柄だって言わなかったんだ!!」
アンデッドを倒したのはぼくだと申告したのはニト自身だった。教師に詰め寄った結果わかったことだった。
そうだ。結界を解けるほどのアンデッドだ。その時点で首輪なんて自ら破壊していたに決まっている。それでも僕に点数が入ったのは、僕が覚醒していたから。そして、誰かの証言があったからだ。
ニトは結界の外に出る直前、仮想ディスプレイから緊急事態の申請を送っていた。教師たちはそれを頼りに駆けつけた。だからみんなピンチに陥ったのはニトだと思っていた。誰ひとりとしてそれを疑わなかった。
そして緊急事態申請を行えば、その時点で申請者はドロップアウトとみなされ点数はゼロになる。つまり、どのみちあのアンデッドを倒した点数はニトに入る術はなかった。
ニトはぼくを追ったから試験時間が足りなくなったんじゃない。ぼくを追うと決めた時点で試験なんか捨ててたんだ。
「実際トドメを刺したのはユシンだ。僕はユシンが能力を発揮できるようにお膳立てしたに過ぎないよ」
「でもぼくを助けたのは君だ!」
「なんかみんな盛り上がっちゃってさぁ。まあ仕方ないよね。覚醒者なんて前の神託の勇者以来だし、僕ボロボロだったから説得力ないしさぁ。でも、これで良かったんだ」
「ニトはちゃんと主張するべきだ! 今からでも一緒に……!」
「いや、いい」
その言葉には、明確な拒絶が含まれていた。
「だってアンデッドを倒したのは間違いなく君だ。ユシン」
「ニト……」
「それにほら、まあ、なんというか。勇者には物語が必要でしょ?」
そんなことを言ってまたへらへらと笑う。
「……ぼくのためか? 本当のことが知られたらぼくの経歴に傷がつくとでも思ったのか!?」
「そんなんじゃないよ。実際事実と異なる部分なんてほとんどないんだし、今さら訂正するほどのことでもないよ。あと、ほら、勇者は人を守る者だ。成績を上げることが目的じゃない。そうでしょ?」
ぼくはなにも言い返せなかった。なにを言えば良いのかわからなかった。
「あ、そうだ。これ、退院祝いにもらってよ。怪我したって言ったら田舎からたくさん送られてきちゃってさ」
そう言ってニトはぼくにおまんじゅうの箱を押しつけ、にこりと笑って去っていった。
その日、ニトが講義に戻ることはなかった。
結局ニトは誰にも真実を告げなかった。ぼくの言葉はどうやっても勇者の慈悲としか受け取られなかった。
エラだけが、おそらく事実だとわかった上で、「ニト君はカッコつけたいんですよ。あなたが水を差してどうするんです?」と言った。
光の影で、勇者がひとり消えた。
だけどぼくは、ぼくだけは、本当の勇者を知っていた。誰よりも勇気ある者を知っていた。
覚醒してからというもの、ぼくの成績はみるみるうちに上昇した。学年トップになるまでもあっという間だった。
その陰でニトもずっと努力していた。勇者になるため、世界を救うため、本気で努力していた。
けれど伸び続けるぼくの成績とは裏腹に、いつしかニトの成績は他者に追い抜かれていった。
ニトは努力していないわけじゃなかった。それでも勝てなかった。何年も何年も真面目に剣技の訓練を積んでいた。勉強をしていた。けれど後から追う者がニトを簡単に追い抜かしていった。
おそらくぼくもそのうちのひとりだったんだろう。
そのうちぼくは神託を受けた。それと同時に、ニトは何者にもなれないことを悟った。
そして努力をやめた。
その瞬間、ニトは確かに何者でもなくなった。
けれどぼくは知っている。ニトが諦めたふりをしながらもずっと隠れて努力してきたことを。他人のせいにしながらもその誰よりも伸び悩む自分を責めていたことを。
だからぼくは信じていた。
いつかニトも立ち上がると信じていた。
何者にもなれなくても、ニトは今でもぼくの勇者なのだと。
ぼくはニトみたいになりたいと努力して、神託の勇者になったんだから。
*
「ぼくが憧れた勇者は――ニト、君なんだよ」
ユシンは僕を見てどこか懐かしむように目を細めた。
「嘘だ、そんなの……」
「たとえ称号なんかなくとも、君はずっと前から勇者だったんだ。ぼくはこの世界の誰よりも、君が勇者だと信じている」
そうか、あれが最初の実地試験だったんだ。ユシンの勇者としての目覚め、僕のなり損ないの始まり。
あのあとしばらくして僕は転げ落ちるように成績を落としていき孤立していった。だからきっと、思い出したくもなかったのかもしれない。そのあたりの記憶は少し曖昧になっていた。
確かに僕は実地試験でユシンを助けた。けれどあのときアンデッドを倒せたのはユシンの力だ。僕がいなくてもユシンはアンデッドを倒したかもしれないけれど、ユシンがいなければ僕はアンデッドを倒せなかった。ユシンはひとりで助かったに過ぎない。
「それでも僕にはもうこの穴が見えるんだ。魔の境界が見えるんだ。魔の歪みが見えるのは歪んだ者だけだ。見てただろ、僕にはもうできることなんてないんだよ……!」
「それでも君は勇者だ」
「無理だよ、僕はもう勇者なんかにはなれない!!」
「それなら試してみよう」
ユシンが迷いなく言う。そして自らの剣を取り、そこに強い光を宿す。僕なんかでは到底敵わないほどの強い光を。
「はあああああああああっ!」
そしてユシンはその光を寸分たがわず魔の境界へと突きつけた。
けれどなにも起こらない。あまりに眩い光は深い深い闇に吸い込まれるようにして消えた。
「どうだい、ニト。なにか変化はあるかい?」
「……なにも変わらない。やっぱりユシンには干渉できないんだ……」
僕が頭を抱えるとユシンは平然として「なるほど」と微笑んだ。
「なに笑ってるんだよ! この意味がわかってるのか!」
ユシンに向かって叫ぶ。それでもユシンは変わらず微笑んでいた。
「勇者は世界を救う。人を守る。この世界は、一度だって魔に屈したことはない。それは必ず勇者が現れたからだ。なにも別に、神託の勇者だけが勇者ではない」
そして突拍子もないことを平然と言ってのける。
「ぼくがこの穴に干渉できないというのなら、きっと他に勇者がいるはずだ。そしてこの穴に干渉できるのは、今のところニト、君ひとりだ」
「そんなの屁理屈だ! 干渉できるひとりが解決できなければ今回が最初で最後の勇者が現れなかった窮地になるかもしれないじゃないか!」
「それでもぼくは信じている。必ず勇者が現れることを。それに、」
そう言ってまっすぐに僕を見る。
「見えたところで、ぼくにはこの穴をどうすることもできないだろう」
「なっ……」
「きっとぼくは今回の勇者ではないから」
そこでふと、初めて寂しそうに僅かに目を伏せる。
「本当はわかっているんだ。この穴はきっと、ぼくには閉じられない。悔しいけれど、それをどうしようもなく理解してしまっている」
ユシンが視線を上げる。再びしっかりと僕を捉える。ユシンはまだなにも諦めてなんかいなかった。
「ぼくはずっと君に憧れていた。君のようになりたくて、けれどいつの間にかぼくは神託の勇者になり君は引きこもった。ぼくは……自分が情けなかった。世界を救ったと言われても、ぼくは君を救えなかった。一番救いたかった君を救えなかった。こんなことになるまで、ぼくはどうすることもできなかった。それが事実だ。けれど同時に、ニトはぼくの中でずっと勇者だった」
ぞくりと、なにか冷たい感覚が背中を撫でた。
「勇者とは、本人がそうなろうとしてなるものじゃない。誰かがそう認めて初めてなるものだ。だからニトは、ずっと立派な勇者だったんだよ」
――逃げられない。
僕はこのとき悟った。僕はきっと、逃げられない。僕はもうユシンに腕を握られていない。振り返って走って帰ろうと思えばいつだってできた。けれど、逃げられない。ユシンの視線が、期待が、覚悟が、僕を捉えて離さない。
ユシンだけはいつも僕の味方だった。こんな事態になった今ですら、ユシンの信頼は揺るがない。
勇に魅せられた者の純粋な憧れ。
もはやそれは、狂気に近かった。
「魔の歪みが見えるのは、歪んだ者だけだ。ニトは歪み、魔に魅せられ、共鳴した。けれど、」
ユシンがもう一度剣に光を宿し、振り下ろす。穴はただ光を吸収しそこに佇んでいる。
ユシンはただ、寂しげに微笑んでいた。
「同時に君はこの穴に干渉ができる唯一の人間だ。たとえ歪んでいたとしても、ニトはまだ足掻ける。まだ世界を救える」
この純粋な憧れを。
「ニト。魔を退治できるのは勇者だけだ」
この大きな期待を。
「勇者とは、勇気を持つ者だ」
この確かな覚悟を。
「勇気はずっと君の中にあった。きっとニトはまだ勇気を出していないだけだ。ニトにはまだやり残したことがある。やれることがある。それがなにかはぼくにはわからないけれど……違うかい?」
――裏切る奴は、勇者じゃない。
「…………ッ!」
踵を返し弾かれたように走り出す。脇目も振らず、ただ一心に。
ユシンに言われたことの半分もきっと僕は理解できてなんかいない。自分になにができるのかという気持ちは今も変わらない。
それでも、僕がやらなければいけない。逃げちゃいけない。やれることはなりふり構わずやらなきゃいけない。
いくらかっこ悪くても、いくら惨めでも、いくらなじられても。
僕は勇者だから。そうあろうとする者だから。
世界の滅びを嘆くのは、その後だ。




