第五章 何者にもなれなかった僕たちへ①
第五章 何者にもなれなかった僕たちへ
「ニトはやっぱり勇者なんだ」
雨音だけが地面に染みゆく中、確信に満ちたユシンの声が聞こえた。普段より一層暗い森の中で、けれどユシンの瞳はまっすぐに僕のことを見ていた。
なにひとつ疑わない、まっすぐで優しくて、それでいて刺すような迫力の瞳。それを僕だけに向けていた。
僕はもう、そんなの耐えられない。
「なんだよ、それ……。僕が勇者になれないことなんて僕が一番よくわかってる!」
「違う。君は勇者だ。勇者だった。ずっと」
「ふざけるなよ……」
だから無意識に口からこぼれた言葉は、本当は言うつもりなんかなかった。言いたくなんかなかった。聞かせたくなんかなかった。
それでも、僕の口は止まってなんかくれなかった。
「夢に届いた人間が! 届かなかった人間の前で! 希望を語るなッ!!」
思ったよりも大きな声が、責め立てる非難の声が、汚れのないユシンの信頼に泥を塗りたくる。
ユシンはなにも悪くない。なにひとつ。ただ、僕はユシンの期待に応えられるほどの人間じゃなかった。僕はどこまでいっても凡人で、それでも必死に上を目指すだけの向上心もなかった。それだけの話。
こんなのよくある挫折だ。
幼い頃の万能感は自分だけのものじゃなかったんだって。天才なんかじゃなかったんだって。そう自覚しただけの、世界中どこにでもありふれた些細な挫折だ。
それなのに僕はいつまでもその傷にしがみつき、後生大事に抱えている。
こんな段階になってもまだ世界の主人公でなかったことを認められずにいる。
大した傷でもないのにまるで世界で自分が一番不幸とでも言いたげにこれみよがしに身を縮めている。
そんなの自分が一番、よくわかっている。
ユシンが光の勇者なら、僕は影のなり損ないだ。ユシンは僕なんかを前にしても綺麗で、僕はユシンを前にしてもどこまでも汚い。
「ニト、僕は、」
「――これでわかったでしょ、お兄ちゃん。やっぱりダメな奴はどこまでいってもダメなのよ」
僕に怒鳴られても顔色ひとつ変えないユシンが再び口を開こうとしたとき、もうひとつの声が割って入った。
振り向くと、ユシンとそっくりな、綺麗な女の子が腕を組んで立っていた。
「ユウカ。今日はぼくひとりで良いと言ったはずだけど」
「ふん、こんなことだろうと思ってたわ。あたしが来てよかったじゃない。さあ、こいつを締め上げて早く帰りましょう。明日王城に突き出さないと。光の勇者に対して好き勝手言ったことを牢屋で悔いると良いわ!」
「うるさいうるさいうるさい!! ユシンがいけないんだろ!! ユシンが俺を蹴落としたんだろ!? ユシンだって俺に同情してるくせに! 俺を落ちぶれたかわいそうな奴だって思ってるからこそ優しくしてくれてるくせに!!」
「あなたねぇ! ふざけんじゃないわよ! そうよそうに決まってるでしょ当たり前よ! お兄ちゃんは誰よりも優しい! だからあなたにはお兄ちゃんしか友達がいないんでしょ!?」
「ああそうだよ! だけど僕だって別に優しくしてくれなんて頼んだ覚えはない!!」
「ニト!!」
走り去ろうとする僕の腕をユシンが掴む。振りほどこうとしたが無理だった。あまりに強い力だった。
「どうしてよ! お兄ちゃんもいい加減目覚ましてよ! こんなゴミみたいな奴にいくら期待したって無駄なのよ!!」
「ユウカ」
ユシンが静かに、とても静かに声を出した。
空気が、震えた。
「ニトの悪口を言うのは――ぼくが許さない」
そこには明確な怒りが含まれていた。目が僅かに細まり、視線が鋭くなる。ユシンのこんな姿は初めて見た。僕は驚いて無意識に抵抗をやめた。
「少し、昔話をしようか」
ユシンは静かに話し始めた。
「ニト、ダテール学院に入って最初の実地試験を覚えているかい?」
「……最初の、実地試験……」
なんだっただろうか。僕は首をひねる。
「そうだろうね。ニトはきっと覚えていない。そのくらい、きっと君にとって当たり前のことだったんだ。だけど、ぼくにとっては衝撃的な出来事だった」
*
ダテール学院中等部三年の頃の話だ。
ぼくが村から出てダテール学院に入学した頃、ぼくは特に目立つ学生じゃなかった。実技も筆記も中の中。もちろん地元の村では一番腕がたった。でもそれだけだった。
全国から勇者候補生が集まるダテール学院の勇者クラスにおいてはその程度は当たり前のことだった。幼い頃から神童と呼ばれていたクラスメイトが何人もいた。
その証拠にぼくと同じような境遇で地方からダテール学院の寮に入ったクラスメイトと出会った。それが、ニトだった。
知り合いもいない初めての寮生活でぼくとニトはすぐに仲良くなった。
「実地試験か……緊張するな……」
開始前、震える手で剣の柄を握るぼくを見てニトは笑った。
「少し落ち着きなよ、ユシン。実地試験といっても結界が張られた中でやるんだし、魔物も学校が用意した首輪付きの管理されたものなんだから。それに、僕たちだってここまで二年間頑張ってきたんだ。せっかくならここでトップを取って僕たちを田舎者だってバカにしてた奴らを見返してやろうよ!」
「そうだね。ありがとう、ニト」
ぼくが答えると、ニトは今度は満足そうに笑った。
結果から言うとぼくはこの試験でトップを取った。だけどそれは、ぼくの思い描いていた理想とはだいぶかけ離れたものだった。
試験時間は一時間。勇者クラス二十人が結界の張られた森の中で魔物を倒し、その倒した数、魔物のレベルを競うという内容だった。
これまでも魔物と戦う試験はあった。だがそれは学校の敷地内であったり、危険度の低い魔物の退治が中心だった。今回は難易度が段違いだ。この森は学校が管理下置いたとはいえ、一時は魔物に占拠され一般人は立入禁止にした場所だった。
だから訓練のように上手く立ち回れずにぼくがパニックに陥るのも、ある意味当然だったし、学校側も想定していた事態だった。
不幸だったのは、一匹、姿を偽った魔王直下のアンデッドが紛れていたことだった。
そのアンデッドの手により結界の一部が解かれ、ぼくはまったく気づかずに結界外に誘い出されてしまっていた。その上アンデッドの瘴気による通信障害で教師への自動警報システムは作動せず、気がついたときにはドロップアウトの申請を送ることもできなくなっていた。
ダテール学院創立以来の大事故だった。
「こ、こんなの聞いてない……!」
目の前にいるのは人型をした黒い闇の塊。時折どろりと、闇としか言えないどす黒い粘性の液体が地面に垂れ落ちる。
初めてみた高位のアンデッドの迫力にぼくは完全に気圧されていた。
襲い来る黒魔法を必死に剣で防ぐ。もはや逃げることすらできなかった。背中を見せればその時点で終わりだということだけは理解していた。
だからぼくはなにもわからないまま、パニックで頭もまわらないまま、ただアンデッドと交戦するしかなかった。
このときのぼくに魔王直下のアンデッドを倒すだけの力はなかった。それでもぼくは震えながら剣を握るしかなかった。
また見たこともない闇のような黒魔法が飛んでくる。その瞬間、ぼくは本能で確信した。
――間に合わない!
光魔法を纏った剣で黒魔法を切り捨てた直後だった。体力なんてとうに限界を過ぎていた。剣を切り返す余裕はない。ぼくはただ丸腰で黒魔法を受けるしかなかった。
ぼくはきっと、このとき死ぬ運命にあったんだと思う。
もしあの場に、ひとりの勇者が駆けつけていなかったのなら。
「大丈夫かユシン!!」
死を覚悟してつぶった目を開くと、黒魔法とぼくの間にニトが立っていた。自分もボロボロの姿で、けれど光を纏った剣をしっかりと握って、その瞳はまっすぐに格上のアンデッドを見据えていた。
「ニ、ニト……」
「剣を構えろ! 僕が奴の気を引く!」
「で、でも……」
「いいか。あいつの胸に赤いクリスタルがある。あれは魔力増幅効果のあるクリスタルだ。魔王直下のアンデッドの証だ。先週テストで出ただろう? あれを狙え」
ニトに言われてハッとする。確かにそうだ。闇に紛れて見えにくいが、胸の中心に時折赤黒く光るクリスタルが垣間見えた。
「た、確かにそうだけど……でも、ぼくになんて……!」
「ユシンにならできる」
ニトははっきりと言った。
「ユシンは優しい。人に攻撃を向けることにためらいがある。だから実技試験でトップを取ったことがない。だけど、本当は誰よりも強い光魔法を生み出せることを僕は知っている」
淡々と話し続けたままニトは襲い来る黒魔法の雨を切り裂き続ける。ぼくは呆然とそれを見ていた。
ニトは実技試験でいつもぼくの少し下だった。それでもまるでそんなことを感じさせない鮮やかな剣技だった。後にも先にもこれほどまでに素早いニトの剣捌きをぼくは見たことがない。だからそれはもしかすると、ニトの技術からきてるものじゃなかったのかもしれない。
実際今考えると、ニトの体は傷だらけだった。ぼくと同じように、ニトの力量がアンデッドに勝っていたわけではなかった。
だけどニトはぼくにないものを持っていた。ここでやらなければいけないという圧倒的に強い気持ち。ここは自分が引き受けるという覚悟。守り抜くという決意。
ぼくはそのとき、はじめて本物の勇気を見た。
だからぼくは、絶対にニトの信頼に応えなければいけなかった。
「はああああああああっ!」
自分の中からすべてを絞り出す。なにもかもこの一撃に捧げる。これが最後になってもいい。ここでこのアンデッドを倒すのがぼくの使命だ。そう思った。
「――ベルム!!」
ぼくの叫びとともに、目の前に掲げた長剣に見たこともない激しい光が宿った。
「行け!! ユシン!!」
ニトが叫び、すべての黒魔法を弾いた直後、アンデッドに向かって突っ込んでいく。そこにはなんの計算も技もない。あるのはただぼくがアンデッドを仕留められるという根拠のない自信。
「うわああああああああああああッ!!」
ぼくの叫びとニトの叫びが重なる。ニトがアンデッドの前に躍り出る。アンデッドは至近距離のニトへ向かって黒魔法を繰り出す。
一瞬アンデッドと目が合った。けれどニトはアンデッドにぼくを見ることすら許さなかった。ニトは黒魔法に直撃することをものともせず、そのままアンデッドに猛スピードで突っ込んでいった。
瞬間、アンデッドは否応なしにゼロ距離のニトへと意識を強制的に移させられる。
「ベルム!!」
ニトの剣が再び光を放つ。ニトの光がぼくの光を覆い隠す。
そのすぐ背後から。剣を掲げて宙へと飛び出す。
「喰らえええええええええええッ!!」
叫び、大上段に構えた剣を全力で振り下ろす。技術もなにもない、ニトから教わった、ただただすべての気持ちを注ぎ込んだ一撃だった。
その一撃は、激しく光る剣は、アンデッドの体を真っ二つに切り裂いていた。
目の前で光に浄化されるアンデッドをしばらく呆然と見つめていたぼくは、はっと我に返り振り返った。
「やった! やったよニト!!」
そう言って傷だらけのニトがまだ立っていることを確認して――ぼくの意識は途絶えた。




