本心曝け出すのって結構勇気がいること⑦
「……え?」
全く予想していなかった回答が飛んできた。目を丸くして南雲さんを見つめる俺に対して、南雲さんは今にもドヤっという効果音が聞こえてきそうな顔をして見つめ返してくる。
先ほどよりも少し強めに風が吹き、沈黙が俺たちの間に立ち込める。
俺がもし南雲さんの立場だったら、冬の風と勘違いするほどに風を冷たく感じて、今すぐにこの教室から立ち去り、二度と南雲さんに顔を見せることはないはずだ。
だというのに、目の前の彼女はどれだけ沈黙が続こうと、自信が消えない。吹き込む風を味方につけて『どうかしら?』とでも言いたげに髪を耳にかける仕草をし始める。
彼女を見ていると、どうして自分にとか、何かと理由をつけて自分を下げ続ける北山晴臣という存在が、なんだかバカらしく思えてくる。
「ふ、ふふふっ……!」
「北山くん、なんで笑ってんのよ? いい理由でしょ、女の勘。私、一度言って見たかったのよね」
「だからって、今ここで言う?」
「今が絶好の機会でしょ! ここを逃したら、二年くらいは言う機会ないはずだから!」
「二年後のどんなタイミングで言うんですか、それ」
思い返しても、校内にいる自分は俯いていて、いつも一人で──そんな自分が、校内にいるにも関わらず、心の底から笑ってる。人の目気にせず、大きく笑う。
目の前の南雲さんも、俺につられて笑い始める。
「陽も落ちたし、そろそろ帰ろっか」
オレンジ色に輝いていた空が藍色に変化を始め、教室内のものに不気味さを加えていく。
俺は南雲さんの提案に頷き、机から降りて開けられていた窓を閉める。
普段の俺なら、電気が付けられていない暗い教室になんて一秒たりとも居たくはない。すぐにでも帰りたいと思うはず。それなのに今は、この教室から離れることに寂しさを感じている。
改めて思う、単純な男だなって。将来、詐欺とかに引っかからないか不安だよ。
窓に映る自分の顔に苦笑いを浮かべて、俺はカーテンを閉め切った。
「ねぇ、北山くん」
「なんですか?」
「お願いが一つあるんだけど、言ってもいい?」
「は、はい、どうぞ」
俺の了承を得た南雲さんは、俺の目をまっすぐに見つめて、口を開く。
「北山くんが良ければ、また放課後、一緒に遊んでくれない?」
両の手を背後に隠して、ほんの少し首を傾げて。
上目遣いの彼女の表情からは、恥ずかしさも感じとれた。
「あの、その……お、俺なんかで良ければ……」
放課後、また今日みたいに南雲さんと会って、話して、遊んで……夢のような出来事がこの先も続くんだ。
嬉しさと共に恥ずかしさも湧いてくる。俺は視線を少し下げて頬を掻いた。
「ダメです。やり直し」
「……え?」
顔を上げると、南雲さんは頭上で大きなバツ印を作り上げていた。
俺、今の一瞬で何をやらかしてしまったんだ……?
湧き上がっていた嬉しさと恥ずかしさも、周りと同じく藍色に染まっていく。
「す、すみません! 俺、なんかやっちゃいましたか……?」
「やっちゃいました。やっちゃってますよ、北山くん」
やれやれと言いたげな表情で、俺へと一歩踏み出す南雲さん。
右腕を胸元まで上げて、人差し指を伸ばし──俺の心臓を、トンと叩く。
「『俺なんか』なんて言わないで。私は、あなたがいいの」
「あなたじゃなきゃ、こんなお願いしてないから」
「今、私の目の前にいてくれてる北山晴臣くんに、もう一度お願いします」
「これからも、私、南雲美月と、放課後遊んでください」
真っ直ぐに俺を見つめてくれる。真っ直ぐに俺に言葉を届けてくれる。
俺は男だから、南雲さんが言った女の勘とやらがどういうものなのかがわからない。皆が羨ましがるほどに綺麗なものかもしれない。近づくのさえ躊躇うほど毒々しいものかもしれない。信じていいものなのか、信じたら痛い目を見るものなのか。彼女は本心から言葉を発しているのか、俺をただ弄ぼうとしているだけなのか。
わからない、女の勘とやらが。わからない、南雲美月という女性が。
でも、これだけははっきりとわかってる。
俺の前に立つ南雲美月という女性は、理想の俺を見ていない。
目の前に立つ、北山晴臣を見てくれているんだ。
「……お、俺も、その……今日、南雲さんと一緒に遊んで、すごくすごく楽しくて。だから、その……な、南雲さん!」
背筋を伸ばして、下げた視線を上げる。
真っ直ぐに南雲さんを見つめて、真っ直ぐに言葉を届ける。
「俺とまた一緒に遊んでください! 俺と、友達になってください! お願いします!」
上半身を九十度まで勢いよく下げる。自身の声の大きさに、羞恥がまた湧き出てくる。
「もちろんです! これからも、南雲美月をよろしくお願いします!」
俺に負けない音量で、南雲さんも上半身を勢いよく倒した。
三秒ほどして、二人同時に顔を上げる。なぜか二人とも真面目な顔つきだ。
俺たちは一体何をしているのだろうか。こんなところ誰かに見られでもしたら、絶対に変な目で見られるよ。
堅苦しいお友達宣言を終えて、へにゃりと表情を崩して、笑いを教室内に響かせた。
「あっ、そうだ。北山くん、わかってると思うし言わないと思ってるけど、一応伝えておくね。今日の私のこと、誰にも言わないでね」
「それはもちろん。そもそも俺、恥ずかしながら話す友達いないので……」
「そんな悲しいこと言わないで! 友達なら、私がいるじゃない!」
「う、うん。あ、改めて、よろしくお願いします……!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。一緒に遊んだりはもちろん、何か悩み事とか相談したいこととか、そういうこともあったら遠慮なく私に言ってくれてもいいんだからね?」
「え? あ、は、はい。わ、わかりました!」
「私も、何かあったら北山くんを頼るから。よろしくね」
目を閉じたくなるほどの明るい笑顔を俺に向けて、右手の小指を立てて俺の前へと突き出してくる。
今まで友達というものに恵まれてこなかった俺だけど、この行為が何を意味しているのかくらいは、言われなくてもわかる。少しばかり恥ずかしいが、今この空間には俺と南雲さんの二人だけだ。人の目なんて、気にしなくてもいいんだ。
俺は左手の小指を立てて、南雲さんの小指に触れた。
「指切りげんまん、嘘吐いたら平手打ち一発」
「え? ひ、平手打ち……?」
「針千本は現実味ないでしょ?」
「そ、そうかもだけど……」
「指切った! はい、平手打ち決定! 約束破ったら平手打ちだからね!」
「えぇ⁉︎」
強引に指を切られ慌てる俺に背を向けて、南雲さんは教室の外へと駆け出した。
「じゃあね、北山くん! また明日!」
「あ、う、うん! また、明日!」
扉からひょっこり顔を出して挨拶してくれる南雲さんに、今度はしっかりと挨拶を返す。
別れの挨拶を受け取ってくれた南雲さんは、小さく手を振って俺の視界から姿を消した。
「……また明日、か」
一人取り残された暗い教室の中、俺は南雲さんから受け取った言葉を小さく吐き出した。
明日なんて、俺にとっては苦痛なものでしかなかった。見た目に惹かれて寄ってくる人たちは、情けない俺を見て、その日限りで関係を終わらせる。次の日になれば、何事もなかったかのように、昨日話しかけてきたことも忘れてしまったかのように。
もちろん、俺がみんなの期待に応えられてないだけの話。俺ができる男であったら、こんな思いしなくてもいいんだ。
でも、やっぱり、そうだとわかっていても、ずっとずっと思ってた。明日になんてならなきゃいいのにって。周囲の、画面の、本の、そんな奴らと一緒にしないでくれって。
誰でもいいから、目の前の俺を見てくれって。
「……明日も、南雲さんと一緒に遊べるのかな? 遊べる、んだよな……?」
きっと明日も、明後日も、その先も、俺のそばで彼女は『北山くん』と、笑顔でそう呼んでくれるはず。
帰ったはずの南雲さんが再び頭の中に姿を現して、何度も何度も俺の名前を呼んでくる。
「あぁ、もぉぉ……! なんだよこれ……! なんでこんなことにぃぃ……!」
熱くなる顔を両手で隠して、その場にしゃがみ込む。時計の針が規則正しく動く音が、はっきりと聞こえる。鼓動を早める心臓の音も。
今日は心臓を働かせすぎだ。いい加減休ませないと、苦情が来る。
落ち着けと何度も小さく呟いて、俺はゆっくりと立ち上がる。
嬉しい気持ちはあるけれど、モヤモヤした気持ちの方が強い。正直、夢なんじゃないかって今でも思っている。だって、普通ありえないだろ、こんな俺みたいなやつ──
教室を出ようと歩き出した足が止まる。
ふと、南雲さんがさっきまで座っていた机へ視線が向いた。
「あなたじゃなきゃ、こんなお願いしてないから」
そうだ。そうだよ。南雲さんは、俺にお願いしてくれた。情けなくて、頼りない俺に。
「今日はさ、深く考えずに、南雲さんの言葉、受け止めようよ」
拳を丸めて、早まる心臓を軽く叩く。
俺の悪い癖だ。何でもかんでもそれっぽい理由をつけて、自分を下げて、納得して。
せっかく楽しいって思えてるんだ。その気持ちすら、消そうとするなよ。
楽しかったって言ってくれた南雲さんに失礼だろ。
また遊ぼうって言ってくれた南雲さんに失礼だろ。
俺自身が、北山晴臣を傷つけんなよ。
はっきりとした理由なんて必要ない。
なんとなくそう思ったから、それでもいいじゃないか。
いい意味でそう思ってもらえてるんだから、それでいいじゃないか。
どうして俺がとか、こんな俺なんかとか、そんなこと考えんな。
難しいこと考えずに、素直に受け止めろよ。
南雲さんの言葉を。
南雲さんの思いを。
「……よし」
頬を軽く叩いて、俺は教室を出た。
すでに空は藍色に染められていて、物音一つしていない廊下には寂しさを感じてしまう。
そういや、ゴールデンウィーク前のあの日と同じような光景だな。あの時も南雲さんが先に帰って、一人取り残されて。
でも、余裕がなくて、急いでいたあの時とは違う。ゆっくりと、静かな空間に響く自分の足音を楽しめるほど余裕がある。階段を降りる時に、南雲さんの真似して両の手を大きく広げてみたりもできる。下駄箱前で、一回くるりと回ってみたりもできる。
「やっぱりまだ、南雲さんの考えてること、わかんないや」
軽く真似した程度では、やはりわかるわけがなかった。でも、今はそれでいいや。もうこれ以上深く考えるのはやめにしよう。たまにはこういうちょっとよくわかんない日があってもいいじゃないか。もっともっと、気楽に生きてもいいじゃないか。
女の勘とかいう、よくわかんないものを信じてもさ。
外靴に履き替えて、下駄箱を出る。
月明かりに照らされた世界は、いつもより少しばかり広く感じた。
「いつも下ばっかり見てたから、そのせいかもな」
弱気な自分を思い返して、苦笑いを一つ。俺は顔を上げて自転車置き場へ歩みを進めた。
四月の夜風とは違い、肌寒さはもうない。震えることもなければ、暑い暑いと文句を垂れることもない。ずっとこんな日が続けばいいのに。この先も、ずっと。
本日の出来事を思い返しながら、自転車の鍵を差し込み、ロックを解除。ガチャンと元気な音を立てて、いつでも走れるぜと俺に合図。しかし俺はすぐには跨らず、しばらく愛車を押して校内を歩いた。
心地よい風を浴びながら、男女混じって大きな円を作り締めのストレッチをしている陸上部。未だにビビるほどでかい声を出して白球を追いかけている野球部。体育館方面から聞こえてくる、何部だかわかんないけど元気な声──全てが、劣等感を生み出す存在だった。勝手に比べて、勝手に凹んで。
でも今は『遅くまで頑張ってるなぁ』小学生の感想文くらいの軽い気持ちしか湧いてこない。
たった一つの行動で、世界はこんなにも変わってしまうなんて。
「女の勘には、感謝しないと」
アニメのキャラでも言わなそうなセリフをボソッと吐き出して、俺は愛車に跨った。
明日はどんな日になるんだろうか? 何が起こるのだろうか?
彼女は、どんな表情を見せてくれるのだろうか?
明るく輝きながら俺を見下ろしてくるお月様に小さく笑みを浮かべて、俺は勢いよくペダルを踏み込んだ。




